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既存の境界を超え、虚心坦懐に世界の構造を見つめる経営人材の育成

  • 経営管理研究科教授田村 俊夫

2022年12月27日 掲載

画像:田村 俊夫氏

田村 俊夫(たむら・としお)

1986年東京大学法学部卒。1986年日本興業銀行入行。在職中に米国ハーバード大学法科大学院(Harvard Law School)に留学し、1989年に法学修士号(LL.M.)を取得、ニューヨーク州弁護士登録。1989年から1年間、ニューヨークの弁護士事務所Paul,Weissにて勤務。また、1998年から2年間、世界銀行グループIFC(国際金融公社)で投融資担当官を務める(在ワシントンDC)。帰国後はみずほ証券アドバイザリー第1グループ部長(M&A)、投資銀行第7部長、経営調査部上級研究員等を務める傍ら2005年に一橋大学商学部客員教授に就任、2007年からは一橋大学商学研究科客員教授としてMBAコースでM&Aを講義、2017年4月より一橋大学商学部および一橋大学商学研究科(現経営管理研究科)教授に就任、現在に至る。

実務と研究を通して見えてきた、日本企業の低迷の原因

私の専門はM&A、企業価値分析、コーポレートファイナンス、コーポレートガバナンスなどが挙げられますが、すべての興味・関心の根底にあるのは「日本経済の生産性向上」という問題意識です。私は日本の金融機関をはじめ、アメリカのローファームや国際機関でM&Aなどの実務に携わってきました。日本企業の視点で海外を見る、海外の視点から日本企業を見るという経験を重ね、現在は研究者としてその経験を言語化しながら学生の皆さんに教える立場にあります。その中で、過去30年の間に日本企業が低迷してしまった原因が見えてきました。

その原因を端的に表現すれば「日本企業が経営人材を育成できていない」ということに尽きます。では経営人材には何が求められていて、どのように育成すべきか。それができていないのはなぜか。後ほど説明しましょう。

興銀の国際営業からロースクールに留学、そしてローファームでLBOに従事

はじめに触れたように、私のキャリアは日本興業銀行(当時)という金融機関でスタートしました。金融に興味を持っていたわけではなく、興銀が手がける事業に興味を持っていたのです。就職時に読んだ『小説日本興業銀行』に描かれていたように、当時の興銀は「天下国家を論じる」「産業とともに歩む」という大きなビジョンを持っていました。実際、多くの業界に関与しながら大型プロジェクトを動かし、国際化も推し進めていました。この環境であれば「さまざまな事業に関われるうえに、海外に行って視野を広げることもできそうだ」と思い、入行を決めたのです。

入行後は国際営業部に配属。語学が堪能な同期の俊英たちは、アメリカ、欧州、アジアなどとのビジネスを手がけるビジネス班に行き、受験英語しか身についていない私はサポートが中心の総務班に配属されましたが、その後、規模が小さいニュージーランドを任されました。ところがそのニュージーランドで、大型プロジェクトが相次いだのです。海外企業とビジネス交渉を行う傍ら、イギリスの大手ローファームの東京事務所に通いドキュメンテーションを行う。そんな背伸びした経験を重ね、「本気で国際的なビジネスをするなら、ビジネスとローの両方を分かっていなければならない」と痛感しました。その後、ハーバードロースクールで学ぶチャンスを与えられた私は迷わず渡米。1989年に法学修士号を取得し、ニューヨーク州弁護士試験にも合格しました。

懸念材料だった英語も、実は専門的になればなるほど用語・文脈が決まってくるので、日常会話よりも簡単にマスターできることが分かりました。真っ先に英語を理解できるようになったのはロースクールの授業で、一番難しかったのは、むしろボストン訛りの近所のクリーニング屋のお姉さんとの会話です。

ロースクールを修了した後、私はそのままアメリカに残りました。キャンパスインタビューやコールバックインタビューを経てオファーをもらったニューヨークのローファームで約1年、弁護士として働かせてもらったのです。上司のパートナーの担当顧客がプライベート・エクイティ•ファンドで、LBO(Leveraged Buyout)をいくつも手がけていました。そのファンドはモルガン•スタンレーの幹部が独立して設立したもので、私はモルガン•スタンレーの元バンカーからM&Aの手ほどきを受けました。楽しい体験でした。その後、帰国して審査部で4年間「リアルワールドMBA」の鍛錬を積んだ後、大手企業の融資を担当しました。アジア通貨危機の直後には世銀グループのIFCに面接試験を受けて採用され、アジア大手財閥のリストラクチャリングで戦略的提携を軸とするアドバイザー業務のプロジェクトマネージャーを任されました。多国籍チームを率いる経験もまた刺激的なものでした。

M&Aビジネスは99%理論的に説明できるが、最後の1%が勝敗を分ける

新しい環境に置かれると、目の前のことが面白くて仕方がなくなる。私はもともとそういうタイプなのでしょう。もう一つ言えるのは、大きなビジョンを掲げる興銀でキャリアをスタートした私は、世の中の成り立ちに強い興味を持っている、ということです。世の中を成り立たせている原理原則を理解して、流れを読み、大規模なプロジェクトやM&Aにおいて先手を打つ。それが本当に楽しかったですね。

しかもこの原理原則は、ビジネスにおけるヒューマンファクターにも共通しています。プライベートにおける人間の心情は掴みきれませんが、ディールになった場合の人間の心情は理論的に予測できることが多いのです。大型のM&Aともなると、企業は一番優秀な人材を送り込んでくるので、思惑が相当絡み合います。しかしヒューマンファクターの原理原則をつかんでおくと、かなりの確率でネクストステップが読めます。たとえ読みが外れても、すぐに仮説を立て直して次の手を打てばよいのです。このように、M&Aはおおげさに言えば99%理論的に説明できますが、ハイレベルの舞台では最後の1%が勝敗を決めます。そこもまたM&Aビジネスの醍醐味です。

もっとも、当時からこのように言語化できていたわけではありません。ロースクールや審査部で理論を学んだうえで実務に携われたことは大きかったですが、2005年以降客員教授として徐々に一橋大学に関わるようになり、学生に言語化して説明する必要に迫られたこと、さらに実務の背景にある理論の研究に注力できたことのおかげだと思います。その中で、日本企業の低迷の原因も見えてきました。

経営者には「事業ポートフォリオ戦略」「コーポレートガバナンス」が不可欠

長らく客員教授と実務の両方に携わっていた私は、2017年から一橋大学の専任教員になりました。私が感じた「低迷の原因」とは、はじめに触れたように「経営人材を育成できていない」ということです。

経営者には「科目」はありません。経営の責任を負う以上、この科目は知らなかったではすみません。この科目の垣根を超えていくために、経営者には経営者になるための包括的な専門トレーニングが必要となります。海外では将来経営者になれそうな人材の能力を見定め、たとえば、失敗しても全社への影響が低い小規模の関連会社・拠点のトップを任せたりします。その人材が成果を出すたびに、より大きなステージを提供することで、経営者に育てていくのです。財務リテラシーやヒューマンファクターの原理原則も、このプロセスで身につけていきます。さらに、トップマネジメントになるためには、個々の事業部門ではなく全体を見渡して資源配分を決定する「事業ポートフォリオ戦略」と、株主・取締役会との関係を理解する「コーポレートガバナンス」という不可欠な二つのスキルを身につける必要があります。

日本人にグローバルに通用する経営人材となる能力がないとはまったく思いません。しかし、いくつもの職種をローテーションさせて「ゼネラリスト」を養成すると称しながら肝心の経営者としてのトレーニングが不十分で、経営者が"事業部連合の代表"にとどまっているような構造がこのまま残れば、日本企業および日本経済は長期的な停滞から抜け出せないのではないか。それが私の研究の根底にある問題意識です。

英語空間から情報を得て、"当たり前"の感覚を変えることから始める

繰り返しになりますが、日本人に能力が欠けているわけではありません。世界のカウンターパートが普通に受けているトレーニングを、多くの日本人が受けていないことが問題なのです。そのトレーニングは先に紹介したような経営人材の育成プログラムもそうですが、もう一つ不可欠なのは「英語空間から情報を得る」というトレーニングです。

世界的にはノン・ネイティブも含め重要な情報は英語空間でやり取りされています。また、英語空間から情報を得ることは、自分が今まで日本語空間から得ていた情報の相対化にもつながります。何を当たり前とするか、その感覚が変わってくるのです。カウンターパートが得ている情報は、実務関連にはとどまりません。海外のエグゼクティブは、文系と理系、ビジネスとアカデミアといった境界を超えてさまざまな情報を貪欲に取り込み、有用と思えるものは何でも投入して実務を行っています。国際的に活躍しよう、海外の人材に負けるものかと気負わなくてもいいのです。普通に学ぶべきことを学び、虚心坦懐に世の中を見つめ、構造を捉えようとする。その姿勢こそ、これから日本企業が優秀な経営者を生み出すためには必要です。

私が授業やゼミで対象としている方々は、日本を代表する大手企業のエグゼクティブから一橋大学の学生までさまざまですが、私からお伝えするメッセージは変わりません。井の中の蛙にならず、世界のカウンターパートに引けを取らない力を身につけてほしい。ただそれだけなのです。(談)