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平成28年度学部入学式における式辞

2016年4月2日
一橋大学長 蓼沼宏一

 新入生の皆さん、入学おめでとうございます。また、ご臨席賜りました新入生のご両親などご家族の方々にも、お祝いを申し上げます。一橋大学教職員一同を代表しまして、すべての新入生を心より歓迎いたします。

 さて、入学された皆さんにまず、大学は未知の問題の解決を目指す知的創造の場である、ということを理解してほしいと思います。一橋大学研究教育憲章は、本学のミッションを「日本及び世界の自由で平和な政治経済社会の構築に資する知的、文化的資産を創造し、その指導的担い手を育成すること」と掲げています。社会科学の研究総合大学である本学に入学した皆さんは、受け身の学習者ではなく、自ら重要と考える問題を見出し、その解決に向けて勉学に取り組むことを期待されています。知のフロンティアを広げることが、大学にいる私たちすべてに与えられている使命なのです。
 皆さんの中には、自分は研究者になるわけではなく、ビジネスや法務などの実務家を目指しているのだから、それに必要な知識やスキルを吸収すればよいと考えている人もいるかもしれません。しかし、大学を卒業して実社会にでれば、答えの出ていない問題に次々と取り組まなければなりません。変化の激しい現代社会では、大学4年間で習得した知識自体は、すぐに陳腐化していきますから、新しい知識を学び、未解決の問題に向かう必要もあるでしょう。実社会におけるその厳しい現場で、皆さんの拠り所となるのは、大学時代の絶えざる勉学の蓄積と思索の訓練によって得られる人格と知的活力です。広く深く根を張り、太い幹をもつ木が毎年、若葉を茂らせ、実を結ぶように、大学では自分の知的活力を向上させ、その後の人生で末長く自らと社会に実りをもたらすことのできる人間としての器を作ることを目指してほしいと思います。
 知的活力の向上のためには、労力を惜しんではなりません。既に確立されている知識を出来るだけ効率的に習得し、卒業に必要な単位の取得だけを目指したとしても、皆さんの知的活力の向上には結び付きません。そうではなく、授業をきっかけとして、自ら広く深く学び、自由に思索を巡らし、その内容を文章で表現するといった、頭と手をフルに使った知的訓練を心がけてください。

 いまだ解決されていない問題に取り組む力を身につけるためには、もちろん、長い歴史の中で蓄積されてきた知識をまずは学ばなければなりません。何も無いところからは、何も生み出すことはできません。人類は、人間の、また社会の様々な問題を解決するために有用な知識を創造し、蓄えてきました。過去に創り出された知識は、それを継承する多くの者によって整理され、体系化された理論の形で表現されるようになります。商学・経営学、経済学、法学、社会学といった各学問分野は、そのような構造をもった知識体系に他なりません。これから各分野の勉学を始める皆さんに、私の経験に基づいて3つほど助言を申し上げたいと思います。
 第一は、自分の思考の枠組みを築くこと、です。どの学問分野も、混沌とした現実の問題を把握し、概念化し、論理的思考によって問題の解を見出すための方法とフレームワークを作り出してきました。専門分野を勉強する目的の一つは、知識を豊かにすることですが、それ以上に、汎用性の高い思考の枠組みを習得することが重要なのです。ところが、現代ではどの専門分野の知識も高度化し、その知識体系全体を掴むためには、基礎から発展的内容まで段階的に学ぶ必要があります。それには、ある程度の辛抱が求められます。習得した知識を思考の枠組みにまで昇華させるには、一定の蓄積が必要です。知識の習得を辛抱強く続けていったとき、ある段階で急に社会への視界が開けるということがあるでしょう。本学の体系的なカリキュラムで学ぶ中で、そういった経験を積んでほしいと願っています。
 第二は、独創的な学者の知的創造のプロセスを学ぶこと、です。整理され、標準化された知識体系は、はじめから今の形で生み出されたものではありません。どの学問分野も、独創的な学者が知のフロンティアを広げ新たなパラダイムを構築してきた積み重ねによって成り立っています。しかし、新しい問題に立ち向かった彼らの試行錯誤と悪戦苦闘の歴史は、その後の継承者たちによって無駄を削られ、整理される中で、知識体系の背後に埋もれてしまいがちです。やがては未解決の問題にも取り組まなければならない皆さんは、一方で体系化された知識を段階的に学びつつ、他方で過去の優れた学者の創造のプロセスを追体験してほしいと思います。古典を読む意義はそこにあります。古典に書かれている知識自体は、現代の教科書でもっと効率的に習得することができます。しかし、答えのない問題に挑んだ先人の軌跡は古典の中にしか見出せません。
 第三は、複数の学問分野を学ぶこと、です。各学問分野は、現実を認識するために人間の作り出した思考の枠組みであり、現実そのものではありません。現実は混沌とした全体であり、そこで生じる諸問題は常に複合的な要素を内包しています。現実の問題の全体像を解明するために、学際的な研究、つまり異分野の協働が必要になるのはこのためです。実社会での問題に対しても同じように、様々な専門職から成るチームの働きが重要になるでしょう。一方で、一人の人間の中に複数の思考の枠組みが備えられていたならば、異なる角度から問題を捉えることができ、より一層柔軟な考え方ができるはずです。そのため、大学時代にも一つの専門分野だけでなく、複数の分野を学ぶことを勧めます。一橋大学では学部間の垣根が非常に低く、他学部の科目も広くかつ深く履修することができます。ぜひ、この自由度の高い学びのシステムを活用してほしいと思います。
 以上、私は、自分の思考の枠組みを築く、独創的な学者の知的創造のプロセスを学ぶ、複数の学問分野を学ぶ、という3つの助言を申し上げました。

 次に、皆さんが探求する社会科学には、事実を解明するという側面と、望ましい社会とは何かという規範的な側面があるということを述べたいと思います。
 社会を対象とする科学である社会科学の使命の第一は、社会の仕組みを把握し、社会現象の因果関係を明らかにすることです。しかし、人々の暮らしと幸せに直接関わる社会を対象とする社会科学は、単に事実を解明するだけでは充分ではありません。事実の解明つまり実証をベースとしつつ、どのような社会経済システムが望ましいのかという規範に基づいて、政治、法、経済等の制度や政策の改革、あるいは企業・組織運営の改善策等を示す責任を担っているのです。すなわち、事実を解明する「光をもたらす学問」から、人々の幸せという「実りをもたらす学問」へと発展させなければなりません。
 社会をよりよいものに変革していくにはどうすべきか。まず正しい方向が示されなければなりません。そのためには、何が社会的に望ましいかという規範的な基準が必要です。
 何が望ましいのかといった規範の問題は主観的な判断に依存し、常に意見の対立があるから解決不可能ではないかと考える人もいるかもしれません。確かに、人が自分の属する国、人種、地位、資産、能力など、自分に特有の条件を知った上で、自己の利益を高めるように行動するならば、自分に有利な社会制度やルールが望ましいと主張することでしょう。その場合には、個人間の意見の対立は決してなくなりません。知的探求が規範論の領域に入るときには、個別特有の状況から離れ、可能な限り普遍的な立場から判断するという、一層高度な熟慮が必要になるのです。
 次の時代を担う皆さんは、現実の問題を客観的に把握し、実証的に分析するとともに、幅広く深い教養に基づいて、何が社会的に望ましいか、適切に判断する力を磨いてください。そのプロセスにおいては、他者との議論も重要です。現代においては、インターネットなどの情報伝達手段が格段に進み、情報が溢れかえって混乱し、事実を見出せないという問題が起きています。どの情報も事実の一面を切り取って解釈したものに過ぎず、情報の荒波の中で、逆に真の事実が見えにくくなっています。様々なメディアやネットという表に出た情報の裏に、たくさんの事実があることを知らなければなりませんが、それは大変な困難と労力を要します。私たちが真の事実を知るためには、個の能力を超えて、他者との議論が必要なのです。

 真の事実をつかみ、適切な規範的判断を行う力を磨くのに、本学には恵まれた教育の体制が整っています。その中でも特にゼミナールと留学制度について述べたいと思います。
 まず、本学の伝統である少人数のゼミナールは、まさに他者との真剣な議論の場です。ゼミナールでは、最先端の研究に日々真剣に取り組んでいる教員が学生と非常に近い距離にあって、一人ひとりの学生に向き合います。学生同士もまた互いに率直な議論を交わします。その双方向の議論を経て、それぞれの学生自身が自分の取り組むべき課題を発見し、多様な観点から事実を把握し、論理的に思考することによって、課題の解決へと導かれていくのです。さらに、他者を納得させるために、自分の考えを分かりやすく伝える表現力も向上していきます。インターネットなどのコミュニケーション技術がどれほど発達しても、人格と知的活力の向上のために人間同士の対話の重要性が減ることはありません。
 次に、本学の充実した留学制度を活用すれば、他者との議論の場は世界に拡大していきます。学生時代に諸外国の人々と真剣に交流する機会を得られれば、何ものにも代え難い経験をもたらしてくれるはずです。海外の交流協定大学で、自ら明確な目的意識をもって履修計画を立て、外国語で授業を受け、苦労してレポートを作成し、試験を受けて単位を取得する。また、様々な国や地域の人々と議論し、相互の理解を図る。こうした経験によって世界の真の事実を知るとともに、外国語でのコミュニケーション能力だけでなく、計画性、忍耐力、柔軟性など、人間の基幹となる力も高められることでしょう。
 本学にはさらに、全国屈指の大学図書館、緑豊かなキャンパスなど、学ぶために最高の資産が揃っています。また、本学の位置する国立は、四季折々に風情のある落ち着いた学園都市です。今日も大学通りの美しい桜並木に目を奪われた方が多いのではないでしょうか。この恵まれた環境は、本学の教職員と卒業生、そして地域の人々の努力によって育まれてきたことにも思いを至らせていただきたいと思います。

 こんにち、このように豊かな人材と資産を備える一橋大学ですが、ここに至るまでには先人たちの絶えざる努力の積み重ねがありました。本学の起源は、140年ほど前の1875年、森有礼が渋沢栄一や福沢諭吉などの協力も得つつ、私塾として開設した小さな商法講習所でした。その後、日本の近代化の過程において商業に関わる日本の実学教育の主要な担い手に成長し、東京商業学校、東京高等商業学校へと学校の形態を拡大し、1920年には東京商科大学に昇格しました。その前後から、商学だけでなく経済学、法学、社会学、さらには哲学、歴史学など、広く人文社会諸科学にも研究と教育の領域を広げ、各専門分野において日本をリードする高い水準の研究と教育が行われてきました。第二次世界大戦後、一橋大学と名称を変え、本学は名実ともに社会科学の総合大学となりました。
 このように、本学の歴史は、制度的には私塾から始まり、専門学校、単科大学を経て総合大学に至るという発展過程ですが、重要なのは研究・教育の内実の拡充発展が先行し、それがある段階に達したときに制度的な拡大が行われてきたという点です。
 さらに、本学の発展には教職員の努力だけでなく、卒業生の活躍と尽力もまたなくてはならないものでした。本学は伝統的にCaptains of Industryの養成を掲げてきましたが、Captains of Industryとは単に実業を上手く切り盛りするだけではなく、実業を通して日本及び世界の発展に貢献するリーダーのことです。さらに、そのCaptainのスピリットは、企業経営や経済に限られるものではなく、法、政治、社会、学術等のあらゆる分野で活躍する卒業生にも生きています。
 本学はまた、密度の濃いゼミナールにおける教育を常に重視してきましたので、教員と学生あるいは学生同士の繋がりは強く、それは卒業後も続きます。同窓会組織であり、かつ大学支援組織でもある如水会の力強い支えのお蔭で、世代を越えた卒業生の間の繋がりも強固で、皆さんも様々な面でその恩恵を受けることでしょう。
 こうした歴史と伝統をもつ一橋大学に入学した皆さんは、その恩恵を受けるだけでなく、本学の更なる発展に貢献してほしいと強く望みます。内実の拡充発展がない限り、本学の真の成長はありません。皆さんが将来、各界のCaptain として活躍されることを期待するとともに、皆さんの中から日本の社会科学研究をリードしてきた一橋大学の学問の伝統を継承し、一層発展させる研究者が生まれることも望んでやみません。

 一橋大学は、一人ひとりの学生を丁寧に育成し、責任を持って社会に送り出すことを何よりも大切にしています。皆さんが本学のもつ豊かな資産と環境を十分に活かし、現代の社会で大いに活躍する人材として巣立っていくために、われわれ教職員もさらに質の高い教育研究機関を目指して、それぞれの学生が歩む大学生活を共に大切にし、発展してゆきたいと思います。
 皆さん一人ひとりが喜びと実り多い大学生活を送られることを心から祈り、私からの歓迎の言葉とさせていただきます。



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