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経済学は、「効率性」と「公平性」のせめぎ合いから「ひとつ上」を目指す営みである

  • 経済研究所教授小塩 隆士

2021年7月1日 掲載

画像:小塩 隆士氏

小塩 隆士(おしお・たかし)

東京大学教養学部教養学科卒業、米国イェール大学修士課程修了、博士(国際公共政策)(大阪大学)。1983年経済企画庁(現内閣府)、1991年JPモルガン、1994年立命館大学助教授、1999年東京学芸大学助教授、2004年神戸大学大学院助教授、教授を経て2009年一橋大学経済研究所教授に就任。2017年同経済研究所所長(2019年3月まで)、2020年4月一橋大学学長補佐(社会科学高等研究院担当)に就任、現在に至る。近著に『日本人の健康を社会科学で考える』/日経BP日本経済新聞出版本部2021年、『くらしと健康―「健康の社会的決定要因」の計量分析』/岩波書店2018年などがある。

『レ・ミゼラブル』から発見した、経済学の構造

経済学は「損な」学問です。はたからみると、お金や損得の話ばかりをしている学問に映る。しかし実際は違います。効率性と公平性という二つの要素を戦わせ、バランスをとり、「ひとつ上」を目指す学問なのです。私はミュージカル『レ・ミゼラブル』を観て、その構造に気づきました。研究を重ねた果てに...ではなく、芸術作品に触れたことが発見につながる。そのあたりに、金融機関などのいわば"脇道"から研究生活に入った、私自身の経歴が反映されているかもしれません。

仕事をしながら学び続けるために経済企画庁へ

私の専門は公共経済学です。33歳で研究生活に入ってからは、公的年金など社会保障や所得分配、再分配政策、教育政策のあり方を中心に研究を進めてきました。特に社会保障については、全米経済研究所(National Bureau of Economic Research)の国際研究プロジェクト(International Social Security)にも参加。社会保障制度の高齢者就業への影響などについて、国際比較の視点から分析を行っています。

ここ数年は、社会保障関係の研究を引き続きメインとしながらも、地域格差と健康意識・幸福観の関係、税制改革の再分配効果などについても個票データを用いて実証的に研究しています。

学生時代の専攻は、国際経済でした。さらに学び続けたいと思ってはいましたが、当時の私には「大学院に進むのは、自分とは違う人々」というイメージがあったのです。そこで、仕事をしながら学び続けられる環境を求めて、経済企画庁(現在の内閣府)に入職。財政出動の波及プロセスに関する調査・分析、長期予測などを担当しました。

ちょうどコンピュータが職場に普及し始めた時代で、自分で考えた条件や変数をワークステーションに自動計算させ、データを得るということがとても面白かったですね。そうして得たデータをもとに分析や推測を行い、政策立案に活用するわけですが、「この政策にはどういう意味があるのか?」と考える視点が身についたことは、後の研究に役立っています。

外資系の金融機関で磨かれた「プレゼンテーション力」

その後、違う世界を覗いてみたいと考えた私は、JPモルガンに転職。ビジネスエコノミストとして、クライアントに対して景気予測などを説明する仕事に従事しました。外資系の金融機関なので当然語学力は鍛えられました。(残念ながら、身に付いたとはあまり言えないのですが...)しかし、それ以上に磨かれたのがプレゼンテーション力です。分析をレポートにまとめる際は、まず1行目に結論を書くこと。読みやすい文体にすること。こういったメソッドを叩き込まれました。

余談ですが、現在私が発表する論文もこうした方針に沿って書いているため、「あなたの論文はわかりやす過ぎる」「もっと行ったり来たりしながら展開したほうがいい」と苦言を呈されることがあります。これは、仕方ありませんね。

プレゼンテーション力は磨かれたものの、ビジネスエコノミストの世界はサイクルが速いため、まとめ上げた成果物がものすごいスピードで消費されます。私はもっと「残る」仕事がしたいと考えるようになり、研究の世界に入ることを決めました。

実務経験を活かして社会保障の長期予測に挑む

その時私は33歳。ほかの研究者と比べると、明らかに遅いスタートです。特に日本経済などマクロ経済の世界には、多くの研究者がひしめいています。私は大学院で指導教員についてしっかり学んだわけでもなく、いわば"脇道"から入ってきた人間ですから、どの領域で研究を進めるべきか、初めは迷っていたというのが正直なところです。

そんな折、経済企画庁時代の先輩から社会保障・公的年金に関する研究のお誘いを受けました。私は自分が加入していた社会保険も正確に理解していないほど、社会保障や年金に疎かったのですが、「年金が将来持続できるかどうかを予測する」というテーマを聞いた時、かつて長期予測に従事していた経験が活かせると判断。その領域で研究を進めることにしました。以降、社会保障に関する研究に携わってきたことは、冒頭でも触れた通りです。

最近では、経済学の枠組みを越え、社会関係資本と健康との関係、介護者のメンタルヘルスの決定要因、子ども期の社会経済的環境の健康への影響といった、医学や社会学と「相互乗り入れ」できるテーマの論文も執筆するようになってきました。

経済学=損得勘定というイメージは一面的である

ほかの学問領域とも関わるようになって改めて感じるのは、「経済学とは、なんと損な学問だろう」ということです。経済学に対する一般的なイメージは、おそらく「いつも損得勘定の議論をしている」「効率的な物事の処理だけに価値を置いている」といったところではないでしょうか。そのイメージはある意味で当たっているのですが、一面的な捉え方だと私は考えます。

経済学には、二つの軸があるのです。一つは「効率性」です。効率性を前面に押し出し、真剣に議論する学問は、経済学以外にないでしょう。効率性とは"お金"とほぼイコールです。財源が少ない、じゃあ消費税をここまで引き上げなければ...といった研究は、一般の人の賛同を得にくく、それだけをやっていても楽しくないのは事実です。

しかし経済学にはもう一つ、「公平性」という軸があります。経済学は本来、どうすれば人々が豊かな生活を送り、幸せになれるかを考える学問です。公的年金、社会保障、医療などのテーマは、この公平性と密接に関係しています。「困っている人がいるのだから、助けようじゃないか」ということですね。

これら二つの軸の両方に目を配りながら、どうバランスを保つかを考えることはとても難しい。正解はなく、時代の流れにより、人々の価値観の変化により、バランスの保ち方も変わってきます。その難しさに挑み、「ひとつ上」を目指すことこそ、経済学の醍醐味です。

相反する二つの軸を見出すことが、世の中への理解を深める

私がそのことに気づいたのは、研究者の親睦会で『レ・ミゼラブル』というミュージカルを観た時です。私は宝塚歌劇が大好きなのですが、親睦会の世話役を任された時、当時帝国劇場で上演されていた『レ・ミゼラブル』の観劇を企画。ステージを観ながら、私はジャン・バルジャンという主役とジャベールという敵役が戦い、せめぎ合いながら一つの高みに至る、という構造を発見しました。どちらかが一方的に良いわけでも悪いわけでもなく、「相反するもの」同士が戦うことで「ひとつ上」に行く。これが重要だと感じたのです。

考えてみれば、西洋の芸術や学問にはそのような構造がたくさんあります。クラシック音楽における主旋律と副旋律。映画におけるヒーローとアンチヒーロー。そして弁証法における正・反(そして合)の議論形式。「ということは、経済学もこのような構造でできているのではないか?」と気づいたのです。効率性と公平性という二つの軸も、その気づきから生まれました。

逆に、日本人は異なるものを戦わせるより、主旋律のみで最後までいくような展開を好むようです。しかし、それでは議論に深みが出てきません。先ほど挙げた芸術や学問にとどまらず、おそらくありとあらゆるものが相反する二つの軸のせめぎ合いによって動いている。そして、世の中はそのようにして回っているように思います。言い換えれば、相反する二つの軸を見出すことが、現状を理解し、その後の世界について考えるヒントになるのです。これは、これから経済学を学ぶ若い方々にとって、とても魅力的な研究対象となるでしょう。ぜひ多くの方にその視点を持って、挑んでいただきたいと思います。(談)