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経済学を活用して資源・環境問題の解決に向けた処方箋を出す

  • 経済学研究科准教授山下英俊

2019年10月1日 掲載

山下英俊氏

山下英俊(やました・ひでとし)

博士(学術)(東京大学)。1996年東京大学教養学部卒業、2000年同大学大学院総合文化研究科博士課程(中退)、2000年〜2004年東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学専攻助手を経て2004年一橋大学大学院経済学研究科講師に就任、2008年准教授、現在に至る。研究分野は資源経済学、廃棄物・リサクル政策、エネルギー政策。著書に『農家が消える:自然資源経済論からの提言』/みすず書房刊(共編著)、『ドイツに学ぶ 地域からのエネルギー転換--再生可能エネルギーと地域の自立』/家の光協会刊(共編著)などがある。

物質的側面・貨幣的側面・市場外の要因から
政策のあり方を提示する

私の専門分野は資源経済学、環境経済学と呼ばれる領域で、再生資源や再生可能エネルギーの活用、資源循環と経済循環の統合といった「再生」と「循環」をキーワードとし、資源・環境問題、農林水産業、地域の再生と活性化など、地域レベルで持続可能な社会を構築することにかかわるテーマに取り組んでいます。研究を進める際には、経済活動を「物質的側面(モノの世界)」と「貨幣的側面(カネの世界)」に区分します。そしてまず、「モノの世界」の中で資源や廃棄物がどこからどこに流れ(フロー)、どこに溜まっているか(ストック)をなるべく定量的に評価して、資源・環境問題が具体的にどこでどのように発生しているのかを把握します。次に、モノの流れを決めている「カネの世界」(マネーのフローとストック)を分析し、問題が発生するメカニズムを明らかにするのです。資源・環境問題においては、市場では価値をうまく評価できないものを対象とすることが多いため、メカニズムを規定しているのは法制度や権利など市場外の要因になります。その要因を検討することで、資源・環境問題の解決に向けた処方箋、つまり政策のあり方を提示することが研究の目標です。「モノの世界」については、これまでに物質循環に関する指標の開発と、その指標を用いた国際資源循環の分析をしてきました。「モノの世界」と「カネの世界」の相互連環の分析としては、廃棄物政策(特に「産業廃棄物税」の効果)や、国際資源循環のメカニズムと費用負担制度に関する分析を行いました。また再生可能エネルギーに関しては、脱化石燃料・脱原発・省エネ推進・再生可能エネルギー推進によるエネルギー転換の取り組みが、地域の持続可能性に貢献するものとなるように政策の研究を進めているところです。

技術だけで解決しようとするアプローチは
本当の問題を先延ばししているだけではないか?

私が資源や環境に関心を持つようになったのは、私たちの世代に特有の傾向かも知れません。

私は1973年、第1次オイルショックの年に生まれました。もちろん当時の記憶はありません。しかし、1960~1970年代の日本は公害問題が顕在化しており、国語や社会の教科書には酸性雨や、足尾銅山の鉱毒事件に立ち向かった田中正造の話が載っていました。中学1年生の時には旧ソビエト連邦でチェルノブイリ原発事故が起こっています。こうしたことが背景となり、私は中学生を卒業する頃にはすでに「資源・環境問題に取り組もう」と意志を固めていました。さらに大学に入学した1992年は、東西冷戦が終わり、リオデジャネイロで環境と開発に関係する国連会議(地球サミット)が開催されるなど、地球環境問題が世界的な課題として強くアピールされた年でした。世界が環境に強い関心を持ち始めた時代でもあったのです。当初、中学生の頃に考えていたのは、技術的側面からのアプローチです。どちらかというと文系の分野が苦手だった私には、最先端の技術に対する憧れもあり、「技術が進歩すれば問題が解決し、世の中が良くなる」と考えていました。しかし同じく中学生の頃に、スペースシャトル・チャレンジャー号が打ち上げ直後に爆発。7人の乗組員が死亡する事故がありました。最先端の技術に対する憧れに、大きく疑問符が付くことになりました。「技術の進歩が世の中を良くするとは言えないのではないか」「技術だけで解決しようとするアプローチは、本当の問題を先延ばししているだけではないか」......そう考えるようになりました。

幅広い社会科学の中から
理系の近接分野だった経済学を選択

問題解決のためには、政策への提言が不可欠であること。その提言に具体性と説得力を持たせるには、「世の中はどう動いているのか?」というメカニズムを体系的に把握する必要があること。高校、大学と理系の分野を歩んだ私は、修士課程でいよいよその必要性から目を背けられないことに気づき、博士課程で本格的に「経済学」を学び始めました。幅広い社会科学の中から経済学を選んだのは、数学的手法を多用する点で、理系の私にとっては近接分野だったからです。

博士論文では経済学の知見を活かし、廃棄物のリサイクルから循環型社会の構築に向けた提言をまとめました。定量的エビデンスを使いながら、「税金がどれくらい課されれば、産業廃棄物は減るのか」などについてのシミュレーションを提示したのです。現在の研究の進め方と絡めて、改めて説明しましょう。

産業廃棄物のリサイクルは、どこで詰まるのか
そこから「どう変えていくか」という議論に発展させる

冒頭で述べた「モノの世界」を廃棄物のリサイクルにたとえると、資源を取ってくる→製品をつくる→消費する→捨てられたら回収してリサイクルへ......という流れになります。こうしてモノの流れを把握するわけです。ただし、実際にモノを流しているのはほかならぬ人間で、上記プロセスのあらゆるところにステークホルダーが存在します。そしてそこには必ずお金のやり取りが発生します。ちなみに廃棄物のリサイクルでは、お金の流れが逆という点に特徴があります。ふつうならお金を払うのは欲しい物を買う時ですが、廃棄物の場合は違います。お金を払うのは、不要になった物を誰かに受け取ってもらう時ですね。ところがその廃棄物も、受け取る側の価値観によって流れるお金の量が変わったり、払う人が逆転したりします。つまり、受け取る側が「ただのゴミ」だと思えば、ごみを出す側がお金を支払って受け取ってもらうことになります。逆に受け取る側が「宝の山」だと思えば、お金を支払って買い取ることも珍しくありません。実際、PETボトルのリサイクルが始まった頃は、トンあたり7万円以上支払ってリサイクル業者に引き取ってもらっていましたが、近年は3万円以上の値段でリサイクル業者が買い取っています。これが「カネの世界」です。そして廃棄物のリサイクルを客観的に見ることで、消費した物をやり取りする「出口」や、そもそも資源を取ってくる「入口」が詰まっていることが分かります。「モノの世界」と「カネの世界」をとらえた次のステップとして、なぜそこで詰まるのか?を考えるのです。ステークホルダーの問題か、ステークホルダー間のお金のやり取りの問題か、やり取りを規定する制度の問題か......。詰まっている要因を抽出し、「どう変えて行くか?」という議論に発展させていくことが私の研究です。

「地域からのエネルギー転換」という観点で
再生可能エネルギーの可能性を探る

近年、再生可能エネルギーについての研究をまとめた著作を発表しました。特に私は「地域からのエネルギー転換」という観点から研究を進めています。「地域からの」と強調しているのは、単にエネルギー源を原子力・化石燃料から太陽光・風力などの再生可能エネルギーに変えるだけではなく、原子力に代表される中央集権的なエネルギー供給の仕組みを分権化し、地域のエネルギー自立を進めることが必要だと考えているからです。ドイツなど先進国の取り組みを研究すればするほど、地域のエネルギー自立は不可欠であること、日本でもその可能性を追求できることが分かってきました。その研究を踏まえると、基本条件は2つあります。まず、地域の住民が自主的に、土地利用など地域の計画や自然条件など地域の特色を考慮しつつ、地域のエネルギー源を選択すること。次に、事業化にあたっては、できるだけ地域の事業者が主体となり、地域の住民からの出資や地域金融機関からの融資など、地域で資金調達を行うこと。この2つによって、地域のエネルギー自立を通じた地域の経済・社会の活性化への道が開かれます。資源を永続的に利用できるようにするための維持管理をどうするかなど、地域の人々が主体的に意思決定をするための条件はほかにも数多くあります。それでも、滋賀県湖南市や長野県飯田市など、自治体レベルで再生可能エネルギーの利用に関する条例が制定されるようになってきました。こうした動きには今後も注目していく必要があると考えています。

自らの問題意識に対して
「T字型」ではなく「らせん型」でアプローチ

こうした政策に関する提言は、技術的側面からのアプローチだけでは難しかったでしょう。中学生の時に出合ったさまざまな負の事象から、「本当の問題を先延ばししているだけではないか」という問題意識を持ち続け、経済学という「ツール」を自分に導入したことは、間違っていなかったと感じています。実は学部生の頃、そんな問題意識の持ち方について周囲から批判を受けた経験があります。「研究者としてまずは専門分野を確立しなさい。別の分野に手を出すのはそれからでいい」というのが、周囲からのアドバイスでした。しかし環境をテーマにした以上、既存のアプローチでは無理だと感じていた私は、あえてそのアドバイスを聞かずに、経済学を学び始めたのです。一つの分野を突き詰めた後、別の分野にアプローチする研究手法を「T字型」とするなら、自分の問題を解くために必要なツールをほかの分野から取り入れ、少しずつ積み上げていく私の手法は「らせん型」と呼べるでしょう。私はこれからも「らせん型」で研究を積み重ねていくつもりですし、それが学生の皆さんにも何らかの刺激になればと願っています。(談)