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"別世界"の長所を観察し、自分たちの世界の短所を見つけ改善する

  • 経済学研究科准教授Matthew Zachary Noellert

2021年9月28日 掲載

画像:Matthew Zachary Noellert氏

Matthew Zachary Noellert(マシュー・ ザッカリー・ ノーラット)

1985年米国ミシガン州生まれ。2006年米国ミシガン州立大学文理学部卒業(Bachelor of Arts)、2008年ミシガン州立大学中国研究センター中国研究修士(Master of Arts)、2014年香港科技大学人文社科学院人文学博士課程修了。2016年アイオワ州立大学歴史学部講師に就任。2020年一橋大学経済学研究科准教授に就任、現在に至る。研究分野は、東洋経済史、数量経済史、現代中国史。

修士〜博士課程のさまざまな経験が、中国農村の歴史研究へと結実

私は東洋経済史、現代中国史という分野において、20世紀中国の農村革命や、20世紀中国農村部の結婚行動、血縁関係、職業的流動性、社会階層、富の分配等の展開過程などを中心に、20世紀中葉の家庭農業から産業組織へのグローバルな大転換や、数量社会経済史方法論について研究を行っています。

いずれも、ミシガン大学の文理学部から修士課程を経て、香港科技大学の博士課程へと進む中で、ミシガンから中国、日本、香港へ、物理から哲学、歴史へといったさまざまな経験を経て、現在の研究テーマに至りました。「歴史」「中国」「農業」とどのような出合いがあったのか、順を追って説明しましょう。

物理学から中国語へ。一哲学書からより大きな「歴史」へ。

高校時代、私は友人の影響を受けて、東洋哲学に関するさまざまな本を愛読していました。それは大学に進んでからも続くのですが、3年生までは主に理論物理学や量子力学を学んでいました。物理の世界に興味を持ったのは、宇宙の由来などについて学ぶことで人生の意味がつかめるのではないかと考えていたからです。当時の私は東洋哲学と物理学との間に共通するものを感じていたのでしょう。

しかし、残念ながら大学では物理学は楽しめず、量子力学の授業などは、とても退屈でした。それよりも私が強い興味を感じたのが中国語でした。中国語を学ぶことで"水を得た魚"のようになり、専攻を物理学からアジア研究に変え、中国文学に熱中。大学院の修士課程でも、引き続き中国について研究しました。修士論文の題材には『荘子』を選択しています。そして、『荘子』がどのように作られたか、という歴史的な編成について論文を書き上げました。

その過程で気づいたのは、歴史こそが研究すべき対象であるということでした。私は『荘子』について研究を始めた頃、それは、時代を超えて読み継がれている哲学書だと思っていました。しかし研究をすればするほど、『荘子』は特定の時代における偶然の産物に過ぎないと感じるようになっていきました。そこで『荘子』などの哲学書だけはではなく「歴史」もあわせて学ぶべきだと考えました。

また、時代を遡り、文献を調べる中で気づいたのは、「社会が抱える様々な問題は現代のそれと変わらない」ということ。政治によっていかに人を幸せにするか、限られた資源をいかに再配分するか、自然現象にどう対処すべきか...こういった問題は、今もまったく変わりませんね。だとすれば、現代に近い時代であればあるほど、統計をはじめ資料が充実しているのでアプローチしやすい、と考えたのです。

そこで改めて中国の歴史が研究対象となりました。中国は、当時も今も世界最大の人口を抱える国。いわば世界で一番大きな人間社会です。中国の人類学的、社会学的な歴史的経過は、人間社会と、人間社会を取り巻く環境との相互作用を理解するうえで、最も適した研究対象だと思います。付け加えれば、その理解こそが私にとっての経済学でもありました。

このようにして私は「歴史」や「中国」と出合いました。もっとも、ずっと机上で考えていたわけではありません。大学2年生で中国語を学び始めてから、最初の夏休みには中国南部の海南島に留学しました。

飛び級制度で大学を3年間で卒業した私は、卒業後の夏休みには陸路でネパールから上海を旅したり、修士課程で北京に半年間留学したり...と、コロナ禍で渡航できなくなるまで、中国には毎年訪れています。このような行き来の中で、中国語にさらに磨きをかけながら、「歴史」や「中国」と向き合う意志を固めていきました。

日本での「農業」との出会いによって、現在の研究テーマを確立

そして「農業」が研究のキーワードになったのは、日本への訪問がきっかけです。

『荘子』に関する論文を書き上げ修士課程を修了した私は、大学院に少し飽きていました。そして、中国語以外のアジア語を学びたいと思い、日本語を選択した私は、16歳から貯めてきたアルバイト代や奨学金を使って、気分転換のつもりで日本に渡ることにしました。

ただ、知合いなどはいなかったので、WWOOF(ウーフ:World Wide Opportunities on Organic Farms)という有機農業のボランティア組織に参加。新潟、奈良、埼玉、沖縄などの農家に住み込み、農業を手伝いながら実地で日本語を学びました。そして、"晴耕雨読"の日々の中で「農業」が研究のキーワードに加わりました。余談ですが、その頃に現在の妻(日本人)にも出会っています。

1年間ほど日本でウーフの活動をした後、カリフォルニア大学バークレー校の日本語夏学校で学び、その後香港科技大学で博士課程をスタート、その間にバージニア大学人類学部にも1年間留学しました。指導教授の勧めで中国東北部(旧・満州)の農村の調査・研究を行い、2011年の夏には満州の資料を調べるために、1か月ほど一橋大学附属図書館にも通いました。その後数か月ハルビン(黒竜江省)近くの農村に住み込み、博士論文を書いて香港科技大学を修了。山西大学中国社会史研究センターでのポスドクを経て、アイオワ大学で講師を務めてから、一橋大学に赴任しました。

その一連の過程において、1960年代社会主義教育運動を通じて作られた中国農村部における大量の一次資料に基づきデータベースを作成し、村落共同体における土地改革の諸類型とその実践過程を検証した『権力に屈した所有権―中国共産党の土地改革に関する政治経済学―』(Power over Property: The Political Economy of Communist Land Reform in China)を出版しています。

将来について考えず、広い視野で考え、さまざまなことに興味を持ってほしい

物理学から中国語へ。『荘子』から「歴史」へ。アメリカから中国、日本へ。そして研究室よりも"現場"へ...。私は自分の関心の赴くまま、居場所を変えて行動し、学びを深めてきました。将来のキャリアプランなんて考えたことはありませんが、常に好奇心の赴くままに行動をしていました。そして今があります。将来についていろいろと考えるよりも、広い視野で自分自身について考え、さまざまことに興味を持って欲しい。学生さんにはそんなメッセージを贈りたいと思います。

「広い視野」とは、「時空をまたぐ比較の視点」と言い換えてもいいでしょう。私は講義やゼミナールにおいて、「時空をまたぐ比較の視点」を身につけてもらうため、一次史料を通して、歴史の中の人々や空間に触れてもらっています。

過去について考える場合、現在の視点をそのまま用いるわけにはいきません。過去は"別世界"だからです。その時代のありのままを見つめ、考察し、想像力を働かせる。そして歴史の中の人々や空間について、何を理解でき、何を理解できないかを考えることで、「時空をまたぐ比較の視点」が身につくはずです。

でも、難しく捉える必要はありません。身近な例を挙げれば、私たちはSF小説を読むときも無意識のうちに「時空をまたぐ比較の視点」を用いているのです。SF小説では、時代も場所も登場する生命体もまったく異なる世界が書かれています。そして多くの場合、SF小説は"別世界"を描きながら、私たちが今いる世界の短所を明らかにしようとしています。

私が講義やゼミナールで題材にするものは、「昔の」「中国の」「農村」という、学生の皆さんにとってまったく違う時代・社会・生活、つまり"別世界"です。そんな"別世界"の長所を観察しながら、私たちが今いる世界の短所を改善していきたいと考えています。(談)