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「生きづらさ」にアプローチする社会ネットワーク分析

  • 社会学研究科講師佐藤 圭一

2023年7月3日 掲載

画像:佐藤 圭一氏

佐藤 圭一(さとう・けいいち)

2009年社会学部卒業。2011年一橋大学大学院社会学研究科 総合社会科学専攻修士課程修了。2015年同大学院博士課程修了、日本学術振興会 特別研究員(DC1)、日本学術振興会 特別研究員(PD)、日本学術振興会 海外特別研究員、ドイツ・コンスタンツ大学 政治・法律・経済学セクション 客員研究員、フィンランド・ヘルシンキ大学 社会学部 博士研究員を経て、2020年一橋大学大学院社会学研究科講師に就任、現在に至る。主な研究領域は、政治社会学、環境社会学、ネットワーク分析、計量社会学

社会ネットワーク分析という"鉛筆"で環境社会学、政治社会学を記述

私の主な研究領域は、環境社会学、政治社会学、社会ネットワーク分析などです。この中で、社会ネットワーク分析は、私が常に持っている1本の"鉛筆"のようなものです。私は社会ネットワーク分析という"鉛筆"を用いて、環境社会学的なテーマ、政治社会学的なテーマについて論文を展開していると言えます。

私がそのようなネットワーク分析という「鉛筆」を用いて研究しているテーマには、例えば、次のようなものがあります。(1)日本の気候変動政策過程と他国との比較:日本経済団体連合会系・経済産業省系・環境省系という3つのグループ間の綱引きによって日本の気候変動政策のあり方は決まっています。これが他国とどう異なるのかを現在、比較研究しています。(2)福島第一原子力発電所事故後の社会運動の広がり:原発事故後、脱原発団体を中心にさまざまな市民団体が情報共有を行い、協力関係が形成され、大規模な社会運動が起こったことを分析してきました。(3)権力分配過程のコンピューター・シミュレーション:共通の権力者を仰ぐ個人同士が意見の違いを許容し、ローカルレベルで協力し合うことにより権力分配の不平等を緩和する過程を、ネットワークモデルを用いてシミュレーションをしています。

意外に思われるかもしれませんが、社会ネットワーク分析について学べる大学は、日本ではまだ珍しいようです。私はドイツ、アメリカ、フィンランドでの留学を通してその技術を修得しました。自らが不思議に感じていることを適正に記述し、モデル化するためのツールとして、社会ネットワーク分析を多くの学生さんに身につけてほしいと考えています。その一環として私のゼミでは、2021年度に本学の学部生・大学院生を対象に、『コロナ禍における大学生の友人関係と生活に関する調査』を実施しました。大変示唆に富む調査となりましたが、内容については最後に紹介しましょう。

生きづらさはどこから生じているのか

私が社会学に興味を持ったきっかけはいくつかあるのですが、最も古い記憶は小学生の頃のことです。高学年になった頃、私はクラスメートたちからいじめを受けるようになりました。いじめてくる彼らは、1対1になると普通に付き合えるのに、クラスという集団になると関係が変わってしまう。傷ついたのはもちろんですが、人が集団になったときに起こる、そのような独特のプロセスがとにかく"不思議"でした。その後、中学校の部活動でも、ヒエラルキーの最下位に位置づけられるという経験をしました。このような、集団と生きづらさの関係について強い関心を持ちました。

また、当時私が住んでいた団地には、薬害エイズ裁判の原告側の関係者が住んでいたことも影響しているでしょう。小学生だった私や私の父母、同級生とその家族、私の小学校の先生たち、地元ぐるみで原告の人々を支援する経験を通じて、「既存のシステムをどうにかして変えていくこと」について、身近に感じる環境で育ちました。

高校に入ってから社会科で政治経済について学んだ私は、マクロなシステムのあり方そのものよりも、システムの形成に至るまでの「人の動きを追える」学問を求めるようになりました。社会科の先生から社会学の存在を教えてもらった私は、既存のシステムがどのように形成され、どのような問題や副作用を生み、どのように変えていくべきかに関心を持ちながら、一橋大学に進学しました。

自分が感じた"不思議"を、自分のペースで調べるために研究の道へ

研究者を目指そうと考えたのは、大学3年生の夏、ドイツに留学したときです。初めての海外生活だったのでかなりの苦労を覚悟していたのですが、案外何とかなってしまいました。電車に乗れば大学まで行けましたし、ドキュメントを読めば授業は受けられます。日本とドイツでは社会の仕組みから何からすべて違うはずなのに、ある程度日本にいるときと同じ感覚で生きられる。それは不思議な体験でした。社会システムというものは、普遍性があるということを初めて体感した時間だったと思います。日独の社会のあり方の共通性や違いについて研究するのも面白いかもしれない。徐々にそう考えるようになっていました。

また、留学のタイミングから、就職活動のモードに入りようがなかったという側面もあります。当時は就職活動の時期がしっかり決まっていたため、3年生の夏から1年間の留学をしていた私は、ずっとその圧力の外にいたのです。このような経緯から、気が付くと、私は研究者を目指すことになってしまっていました。

課題解決を目指すよりも、疑問から結論を出すことを重視

私の研究領域・テーマははじめにお伝えした通りです。私の授業やゼミに参加する学生が同じ研究領域・テーマに関心を持つ必要はなく、それぞれの関心を掘り下げてもらっています。ただし、関心の対象が何であれ、自分に引きつけて結果を考察するということを大切にしています。

まず社会調査の基本として、自分なりに調べてデータを取り、妥当な形で分析をして、筋道立てた論文にまとめます。「調べたことはこうです」「社会はこうなっています」と報告できることは社会調査の大前提ですが、私が重視しているのは、そのもう一歩先です。「なぜそうなっているのか」「どうすればより良い社会になるのか」について、自分が感じた疑問をもとに考察をするということです。現場を調べ、システムのロジックを理解したうえで、自分自身が持っている「(何となくの)生きづらさ」と照らし合わせながら論じられる。私の授業やゼミを通じて、そんなスタンスを身につけてもらえたら嬉しいです。

そのスタンスはいわゆる課題解決思考とイコールではありません。様々な問題の中で、個々人が取り組める範囲の解決策というのはごく少数です。たとえば、小学校でいじめられていた当時の私が、解決策を提示されたとしても、おそらく救われることにはならないでしょう。むしろ解決策の前段にある、「こういうふうになっている」ということがストーリーとして解れば、その時点での生きやすさにつながるのです。自分ではどうしようもないものに折り合いをつけるため、ストーリーを見出してきたのが人間の歴史である、という視点を私は大切にしています。一見、「調べたことそのものの一歩先を重視する」というメッセージと矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、自分に引きつけながら問題をとらえることで、はじめて、ストーリーというものは紡ぎだされるものだと思っています。

ある調査がコロナ禍の一橋大学生にストーリーを提供した

ストーリーを見出す意義を実感したのが、はじめに触れた『コロナ禍における大学生の友人関係と生活に関する調査』です。2021年9月22日から1か月間、本学に通う学部生・大学院生を対象にアンケートを実施。WEB調査及び調査票調査で学部生・大学院生516人から回答を得ました。

結論はシンプルで、「コロナ禍において一橋大学生の友人関係のネットワークは、自分の友人同士は友人ではない個別型へと変化した」というものです。対面のコミュニケーションが図れる場合、Aの友人BとCは、互いに友人になる可能性が高まります。この時のA・B・Cの関係は、社会ネットワーク分析の用語では「トライアディックな関係」と表現します。しかしコロナ禍ではAとB、AとCは友人同士でも、BとCは友人にはなりにくい。つまり個別型(ダイアディックな関係)にとどまってしまうのです。

トライアディックな関係が築けない場合、個々人は心理的に追い詰められ、問題が発生したときに集団の力で解決できない、という事態に陥りやすくなります。自由回答で非常に多かったのは、「こういう調査をやってもらって救われた気がした」というものでした。学部生・大学院生は、アンケートに回答しながら「自分がどういうことになっているのか」を感じ取っていったのです。これがストーリーを見出すことの意義です。大変示唆に富む結果となりましたが、当時不満・不安を募らせていた学部生・大学院生にとっても、この調査はとても意義深いものになったようです。

「ツーパス以上」に思いを馳せることは、社会構造に思いを馳せること

このような関係性の違いは、ワンパス/ツーパスの関係として理解することができます。自分と相手が一緒に何をしているのかを理解すること、つまり、ワンパスの範囲を理解することは、さほど難しくはありません。しかし、自分のつながっている他人が、他の人と何をしているのか、あるいはそれ以上の範囲、つまり自分が直接知らないツーパス以上の範囲を理解するのはなかなか難しいことで、コロナ禍ではその難しさが顕著になったと言えます。

この、ツーパス以上の範囲の動向を調査によって明らかにすることが社会ネットワーク分析の面白さです。もっと言えば、「ツーパス以上」に思いを馳せることが、システム、社会構造に思いを馳せることだと私は考えています。(談)