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高齢化社会・日本の医療経済研究は、世界が注視している

  • 経済学研究科/国際・公共政策大学院准教授高久 玲音

2020年12月24日 掲載

画像:高久 玲音氏

高久 玲音(たかく・れお)

2007年慶應義塾大学商学部卒。2009年同大学大学院商学研究科修士、2012年同大学大学院商学研究科博士課程単位取得満期退学。2015年博士(商学)(慶應義塾大学)取得。日本経済研究センター研究員、東海大学健康科学科非常勤講師、医療経済研究機構研究部主任研究員、上智大学経済学部非常勤講師、早稲田大学公共経営大学院非常勤講師を経て2019年一橋大学経済学研究科/国際・公共政策大学院准教授に就任、現在に至る。2019年より東京都地域医療構想アドバイザーを務める。

医療・介護のビッグデータを
医療政策の形成に役立てる

私の主な研究テーマは、医療政策・医療経済学です。この分野では、これまでに「医療保険政策の効果推定」「医療・介護の労働市場」「病院に対する支払制度」「自治体レベルの地域医療政策」「医療保険財政」などを対象として、実証分析を行ってきました。

医療・介護分野は、すでに膨大なデータが利活用を待っている時代(いわゆる"ビッグデータ"の時代)となっています。貴重な社会資源であるデータを、隣接する諸分野(疫学、医療社会学、政治学)と共同しながら政策形成に役立てることを念頭に、研究を続けています。

この分野の研究を始めた頃、医療と経済それぞれの専門家の間にはまだ距離がありました。しかし新型コロナウイルスの世界的なパンデミックが契機となり、その距離が一気に縮まりつつあります。

私は東京都の医療政策のアドバイザーも務めていることから、都内の医療政策関連の会議に参加しています。その際、現場の医師の方々の話を聞くと、経済学からのアプローチが求められていることを肌で感じます。どのような要望が出ているかについては、後ほど改めて紹介しましょう。

「社会が何を求めているか」という
観点から研究テーマを発見

実を言うと、経済学との出合いは偶然に近いものでした。

私は商学部で学びながら文学サークルに所属する、いわゆる"文学青年"でした。若気の至りで、読むに堪えないような自分の小説を文芸誌に投稿したこともあります。しかし、やがて文章の世界で生きることに限界を感じ、その代わりに一生懸命打ち込める対象を探していました。そこで出合ったのが経済学です。商学部で履修できる経済学の授業で、課題の論文に取り組むうちに夢中になりました。

結論に向かって大きなストーリーを描き、章立てをし、文章にメリハリをつけて読者を引き込む。その楽しさは、小説も論文も同じでした。楽しくなれば、もっと勉強したいと思うようになります。3年次に所属する研究会は、経済学の中から選択。テーマは「社会保障論」です。

文学を諦めた私にとって、次に大切なことは「社会が求めているものは何か」でした。日本は世界一の高齢化先進国でありながらそれについての研究が進んでいないことは、当時すでにはっきりしていました。つまり、研究に対する社会のニーズが顕在化していたのです。

自分が頑張れば、日本にとって有用な研究を行い、論文が書けるはずだ。そう見極めた私は、「社会保障論」を選び、経済学の側面から医療・介護の分野について学ぼうと決めました。

プルーストの警句に励まされながら
データや参照論文の少ない逆境を乗り越える

しかし、研究を始めた当初は、医療に関するデータの少なさに苦労しました。

集計される前のデータは政府が保持しているケースがほとんどであり、私たち研究者が入手できるのは集計後のデータで、諸外国の論文と比べてインパクトが小さいと感じていました。また、レセプト(診療報酬明細書)のデータも自治体が保持しているため、入手のための交渉は常に難航します。

たとえばスウェーデンではレセプトどころか個人の所得情報まで研究利用されています。台湾でも医療データを人口統計やさまざまな世帯情報と連結することができます。対して日本は、政策立案に活用できるような形でデータを収集していませんでした。

このような状況ですから、修士論文は「医療」ではなく、データが収集しやすい「介護と労働」をテーマにまとめました。歯痒かったですが、幸いその論文が公表されたおかげで医療経済研究機構という組織に移ることができました。27歳の時です。それからようやくさまざまなデータの取得が可能になりました。

データを取得する環境が整った私にとって、次の問題は、いかに魅力的な論文を書くかということでした。しかし、国内の医療経済分野にはそもそも研究者が少ないため、日本の知見を国際的に強く訴えていく方法とそのノウハウが蓄積されていない面がありました。私は懸命に論文を書きながらも、「海外の研究者に有益と思ってもらえるだろうか」という不安が拭えない日々を過ごしていました。

余談ですが、当時も今もシビアな状況に置かれたときは、古典小説を読むことが気晴らしです。特に繰り返し読むのが、高校時代に小遣いを貯めて買ったプルーストの『失われた時を求めて』です。随所にちりばめられた警句の一つに、「愛は心に感じられるようになった空間と時間だ」という言葉があります。スピノザの定義(「愛は外部に原因の観念をともなう喜びである」)と比較すると、この言葉は自分の外側に存在する「対象」と切り離して重要な感情を定義している点で際立っています。研究がうまくいかず、まさに「対象」が逃げていくように感じられる時も、そっと「我に返る」ような心境にさせてくます。

不安が多かった20代後半、自分のモチベーションを立て直すうえで、とても大切な言葉となりました。

世界の研究者も日本の政策担当者も
医療経済の研究成果を待っている

話を戻しましょう。不安に駆られながらも私が確信していたのは、日本の医療経済の研究ニーズは、国内外に必ずあるということです。

そもそも高齢化先進国である日本のデータベースは、少なくともサンプルサイズにおいて世界最大です。他のデータとの連結が容易になり利活用が進めば、国際的なインパクトの大きい研究になります。その成果が発信されることを、世界は待っているのです。

そして、世界から評価された研究は、さまざまなメディアを通して国内の政策担当者の知るところとなります。日本が向き合っている課題は世界共通の課題なのだ、という認識が浸透すれば、政策担当者はモチベーション高く医療政策に取り組むことができるでしょう。私は、このようなフレーミングを行うことこそ研究者の責務だと受けとめています。

幸いにも、日本のデータの利活用に関する状況は、この5~10年で改善されています。医療経済分野の指導教授が、大学院生や若手研究者と共同でデータを取るケースが増えてきました。

もともと医療と、経済をはじめとする社会科学とでは論文の投稿先が異なるため、互いの知見を活かす関係を築けずにいました。医学や公衆衛生学で優れたデータがあっても、それが経済学の研究者の目に触れない。一方で、経済学者は人間の行動変容を観察したいというモチベーションを強く持っている反面、医療現場や政策に対するインプリケーションをそれほど重要視しないなどのすれ違いもありました。

しかし、高齢化が差し迫った中で、経済学の研究者であっても公衆衛生などの近接分野を理解し、政策へのインプリケーション(潜在的な影響力)や社会的なインパクトを持つことが今まで以上に必要である、と考える研究者が増えつつあります。

コロナ禍で医療が抱えた諸問題は、
経済にとって対岸の火事ではなくなった

そして、図らずも2020年のコロナ禍によって、医療と経済の距離がさらに縮まりました。例えば、感染症対策の経済的な帰結がどうなるか、安全対策によってどのようなコストが発生するか......といった諸問題に、医療と経済がともに貢献する必要が出てきました。

特に日本の場合、病院経営は多くが民間によって行われているため、経営状態に対する解析ニーズは切実なものがあります。私も東京都の医療政策のアドバイザーとして、都庁からデータを預かって検討を行っている最中です。もはや経済学にとって、コロナ禍における日本の医療の現状は、対岸の火事ではありませんから。

これを契機に医療経済は、より学際的な分野に昇華されていくことも考えられます。「データから何が見えるか?」というテーマに様々なバックグランドの研究者たちが知的リソースを提供する、そんな分野になるかもしれないと、個人的には考えています。

冒頭でも触れたように、医療・介護分野はすでにビッグデータの時代となりました。これからもさらにデータがどんどん出てきますが、データが"埋もれた資源"とならないように、解析に当たる研究者がさらに必要になります。

目の前にあるパンデミックの問題はもちろんですが、日本にはそもそも高齢化という大問題があります。高齢化のピークは2040年。今20代の若い研究者は、その頃脂の乗った年齢となっています。医療経済の専門家として活躍するチャンスがたくさんあるでしょう。

社会、そして世界が求めていることに応える、そんな若手研究者が増えていってほしいですね。(談)