あらゆる人間の行動に当てはまる「人的資本」理論との出合い
- 経営管理研究科国際企業戦略専攻 教授小野 浩
2020年9月30日 掲載
小野 浩(おの・ひろし)
早稲田大学理工学部卒。野村総合研究所コンサルタントを経て、シカゴ大学大学院社会学研究科博士課程修了、Ph.D.取得。Stockholm School of Economics准教授、Texas A&M University准教授を経て現職。専攻分野は人材のマネジメント、組織論、国際経営、人的資本理論、幸福度、統計学。
"労働者性善説"が「正の循環」を生み出す
私は労働経済学、労働社会学を専門とし、最近では人材マネジメント及び幸福学について研究を進めています。
前者の人材マネジメントについては、「長時間労働」「生産性向上」「働き方改革」「日本的雇用慣行」などのテーマに取り組んできました。後者の幸福学については、幸福の決定要因は何か?を統計データを使って社会学・経済学的な要素から見出していくことがテーマです。幸福学については後ほどふれます。
人材マネジメントは、コロナ禍の影響で働き方が大きく変わったことにより、改めて注目されているように感じます。ただ、在宅勤務に関して言えば、その推進に消極的な企業があることも事実です。
在宅勤務では、社員が何をやっているのか、管理者はモニターできません。もちろん自宅であっても勤務時間中は働いているはずですが、「もしかしたらサボっているかも」「会社にいれば分かるのに」といった、"労働者性悪説"の価値観から抜け出せない。そのため在宅勤務が進まない。こういう企業が、日本では多く見受けられるのです。
大量生産と単純労働を前提にした100年前の工場現場であれば、性悪説による労働者管理は効果的に機能していたのかもしれません。しかしサービス化・情報化が進展した現代では、もはや通用しなくなっています。実際、経営方針として"労働者性善説"を打ち出し、過剰管理を排する企業(メルカリ、サントリー、ユニリーバ・ジャパン、ネットフリックスなど)=働きがいのある環境として注目されるようになってきました。
これらの企業に共通しているのは、「信頼と性善説」「権限委譲と自律性」「心理的安全性」「自主性・コントロール」「関係の質」「成果に応じた報酬」という6つの条件を社内制度に取り入れ、外発的動機づけと内発的動機づけを両立させている、ということです。この取り組みによって、幸福度が増し、社員のモチベーションが上がり、生産性が向上するという「正の循環」が生まれることが理論づけられています。
在宅勤務では何をしているか分からない、という理由から出社を命じる。「正の循環」を断ち切ってしまうこのような過剰管理の価値観から、日本企業もそろそろ卒業すべきではないでしょうか。
「人間の行動分析」を深掘りするために
機械工学から社会学へ転身
学生時代、理工学部で機械工学を専攻していた私が、なぜ社会学に進んだのか。こういう質問をよく受けます。私はもともと理系志向ではありましたが、在学中にエンジニアというキャリアは自分に合っていないとも感じるようになりました。理系・文系云々ではなく、知的な刺激を受けることが好きだったのでしょう。そこで就職先には、民間のシンクタンクである野村総合研究所(以下、NRI)を選びました。
はじめは自分の関心分野がつかめませんから、手当たり次第に仕事を受けていきました。配属先が鎌倉の研究所だったので、相模湾を眺めながら、さまざまなデータの分析に没頭していたのです。いろいろな分野の本も読み漁りました。振り返ってみれば自由度を与えてくれたNRIには感謝しています。そんな日々を重ねるうちに、自分の関心分野が「人間の行動分析」にあることが分かってきました。
たとえば、大手通信キャリアからの依頼を受け、アンケート調査で次世代の携帯電話の機能とターゲット層を絞り込むとします。民間企業からの依頼ですから、どうしても「消費者の志向はこう」というマーケティング寄りの推論を出すことになります。
しかし私の関心はそこにとどまらず、「なぜそういう携帯電話を求めるのか?」「社会的コンテキスト(文脈)により、ユーザー志向はどう変わるのか?」......と発展していきます。どうやらこの「コンテキスト」と「人間の行動」の関係こそ、自分が深掘りしたいテーマだったのです。
その後、運よく社内留学の機会を与えられた私は、社会学で修士号を取るためにシカゴ大学大学院の社会学研究科を選択。そして留学したその年に、ノーベル賞を受賞した経済学者・社会学者ゲーリー・ベッカー教授の著作を読み、その後私のライフワークとなる「人的資本」という理論と巡り合ったわけです。
経済学のフレームである「人的資本」は
人間のあらゆる行動に当てはめられる
ゲーリー・ベッカー教授が提唱した「人的資本」という理論。これは、人を資本とみなし、投資すれば必ず見返りがあるという合理的な前提に立っています。自分に投資し、生産性を高めれば、より高いベネフィットを得られるという考え方です。
私が共感したのは、それがお金や経済の話にとどまらない、という点です。なぜ結婚するのか、なぜ家庭を作るのか、なぜ大学に行くのか......こういった人間のあらゆる行動と選択に、経済学のフレームである「人的資本」が当てはめられることを知ったときは、鳥肌が立つほど感銘を受けました。
経済学の適用範囲を超え、人間行動のあらゆる側面を説明可能なものにし、教育、人材育成、差別、虐待、家庭内の役割分担まで、現実の社会を変える発見・提言に結びつける。そんなベッカー教授の理論に魅せられた私は、ぜひ指導教員になってくださいと申し出ました。教授は成績証明書と履歴書を求め、まずは面接というかたちで会うことになりました。手に汗を握り、とても緊張していたのを今でも覚えています。面接は無事に終わり、私はベッカー教授の弟子として受け入れてもらえたのです。修士を取得したあと、いったんNRIに戻るのですが、研究者になりたいとの思いに火がついた私は、その後改めて自費+シカゴ大学の奨学金で大学院に戻り、博士課程を修了。NRIを円満退職し、研究者の道を歩み始めたのです。
幸福度の研究は、経済学の前提を揺るがす。
だからこそ知的な刺激も大きい
ここで私のもう一つの研究テーマである幸福学について、改めてふれておきましょう。
はじめにお伝えしたように幸福度の研究では、統計データを使って、社会学・経済学的な要素から幸福の決定要因を見出していくことを主眼に置いています。2016年に発表した研究では、世界30か国・5万人のデータをとって統計的に解析し、「お金と幸福の関係」「子どもと幸福の関係」「社会福祉と幸福の関係」など幸福の決定要因を示しました。
幸福度の国際比較で興味深いのは、カルチャーバイアスです。例えば日本はGDPや失業率、不平等指数といったマクロ指標では、かなり優秀なポジションにいます。しかし、なぜか幸福度は低い。一方、ブラジルやナイジェリアなどは、GDPが低く不平等指数が高いにもかかわらず、人々の幸福度は高いのです。
前者はとても謙虚で、客観的なマクロ指標が良くても「幸せだなんて、そんな...」と自己否定してしまう。逆に後者は、社会・経済の実態はともあれ、自分の生活を肯定的にとらえ、それをストレートに表現します。この文化や国民性の違いがカルチャーバイアスとなって、サーベイ結果に表れてくるようです。しかし、そうだとすれば、そもそも統計で幸福度を測ること自体を見直さなければなりません。
1974年、アメリカの経済学者リチャード・イースタリンは、GDPや所得が一定の水準を超えると、人々の主観的な幸福度とウェルビーイングは伸びなくなってしまう、という「イースタリン・パラドクス」を発表しました。経済的に豊かになることと、主観的に豊かになることは一致していない。それまでの経済学の大前提が崩れるような研究が、すでに40年以上前に示されていたのです。
そうであるならば、国家としてGDP拡大を使命にすることは適切か? そもそも何のためにGDPを拡大しようとしているのか? カルチャーバイアスと同様に難しい問いですが、私はむしろ、知的な刺激を受けられるので面白いと感じています。
理論がなければケースをうまく分析できない。
それがベッカー教授に師事した私の信念
ベッカー教授は、「人的資本」という理論をさまざまな領域に当てはめ、現実の社会に影響を与える提言を行いました。シカゴ大学でそのメソッドを学んだ私も、まず理論をベースに、ケース(事例)を分析するという手法を採っています。「理論がなければケースをうまく分析できない」というのが私の信念であり、それは経営管理研究科で授業を行う現在も変わりません。
理論はじっくり考えますので、なかなか忘れない。実際、学生からも「小野先生の授業は、理論がベースなのでけっこう頭に残っています」と好評です。
NRI時代、私が鎌倉の研究所に閉じこもり、相模湾を眺めながら分析に没頭したように、学生の方々にもじっくり理論と向き合う時間を過ごしてもらいたいですね。(談)