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意思決定のモデル分析:操作性と一般性の対立

  • 経済学研究科教授武岡 則男

2022年7月1日 掲載

画像:武岡 則男氏

武岡 則男(たけおか・のりお)

1998年神戸大学経済学部卒。2000年大阪大学大学院経済学研究科博士前期課程修了。2001年米国ロチェスター大学へ留学。2006年ロチェスター大学経済学部Ph.D.取得。帰国後立命館大学経済学部准教授、横浜国立大学経済学部准教授を経て、2016年一橋大学経済学研究科教授に就任、現在に至る。専門分野は、ミクロ経済学、意思決定理論、ゲーム理論、一般均衡理論。

観察可能なデータを使い、観察できないものを「可視化」する意思決定理論

私の研究分野である「意思決定理論」は、個人がリスク下や異時点間選択など様々な環境においてどのような意思決定をするかを扱います。ミクロ経済学の消費者理論もその一部です。

初歩的な消費者理論では、個人の選好を表す「効用関数」が前提にされることが多いです。しかし、効用関数を直接観察することはできません。そこで個人の消費行動を観察し、その人が背後に持っているであろう効用関数や、予算の範囲内で最大の満足度を得ようとする「効用最大化原理」を炙り出すことを考えます。観察可能なデータを使って、直接観察できない意思決定ルールを検証する理論を、「顕示選好理論」または「公理的意思決定理論」と呼びます。

効用最大化は、経済学部の1年次で学ぶ基礎理論です。そこでは、予算制約の範囲の効用最大化は天下り的に仮定されることが多いです。反対に、観察された選択行動や需要関数から、その背後にある選好を炙り出すことを目的とした顕示選好理論は、私が学部生の頃にもトピックとして教科書には出てきました。しかし授業として詳しく解説されることは稀であり、教科書でも「なぜ顕示選好理論が研究されているか」という目的や背景の言及が少なかったため、当時はその意義がよくわかりませんでした。しかし巡り巡って、今では私の主な研究分野となっています。

さらに、消費者の選択行動を時間軸を考慮してとらえる「異時点間選択」も主な研究対象です。個人の意思決定には、長期的な視点が必要な要素が多々あります。生涯効用を最大化するべく将来計画を立てて、消費、貯蓄、投資などを実行していきます。このような動的選択を抽象化した理論が、異時点間選択です。しかし、人間は行動計画を忠実に実行できるとは限りません。さまざまな理由で計画から逸脱する誘惑を感じるため、当初の計画を実行するには自制が必要になります。このような人間的要素(行動バイアス)を異時点間選択に取り込むことに興味を持っています。

抽象的モデルの研究動機に悩んでいた頃、行動バイアスの具体例に出会う

私が意思決定理論の研究を本格的に志したのは、大学院でロチェスター大学(米ニューヨーク州)に留学したことがきっかけです。意思決定理論の世界的研究者であるラリー・エプスタイン教授が、ミクロ経済学の授業の中で意思決定理論に関わる話をされていました。その際に意思決定理論の面白さに惹かれ、エプスタイン教授にアドバイザーになっていただいて研究を始めました。

それまでは日本の学部及び大学院で、数理経済学を代表する一般均衡理論について研究していました。もともと数学や論理的思考が好きだった私にとって、経済学は憧れの対象だったのです。特に現実の経済の話ではなく、「市場で価格がどう決まるか」を高度に抽象的な枠組みで考察していく一般均衡理論は魅力的な研究対象でした。しかし一般均衡理論をテーマに修士論文を書き、日本の大学院で博士課程に進学した頃から、抽象的なモデルを扱うための研究動機を他人はもちろん自分自身に対して正当化することに悩むようになりました。

そんな折、ロチェスター大学の留学から一時帰国した先輩が、現地で学んできた「動学的非整合性」について教えてくれたのです。

たとえば、リンゴを「今日1個もらえる」と「明日2個もらえる」場合、前者を選ぶ人が多い。しかし、「1年後に1個もらえる」と「1年+1日後に2個もらえる」場合、後者を選ぶ人が多くなる。1日待てば1個多くもらえることは変わらないのに、直近と1年後では判断が変わる。これを現在バイアス、より一般には選好の非定常性と言います。これに加えて、今の選好と1年後の選好が不変であると仮定すると、今から1年後の計画としては1日余分に待って2個のリンゴをもらった方が良いと思っているのに、実際に1年後になってみると、今1個のリンゴをもらう方が良いことになります。この選択の逆転が動学的非整合性です。動学的非整合性があると、個人は初めに立てた計画を実行できなくなります。

初めて動学的非整合性の話に触れた私は、人間の現実的な側面をとらえているこの話に興味を持ちました。しかも抽象的な要素はほとんどなく、異時点間のリンゴ選択という身近な例で「なるほど」と思わせるストーリーを伝えることができます。私はこの機会に研究の方向性を変えようと思い立ち、先輩が学んでいたロチェスター大学への留学を決めたのです。

留学で研究者としての基礎を確立できたからこそ、今も研究を続けられている

留学は正解でした。理由としてはまず、1年次に基礎をしっかり学ばせ、2年次には専門科目の教員が学生を一気に研究の最前線に引き上げるように、カリキュラムがよく練られていました。また、3年次から指導教員(アドバイザー)を決め、そのアドバイザーが研究手法を叩き込んでくれました。学生が持ってきたアイデアについて、つまらないと思ったらはっきりそう言ってくれるので、次第に面白い研究とそうでない研究の違いが摑めるようになりました。

特に意思決定理論は公理的アプローチといって独特の研究手法をとります。どのような結果を示せば面白いのか、初めのうちはよくわからず、研究のアイデアを持っていってはエプスタイン教授に叱られたことを思い出します。研究には厳しい方でしたが、ダメ出しのあとは、必ず何か新しい論文を紹介してくれました。研究のアイデアを粘り強く話して納得してもらい、研究を進めるゴーサインをもらった時はとても嬉しかったことを覚えています。拙い英語を我慢強く聞いてくださり、忍耐強く指導していただいたエプスタイン教授には感謝とともに、心から尊敬の念を抱いています。このアメリカ大学院時代に研究者としての基礎を築けたことが、今も研究を続ける原動力となっています。

留学中は日々の生活でもさまざまな国籍、バックグラウンドの学生と議論を重ねることで、どこでもやっていけるという自信がつきました。一橋大学生の皆さんも、大学院まで待たずとも、学部生時代に交換留学制度などを活用してどんどん海外に出ることをお勧めします。

さまざまなアノマリーを説明する異時点間選択理論を構築するため、今春からボストンへ

私は2022年4月から1年間ボストンに渡って異時点間選択理論をテーマとした国際共同研究を行っています。異時点間選択では、消費者の選択行動に時間軸を取り入れると説明しました。そこでは、人が主観をもとに将来の価値を割り引く(=小さく感じる)「時間割引率」という要素が重要になってきます。

非常に簡単に説明すると、もし1年後の1万円が現在の9000円の価値に相当するとある個人が表明したとすると、1年間の割引要素は9000/10000=0.9となります。これを時間割引要素と呼び、これを元に将来の効用流列の現在価値を計算する割引効用の考え方が経済学では標準的です。一方で、「金額効果」と呼ばれる実験事実では、たとえば1年後に、「100円もらえる」場合と「1万円もらえる」場合で、割引率が異なることが指摘されています。前者は「もらえるのは僅かだから、どうでもいい」と考えるため価値の割引率は大きく、後者は「まとまった金額だから、もらえるなら嬉しい」と考えるため価値の割引率は小さくなる傾向にあります。

しかし標準的な割引効用モデルでは「割引率は一定」という強い仮定の下で分析が進められているため、割引率が金額の大きさに依存する金額効果とのズレが生じています。この要素を取り入れて、標準モデルに最小限の改訂を行い、そこからさまざまなアノマリー(標準的経済モデルでは説明できない選択行動)を説明するモデルを構築したいと考えています。

モデル分析において、操作性と一般性のバランスを取ることが研究の醍醐味

ここまでの説明で「モデル」という言葉に何度も言及していますが、経済学の最大の特徴は「モデル分析」です。

現実の消費行動や社会現象はあまりに複雑なので、何らかの予測を行う際、すべての要素を盛り込むわけにはいきません。そこでまずは本質的ではないと判断した要素は大胆に単純化します。そして本質的な要素だけを残し、数学を使ってモデル化し、どのような結論が導かれるか分析を行うのです。その結果さまざまな予測や含意が導かれますので、統計データや実験を行ってデータを集め、その含意を実証していく。このようにデータ分析を行い理論モデルを使いこなす実証科学としての側面が、経済学においては年々重要になってきています。だからこそ経済学は"文系"とされながらも、数学を使ってロジカルに考えられる能力が必須なのです。

ただし、本質的なもの/本質的ではないものに振り分けるという強い仮定によってモデルは成り立っています。モデルに強い仮定を置き、単純化の程度を高めることで、モデルの操作性も高まり、より多くの結論を導くことができます。それによって複雑な現実を理解する洞察を得るのです。一方、そのような強い仮定の下で導かれる予測は、統計データや実験データと矛盾し、モデルによる説明が難しくなるのは珍しいことではありません。

そこでモデルの元になっている仮定を弱めて、データと整合性を持つようにモデルを一般化する必要が出てきます。ここで、データを説明することに重点を置いてモデルを一般化しすぎると、何でも説明可能な自由度の高すぎるモデルとなり、特定の含意を導かないという意味であまり予測の役に立たないモデルになってしまいます。頑健な実証データと矛盾しないように仮定を弱めつつ、操作性を失わないように適度な一般化を保つ。この両者のバランスを取った絶妙なモデルを考案することが研究の醍醐味です。

モデル分析は、世の中の仕組みを理解するために不可欠な方法論

モデル分析というアプローチそのものが経済学の特徴ということは、あらゆる社会現象が経済学の研究対象になるということです。経済学というとお金をイメージされるかもしれませんが、必ずしもお金が関わっている必要はありません。最近は行動経済学として注目されていますが、リスク、異時点間選択、利他性などに関わってこれまで見出されてきた様々な人間の認知の癖(行動バイアスやアノマリー)を利用して、どのように「良い」行動が取れるように人々を誘導するかが盛んに現実に応用されるようになってきました。このような行動経済学の実践を「ナッジ」と呼びます。また、金銭移転を伴わない物の効率的な交換の例として、ドナーと患者を効率的にマッチさせるための臓器移植の問題に、経済学のアプローチが使われています。倫理的な理由でお金や市場と切り離して考えなければいけない分野でも、経済学のモデル分析が導入されているのです。

だからこそ一橋大学で経済学を学ぶ皆さんには、ぜひモデル分析という方法論を身につけてほしいと考えています。将来政策立案、アナリスト、マーケティングなどの仕事に携わる場合はもちろんのこと、そうでない場合でも、モデル分析によって、政策や世の中の仕組み自体を理解し、「どういう社会が望ましいのか」を考えて投票などの社会参加を行うためにも、経済学を学ぶことは有効です。一市民としてエコノミックリテラシーをしっかりと身につけて、社会に巣立っていってください。(談)