令和7年度 大学院入学式 式辞
令和7年4月6日
一橋大学長 中野 聡
皆さん、一橋大学大学院入学おめでとうございます。
皆さんのご両親、ご家族、ご親族そして関わりの深い方々にも、教職員一同とともにお祝いを申し上げます。
ここ兼松講堂に集う皆さんがめざす学位は、修士・専門職学位・博士と多様であり、専攻する学問領域も社会科学・人文科学、ソーシャル・データサイエンスなどの多方面に渡り、主に学ぶキャンパスも国立・千代田と分かれています。また、2024年には大学院の学生数1880名のうち580名、約31パーセントを留学生が占めました。
このように日本でもっともグローバル化した大学院のひとつであり、社会科学における世界最高水準の研究教育拠点をめざす一橋大学は、世界各地から、紛争と対立に揺れる地域も、平和な地域も含めて、数多くの留学生・研究者とその家族を受け入れています。そして、激動する世界の渦中にあって、一橋は、このように立場や目指すものが異なる皆さんの学問の自由を保障し、皆さんが互いに議論し、互いを鍛え、対話の質を高めていくことができる、安全な場所であり続けたいと願っています。そして、学問の自由と安全が守られた一橋コミュニティで生まれる絆こそが、長い目で見れば、平和の創造に大いに貢献することを私たちは信じています。
さて、かくも多様な背景をもち、異なるキャリアをめざそうとしている皆さんに対して、今日は、それぞれの研究、学問、専門性を追究していくうえで、「自分のこだわり」(個人バイアスとも言い換えることができるでしょう)は何だろう?と考えることについて、私自身の例を用いながら、その効用について考えてみたいと思います。
プロフェッショナルとして法曹界を目指したり、経営者を目指したりする場合でも、アカデミアにおけるキャリア形成を目指す場合でも、向き合う課題をどれだけ冷静に、客観的に捉えて、大方が納得する分析を示せるかという局面では、自分という個人に依存しないインパーシャルな構えが必要とされるでしょう。とはいえ、この世に完全な人間はおらず、ボウリングでパーフェクト・スコアが決して続かず、ゴルフのスコアが必ず上下するように、分析者のバイアスを完全に排除することは困難であり、また場合によっては望ましくなく、むしろ可視化した方が良いこともあるでしょう。
その一方、プロフェッショナルとして課題を解決に導くときでも、アカデミアとして課題に解釈を与えるときでも、顧客に対して、ピア・レビュアーあるいはオーディエンスに対して、自分ならでは、あるいは自分にしかできないというユニークさをアピールすることは、それぞれの世界で高みをめざしていくときには必要でしょう。そういうときには、個人バイアスは、あなたのプロジェクトのネガティブ要素ではなくポジティブ要素となるかもしれません。そのような個人バイアスの存在を、ストーリーとして自分の引き出しにしまっておいて、時に応じて取り出せるようにしておくことは、もしかしたら、とても役に立つことがあるかもしれません。
では自分のこだわりや個人バイアスとその背景は、どのように知ることができるでしょうか。それはただ社会的に、あるいは皆さんが属する集団において共有されている集合的バイアスであるかもしれないし、個人バイアスと集合的バイアスの区別や相関などは、考えだしたらキリがありません。そこで、素人考えですが、ひとまずは、自分があるプロジェクトと取り組むなかで再起性をもって想起される特定のイメージや記憶がその手がかりになるかもしれないと思うことにしましょう。
だとすれば、私には色々と思い当たるフシがあります。
現職との関係で、研究の現場を離れて久しい私には、もはや自らの研究について多くを語る意欲も能力も欠けていますが、あえて言うならば、歴史学者であった私の主な研究テーマは、20世紀フィリピンの国家形成に対するアメリカと日本の関わりあい、そしてそこから生成したさまざまな歴史現象の検討でした。
その方法論上の基礎は、国際関係史でも最もオーソドックスな、政府・議会文書等に依拠した政治外交史でした。しかし次第に、この問題を検討していれば避けて通れない第二次世界大戦における日本の東南アジア占領という問題や、1990年代以降、国際関係上のイシューともなった「戦争の記憶」、さらには第二次大戦従軍フィリピン系退役軍人のアメリカ移民問題などを検討するなかで、個人文書やオーラル・ヒストリー、移民コミュニティへの参与観察などにも手を出して分析・叙述をするようになっていきました。
さて、これらの研究と取り組みながら、研究主題の選択とは直接関係がないのに、執拗にフラッシュバックしていた記憶があります。
それは、高校時代に見た、チッソ・水俣病事件を追ったNHKのドキュメンタリー番組の一場面の記憶です。(私の記憶が正しければ、の話ですが)水俣病の問題には触れないという条件でインタビューに応じた通産省の元局長が、取材記者に水俣病問題を糾されたとたん、突然、興奮して我を失いカメラに飛びかかったのがテレビに映ったのです。産業振興という大目的を優先する意識から、水俣病発覚当時の「国の対応」を誤り、最悪の被害拡大をもたらしてしまった責任の重さを暴露する、官僚OBの生々しい反応を示すその映像は衝撃的でした。私の父が霞ヶ関の官僚であったことも、私の感情移入を強めたひとつの要因であったかもしれません。
歴史の審判の前に弁明の余地がほとんどない明白で無残な結果をもたらした、国家の政策決定上の誤謬・失敗とその犠牲の大きさを考えたとき、なぜそのような失敗が避けられなかったのか、政策決定を担う者たちはなぜ過ちをおかしたのかという疑問が浮かんできます。そのような関心から、学部時代に、キューバ危機を素材として政策決定過程研究の方法論を詳細に検討したグレアム・アリソンの『決定の本質』(1977)や、過去の教訓へのこだわりが眼前の課題に対する政策決定をしばしば誤らせてきたとする米国外交史家アーネスト・メイの『歴史の教訓』(1977)などの翻訳書に目を通したことが、私の政治外交史への関心の出発点となりました。先日、逝去された野中郁次郎先生の共著として知られる『失敗の本質』(1984)も発表当時おおいに興味をもって読んだ記憶があります。
そしてそのような関心から、同じフィリピンをめぐる歴史現象のなかでも、私は、複雑に絡みあうアメリカの諸政策のなかで、さまざまな誤謬や、あるいは政策上の優先順位が、結果としてフィリピンという国の命運に大きな影響を及ぼすような局面をとくに扱いたいと感じて主題を選択してきたのではないかと、今となっては自己分析するのです。
もうひとつの記憶は、中学3年生の頃に見つけた、古ぼけたアルバムにクリップされていた戦前の新聞の切り抜きを読んだときの印象です。それは、学者をしていた私の祖父が1940年から某新聞に連載していた日曜時評でした。祖父は私が生まれるより10年以上前に亡くなっていて、思い出話もあまり聞くことがなく、イメージが乏しかったのですが、日曜時評の紙面から飛び込んで来たのは、いま思えば時代のクリシェなのかもしれないけれども、進軍ラッパが聞こえてくるような文章で、例えば「我が国民精神に内在する皇道主義的超人格主義の世界観と国家観とに基き、我が国家及び国民生活を再編成」すべきだというように、一事が万事、まずその語彙からして戦後教育を受けていた私には受け入れがたい、という以上に、ただただ異様で想像を絶するものでした。とはいえそれが自分の祖父によって書かれたという事実は目の前にある。これはその後、色々と学ぶなかで文脈化された知識とは別に、ひとつの体験として心の中に残って行きました。
この記憶は、のちに日本の東南アジア占領史を著書にまとめていく過程で、占領者である日本と被占領者である東南アジアの人々とりわけフィリピンの人々とのコミュニケーションの不全あるいは不可能性、そこから生じた通訳・翻訳をめぐる問題に私が注目する契機になったのではないかと感じています。日本ではクリシェとなって誰も疑問を持たずに使うようになっていた、日本を盟主とするアジア主義の思想は、まずその語彙のレベルからアジアの殆ど、とりわけフィリピンの人々には理解ができませんでした。そしてそのことに気がついた日本人から、初めて他者としてのアジアとの対話が始まっていく。そんなストーリーを組み立てるとき、もしかしたら私のなかでは、切り抜きで読んだ祖父の論説文の語彙に絶句したときの記憶が働いていたかもしれません。
以上述べたことは、個人的でひとりよがりな、あとづけのストーリーに過ぎません。それでも、もしかしたら、同じようなレベルで、皆さんの個人的な経験や記憶が、それぞれのプロジェクトへの皆さんの取り組みを自己分析するときに、ストーリーをもった個人バイアスというかたちで役に立つかもしれないと思い、ちょっとシェアをさせていただいた次第です。
さて、思いつくままに研究駄話をしてしまいましたが、皆さんには、もっと大事なお知らせがありました。この4月より、ソーシャル・データサイエンス研究科に博士後期課程が設置され、初めての博士後期課程学生をお迎えしました。ようこそいらっしゃいました。そして進学おめでとう。社会科学とデータサイエンスの融合による新領域創成をめざすソーシャル・データサイエンス研究科・学部には、すでに本学の研究科・学部・研究所との間で生まれている素晴らしいケミストリーを、これからますます発展させていくことに心から期待したいと思います。
そして、全ての大学院学生の皆さんに呼びかけたいことがあります。これから数年のあいだに始まり、2030年代を通じて加速していくことになる日本の大学改革のなかで、いま大学院に学ぶ皆さんがロール・モデルとして大きな役割を果たしていって欲しいというお願いです。
文部科学省のウェブサイトを閲覧すれば、今後、加速していくことが確実な人口減少とりわけ(日本生まれ)18歳人口の急減にともない、日本の教育全体とりわけ高等教育が、どのような変革を迫られているかについて、現在、行われている議論を知ることが出来ます。
その中でひとつのキーワードとなっているのが、「我が国の『知の総和』の向上」という言葉です。高等教育進学者の絶対数が減少する一方で、専門職大学院・大学院進学者を大きく増やして高度専門人材の量と質を高めていかなければ、日本の未来は無いという危機意識が、この言葉の背景にはあります。そして、ここで言う「知の総和」の担い手には、狭義の日本人だけではなく、日本で学ぶことを選んでくれた世界からの留学生を含むことは言うまでもありません。
検討されている具体的なKPI(数値目標)にはここでは触れません。むしろここで強調したいのは、構想されているような高等教育改革とりわけ高度人材育成のための大学院の改革と強化を画餅に終わらせないために必要なのは、いま、大学院に居る皆さんが未来に向けたロール・モデルになること、専門職大学院、修士・博士人材がいかに社会に貢献し、社会に求められているかを皆さんが示すことであり、そのことによって初めて、日本の未来は開かれていくと言っても過言ではないということなのです。
少子化・人口減少で人手不足が深刻化するなか、四年制大学卒業者の就職は引く手あまたです。その一方、3年内離職者の多さや、日本全体の競争力の低下を見れば、じっくり時間をかけて人材を高度化していくことが日本全体としての最適解であることは明らかです。同時に、アカデミアをしっかりと維持していくこと、そのための人材育成としての道をしっかりと維持しながら、ノン・アカデミック・キャリアで活躍して自己実現していく修士・専門職・博士人材を育てていくことが日本の研究力・国力を維持し高めていくための最適解であることも明らかなのです。
しかし、それらの実現に向けて社会が本気で合意し乗り出していくためには、まさにロール・モデルが必要とされています。社会科学・人文科学の領域において、その役割を担うのは、一橋大学に日本から世界から集う皆さんを他においてありません。
昨年から展開している次世代研究者挑戦的研究プログラム「The Bridge to the Future 一橋大学博士イノベーション人材育成プログラム」もまた、そのようなロール・モデルを作り出す重要なプロジェクトです。ここにも採用された皆さんが大勢居られるかと思いますが、どうかそのような自覚をもって、これからの取り組みに参加して欲しいと思います。
そして本プログラムだけでなく、あらゆる機会を通じて、私たち教職員は、皆さんが、これから、それぞれの目的に向かって、思う存分、学びと研究を進めていけるよう、皆さんの自己実現を全力でサポートしていきたいと思います。
皆さん、あらためて大学院入学おめでとうございます。
ご清聴ありがとうございました。
参考
NHK総合「ドキュメンタリー「埋もれた報告」―熊本県公文書の語る水俣病― ~昭和52年度芸術祭参加~」1977年10月31日放送。芸術祭受賞後の再放送では、このシーンはカットされていました。
中野登美雄「新体制と臨時議会」『読売新聞』1940年10月8日夕刊、1頁。
中央教育審議会「我が国の「知の総和」向上の未来像~高等教育システムの再構築~(答申)(中教審第255号)」2025年2月21日。