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令和6年度 学部学位記授与式 式辞

令和7年3月18日
一橋大学長 中野 聡

 皆さん、卒業おめでとうございます。本日、学位を授与された皆さんのご両親、ご家族、ご親族そして関わりの深い方々にも、教職員一同とともにお祝いを申し上げます。

 本年、2025年、一橋大学は創立150周年を迎えます。この記念すべき年に学部を卒業する皆さんが、「混沌、困窮、諸悪に対して戦い、人類を導く真の勇者」たる「キャプテンズ・オブ・インダストリー」を掲げる一橋の歩みに、新たな輝かしい未来を刻んでいくことへの期待を込めて、ここに餞の言葉を贈ります。

 今日こうして卒業式に臨む皆さんの多くは、2021年4月、本学に入学しました。個人的なことではありますが、2021年4月と言えば、私が学長になってから初めての入学式でした。覚えていますか?あのときは、その前年に入学式ができなかった2年生諸君と共に、前代未聞、そして願わくは空前絶後であって欲しい、1・2年合同の入学式を行いました。

 感染拡大防止のために、式は商経法社の学部別に4回に分けて行われ、私はまったく同じ式辞を4回繰り返し読み上げました。皆さんは1回ずつしか聞かないで済んだと思いますが、壇上の学部長、理事・副学長等の皆さんは4回同じ話を繰り返し聞かされたのであります。

 それはまた、新型コロナウイルス感染症に襲われたなかでの正常化に向けた第一歩でもありました。それまでの1年間、各大学ではほとんどの授業がオンラインとなり、一橋大学のキャンパスも人影まばらな日々が続いていました。そして、皆さんの入学と共に、オンラインと併用しながらできる限り対面授業を再開する取り組みが始まりました。あの4月、キャンパスに皆さん学生の姿が戻ってきたときの深い感慨を私はいまでもよく思い出します。

 しかし、ふり返れば、トンネルの出口はまだずっと先でした。このとき日本は第4波の感染拡大期にあり、4月末には東京都に三度目となる新型コロナウイルス感染症に関する緊急事態宣言が発出されて、本学でも対面での課外活動が原則的に禁止されるなど、厳しい対応を迫られる日々が続きました。

 感染拡大はその後も数波にわたり、東京オリンピック・パラリンピックは無観客で開催され、この年のKODAIRA祭、一橋祭も無観客・オンライン開催となりました。そして8月から10月末まで、ここ兼松講堂は東京都設置のワクチン大規模接種会場となりました。皆さんの多くも此処で2回の接種を受けた思い出があるのではないでしょうか。

 このように皆さんは、2023年5月いわゆる「5類移行」によって新型コロナウイルス感染症への特別な対応が終了するまで、大学生活の前半を、パンデミックによって大きく左右され、また制約される日々を送らなければなりませんでした。

 感染制御学で活躍する大阪大学の忽那賢志教授は、日本は医療の面では新型コロナによる直接的な被害者の数を抑制することができた一方で、他国よりも感染対策の緩和が遅れたことがもたらした社会的影響に注目する必要を指摘しています。とりわけ若い世代への影響は深刻だったのではないでしょうか。

 大人たちは忘れっぽいというか、あるいは社会全体が忘れたがっているのか、この頃は、コロナ禍をふり返ることも少なくなっているように感じます。しかし、二十数年しかまだ生きていない皆さんにとっては、人生の大切な時期に簡単には片付けられないインパクトをそれぞれが被ってきたという思いがあることでしょう。

 このように辛いことが多いパンデミックの日々ではありましたが、その試練をくぐり抜けた経験、そのなかで直面した課題をそれぞれに、あるいは仲間とともに解決してきた経験が、皆さんの将来に向けた糧となることを願っています。

 さて、ふと思いついて、皆さんが生まれる少し前でしょうか、21世紀最初の卒業式で一橋大学の学長はどんなことを話していたのだろうかと、毎年5月号に卒業式の学長式辞が載る同窓会誌『如水会会報』の頁をめくってみました。2001年3月の卒業式です。このときの卒業生は、現在まさに社会の中堅・中核を担う世代として活躍中です。そんな皆さんをこのとき送り出したのは、当時、政府税制調査会会長も務めていた石弘光学長でした。

 式辞で石学長は、バブル経済が崩壊した後、日本経済が「喪われた10年」という言葉に代表されるように大きな構造変化のなかで長く暗い道程を辿っていると述べるとともに、日本の発展にとって20世紀にはほとんど顧みられることのなかった2つの大きな制約条件として、急速に迫り来る少子・高齢社会の到来と、地球温暖化問題を挙げ、このような困難な時代に乗り出して行く卒業生諸君に「積極的な気概と行動」、「モラルの重要性」、「真の国際人となること」を訴えてエールを送っています。

 それから四半世紀近くを経た今日、日本はデフレ経済からようやく離陸して「金利のある世界」を迎えようとしています。その一方、「喪われた10年」が「30年」と呼ばれるまでに長引いたことを私たちは知っています。また、石先生が慧眼にも指摘したふたつの問題について言えば、少子高齢化・人口減少は想定を上回るスピードで進んでおり、気候変動に伴う自然災害の激甚化は誰の目にも明らかで、それらは現在ここにある危機として私たちを取り囲んでいます。

 そしてたった今述べたように、皆さんの学生時代はコロナ禍に大きく左右されました。さらに、2022年2月にはロシアのウクライナへの軍事侵攻が、2023年10月にはガザの戦争が始まるなど、私たちの良心と価値観を揺さぶる出来事が続きました。そして現在、政権交代後のアメリカからは、毎日のように驚天動地のニュースが次々と発されて、貿易戦争の号砲が世界に鳴り響いています。このような、まさに荒れ模様の時代の渦中に飛び込んでいく皆さんに向けて、「これからは大変な時代になるから君たち頑張れ」などと言うのは、誠におこがましい。むしろ皆さんには、怯まず自信をもって社会に乗り出していって欲しいと思います。

 ここで皆さんに「自信をもって」と私が語りかけたいのには、学長として、この大学、そしてこの大学の卒業生が築いてきた歴史に触れ、また、如水会などの場を通じて、日本各地で、そして世界で活躍する、さまざまな世代の卒業生の皆さんと交流するなかで得られた、私なりの実感があります。もちろん一橋というコミュニティには多様な側面や魅力があって、それを一言でまとめるのは難しいのですが、ここでは敢えて「課題解決型人材の宝庫」という言葉を使ってみたいと思います。

 私の胸には、一橋150年の歴史上の人物から、現役バリバリで活躍している皆さん、天上から私たちを見守る諸先輩まで、数え切れない一橋人の営みが去来します。そこであらためて思うのは、何と多くの一橋人が、さまざまな課題と向き合い──時としてそれは企業が直面する経営の危機や難局であったり、焦眉の政治・外交問題、人々の利害が複雑に絡み合う地域の問題、困難のなかで助けを求める人々の存在であったり、あるいはこの国立キャンパスの杜を守り育てるという課題であったり、その舞台は限りなく多様ではありますが──、その解決のために、すぐれた指導力・分析力・判断力そして人間力を発揮して、謙虚に、しなやかに、てきぱきと働いてきたか、その結果としていかに人々に頼りにされ、望まれ、親しまれてきたかということなのです。

 このあとご来賓としてお話をいただく三菱地所特別顧問・如水会理事長の杉山博孝さん、ストライク(株)創業者の荒井邦彦さんは、まちづくりの世界において、あるいはベンチャー・M&Aの世界において、それぞれまさに「課題解決型人材」として活躍されてきました。後ほど素晴らしいお話をいただけることを楽しみにしております。

 その一方、ここで私はごく限られた企業トップや経営者の皆さんの話ばかりをしているのではありません。幅広く多様な卒業生が、それぞれの人生においてごく自然に実践していることを束ねたとき、そこに「課題解決型人材の宝庫」としての一橋コミュニティという言葉が浮かび上がってくるのです。皆さんのこれからの人生も、それぞれに、思わぬ起伏に富む道を歩むことでしょう。そんななかでも、一橋に学び、一橋コミュニティに過ごした経験が、これから皆さんがさまざまな課題と向き合い解決していく力の基礎となっていくことに、どうぞ自信を持って下さい。

 もうひとつ自信を持って欲しいのは、今すぐではないかもしれないけれど、皆さんが一橋を卒業したことが、良い意味でジワジワと効いてくる、そんな経験が、皆さんを未来で待っているということを、お伝えしておきたいと思います。

 ありきたりな学閥や学歴の話をしているのではありません。そもそも学閥を作れるほどの人数が一橋にはありません。学歴もさほど役には立たないでしょう。国立大学の受験勉強でもした人なら話は別かもしれませんが、一般的には知る人ぞ知る大学ですから、一都三県を出てしまえば、知らない人ばかりの現実と皆さんは遭遇するでしょう。

 その一方、人生のどこかで、思いがけないかたちで、一橋との出遭いが、あなたを待っていることでしょう。それは、世代を遠く離れた同窓との出遭いであるかもしれません。思いも掛けぬ場所での同級生との再会であるかもしれません。実利を伴うこともあるかもしれません。そんなときは大いに出遭いを利用して下さい。でもそれ以上に、それらの出遭いと出遭いの重なりは、利害損得を抜きにして、ジワジワと、あなたの人生を心地よく豊かにしてくれるに違いありません。皆さん、楽しみにして下さい。

 そしてあらためて、一橋大学にとって、私たちが人材育成と学術の最高学府として真に卓越したコミュニティであることのエビデンスは、大型の実験施設でも大学病院でもなく、一橋コミュニティすなわちこれからの皆さんの営みのなかにあることをお伝えします。その思いをもって、「ひとつひとつ、社会を変える。」ことを通じて世界を救いに旅立つ皆さんに向けて、私たち教職員一同は、心からエールを送りたいと思います。

 最後に、この兼松講堂から旅立ったあと、激動する世界の何処に居ても、皆さんは、一橋コミュニティの一員であり続けることを忘れないで欲しいと思います。国立キャンパスの杜は、皆さんとの再会を、いつでも、心待ちにしています。

 皆さん、あらためて卒業おめでとうございます。ご静聴ありがとうございました。


 参考 「一橋大学卒業式 石学長式辞」「如水会会報」853号(2001年5月)。



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