ライフワークとしての独占禁止法
- 経済学研究科教授岡田羊祐
2020年6月22日 掲載
岡田 羊祐(おかだ・ようすけ)
1985年東京大学経済学部卒業、1990年同大学大学院経済学研究科応用経済学(産業組織論)博士課程修了。1994年同大学博士号(経済学)取得。1990年信州大学経済学部講師、1992年同大学助教授を経て、2000年一橋大学経済学研究科助教授、2006年同大大学院教授、2019年4月より一橋大学経済学研究科長・経済学部長に就任、現在に至る。2012年4月〜2020年3月公正取引委員会競争政策研究センター所長を務める。
競争政策、規制政策、イノベーション政策をテーマに
公正取引委員会や内閣府などの公務にも携わる
私の専門分野は産業組織論、特に最近の研究テーマは競争政策・規制政策とイノベーション政策です。近年は法学者・実務家と経済学者の共同研究を主導し、経済学者・法学者・弁護士など40人ほどから構成される「独禁法審判決研究会」を組織し、2005年以来90回以上開催してきました。
主な公務として、公正取引委員会・競争政策研究センター所長を2012年4月から2020年3月まで務めました。センターでは、独占禁止法(以降 独禁法)と知的財産法や個別事業法の関係などについて研究を進め、世界に伍するスピードで多くの報告書をまとめてきました。そのお話については、最後に改めてふれます。
その他の公務として、2014年に内閣府・政策コメンテーター委員会委員、2017年から総務省・情報通信審議会委員などを務めています。
高校時代に独禁法と市場経済の関係に興味を持ち、
法学部から経済学部へ志望を変えた
私が経済学と出合ったのは、高校生の時です。「政治・経済」という授業で"再販売価格維持制度"(再販制度)についてレポートをまとめたことがきっかけでした。独禁法は、原則としてメーカーなどが価格を指定・拘束する行為を禁じています。しかし、新聞・書籍・CDなどの著作物に限っては再販行為の原則禁止のルールが適用除外されています。これが再販制度です。
当時高校生だった私には、この制度の良し悪しは分かりませんでした。しかし、レポートをまとめながら、「世の中の仕組みを法的に考えることは面白い」と気づきました。今から振り返れば、経済と法律の"境目"にある市場の働きに興味を持ったのでしょう。独禁法は、市場における「公正かつ自由な競争」の促進を目指す法律ですが、それが市場経済においてどのような意味を持つのか、大学でもっと学びたいと思いました。
そして迷った末に法学部から経済学部に志望を変えて、専門課程で産業組織論を研究するゼミを選択し、独禁法と経済学の関係について本格的に学び始めることとなりました。
三公社の民営化というリアルタイムの
素材に刺激されて大学院への進学を決意
大学で就職活動が始まったのは、1984年の夏頃でした。プラザ合意による円高不況を迎える前の年で、370名いた同級生の7割ぐらいが金融機関に就職して、当時はそれが当たり前という雰囲気でした。残りの2割強が官庁かメーカー等で、ごく少数が大学院に進学していました。ゼミの勉強が楽しかった私は、「周りと同じ道は歩みたくない」と漠然と考えていました。
折しも日本では盛んに規制緩和が叫ばれるようになり、三公社の民営化が始まった時期でした。日本電信電話公社はNTTに、日本国有鉄道はJRに、日本専売公社はJTに、それぞれ民営化していった時代です。競争政策と民営化・規制政策はコインの裏表なので、独禁法と経済学の関係を学んでいた私には興味が尽きない出来事でした。
一方で、私自身研究を続けるとなれば思いきった判断が必要でした。当時、大学院は修士課程と博士課程が5年一貫で一体となっていたため、大学院に進むのであれば、5年間ずっと研究を続ける覚悟が必要でした。当時、同学年で大学院に進学したのは10名もいなかったと思います。将来への不安も少し覚えましたが、それでも進学を選んだのは生来の意固地さからでしょうね。
その後、時代はバブルに突入し、同級生が華やかなキャリアをスタートさせていく中で、熱量を失うことなく地道に独禁法や競争政策の研究を続けられたのは、三公社の民営化やその後の規制改革という、またとない研究材料が次々と出てきたからです。実際、料金規制や参入規制などをテーマに、師事した先生方や企業の方々が議論を交わす研究会に数多く参加できたことは、とても刺激的でした。
日米構造協議など時代のめぐり合わせで
競争政策と規制政策がライフワークに
例えば、当時、刺激的に感じたことの一つは、電気通信などの公益事業規制の背景にある「自然独占」という経済学で学んだ前提がどんどん覆されていったことです。その頃の通信等の規制料金は供給原価に一定のマージンを加えて計算されていました。そのような規制が認められた背景には、規模の経済性によって「独占」が経済効率上好ましいという前提があったのです。
今では考えられないことですが、1980年代は「競争は悪」とみる考え方が根強く残っていました。大手メディアに「談合がなぜ悪い」という主張が載ることも珍しくなかったのです。当時、大蔵省や通産省などの巨大官庁と比べると、独禁法を所管する公正取引委員会の社会的な影響力も極めて小さなものでした。
しかし技術進歩とともに自然独占性は失われ、通信業界をはじめ多くの公益事業で新規参入が見られるようになりました。データに依拠した公益事業の費用関数や需要関数の厳密な推計が行われるようになり、自然独占性の検証も活発に行われるようになったのです。
競争政策にとってターニングポイントになったのは、1989年の「日米構造協議」でした。これをきっかけに、独禁法の強化・改正が行われるようになりました。厳しい財政事情のなかで、当時、定員が増加した数少ない官庁が公正取引委員会と特許庁であったことも象徴的です。そして1990年代の半ば頃には、規制改革と競争政策が成長戦略の車の両輪として注目されるようになっていました。
このような時代のめぐり合わせで、1990年に研究者として本格的に活動を始めた私は、独禁法と競争政策・規制政策に関わることがライフワークとなりました。
国が取り組むべきことは、限られたリソースのもとで
いかに幅広いイノベーションの苗床を作るかにある
しかしながら、独禁法の審判決事例の蓄積においても、規範的ルールの定着という点においても日本はまだまだ遅れている、と感じることが多いのも事実です。日本では、経済学者と法学者・実務家の共同研究の機会が乏しく、米国やEU と比較して、判例研究や事例研究が経済分析を刺激し、それが新たな政策形成に寄与するというプロセスが十分に機能していないように思います。近年、さまざまな公務を通じて、国の成長戦略の議論にふれる際に余計に強く感じます。
たとえば、イノベーション政策で国が担うべきは、選択と集中のガイダンスを行うことではなく、基礎研究などイノベーション・プロセスの上流の部分を手厚くすることであるというのが私の考えです。すなわち、できるだけ技術中立性を守りつつ、限られたリソースのなかで幅広くイノベーションの苗床を作っていくことです。そうして、外国人や外国企業も含めたすべてのプレイヤーが、イノベーションを通じて公正・公平に競争できるルールをつくり、維持していくべきなのです。
デジタル経済の発展によって、隣接する法分野の
専門家との議論がますます求められている
知的財産権と独禁法の関係についても触れましょう。近年、特許の囲い込みを狙った企業結合やライセンス戦略が活発化するとともに、競争法と知財法が絡む訴訟が頻発しています。例えば、5G(第5世代移動通信システム)端末に必須となるモデムチップの特許を持つQualcommやHuaweiなどのライセンス条件をめぐる独禁法訴訟が世界中で展開されています。これら訴訟は5Gをめぐる覇権争いの様相を呈しています。
知的財産法と独禁法を巡る政策課題は、他者からの模倣を排除する排他権と、知的財産の獲得や譲渡に伴う権利・義務をいかにバランスよく規制するかにあります。例えば、補完的な技術が複雑に絡むデジタル市場では、特許の排他権をあまりに強く主張すると、かえってイノベーションを阻害してしまう危険があります。
このような課題に対して、新たに求められているのが、隣接するさまざまな法領域の専門家との議論です。私たち経済学者も、競争法のみならず、知財法や労働法、個人情報保護法など、幅広い領域を視野に収めながら議論していかなければなりません。私が所長を務めていた公正取引委員会・競争政策研究センターでは、さまざまな専門分野の研究者の協力を仰ぎながら研究報告書をまとめてきました。
近々、ある雑誌で法学者と座談会をすることになりました。メンバーは、独禁法学者、憲法学者と、経済学者である私です。正直に言うと、経済学と憲法学の議論がどのような方向に展開するのか予想つきませんが楽しみにしています。こういう横断的なテーマの必要性はこれからどんどん広がっていくことでしょう。
経済学者が法学研究や法実務と関わってきた姿をご紹介しましたが、こうした交流を通じて、日本の政策にコミットして、大学のみならず官庁でも活躍する経済学者がもっと増えていけばよいなと願っています。