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私たちは、芸術作品の現像液でなければならない。

  • 言語社会研究科中山 徹教授

2018年8月29日 掲載

中山徹

中山徹

言語社会研究科教授。1991年埼玉大学教養学部教養学科卒、1997年筑波大学文芸・言語研究科博士課程単位取得満期退学。2009年一橋大学言語社会研究科准教授に就任、2014年同研究科教授に就任、現在に至る。

芸術と政治のつながりを文学の領域で検証したい。

私は英文学という研究分野においては、「アイルランド文化ナショナリズムにおける美学イデオロギー」「ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』における言語・セクシュアリティ・イデオロギー」「イタリア未来派と英国モダニズム」などを研究テーマとしてきました。私は学生の頃、ジョイスはもちろんですが、英文学に限らずさまざまな国の文学に親しんでいました。ドストエフスキー、カフカ、カミュ、安部公房...世界への違和感をそれぞれの形で表現する文学作品にふれ、大きなカタルシスを感じていたのです。その延長線上に、ドイツの批評家ヴァルター・ベンヤミンとの出会いもありました。そして19~20歳の時、ベンヤミンの「ファシズムとは政治の美学化である」という認識にふれ、問題意識が芽生えたのです。当時はその意味が分からず、いったん自分の中にしまっておきました。時は流れて20代後半。私はロンドンのヘイワード・ギャラリーで開催された「Art & Power」(=芸術と権力)という展覧会に、足を運びました。1930年代、ヨーロッパがナチズムに、ロシアがスターリニズムに覆われていた時代の美術作品・建築を扱ったものです。展覧会自体には、特定のメッセージはありません。感想は、観る人によって異なるでしょう。しかし私自身はこの展覧会に大きな刺激を受けました。「芸術と政治の問題は、どのようにつながっているのだろうか?」――。そこでかつてのベンヤミンの言葉が思い出され、「同じような検証を、文学でもやるべきではないか?」という、今につながるテーマが見えてきたのです。

「戦争は美しい」(マリネッティ)――「政治の美学化」とは何か。

ベンヤミンが定義した「政治の美学化」(あるいは「政治生活への美学の導入」)とはどういうことかを考えてみましょう。
象徴的な例として挙げられるのが、20世紀初頭にイタリアを中心にして起こった「未来派」という前衛芸術のムーブメントです。1935年、イタリアの詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティは、イタリアがエチオピアに対して行った植民地戦争を「美しい」と賛美・肯定しました。背景には経済問題があります。過剰生産と過少消費の時代が到来、販路が不足し、失業が深刻化しつつありました。そこにエチオピア戦争が勃発。工業生産物は戦争に投下され、失業者は戦場に駆り出されていきます。つまり戦争は、問題を一気に解決する手っ取り早い経済政策だったのです。
しかしその事実や本音をストレートに表現してしまうと、あまりに問題がある。そこでマリネッティは戦争に対する美的判断によって戦争を肯定したのです。ベンヤミンは、これを「政治生活への美学の導入」、すなわち「政治の美学化」とし、ファシズムの特質を見出したのです。

都市化への反動としての「身体文化」がファシズムにつながっていった。

19世紀末から20世紀初頭、ヨーロッパ全体で都市化が進んでいました。そしてその反動として、都市化は身体の退化をもたらすとし、「身体の再生」を掲げる「身体文化」(フィジカル・カルチャー)が流行したのです。たとえばイギリスでは、ドイツから来たユージーン・サンドウという人物が『フィジカル・カルチャー』という雑誌を創刊。「健康で完全な男女ほど、良い体格を持ち遺伝的欠点のない子供たちを産むだろう」と謳い、ギリシャ彫刻のような体格になるための運動を誌面で展開していきました。彼は、女子学校の教室に「ミロのヴィーナス」の複製を置くことを提案しました。小さい頃からギリシャ彫刻を見ていれば、みずからの身体もそれに近づき、結果的に民族は退化から再生へ向かうだろうと信じていたのです。
1910年代の優生学者にも見られたこの思考は、政治生活への美学の導入の一形態であり、1930年代のファシズムの文化政策につながっていく――。私はそう考えています。

多くのモダニズム作家がファシズムを擁護した時代の、ジョイスの問題意識。

一方、同じ20世紀初頭には、「モダニズム」という実験的・前衛的な芸術活動が、文学、建築、絵画、哲学などのあらゆる分野で起こりました。私が研究対象としているのは主に文学ですが、同時代の主要なモダニズム作家は、ファシズムに惹かれたのです。しかし、その中にあって、ジョイスは例外でした。
当時のヨーロッパの状況に鑑み、そこから人類のビジョンを持とうとする作家にとって、ファシズムは魅力的に映ったのかもしれません。あるいは「ここで支持しておかなければ、むしろ状況はひどくなる」という判断が働いたのかもしれません。どんな時代でも、文学は政治状況や権力のあり方に反応せずにはいられないものです。真剣な表現者であればあるほど、時代との接点は必ず突きあたる問題と言えます。ですから私はファシズムを擁護した作家を、現代人の視点から批判するつもりはありません。
ただ、なぜモダニズム作家のほとんどが擁護したのか。そして、なぜジョイスは擁護しなかったのか。それぞれにどういう力が働いていたのかは、未だに大きな問題として私の中にあります。その問題意識が、私の研究の核となる大きなモチベーションです。

魅力的な文章を書く批評家の存在が、自分の視野を広げてくれた。

しかし、その問題を解明するためには、単にジョイスの作品に向き合うだけでは不十分です。文学はもちろん、音楽、建築、哲学...さまざまな分野へのまなざしが欠かせません。つねに幅広い視野を持つ。私にそのことを教えてくれたのが、魅力的な文章を書く批評家や哲学者の存在です。
ベンヤミンをはじめ、カント、マルクス、スラヴォイ・ジジェク(私は彼の本を多数訳す機会に恵まれました)など、彼ら先人の視野の広さ・深さ・鋭さ、博覧強記ぶりには憧れました。彼らは、文学、音楽、建築など、いわば人間がつくった作品に対して「どういう視点を持って接すればいいか」を教えてくれた存在です。その出会いは大きいですね。さらに彼らが何を読んできたのかとさかのぼっていくことで、自分の視野もまた広がっていく。こうしてつねに視野を広げながら、過去の文学や芸術に向き合うのです。そして対象に新たな生命を吹き込み、活性化させる。プラトンのテキストだって、きっと100年後も誰かが接し、読み、読み換えているはずです。そこにこそ文学研究・批評に携わる喜びがあると、私は思います。

すべての芸術作品は、未来の人に要求を突きつけている。

言語社会研究科の修士課程の学生には、基本的に2年という限られた時間しかありません。2年で視野を広げ、選んだ対象を深く研究し、修士論文に仕上げるのは本当に大変な作業だと思います。そんな学生の皆さんに、私はベンヤミンのひそみに倣い「現像液となれ!」という言葉を贈りたいと思います。文学に限らずあらゆる芸術作品を写真のフィルムとすれば、その現像液は必ず「未来」にあります。言い換えれば、未来の現像液で現像されることを前提に、すべての芸術作品はつくり出されているのです。それらの作品は「未来の現像液でディベロップしてくれ!」という要求を、学生の皆さんに突きつけている。未来の世代に託している。そんな叫びを受けとめ、決して楽ではない文学の研究に、多くの学生が挑戦してくれることを願っています。(談)