事故・災害リスクを評価し、適切な法的制御に取り入れる
- 法学研究科教授下山 憲治
2020年9月30日 掲載
下山 憲治(しもやま・けんじ)
1994年早稲田大学大学院法学研究科公法学専攻博士後期課程退学。1994年福島大学行政社会学部講師、1995年同助教授・地域政策科学研究科助教授、2007年東海大学専門職大学院実務法学研究科教授、2011年名古屋大学大学院法学研究科教授を経て、2019年4月より一橋大学大学院法学研究科教授。2000年4月から2002年3月までドイツ・ボン大学にて在外研究。2017年4月から2019年3月まで名古屋大学総長補佐、 同大学院法学研究科評議員兼副研究科長を務めた。研究分野は、行政法、環境法及びリスク行政法。
科学・技術の専門家が鳴らすさまざまな警鐘を、
法制度や政策にどう組み込んでいくか
私は行政法、環境法を専門分野に、事故や災害、公害などのさまざまなリスクと法制度・政策の整備について研究や提言を行っています。
たとえば災害という言葉から今真っ先に連想されるのは、大雨や台風によって毎年全国各地で発生する河川の氾濫、また、数千~数万年に一度というスパンで噴火が予想される火山活動でしょう。原子力発電所の事故なども、人の命や暮らしに甚大な被害をもたらします。
より身近なものに目を向ければ、食品、アスベストをはじめとする建設資材など、化学物質としての安全対策が十分でなければ人体に悪影響を及ぼす被害や公害も起こります。
こういった事故や災害は、いつ起こるのか分かりません。どの程度安全であれば許容できるかも一様ではありません。そして、今後の科学・技術の進歩によって、議論の土台も変わっていくでしょう。こういった科学的な不確実性によるリスクをどのように法的に制御するか。科学・技術の専門家が鳴らすさまざまな警鐘を、法制度や政策にどう組み込んでいくか。これが現在の私の研究テーマです。
なお、水害などの自然災害はともかく、食品安全の問題もなぜ同じリスクとして扱うのか、という点については、後ほど改めて説明します。
小学生の時に水害を目の当たりにし、
その後の社会・行政の対応に興味を持った
現在の研究につながる原体験は、小学生の頃に近所で発生した水害と、その水害への社会・行政の対応を目の当たりにしたことにあります。さまざまなリスクを社会・行政がどう制御するか、そして、災害が発生した時に、どう対応するのか、という点に興味を持ったのです。
また、中学生の時、公民の教科書の巻末に載っていた日本国憲法の前文を読み、「良い文章だな」と感じたことも一因に挙げられます。こういった経験から、行政や法律の世界に対する関心が高まっていきました。
ただ、高校に入って数学の面白さに目覚めてからは、理系寄りの勉強が中心となりました。もっとも、私が数学で一番面白く感じていたのは図形や集合論など多くの分野で出てくる証明問題です。数学や、基礎科学にも言えることですが、特に証明は論理的思考が鍛えられます。この問題を解くことに、面白さを感じていたんですね。
こういった証明では、論理が重要で、かつての偉大な自然科学者・数学者は哲学者(自然哲学者)でありました。さまざまな現象を観察し、仮説を立てて、根拠を示しつつ、実証・証明していく科学の営みは論理学・哲学と密接に関係します。
このような論理的思考は、違う点もありますが、おおむね、現代の文系・理系という区分を越えて求められているものですし、実際、現在の私が法について思考を深めるうえで大きな参考となっています。
高校時代に学んだ確率・統計を基礎に、
専門家が鳴らす警鐘との接合点を見出す
一方、高校で確率・統計を学べたことも大きな財産と言えます。
法学の多くの領域は、過去に行ったことに対して法的判断を下すもの。刑事裁判にしろ、不法行為や行政の取締りにしろ、過去の行為に対する制裁、損害賠償や取締りを行うケースが中心です。言うなれば、「過去志向」重視ですね。
しかし私が現在研究を進めている事故・災害などのリスク対策は、「未来志向」重視です。行政法の中でも「科学・技術」に内在する不確実性を前提としているため、安全性について、どうしても50年後、100年後にどうなっているか?を考えざるを得ませんから。この火山は1万年後に噴火するかもしれない。そのような予測を前提にした時に、法制度や政策はどうあるべきかを考える作業です。
時には長い期間の時間単位を射程に入れた事故・災害について、専門家が警鐘を鳴らす。それを法制度や政策にどう組み込むか?という問題と、確率・統計との接合点を見出すことが、私の選んだ研究テーマです。確率・統計に関する知見は不可欠ですし、だからこそ、その基礎を学んでおいて本当に良かったと感じています。
なお、不確実性を前提にする際に大切になってくるのは、以下の3点です。
まず第1点として、現在から将来を見越して、「いずれこうなるだろう」という知識を基にして、民主的な意思決定を行うこと。ただし、民主的な意思決定はともすれば個人の人権を侵害しかねません。そこで第2点として、この意思決定と併せて個人の人権を尊重し、調和を図ることが挙げられます。
最後に、第3点として挙げておきたいのが、現時点での意思決定が将来の変化に対応できるようにしておくこと、言い換えれば、科学・技術は常に進歩・変化するものですから、それにうまく対応するために意思決定を適時・適切に変えられる仕組みをつくっておくこと。法制度や政策に落とし込む上で、この3つの点を常に意識しておかなければならないと私は考えます。
災害=「天災」ではなく
必ず何らかの人的要素・行為が関わっている
ここで改めて、「災害」とは何かを吟味しましょう。ともすると「災害」=自然災害であり、「天災」ととらえられがちですが、決してそうではないのです。何故か。
そもそも「自然災害」とはどう定義できるでしょうか。私は「自然現象をきっかけにして起こった被害」と考えています。自然現象はあくまで"きっかけ"であり、氾濫などによって人命や財産が失われる被害は、自然現象と人の行為が合わさって発生するものです。それはある意味で科学・技術を自然が凌駕した結果ともいえるでしょう。
つまり、災害には必ず何らかの人的要素・行為が関わっているものであり、それをどう評価するかが問題なのです。裏を返せば、誰も住んでいない・利用していない離島で地滑りが起きても、即座に災害として問題にはなりませんね。
人が関わった科学・技術。これを基にしたものは、どの程度安全であれば十分なのか、裏を返せば、どの程度のリスクであれば我々は許容するのか?その意味で、河川の堤防も、食品もアスベストも原発も、共通の「リスク」となり得ます。そんなあらゆる「リスク」の要因となる人的要素・行為を法的に制御することが私の研究テーマであり、だからこそ冒頭で上記の「リスク」を同列に扱ったのです。
両極端の規制が隣接する
日本の食品衛生法
その前提に立つと、食品安全規制はなかなか興味深い領域です。
日本の食品衛生法は、"危ないと分かって初めて制限できる"という趣旨の第6条の規制と、危ないかどうかはっきりしなくても"安全であることの確証がない場合は暫定的に制限できる"という趣旨の第7条の規制、この両極端の規制が隣接している法律です。そして、この7条の規制の対象となった例として、アマメシバという野菜が挙げられます。
東南アジアで広く栽培されているアマメシバは、"おひたし"の形で適量摂取すれば問題はありません。しかし、粉末状で大量に連続して摂取すると呼吸器の健康障害を起こしてしまうことがあるといわれる食材です。摂取方法が違うと何故人体に及ぼす結果が変わってくるのか、実はその原因ははっきりとは分かっていません。が、人の生命や健康を守るため、第6条の規制対象ではなく、第7条の規制対象として粉末等の加工食品の流通が規制されています。
食の安全をどう守るか、という問題は、必ずしも日本に限ったことではありません。そこで法学研究科では、私も関与して、中国人民大学・韓国釜山大学校とともに研究プロジェクトを組み、東アジアで共通の規制を設けるための共同研究を進めています。
確率・頻度で表現されるリスクをYes・Noに置き換える
そこで求められる法律学者の素養とは
先に、科学・技術の不確実性に関連した「リスク」と法について考えることは、過去志向ではなく未来志向であると述べました。最後にもう一つ重要な点を挙げると、この問題はYes・Noの二元論には置き換えにくい難しさがある、ということです。
「発生の確率は80%」「噴火は何万年、何千年に一度」というように、未来志向のこの研究ではつねに「確率」や「頻度」が重要となってくるからです。確率・頻度で表現されるリスクを、いかに許容するかしないかのYes・Noに置き換えていくか。これは本当に難しい問題です。
だからこそ、確率・統計などの発想方法、思考方法を理解したうえでYes・Noの判断ににじり寄る、そんな科学的素養を身に付けた法律学者が、今後さらに必要となってくるでしょう。食品安全の問題一つとっても、日本だけでは解決できない問題が山積しつつある今こそ、科学的素養を身につけた法律学者が不可欠である。私はそう考えています。(談)