文学は「物語」から人を解放する
- 言語社会研究科教授川本 玲子
2021年12月22日 掲載
川本 玲子(かわもと・れいこ)
1995年トロント大学文学部卒。1998年東京大学文学研究科修士課程修了。2002年一橋大学商学研究科(現経営管理研究科)専任講師、2009年同研究科准教授を経て2020年より言語社会研究科に転籍、2021年同研究科教授に就任、現在に至る。専門は英語、英米文学。研究テーマは20世紀のイギリス小説、物語論(ナラティブ論)。
物語がもつ力、果たす役割
子供の頃から「おはなし」が好きで、後に英語を学んでからは、その表情の豊かさに魅力を感じていたので、英文学、特にモダニズム以降の小説を研究分野に選びました。人の心の複雑な動き、感情の微妙な揺らぎをうつしとるような文体の秘密を知りたくて、作家たちの語りの「技」を吟味する物語論(ナラティブ論、ナラトロジー)を学んでいます。文学は、人がいろんな物語に縛られ、苦しめられる姿を描くと同時に、そのような構図を暴き、人を解放するものです。物語論研究を通じて、物語が私たちの生のなかで持つ力、果たす役割を探りたいと思っています。
多様性の楽しさを知ったトロント時代
幼少時の現実の記憶は曖昧なのに、読んだ本の印象だけは強烈に心に残っています。特に児童向けの東西の神話やおとぎ話の、穏やかな「ですます調」でありながら容赦のない、独特の語り口に心を惹かれました。未来永劫ページの上に固定されている文字列から、登場人物たちの喜怒哀楽や波乱万丈の冒険が鮮やかに立ち上がってくることも、お決まりの「いつまでもしあわせにくらしました」といった結びの向こう側でかれらが生きていると感じられることも、何とも不思議に思えたものでした。
高校2年のとき、文学研究者の父がカナダの大学で教鞭をとることになり、家族でトロントに住むことになりました。父の任期は1年でしたが、私と弟は望んでその後も現地に留まりました。最大の理由は、多様性にあふれる環境が楽しかったからです。カナダはもともと多文化主義の国ですが、当時は中国に返還される直前の香港からたくさん人が流入して、活気がありました。ほかにも東南アジアや東欧、中東や中南米などから移民が集まり、まさに「人種のるつぼ」でした。いろんな国から来た友人たちに母国語を教えてもらったり、家庭料理をごちそうになったり...。東京・調布育ちの私には、すべてが刺激的でした。
「認知の自動運転」から離れて
同じ文化で同じ言語を話す人とばかり過ごしていると、認知が自動運転を始めます。「きっと相手はこう考えている」、「だから次はこう来る」と、脳が勝手に処理するわけです。これとは正反対に、トロントの高校に編入した当初の私は、いわば初心者ドライバーとして周囲に細心の注意を払いながら、ハンドルを握っていました。たとえばアジア人同士なら、共通点も見つけやすいけれど、実は細かいところで考え方や生活習慣が違うので、かえって気を遣う部分もありました。逆に肌の色も話す言葉もまったく異なる相手であれば、お互いおっかなびっくりでつき合う分、仲良くなったときの喜びは大きかったりもします。
カナダでそのまま大学に進み、英文学を専攻しました。中世以降の詩や戯曲に加え、長い小説を週に何冊も読まされるのですが、英語ネイティブの学生にすらハードな課題を留学生の私がこなすのは、もう思い出すのも嫌なくらい大変でした。最初は作品の歴史的背景はそっちのけで、せめて登場人物たちの心理を理解しようと思っていました。でも、かれらの目線に立って感じ、考えるためには、やっぱり当時の社会の制度や価値観を学び、理解する必要があるんですね。
その後、日本に帰国して大学院に進学しましたが、博士課程でしばらく研究テーマに行き詰まっていました。ところが一橋大学に就職した数年後、ハーバード大学で在外研究をしていたとき、友だちから誘われてマサチューセッツ工科大学(MIT)で心理学の講義を聴講し、大きな衝撃を受けたのです。
「物語ベース」でとらえる世界の奇妙さ
MITの講義では、1940年代に行われた社会心理学の実験が紹介されました。一辺の端がドアのように開閉する長方形の内外を、○、小さい△、大きい△という3つのマークがくるくると、互いに近づいたり離れたりしながら動き回るという、子供の落書きのように単純なアニメを見て、その内容を説明させられるというものです。結果としては、被験者のほぼ全員が「恋人同士である○と小さい△に嫉妬した大きい△は、小さい△を脅して痛めつけたり、二人を追い回したりしたあと、逃げられて癇癪を起こし、家を壊す」といったストーリーを語ったそうです。講義の場でもアニメが上映されましたが、私も同様の解釈でした。
ただ、当初の実験では一人だけ、まったく違う回答をした人がいたというのです。それぞれのマークの物理的な位置や動作だけを淡々と、正確に描写したその人は、おそらく今で言う自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder、略称はASD)だったのだろうとのことでした。この実験の結果が端的に示すように、多くの人は、周りの状況を時系列に沿って因果的に展開するストーリーとしてとらえ、さらにはその中心に何らかの主体的意思を見いだそうとします。動き回る○と△を人物(または人らしきもの)、□を家という背景とみなし、そこに恋愛ドラマを読み込むようなことは、多数派にとって、ごく自然な認知のあり方なのです。一方で、ASDの人たちではその傾向が希薄です。また、周囲の人に対して無関心に見えたり、会話でちぐはぐな受け答えをしたりするため、他者の心を読む力が弱く、コミュニケーション能力が低いと言われてきました。
これを知って、はっと考えさせられました。「この人たちは、私とまったく違った世界を見ているかのようだ。でも、認知が偏っているのは、いったいどちらなのだろう?」と。実際ASDについて勉強してみると、当事者たちの目には、多数派のふるまいはいかにも奇異なものに映っているようでした。確かに、互いに見えない腹を探り合い、勝手な期待や願望を押しつけあっては、それを愛情や信頼と呼んではばからない。目の前の現実から目をそむけ、あやふやな記憶や根拠のない憶測から将来の見通しを立てたかと思うと、できあがった物語に自分自身が縛られて、身動きとれなくなってしまう・・・。そんな感覚のほうが、よほど奇妙に思えてきました。しかも、どうやら私自身、そうした「物語ベース」の認知傾向を強く持っているらしいと気づいたのです。
これをきっかけに認知物語論という研究ジャンルに関心を持ち、その観点から、様々な工夫を凝らした小説の語りの手法を分析してみたいと思うようになりました。現在は、「文学における印象主義」を実践したことで知られる20世紀の英国作家、フォード・マドックス・フォードを中心に、小説における共感と視点の関係について考察しています。
辛抱強く他者の視点に寄り添うための文学
今日、人文学は常に「それが何の役に立つのか?」という厳しい眼差しを向けられています。確かに文学研究ではワクチンは作れません。しかし、コロナの時代であっても、人は物語なしには生きていけないのも事実です。むしろ現実が厳しく、社会が不安の渦中にある時には、善悪の区別や物事の因果を大胆にでっち上げる、陰謀論のような怪しい言説が魅力的に見えたりします。文学は、そうした安易で危険な物語に対抗する免疫を与えてくれます。
また昨今では、共感やコミュニケーション能力の重要性がしきりに叫ばれています。しかしそれは、周囲の人間の意図をすばやく先読みし、誰とも波風立てずにつき合うということに矮小化されているようです。そうした「効率的な忖度」は、他者の人格をデフォルメし、分かりやすく辻褄の合うストーリーに押し込んで片付けてしまう態度を導くのではないでしょうか。そこには深い共感が生まれる余地はありません。逆に、生きている者同士の間では、物語の縛りが解けた一瞬にこそ、不意に心の共鳴が起こるようにも思います。
「分かったつもり」をやめて、他者の視点に辛抱強く寄り添う。その訓練に役立つのが文学です。それは、運転席を誰かに譲り、助手席に座ってドライブを体験するのと少し似ているかもしれません。外国文学であれば、異言語と異文化に時間と労力をかけて向き合うので、自分の自動化された反応をいやでも客観視させられます。
たとえ日本から一歩も外に出なくても、外国語を学ぶだけで、世界の見え方は大きく変わり始めます。学生にとって、私の授業がそのきっかけになってほしいと願っています。(談)