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目の前にいる人々と幸せを共創するサービス・マネジメント

  • 経営管理研究科国際企業戦略専攻教授藤川 佳則

2023年10月2日 掲載

画像:藤川 佳則氏

藤川 佳則(ふじかわ・よしのり)

一橋大学経済学部卒業。同大学院商学研究科修士。ハーバード・ビジネススクールMBA(経営学修士)、ペンシルバニア州立大学Ph.D.(経営学博士)。ハーバード・ビジネススクール研究助手、ペンシルバニア州立大学講師、オルソン・ザルトマン・アソシエイツ(コンサルティング)、一橋大学大学院国際企業戦略研究科専任講師、准教授を経て現職。一橋ICS(一橋ビジネススクール国際企業戦略専攻)では、MBA Programのプログラムディレクターを15年間務め、同プログラムの発展に寄与(QSグローバルMBAランキング 2023年度日本国内1位、アジア18位)。また、一橋大学の副学長補佐(国際交流)も務めた。一橋ICSにおいて教鞭をとるほか、米国・イェール大学経営大学院 (Yale School of Management) 客員教授、トルコ・コチ大学経営大学院 (Koc Graduate School of Business) 客員教授、スイス・EHL (ローザンヌ・ホテルスクール) 客員教授、韓国・ソウル国立大学ビジネススクール (Seoul National University Business School) 客員教員を歴任。また、一橋ビジネススクールの海外協定校50校以上の学生を対象とする短期集中型プログラムやオンラインコースを担当。専門はサービス・マネジメント、マーケティング、グローバル・バーチャル・チームズ。

すべてはサービス
ー サービス・ドミナント・ロジックの世界観

私の専門はサービス・マネジメントという分野です。

かつてのサービス研究は、製造業に対するサービス業というように産業を分けてとらえていました。当時のサービス・マネジメントは、モノに対するサービスの特性に焦点を当てていました。生産と消費が同時に起こる「同時性」、つくり置きすることができない「消滅性」、見えない・触れないという「無形性」、誰が、誰に、いつ、どこで提供するかに左右される「変動性」。こうしたモノにはないサービス固有の特徴に注目し、それらがもたらす経営課題を抽出し、それを乗り越えるための経営論理を明らかにする。それが1980年代~2000年代初頭にかけてのサービス・マネジメントでした。

サービス固有の特性が生み出す経営課題に取り組むためには、マーケティング・マネジメント、ヒューマン・リソース・マネジメント、オペレーション・マネジメントという3つの職能を切り離して議論するのではなく、むしろ、顧客を目の前にするその時間・空間においていかに統合するかが重要となります。

たとえばスターバックスは、自宅でも職場でもない「第三の場所(サードプレイス)」を提供することを、戦略の根幹に据えていることで知られています。「第三の場所」は、香り高いおいしいコーヒーを味わいながら、ゆっくりと過ごせる時間やゆったりとした空間に身を置き、店員とのフレンドリーなコミュニケーションを楽しむことを通じて実現されます。そのためには、心地良い接客など顧客接点におけるマーケティング・マネジメント、そこで働く従業員のスキルやモチベーションの向上などのヒューマン・リソース・マネジメント、効率的・効果的な店舗運営のためのオペレーション・マネジメントが、顧客を目の前にしたその瞬間、その場所で統合的に実行される必要があります。そのために、「サービス・プロフィット・チェーン」などのフレームワークが開発されました。

その後、2000年代以降、サービス・マネジメントは、モノとサービスを分けてとらえるのではなく、すべてをサービスとしてとらえるようになりました。たとえば、iPhoneとそのアプリは切り離すことは難しく、モノでもありサービスでもある。また、コマツの「KOMTRAX」(建機の遠隔稼働管理システム)に代表される「IoT(モノのインターネット)」は、顧客接点を製品の購買時にとどまらず、その前後を通じて常に顧客とつながることを可能にします。そして、モノやサービスの使用段階において顧客がとるさまざまな行動と企業が展開する諸々の活動が組み合わさって共に価値をつくる「価値共創」の経営論理を明確にしようとする分野として発展を遂げるようになります。

このように経済・経営現象をすべてサービスの観点からとらえ、自社、顧客、組織外のさまざまな主体であるステークホルダー間の価値共創のありさまをとらえようとするのが、「サービス・ドミナント・ロジック」という世界観です。私の研究対象であり、かつ、私が教育に臨む際のスタンスにも通じる世界観です。

京都の呉服屋の長男
ー 世界を目指す第一歩

私は京都の呉服屋の家に生まれました。3人兄弟の長男です。面と向かって言われたことはないのですが、私が店を継ぐものとの期待を感じながら育ちました。両親はもちろん、親族にも近所にも自営業が多い中、商社勤務で世界を飛び回っていた母方の伯父、メーカー勤務で同じく世界各地の土産話を聞かせてくれた父方の叔父、この2人は私に「外の世界に出てみたい」と強く思わせてくれる存在でした。

そして高校生の時、転機が訪れました。当時の中曽根政権下の教育改革によって、国立大学はそれまでの一校受験から複数校受験が可能になりました。私は一橋大学と神戸大学を選択。どちらの進路も簡単に周囲の理解を得られるものではありませんでしたが、やはりビジネスパーソンだった2人の影響は大きかったと思います。「外の世界に踏み出すならビジネスを学ばなければ」との思いからその2校を選択し、最終的に一橋大学経済学部に入学しました。

私が入学した1987年前後という時代は、当時商学部長であった今井賢一先生(一橋大学名誉教授、故人)のお声がけで、野中郁次郎先生(現一橋大学名誉教授)が一橋大学に移ってこられたり、アメリカで経営学のPh.D.を取られた竹内弘髙先生(現一橋大学名誉教授)をはじめ、多くの先生方が続々と海外から帰国してくるという、そんなタイミングでした。また、如水会等による支援のもと、海外派遣留学制度が始まったのもこの頃です。

私は一橋大学経済学部に籍を置きながら、3年次には商学部の竹内先生のゼミを選択。3年次の途中から1年間、前述の留学制度で、アメリカのペンシルべニア大学ウォートン校に留学しました。

理論と実践の反復横跳び
ー 相互のリスペクト

もともとビジネスの世界に踏み出そうとしていた私が研究者を志すことになったきっかけの一つが、この1年間の留学でした。「世界の学生というのは、こんなにも真剣に学ぶのか」と衝撃を受けたのです。受験や試験のための勉強ではなく、自分が学びたいから学んでいる。オンキャンパスの寮に入ったのですが、ルームメイトが、インド出身の1年生(のちに家業を継いでダイヤモンド商となる)、ドイツとスペインのミックスの3年生(現在、スイスのザンクトガレン大学教授)、フランス出身の交換留学生(エンジニアのキャリアを投げうって大統領選に出馬するも、おしくもマクロン大統領に敗れる)の3人でした。国籍に関わりなく、世界中から学生が集まり、学び合っている。この衝撃は日本に帰国してからも薄まることなく、「自分が寝ているこの時間も、彼らは勉強している」という思いが頭から離れませんでした。時間を惜しんで学び続けるというマインドセットはこの時にできたのだと思います。

もう一つのきっかけは、帰国後にリサーチアシスタントとして参加した二つのプロジェクトです。当時、竹内先生が野中先生と一緒に進めていた、その後『知識創造企業』(東洋経済新報社)という本になるプロジェクト。そして、ハーバード・ビジネススクールのマイケル・ポーター先生が世界10か国間の競争力を分析し、その後『国の競争優位』(ダイヤモンド社)という本にまとめるプロジェクト(そのうちの日本のプロジェクトを竹内先生が率いていました)。指導教員である竹内先生はもちろんのこと、野中先生やポーター先生と直接やり取りする機会を得ました。研究と実務、理論と実践を、反復横跳びのように行き来する。単に行き来するだけではなく、両方の世界をリスペクトし、知見を共有できるように発信する。このようなキャリアがあると知ったとき、研究者を志すようになりました。

学生の飛躍的な成長
ー 教育のインパクト

先生方が熱意を注いでいたのは、リサーチプロジェクトなどの研究活動に対してだけではありませんでした。ティーチング、つまり教育活動にも全身全霊をかけて取り組んでおられました。

研究は地道な作業の連続で、数年や十数年、数十年をかけて取り組む活動ですが、それは人類の叡智に貢献する営みであると考えています。一枚一枚は薄いかもしれないけれど「次の知識の層」を重ねていく。そして、研究に勝るとも劣らず、異なる種類の貢献を人類にもたらすことができるのが教育であると思います。教育は数か月や数週間、数日間という比較的短い期間でも大きなインパクトを生み出しうる可能性をもっています。自分が関わる人たちが成長を遂げる姿を身近で実感できる、これほど素晴らしい職業があるでしょうか。

私が一橋ICS(一橋ビジネススクール国際企業戦略専攻)で担当しているMBAプログラムの授業では、「Participant-centered Learning(参加者中心の学び)」を根幹に据え、参加者が互いに学び合う「互学互習」の最大化を心がけています。学生の9割近くが外国出身者で、国籍や業種、経歴なども様々です。その多様性を最大限に活かす学修体験を目指しています。そのための手段として、すべての学生の発言を、議論の貢献度に応じて「3点」~「マイナス1点」の5段階で評価し、フィードバックします。「1点」は、ケース教材等をよく読み込み、事実やデータに基づいた発言をすることで議論を前に進める貢献に対する評価。「2点」は、問題に対する自らのスタンスを明確にし、その理由を定性・定量分析に基づいて論理立てて説明することによって議論を深める貢献や、異なる意見を呼び込むことによって議論に多様性をもたらす努力に対する評価。「3点」は、その発言によって、クラス全体がそれまでとは異なる違う視点で問題をとらえることができるようになったり、次の大事な問題に移行する好機をもたらしたりしたことに対する評価、という具合です。「0点」や「マイナス1点」は、ケース教材の準備ができていない、議論の内容を聞いておらず既出の意見を繰り返す、など、そこに集まってお互いに学び合おうとする全員の時間を無駄にしてしまう行為がその対象となります。そのための準備は学生にとっても私にとっても大変ですが、授業を履修する前と後、学期をまたぐ前と後、学年をこえる前と後では、彼らの学修に対する姿勢や議論に貢献するための行動は見違えるように変わっていきます。その様を目の当たりにする醍醐味たるや、ほかに代えがたいものがあります。

サービス・マネジメントの原点
ー 実家の呉服屋の原体験に

一橋ICSは社会人大学院なので、受験者は書類選考や面接試験を通じて、それまでの社会人人生を振り返り、在学中に何を学びたいか、学んだことを修了後にどう活かしたいか、その明確な意志が問われます。入学後も彼らがその意志を堅持するために、今自分はここで何を学ぼうとしているのか、それは何のためなのか、常に意識して取り組むための環境をつくる。実はこれこそ、サービス・マネジメントの実践なのかもしれません。

なぜサービス・マネジメントにこだわるか。サービスをモノと対比して研究する分野として立ち上がり、自分と他者のやりとりを通じた価値共創の論理を読み解く分野として発展したのがサービス・マネジメントです。つまるところ私は、研究においても教育においても、目の前にいるさまざまな人たちと一緒になって、それぞれが実感する幸せを共に創っていきたい。今、話していて気づいたのですが、目の前にいらっしゃるお客様に真摯に向き合い、長きにわたるお付き合いを大切にしていく、京都の呉服屋に生まれ、両親の背中を見て育った日常の中にこそ、その原点を見つけることができるのかもしれませんね。(談)