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コーポレートファイナンス理論だけでは説明できない「人」の存在

  • 経営管理研究科教授鈴木健嗣

2022年7月1日 掲載

画像:鈴木 健嗣氏

鈴木 健嗣(すずき・かつし)

2002年一橋大学大学院商学研究科(現:経営管理研究科)修士課程修了。2005年同研究科博士後期課程修了、博士(商学)取得。東京理科大学経営学部専任講師、神戸大学大学院経営学研究科准教授を経て2015年一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授に就任。同大学院経営管理研究科准教授を経て2019年同大学院教授に就任、現在に至る。研究関心分野は、コーポレートファイナンス、コーポレートガバナンス、経営戦略、企業文化など。著書に『日本のエクイティ・ファイナンス』(中央経済社、2017年)がある。

日本のスタートアップ企業に親和性の高いエクイティファイナンス

私の研究分野はコーポレートファイナンスです。コーポレートファイナンスには「資金をいかに調達するのか」「集めた資金をどの投資案に振り向けるのか」「収益をいかに株主に還元するのか」という3つの切り口があります。コーポレートファイナンスの理論を企業で用いる際にどういった点に気をつけるべきなのか。どうすれば現実的な現象を説明できるか。私はこのような点に注意しながら、経営管理研究科で授業を行っています。

企業の資金調達には、株式を発行して資金を調達する「エクイティファイナンス」と、借入等によって資金を調達する「デットファイナンス」があります。日本ではメインバンクとの関係性を通じて資金調達をするデットファイナンスが長く続きました。そのため前者のエクイティファイナンスに関わった企業は、欧米以上に少ないようです。未公開企業はもちろんですが、株式を公開している大手上場企業でも事情は変わりません。10年に一度行うかどうかで、しかも継続的なものではなくワンショットで終わるので、「エクイティファイナンスの中身は知っているけれど関わった経験はない」という財務担当者がほとんどでしょう。

ただし、スタートアップ企業は積極的に行っているようです。実際、私のゼミに参加しているスタートアップ企業の経営者の方々とは、よくエクイティファイナンスの話になります。私自身がエクイティファイナンスに興味を持ったのも、2000年代から日本で台頭し始めたスタートアップ企業の存在がきっかけなのです。

スタートアップ企業の台頭によってファイナンスの研究にギアが入った

実は学生の頃の私は、ファイナンスに興味を持っていませんでした。公務員だった両親の影響で安定志向が強かったため、「将来の安定のために銀行に入ろう、ならばファイナンスを学んでおこう」という程度の動機しかなかったのです。ただ、いざ就職活動を始めてみると、時代は"超"がつくほどの就職氷河期。そこでファイナンスを学び続けようと、大学院の修士課程に進むことにしましたが、ファイナンスに対する興味はさほど高くはありませんでした。

しかし、ちょうど1999年に東証マザーズ市場(現・東証グロース市場)が開設され、当時の言葉で言えば"ベンチャー"が次々に誕生しました。テレビ・雑誌等のメディアには、若くて優秀な経営者がたくさん登場します。在学中に起業した人も珍しくありません。その様子を見た私は、バリバリ働いて活躍している彼らを心のどこかで羨ましく感じながら、同時に「ベンチャーファイナンスは面白そうだ」と直感したのです。海外には先行研究がたくさんありますが、日本の研究者はまだまだ少ない。ならば自分が......と考えた途端、一気にファイナンスへの興味が湧いたのです。

ベンチャーの場合は借入のための担保がありませんから、デットファイナンスではなく、エクイティファイナンスが中心になります。そこで私は、コーポレートファイナンスの中でもエクイティファイナンスの研究を進めることに決めました。

先行研究だけでは、現実的な現象をほとんど説明できない

博士課程を修了して以降も、私は何十年分もの蓄積がある海外の先行研究を学び続けました。そして膨大な理論を研究する中で、これらの理論では、現実的な現象をほとんど説明できないと気づきました。合理的な世界を前提とするはずのコーポレートファイナンスの研究で、なぜそんなことが起こってしまうのか、何が足りないのか、最初は分かりませんでした。

潮目が変わったのは、神戸大学の大学院経営学研究科在籍中に一橋大学とのプロジェクトに参画した時です。テーマは、約2兆5,000億円もの有利子負債を抱えた出光興産が、どのようにして自力で危機を乗り越えたか、というものでした。

ここでお伝えしたいのは「どう乗り越えたか」ではなく、「なぜずっと負債を増やし続けたか=借入を続けたか」という点です。出光興産は2006年にIPOを果たし、エクイティファイナンスしましたが、倒産寸前まで借入のみで経営を続けてきました。その理由は、創業者の故・出光佐三氏の金言がエクイティファイナンスを禁じると解釈されていたからです。

外部資本を入れれば買収される可能性がありますから、そのリスクを回避したいという思いは分かります。しかし、亡くなった後もその思いが次世代に引き継がれ、倒産寸前に追い込まれるという非合理的な判断につながっていることを知った時、私は合点がいきました。エクイティファイナンス理論とは別の次元で、企業の判断が行われている。説明できない領域には「人」の存在が関係しているのだ、と。

粉飾決算から浮かび上がった「ソーシャルタイ」というキーワード

企業のトップの特徴や経験が、企業の財務戦略や借入など、経営のさまざまな領域に影響を及ぼしているのではないか。その視点でコーポレートファイナンスをとらえ直すと、ネガティブな結果をもたらす実例を国内外で数多く発見することができます。

アメリカでは、CEOが多数登録しているあるフリーサイトの情報が漏洩した事件から、そのCEOらが経営する企業の粉飾決算率が高いことが発覚しました。テストステロンという男性ホルモンの分泌量が多い人ほど攻撃的になるケースが多く、そういう人がCEOに就任すると積極的な買収を行いやすいなどの研究報告もあります。

その中で私は、日本の大手機器メーカーが10年以上にわたって粉飾決算を続けていた事件に着目し、研究を行いました。なぜ歴代の経営陣が横並びで隠し通すことができたのか、大きな疑問だったからです。調査をしてみて浮上したキーワードは「ソーシャルタイ(社会的な結びつき)」でした。

「ソーシャルタイ」は「シミラリティ・アトラクション(相似形誘引)」、「えこひいき」、あるいは「レシプロシティ(互恵性、返報性)」との概念とも関係が深いです。同じ大学の先輩/後輩、同じ出身地であることなどが関係を深めることがあります。ソーシャルタイがネガティブに働くと、たとえば、次の経営者を任命する際に「後輩」や「同郷」であることは強いドライバーとなります。任命された側は、任命してくれた前任者を裏切れません。その結果、前任者が残した負のレガシーを壊せないため企業としてのパフォーマンスが下がり、大企業病に罹ってしまうのです。能力優先で後任を選んでいたら、その機器メーカーは粉飾決算を回避できたかもしれません。

CEOのセレクションにおいてソーシャルタイが重要な役割を果たしていることを検証した論文は、ある経営学のトップジャーナルに掲載されました。先行研究を踏襲したものではなく、私なりの独自性を発揮した研究が評価されたことは、現在の研究及び経営管理研究科での授業に活かされているという実感があります。

正解がないからこそ、学生と互いに補い合って授業を進める姿勢が欠かせない

先行研究で蓄積された理論が、意味がない、間違っていると言うつもりはありません。ただし、学生の皆さんが直面している現実的な問題の解決においては、理論がそのまま当てはまらないことのほうが多いです。しかし、理論が大きな方向性を指示していることは明らかであり、理論からスタートし、その乖離する理由の探索を通じて現状把握をより確かなものにします。それにはまず理論を徹底的に理解し、自分のものにしなければならないという意味で、理論を学ぶ作業は欠かせません。

私はそのために授業を行っているわけですが、一方で、私が学生の皆さんから教えてもらうこともたくさんあります。たとえばスタートアップ企業のCFOを務めている学生さんからは、私が実際の現場を教えてもらう立場です。ですから学生の皆さんには、「互いに補い合いながら授業を進めていきましょう」とお伝えするようにしています。むしろそのようにはっきりと意思表示をしたほうが、皆さん積極的に授業に参加してくれるという実感があります。方向性は分かるものの正解はそれぞれ、という前提に立つことが、MBAを学びに来る皆さんの知的好奇心を刺激するのかもしれません。(談)