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周縁に生きる人々のからだの一部である「ことば」と寄り添う

  • 一橋大学大学院社会学研究科教授寺尾 智史

2021年12月22日 掲載

画像:寺尾 智史氏

寺尾 智史(てらお・さとし)

1993年東京外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル語学科卒業。1994年〜2001年ポルトガル三菱商事、2001〜2002年スペイン三菱商事に勤務。2006年神戸大学大学院総合人間科学研究科博士前期課程修了、2013年京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了、博士号取得。博士(人間・環境学)。神戸大学大学院国際文化学研究科助教、東京大学、京都大学、東京外国語大学、神戸大学、神戸市外国語大学、立命館大学、京都精華大学、共立女子大学等の非常勤講師を経て2015年宮崎大学大学院教育文化学部准教授、2021年より一橋大学大学院社会学研究科教授に就任。主要研究領域は、言語社会学、スペイン語・ポルトガル語が使用される地域を中心とした地域研究、マイノリティ論、多様性継承論。主要業績に単著の『言語多様性の継承は可能かー新版・欧州周縁の言語マイノリティと東アジア』(2017年、彩流社)、『ミランダ語が生まれたときーポルトガル・スペイン辺境における言語復興史』(2021年、三重大学出版会)など。

マイノリティのコミュニティがことばや文化を継承していくための隘路を探る

私は主にスペイン語・ポルトガル語が使用される地域について、マイノリティ論、多様性継承論という観点から研究を行っています。

これまでは、上記の地域(ヨーロッパ、中南米、南部アフリカ)における言語マイノリティの保全運動史と今後の動向について調査・研究を進めてきました。今後もそれらフィールドの経年変化を追いながら、人の流れがますます流動化している中で、マイノリティのコミュニティがそのことばや文化を継承していくための隘路を探っていきたいと考えています。

構音障害というハンディキャップを背負った状態でことばとの関わりがスタートした

私がことばと関わるようになったのは、ことばが得意だったからではなく、むしろ苦手だったからです。

私は幼少の頃、やや重い構音障害(規範的な音声で発音できない障害、以前は他の障害とまとめて「言語障害」と蔑称されることも多かった)があり、うまく発音できず、コミュニケーションでかなり苦労しました。ハンディキャップを背負った状態から、私とことばとの関わりはスタートしていたと言えます。それでも小学校低学年の頃、播州(播磨地方、兵庫県西部)の加古川市で育った私は地元の公民館で開かれていた「ことばの教室」に通ったことで、ようやく周囲に通じることばが話せるようになりました。そのことばが、近畿地方では荒っぽいと言われてきた「播州弁」(播磨ことば)だったのです。

同じく播州の姫路にある中学・高校に通う頃には、コミュニケーションを取るうえでの問題はなくなっていました。ただ、巷での播州弁の評判はあまりよろしくない。構音障害があったので、そもそも自分自身のことばに自信が持てず、ようやくうまく話せるようになった地域のことばである播州弁にも結局自信が持てなかったのです。こうした経験から、ことばに強く関心を持つようになりました。

ポルトガル語への親近感が高じてことばを専門とする大学に進学

幼い頃から家の中で図鑑や地図を夢中になって眺めていました。その経験から、海外の地理や歴史、風土に対する好奇心が自然と育まれていったのです。インターネットがなかった時代ですから、私の好奇心はよけいに掻き立てられました。

また、故郷の加古川市とブラジルのマリンガ市(パラナ州)が姉妹都市として提携をしていたことも功を奏しました。中学2年生のとき、交流の一環で行われていたポルトガル語講座に参加した私は、ポルトガル語が英語より発音しやすいことに気づき、ポルトガル語への親近感が湧いたのです。以来、司馬遼太郎の『南蛮のみち 街道をゆく』や関川夏央さんの紀行文を読むなどを通じて、ポルトガル語圏への憧れを醸成させていきました。そして、東京外国語大学外国語学部のポルトガル・ブラジル語学科に入りました。

ことばを専門とする大学に入ってからは、語学はもちろんのこと、もともと興味のあった地理や歴史、社会学、哲学......と学びを深めていき、「スティグマ」(何らかの属性から受ける差別)、「トラウマ」(心的外傷)など、ことばと心理の関係についても触れる機会を得ました。

東京外国語大学でブラジルへの留学も経験した私は、社会に出てからもポルトガル語圏とのつながりを持ち続けたいと考えていました。1年間の金融機関勤務を経て、語学力と留学経験を活かしてポルトガル三菱商事へ転職。リスボンで現地社員として7年勤めたあと、日本企業の現地工場建設、生産設備据付監理のエキスパートとして、スペイン三菱商事に移籍し、スペイン・バスク地方のビルバオ近郊の現場で働きました。イベリア半島で約10年過ごしたことが、研究者への道を開くことになりました。

ポルトガルでのサラリーマン生活で出合ったミランダ・ド・ドウロという町

正直に言ってポルトガルの都市近郊の風景は、私にそれほど興味を抱かせるものではありませんでした。ユーカリやアカシアなどの外来種の林ばかりが目立ち、私には単調に映ったからです。かつてそこで暮らしていた人々が、ヨーロッパの他の国やカナダ、オーストラリアなどに移民として出ていってしまったこと、集約的な農業形態が欧州の経済圏内に入る中で競争力を失ってしまったことが重なり、結果として、土地の使い方が単純化してしまったのです。

がっかりしかけた時、当時流行り出したヒット曲を聴きました。どうも発音はリスボンのものではない。現地の知り合いに聞いたところ、それはリスボンから遠く離れた辺境の地の歌をフォーク音楽風に編曲し直したものでした。そして「リスボンから遠く離れた辺境の地」とは、ポルトガル北東端、スペインとの国境沿いに位置するミランダ・ド・ドウロ(以下、ミランダ)という町であることが判明しました。

リスボンから夜行バスで片道14時間の悪路に揺られ、実際に行ってみると、豊かな自然に恵まれたミランダには、昔ながらのヨーロッパの田舎の風景が広がっていました。ネズやトネリコ、ハンノキの茂みの中に小さく区切られた大麦、オリーブ、ブドウなどの畑が点々とし、そのあぜ道ではロバや耕作用の牛がゆったりと草を食んでいました。厳しい気候の中で、人々がさまざまな農作物を育てながら暮らすその町こそ、私がイメージしていた南欧の農村風景でした。その後、週末を利用して何度もバスでミランダに通い、現地の人々と交流するうちに、私はミランダと播州との共通点を見出したのです。

ミランダと播州との共通点から自分自身が進むべき道を見出す

ミランダと播州との共通点。それは辺境という扱いを受け、不当なスティグマを負わされているということです。リスボンからみるとミランダのことばは何をしゃべっているか分からないという理由から差別を受けてきました。ことばだけではありません。昔からミランダでは動物の皮を剥ぐ産業が盛んだったのですが、それは圧政を逃れてスペインとポルトガルを行き来するユダヤ人が、やむを得ず選択した生業でした。渋いタンニンを使う作業で手が真っ黒になるため、「けがれている」と揶揄されてきました。

実は播磨にも同じような歴史がありました。京都が政治の中心(「畿」)だった時代、そしてその後も、近畿地方という枠組みの中では辺境である播磨地域は、宗教上の理由などで忌避されがちな産業を押しつけられるなど、何かと「周縁化された役割」を担わされ続けたのです。構音障害を乗り越えたと思ったら、今度は播州弁差別に直面していた私にとって、遠くの世の東西でまるでパラレルに見えるミランダの言語文化に出会って、自分自身が進むべき道をも見出した思いでした。

そんな私に研究者になるきっかけを与えてくれたのが、ベラルミーノ・アフォンソという司祭のことばです。地域文化の振興に取り組む地元の人々をリードする存在だった彼は、私にこう言いました。「話を聞くだけではなく、あなたも何か書きなさい」と。確かに、何らかのアウトプットをしなければ、ミランダの人々に対して礼を失する。そう感じた私は、大学に戻って研究することを決意しました。

自分のからだから出す声・ことばをどうデザインするかは、自分で決めることが大切

それ以来私は、ミランダはもちろん、会社員時代から日曜フィールドワーカーとして頻繁に通っていたフランスとの国境になっているピレネー山脈南麓のスペイン側にあたるアラゴン、そして、ラテンアメリカのボリビアとパラグアイ、アフリカのアンゴラと赤道ギニアなどでフィールドワークを行ってきました。その長い道のりを経て、現在感じているのは、ことばはその人のからだから発せられたものであり、その人のからだの一部であるということです。

だとすれば、他のからだの部分が当然そうであるように、他者から支配されたり、揶揄されたりすることにはNOと言わなければならないのではないでしょうか。自分のからだから発せられたものをどうデザインするかは、自分で決めることが大切なのではないでしょうか。そして、他者とどういうコミュニケーションを取るか、関係をつくるかは自らが持つ権利であるはずで、どこで生まれ育ったかで決定されない。これは人権の理念に合致することではないでしょうか。私はゆくゆく社会をリードしていくであろう一橋大生の皆さんにこそ、そのことを折に触れて考えてほしいと思いながら教育・研究を行っています。周縁化された場に生きる人々にも、リスペクトを受けながらコミュニケーションを取る権利があります。たとえ社会の多数派(マジョリティ)からは立派なことばとして扱われていなくても、彼女・彼らが一生懸命話すことと真摯に向き合ってほしいと考えています。(談)

画像:ミランダ種のロバ

ミランダ種のロバ

画像:村はずれのお堂

村はずれのお堂

画像:ミランダのカテドラル、雪にアーモンドの花

ミランダのカテドラル、雪にアーモンドの花

画像:冬の村祭り

冬の村祭り