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「国際私法」は世界の多様な価値観を調整するツール

  • 大学院法学研究科教授竹下 啓介

2019年10月1日 掲載

竹下 啓介氏

竹下 啓介

東京大学法学部卒業後、東京大学大学院法学政治学研究科助手となり、国際私法研究を開始。その後、法務省民事局調査員として「法の適用に関する通則法」の立法事務を担当。首都大学東京大学院社会科学研究科、東北大学大学院法学研究科を経て、2015年より一橋大学大学院法学研究科に着任し、現在に至る。

「国際的判決調和」の実現に向けて
各国内で運用されている「国際私法」

私の専門である「国際私法」とは、国際結婚や貿易取引など複数の国にまたがる私人間の法律問題(=渉外的法律問題)を扱う法律分野です。渉外的法律問題については国際的な裁定を行う共通の裁判所があるわけではなく、各国の裁判所で解決がされるので、日本では日本の、外国では外国の国際私法が適用されます。日本では、以下のような流れで問題解決に向かいます。

たとえば、日本人とドイツ人の夫婦の裁判離婚の問題については、まず日本の裁判所で裁判をするか、いわゆる国際裁判管轄が問題となり、日本で裁判をする場合、次のステップでは裁判所で日本とドイツのどちらの国の法律に準拠して、紛争を実体的に解決するかといういわゆる準拠法選択が問題となります。この点について、日本では「法の適用に関する通則法」という法律に規定が設けられています。また、ドイツでの離婚裁判の効力が日本に及ぶかという外国判決の承認の問題もあります。

この分野の重要な理念は、各国での法律問題の解決の一致、つまり「国際的判決調和」。例えば、準拠法選択については、各国の裁判所で「同じルールに準拠して解決する」ことが理想とされますが、これは準拠法が一致しさえすればどこでも同じ解決が出て、「国際的判決調和」が実現されるためです。私が先日出席したハーグ国際私法会議でも、「国際的判決調和」の考え方を基礎として、ある国で下された判決を他の国でも承認する条約が採択されました。

アメリカや他のアジア諸国に先駆け、
1904年に日本が参加したハーグ国際私法会議とは

しかし、渉外的法律問題を解決するうえで、一国内では通じても国際社会全体で見たときに合致しない、すなわち「国際的判決調和」という視点に照らし合わせたときに、各国のルールのチューニングがうまくいかない事案がどうしても出てきます。そこで世界的な統一を目指して調整を行い、条約に落としこむ機関が、先ほどふれた「ハーグ国際私法会議」です。

これは世界各国の政府代表がオランダのハーグに集まる会議で、1893年から脈々と続いています。最近では、国際結婚が破綻したときの子の奪取に関する条約を日本が受諾したので、マスコミでも取り上げられました。

実は日本も、アメリカに先駆けて1904年(明治37年)から参加しています。当時の日本は、政府としては関税自主権や領事裁判権などの問題を抱え、市民レベルでは国境を越えた婚姻・商取引によるさまざまな問題が顕在化し始めた頃。西洋とのつながりが深くなればなるほど避けて通れない問題について、条約をつくる機関があるならぜひ、ということで参加したのです。しかし、当時はヨーロッパ諸国のための会議だったため、日本の参加が認められるまでには紆余曲折がありました。

個人的な話ですが、私自身が国際私法の道を進んだのも、ハーグ国際私法会議の存在にふれたことが遠因になっています。学生時代に入ったゼミの先生が、同会議に政府代表として参加し、プロジェクトに携わっていました。本を読んで研究するだけではなく、代表として実社会や立法に携わる姿に感動し、この道を選んだのです。

知的財産権、仮想通貨、司法手続きのIT化
国際私法の研究者が貢献すべき領域は広がっている

国際私法が扱う事案として、さきに国際結婚や貿易取引を挙げました。しかし、グローバル化とIT化が急速に進む国際社会においては、国際私法が扱う領域も多様化・複雑化が進んでいます。

たとえば、直近のハーグ国際私法会議でも、知的財産権の保護の問題が議論されました。ニュースではアメリカと中国の間での軋轢がよく報道されています。ただ、とどのつまり、知的財産権は私人または私企業の権利。ニュースで報道される国家間の問題も踏まえつつ、私人または私企業の権利を保護する国際的な規律について考えていくことは、国際私法の研究者の役割です。

また、仮想通貨の取引についても、個人的に研究を進めています。仮想通貨は、他国の人と独立した通貨でやりとりができる点、すなわち国際的だからこそメリットがあるものです。しかし一方でマネーロンダリングに悪用される可能性も指摘されています。私人間の取引がこれからどのようになり、国際私法の領域に入ってくるか、予断を許しません。

最近関心がある問題としては、司法手続きのIT化が挙げられます。複数の国にまたがる関係者をITでつなぎ、スカイプで外国にいる人を尋問したり、インターネットを通じて電子的に裁判文書を送達したり、という司法手続きは日本では可能か、こういった問題です。日本はヨーロッパの大陸法系諸国の影響が強く、司法手続きは「主権」の行使であり、領域内での行使にとどめるべきとのスタンスです。国際的なITの活用のためには、主権の壁を乗り越える理論構築が急務。弁護士等の実務の方にはタッチしにくい領域でしょう。ここにも、私たち研究者が社会に貢献する役割があると考えています。

19世紀に前提とされた「均質性」を疑う基礎研究は、
国際私法の個別問題がクローズアップされる今こそ不可欠

ただ、国際私法の現代的な問題について研究や論文発表を行いつつ、私自身は1800~1900年代初頭の基礎的な文献について理解を深める研究に軸足を置いています。現代的な問題をとらえるには基礎のほうがむしろ重要と考えているからです。

現代に通じる国際私法の考え方が現れてきたのは、中世ヨーロッパの時代からです。1900年より前、すなわち日本がハーグ国際私法会議に参加するまでは、そもそも現代的な「国際」という発想はありませんでした。キリスト教文化圏の制度的な共通性を前提として、各国の法律家が法律のチューニングに乗り出したのです。その前提に基づく考え方は現代も残っていますが、では、その残っている考え方が現代にも妥当するかどうかは、実はわかりません。

たとえば17世紀のオランダは──正確には今「オランダ」とされている地域は──法秩序が異なる地域の集合体でした。州ごとに独立した法秩序を持つ、現代のアメリカ合衆国をイメージしていただけるとわかりやすいでしょう。一定程度の均質性を前提に、調整の議論をしていたと思われます。

しかし、20~21世紀にかけてグローバリゼーションが進みました。近年のハーグ国際私法会議の顔ぶれを見渡すと、アジアや南米の国々からの参加が増えています。会議の事務局側はアフリカ諸国にも参加を呼びかけている状況です。そこで私たち国際私法の研究者に突きつけられているのが、「本当に均質性はあるのか?」「均質性を前提に議論をしていいのか?」という問いかけです。これだけ世界情勢が激変したにも関わらず、19世紀以来の考え方をそのまま維持していいものか。そこには大きなクエスチョンマークがつきます。

もっともその疑問を解くには、そもそも19世紀に何が語られていたかを知らなければなりません。当時の「均質性」を前提として現代にも残っている考え方は、どういう基礎の上に成り立っているのかを知らなれば、維持する・しないの判断をするための検証ができないはず。私はそのスタンスで、つねに原理原則に立ち返りながらその検証を行うために、基礎文献の研究に力を入れています。

調整するうえで大切なのは、一方的に譲るのではなく、
相手を理解して適切に譲り合うこと

ハーグ国際私法会議の参加国には、「グローバルな秩序の中で生きていこうとしている」という共通の前提があります。その前提に立ち、お互いの法秩序の違いを調整するうえで最も重要なのは、相手の考え方を正確に理解すること。自分と相手はなぜ、どのように違っているのか。自分が譲歩すべき点はどこか。相手に変わってもらわなければならない点はどこか。勿論、各国は決して譲れない点もあるのですが、自分の考えだけが絶対に正しいと思わないで、コンプロマイズ、すなわち(妥協ではなく)"落としどころ"を見つける姿勢が、会議の成功には欠かせません。

一番良くないのは、相手の要望を精査せず「ここは譲れるから譲る」と一方的に宣言してしまうことです。国際会議で時折そういう発言を見かけるのですが、「自分勝手だなぁ」と思いますね。譲れるから譲る、では誰にもメリットはありません。「相手が譲ってほしいと思っているだろうから譲る」ことが肝要なのです。だからこそ、相手にも自分が譲ってほしい点を譲ってもらえる。他国の多様な価値観に基づく考え方を理解することの重要性を世界が共有して、多くの分野で調整がとれるようになっていけば──。国際私法の原理原則に立ち返るたびに、私はそう望んでいます。(談)