時代を透徹するために
- 社会学研究科教授足羽 與志子
2013年春号vol.38 掲載
私たちはどのような時代、社会、世界に生き、そしてどのような時代、社会、世界を作ろうとしているのだろうか。
「時間を超えた真実、時代的な真実」があるという。これはアジアの近現代の宗教、主として仏教徒近代国家の関係を分析した卓越した文化人類学者タムバイアの言葉である。彼によれば、紀元前4世紀末の仏陀の教えは「時間を超えた真実」として変わらないが、各時代や地域が抱える問題に対応しても教えは歴史を通じて作られ 、それはその文脈において「時代的な真実」である、という。彼のいう「時代を超えた真実」と「時代的な真実」が現在という断面において、重層し、偏在し、交差して存在するというとらえ方は、現代社会の在り方や価値を考えるときに示唆的である。そうした二つの真実があるならば、現代社会における時間を超えた真実、あるいは時代的な真実とは何を指すのだろうか。
社会や政治、国際関係が激しく動いた時代においては、価値の大きな地殻変動も同時に進行する。そしてそれらを志向する新しい学問や方法論、そしてそれらを継承し、実践に移すための教育も生まれてくる。
2世紀ほどまえ、近代初期のヨーロッパでの社会状況や価値の大きな地殻変動気に生まれたのが社会学である。広い意味において実証性を核にした社会科学といってもよいだろう。それは産業革命の波及やフランス革命後の混乱期において生まれ、その後、急激に近代化が進む中第二次世界大戦勃発気にかけての大きな変動期に飛躍的な発展をとげていった。戦後においても、とくに60年代の反体制運動の盛んだった時期には、広く社会科学や哲学において、価値の問題や社会の構成や仕組みについての議論が噴出した。その後、東西冷戦の終焉や、グローバリゼーションの波が洪水のように世界を覆うかに見える近年において、近代を問い直す議論も盛んである。
ここしばらくの文化や価値に関係する議論を見てみよう。80年代からかれこれ30年以上も継続して盛んな主流の議論の一つに、概念からシステムまですべてはその時代の要請や一部の人々によって作られたものであるという「構築主義」がある。構築主義の議論は思想の領域から始まり、経済や政治の領域でも一般概念として使用されはじめた。それに対抗するものが、物事には変化しない革新的な本質的属性があるのだと主張する「本質主義」である。「民族」を例にとってみよう。「構築主義」によれば「民族」という概念の実体はなく、その概念は歴史や政治の多様な文脈の中で力関係や別の目的のために作られてきたものであり、言語や風俗習慣、歴史などの学習によって「民族」になるのだ、と主張する。かたや、民族紛争や民族の自治独立運動、あるいは民族差別などの場でよくみられることは、民族の属性には変化がなく不変であり、民族の本質は時を超えて存在するものなのだというのが「本質主義」である。民族に限らず、多くの場面や分野において、構築主義と本質主義の対立は繰り返し生じている。
一方文化の領域で言えば、文化相対主義が50年代代から主流になる。文化はそれぞれに独立した内部の価値において意味があるものであり、文化間において文化の優劣はないという見解が文化相対主義である。例えば、欧米文化は優れ、日本文化はそれに続き、イヌイットの文化は劣る、といった文化の一系列的進化論への反駁として、文化相対主義は60年代から文化人類学の金字塔の位置にあった。文化には固有の価値があるとの主張には間違いがない。しかし、一見は差別のない平等主義のように見えるが、文化を個別の地理的、民族的環境に博物館のように閉じ込めるものでもあり、それは個別文化内での本質主義的傾向にも近いことは否定できない危うさがある。90年代に入っても多文化主義や文化の共生という考え方が米国国内だけでなく、国連や世界銀行にまで世界的に推奨されるようになると、文化相対主義は多文化主義に姿を変えて世界市民権を得ていった。
さらにポストモダニズム論の流行とともに、発展、開発、近代化、自由経済という強固な流れに対して、近代化への疑義、主体自身の立ち位置への疑問、大きな物語ではなく、小さな歴史や小さな物語の重要性の提示に走った。しかしダボス会議やG8に象徴されるように、実は力の論理が支配する国際関係や金融、軍事戦略の世界が構築に強力に推し進められている現実を前提にしたうえでの、世界社会フォーラムのように、それへの対抗、補填、補完の作業としての多文化主義や共生論議であることは間違いがない。この動かしがたい現実のまえに、ポストモダニズムの微細な議論は、レトリックに足をとられ、否定する近代を前提としてそれに依存するという自己撞着を露呈する。文化や価値についての、構築主義、本質主義、文化相対主義、多文化主義、ポストモダンなどのこの種の議論は、議論と現実の一層の乖離を目にして、理論としての深い閉塞感に覆われている。
2013年3月の卒業生には格別に感慨深いものがある。この学生たちのほとんどは2年前に、学部3年生としてゼミに入ってきた学生である。この学年は2011年3月11日、東日本大震災と福島の原発事故があり、4月下旬、数周遅れで新学期が始まった年である。この学生たちとの最初のゼミの風景は目に焼き付いていて、忘れられない。初めてのゼミという禁漁があっただろうが、なににもまして、3・11の経験とそのあとの福島原発の事故と放射能汚染、原発にいつ何が起きても不思議ではないような状態にあって、学生のあいだの重苦しく、不安感が強い状況は予想していた。しかし学生にあったのは、そうした焦燥感や不安感だけでなく、いわゆる無関心であり、感情や感動を覚えないというアパシー状態に陥る手前のような状況だったようである。つまり身辺で起きた未曽有の出来事、おこるかもしれないことに対して想像することができず、また被害にあった人々や地域に対してメディアで見ても、同情はあっても強い共感まではいかず、思考停止状態に近い表情だった。もう一つ学生を戸惑わせていた原因は、ゼミにおいて、また一橋大学において自分が学ぶという事と、自分や他者、あるいは今の日本に起きたことを考え、受け止めるという事との間に、つながりがもてずに、ゼミでは何か別次元の学問を与えてもらう、と考えていたことにもあるようだった。
私は、民族紛争が30年以上続いてきたスリランカという国の研究を行ってきたが、政治的利益を享受してきた多数派のシンハラ民族の大学生を前にしたレクチャーで、他の少数民族の問題や紛争の原因について話そうとすると、なぜ生活が満ち足りている自分たちが少数派のテロリストの問題を考えなければならないのかた、あからさまに顔に出して見せるシンハラの大学生の困惑の表情と、ゼミの新3年の表譲渡に、わずかながら似たものを瞬間、感じたことも正直なところだ。
そうした学生を前に、何を共に学ぶかの逡巡のうえ、学生には、歴史を通じて社会や価値の大きな地殻変動気にこそ社会学が自らを鍛えてきたことと、今がその時期であること、その時期に学生が20や21の年齢で遭遇し、この時期を生き抜くこと、思考を鍛え、そうしてこの時期にこそ現実を見据える透徹した視線を養うことができることを伝え、広い意味での文化人類学的フィールドワークによって、そうした目を養い、自分の足で歩き、自分の手を使って人とのつながり、自分の言葉で感じることの重要性を話した。社会科学を生きたものにできるのは、学生一人一人の思考の形成と行動である。震災のショックだけではなく、自分の問題として社会を見ることや自分の言葉で語ることに慣れていない様子を解すためにも、最初はゼミの何回かをかけて、「震災と原発事故の20年後、どのような日本になっていれば、自分が仕事や家庭をもち、この日本に住み続けたいと思うのか」という課題について繰り返しディスカッションを行った。
その後、夏ごろから学生は徐々に自分たちの足で歩きはじめ、それぞれに被災地を何度も訪れ、働き、反原発のデモを観察参与し、学術シンポジウムに参加し、自分たちでも講演会やインタヴューを行い、そして自分の言葉を探していった。地域コミュニティのなかに、被災者の家族の訴えに、メディアや行政の対応に、政府や地方首長の動きに、市民や子供の声に、そして少しずつ口をついてくる自分自身の言葉に、新しい価値生成のモメントを探していった。一橋大学の他のゼミでも被災地支援の活動に関わった学生は少なくない。
ゼミでは、これまでのスタイル通りに、学生の経験や整理や導入に役立つような社会科学の専門書、例えば政治哲学者のハンナ・アーレントの著作12や、化学人類学者で近代論批判の先鋒であるブルーノ・ラトゥール3、ヨーロッパの包括的な戦後史を初めて著したトニー・ジャッドの著作4、秀逸な人類学的民族史などを選び、その輪読と発表を地道に続けていった。時事的問題の直接的解説書も必要であり、時代の真実を理解する大きな助けにもなる。しかし、時代を超えた真実をさぐるためには、大学という場で学ぶ以上、良質の理論書や哲学的なテキスト購読は不可欠であり、それを読み解く力は、必ず現実を透徹する力の滋養となる。
2年が過ぎ、うち3人は当初のそれぞれの計画に従って、途中からカンボジア、タイ、南米へと留学やインターンシップに飛び立っていき、あとの学生は積極的に活動をつづけながら就職や大学院進学を決めていった。この2年間の学生の成長は驚くほど大きかった。学生は、自らの問題としてかかわることを学んだ。そして文献購読から得た社会科学の研究の蓄積と、自分で切り取ってきた問題とを少しでも関連付けようとする姿勢は、卒表論文によく読み取れた。
翻って、この2年間、研究者をはじめ、社会で働く人や家庭を作る人、退職生活を送る人、つまりは総じて「大人」「社会人」といわれる私たちは何をしてきたのだろうか。3・11の地震と津波、そしてそれに続く原発事故と放射能汚染は、日本の私たちの世界観を覆すという集合的経験としては、明治維新、太平洋戦争と敗戦、と並ぶ出来事である。私たちが基盤とする価値や認識の大きな地殻変動に気が付いていないのであれば、あるいは意識的にせよ無意識的にせよ気づこうとしないのであれば、私たちの、今この時から始まり、先へと続く未来はどこにあるのだろうか。そして徐々に既存のシステムの惰性的継続のうちに呑み込まれてしまうとすれば、それは私たちが、創造力、想像力、総合力、そして真実を見抜く意思や、変化を起こす勇気、幼い者、弱いものを守る責任を自ら放棄したことになる。社会に出る学生を「大人」ぶるようにさえしているのかもしれない。混迷の時は新しいものが生まれる胎動期でもあるはずだ。しかし、しばしば時間がかかる。不安定で中途半端な時代に、新鮮かつ明快に見え、目先の利益をうたうものに傾倒し、吸収されるという傾向は、歴史を紐解かずとも類を挙げるにいとまがない。
それでは、このような時代に生きる大学では、どのような研究が必要とされ、どのような教育がふさわしいのか。時代を超えた真実や状況的真実を見定める、ある種の総合力、思考力、懐疑力、行動力、そして時代を透徹できる力が必要であることは明らかである。
今の段階で考えうることは、学説や主義ではなく、現象の仕組みと本質(複数かもしれないが)を透徹した目をもってとらえる研究を行い、また透徹した目を持つ人材を教育することである。本質主義・構築主義・文化相対主義・他文化相対主義などの議論は、物事の成り立ち方をしかるべき見方から提示し、その見方を強化する結果を期する「主義」「ism」としては興味深い。しかしその「主義は」、現実のある限定された部分に特定の角度の光を照射し、そのうえで方向性を示すものであり、その主義を補強する結果を引き出す。議論や論争として過熱したところで、それが現実把握を正確にしているかどうかは疑問である。往々にして「現実」の把握とは別なところで、現実の全体像を無視して議論は進行する。私が研究のうえで最も重要だと考えるのは「主義」「ism」ではなく、目の前の現実(あるいは過去もでもよいが)で繰り広げられている事象の属性や成り立ち、仕組みをもっとも真実にちかく把握し、分析し、本質を見極めることである。そしてそれを可能にする透徹した目を鍛えることである。少なくとも私にとって、そうしたブリコラージュ的知的作業を支えその指標となる研究の一部として、次のようなものがある。
例えば、政治哲学者、政治思想家であるハンナ・アーレントは数多くの著作を出したが、そのなかでも、イェルサレムでのナチ戦犯裁判についての著作は多くの示唆を与える1。アーレントは戦前のドイツのユダヤ系の家庭に生まれ、大学で哲学を学ぶがナチが台頭するとフランスに亡命し、その後米国に渡る。戦後のナチの残党刈りで強制収容所の高官だったアイヒマンが捕まり、イスラエル当局に送られ、1961年、彼の裁判が始まった。ナチズムの最高責任者がイスラエルで裁かれるのが初めてのことでもあり、この裁判は世界が注目することとなり、アーレントはイスラエルに行き、実際に裁判を傍聴し、その様子を中心に、そのほかの資料や分析も合わせて雑誌「ニューヨーカー」に連載した。
この裁判は確かに裁判という形式はとっているものの、ナチズムという絶対悪を、その悪の権化としての極悪人アイヒマンに体現させ、イスラエルで彼を裁くことがまるで異常な熱気に包まれた劇場のように行っていることにアーレントは深い違和感を覚えた。そして強制収容所の責任者だった男が、普通ならば小さな町の会計士で普通に暮らしただろう男手しかなく、むしろ証言では次々と同法のユダヤ人がユダヤ人をナチに手渡ししていた事実も明らかになった。アーレントは裁判所で実際に見抜いた事柄について、詳細な資料も合わせて描き出した。そこではアイヒマンが自分の行為の実態に無反省であり収容所の責任者としての職務を忠実に行ったと主張する姿にナチズムのシステムの実装を描き、そして陳腐な悪はアイヒマンだけでなく、傍聴席や証言席にいるユダヤ系の人々にも見出すことができることを描いた。ユダヤ系の女性であるアーレントがアイヒマンを糾弾する記事を書く、と期待していたユダヤ系アメリカ人の読書はアーレントの「裏切り」について厳しい批判を寄せたが、アーレントの透徹した視線は、陳腐な悪を巨大な悪に変貌させるナチズムのメカニズムも、またアイヒマンにすべての悪を代替させ、イスラエルの正当性を示し世界の支持を得ようとするイスラエル側のメカニズムも明らかに示したのである。
一見相反する事象に共通の構造を指摘した研究もある。キム・ヘイズは、アメリカの全く正反対の教育方針を持つ二つの高校の比較研究を行った5。一つは平和主義をモットーとするクェーカー教の高校、もう一つは幹部候補生を作る軍人予備校である。クェーカーの学校は非暴力をモラルの中心に置き、軍人予備校は、必要であれば暴力的手段により殺人も是とする。ヘイズがこの両極端の学校の教育内容や道徳を調べると、両校とも、質素、平等、気配りを大切にし、友人とのつながりを強く奨励し、グループ意識やコミュニティへの忠誠を高く評価するという、共通の道徳を持っていることを発見する。つまり、非暴力であれ、軍事暴力であれ、最終的な目的が正反対のものであっても、そこでは共通のモラルを奨励しているという事実は一般常識をくつがえす。暴力と非暴力ということは結果であって、それを内発させる組織的メンタリティは同じであるという指摘は示唆深い。このケースは、ガンジーの非暴力・不服従運動の最強の支持者で理解者がパシュトゥン人であり、彼らはリーダーに率いられながら、英国警察が撃つ弾丸にもひるまず行進し、ガンジーによって「最強の非暴力主義者」と呼ばれたが、同じパシュトゥン人はタリバーンの最大の支持母体でもある、という事実とよく似た本質を持つものであろう。
事象の成り立ちや仕組みについて、アーレントやヘイズが透徹した視線で射貫いたような真実について、私たちは学び、その視線を一部なりとも自分のものとしていくことが大事であろう。
もう一つ、この変革期の時代に合って、時代を超えた真実と、時代的真実を見据えて行くための領域を指摘したい。従来の社会科学における文化や価値の問題についての議論としては、文化相対主義や構築主義などの議論があったことは紹介したが、そこでは対象として扱ってこなかった領域がある。それは感情、情動、そしてアートの問題である。感情や情動については発達心理学や精神分析学の領域で取り上げてはきた。しかしそこでは感情はコントロールする対象としておかれ、人間の発達を測る指標の一つにとどまっている。感情や情動については社会科学では研究対象にはなってこなかった。
しかし、私たちが実際に経験した今回の東日本大震災においても、その後の原発事故においてもそこでは想像を絶するような人々の圧倒する感情が事象の表層や深層に泡立っている。戦争や紛争、大量死を伴う大きな暴力的な状況に置かれた人々や社会、また革命や経済恐慌などの大きな社会的変動にある人々や社会が、どのような感情をもち、それをどのように表象、隠蔽、支配、投射、転移、昇華させ、させられていくのだろうか。集団的、個人的感情は政治や経済の変動期にあたって様々な形で噴出するものである。オキュバイ・ウォールストリート現象や「アラブの春」のように、IT通信手段の新たなツールを得て、感情、情動の領域は予想外の政治変革や社会運動、民族紛争や暴動と結びつく力を持つ。非暴力や反戦への波も作り、暴動や戦争にもつながる。民主主義の根幹とされる選挙も、感情・情動の影響が強い。感情や情動の問題は、その肯定的な側面と否定的な側面もふくめて、文化や社会、宗教や政治、経済、ビジネスの領域でも大きな社会現象、文化現象であり、そうした領域を結び付ける研究対しようとして注目される必要があろう。
感情や情動を生きる力へ転化させる領域としてのアートについて、最後に触れておきたい。非西欧圏、とくにアジアの近代/現代アートが、近年アジア相互間で紹介されることが始まりつつあり、人々を言語や文化を超えてつなげる作用に注目が集まっている。音楽の世界でも、私が知る限りにおいてだが、次のような同様の可能性が見えつつある。
日本の佐藤充彦氏という著名なジャズピアニストで作曲家が作り上げた、音楽によるインプロビゼーションを使った非言語コミュニケーションのメソッドがある。昨年11月、国際交流基金の支援をうけ、そのメソッドをスリランカの民族紛争の激戦地であったジャフナにおいて、言語や民族が異なる人たちを対象に実施する実験的ワークショップを行った。その映像を近々、YouTubeにアップするので「Jaffna」「Randooga」のキーワードで検索してほしい。私たちがジャフナで感動したのは、そこでできたサウンドの素晴らしさだけでなく、その場にいた誰もが素晴らしいサウンドのコミュニケーションができたことに感動していたことである。サウンドによるコミュニケーションが、普遍性、共通感覚、言語を超えるものであることを実感した。今後、文化が持つ原初的属性という問題群の中で研究を進めていく可能性も十分に確認できた。
また、本年9月29日、長い戦禍を超えて演奏を続けてきたベトナム国立交響楽団が、一橋大学兼松講堂で演奏会を行う。本交響楽団はおととし、初めて米国のカーネギー・ホールで、ベトナム帰還兵も招いての演奏を行った。本名徹次という日本屈指の指揮者が育て上げたベトナム交響楽団の音を、今の日本で、そして一橋大学で私たちはどのように聞くのだろうか。ベトナムについて歴史から経済、国際関係まで学ぶレクチャー・シリーズも4月から開始する。学生が主体となり、一橋大学と社会学研究科の「平和と和解の研究センター」が実現する企画である。
時代を追認するような論があふれるなか、時代を超えた真実と時代的真実を見定め、透徹することが求められている。事柄の本質、しかもそれは一つではなく、複数の軸が交差する複数の本質を、見て取ることができる経験、知性、行動力を備え、総合的な感覚を持つ人材を育成することが重要である。大学においては、むろん、資格や特殊技能を身に着けるearly specializationも学生や大学の競争力を付けるには重要だが、芸術までも刺激するような、いわゆるlate specializationといわれる教育を充実させ、そのなかの一つとして広い分野での特別な能力、例えばアジアの大学に留学し、アジアの言語を習得するような教育も望ましい。英語の習得は基本だが、すでに英語が公用語になっているアジアのいくつかの国々でも英語は学べる。海外の大学で若い世代とのネットワークを作り、ローカルな問題にも取り組みながら、日本、アジア、欧米の三つの視点を持つことが必須であろう。
改めて問いかけたい。私たちはどのような時代、社会、世界に生き、そしてどのような時代、社会、世界を作ろうとしているのだろうか。私たちはismや主義にとらわれない、真実の言葉を取り戻せるだろうか。大学の教育ならびに研究において、問いに答える最大限の努力が求められている。私たちには、2年前、ゼミの新3年生が歩んだように、心を開き、手をつなぎ、自らの足で歩くことが必要であろう。
- ハンナ・アーレント「イェルサレムのアイヒマン:悪の陳腐さについての報告」大久保和郎訳 みすず書房 1969年
- ハンナ・アーレント「暴力について」山田正行訳 みすず書房 2000年
- ブルーノ・ラトゥール「虚構の近代」川村久美子訳 新評社 2008年
- トニー・ジャッド「荒廃する世界のなかで」森本醇訳 みすず書房 2010年
- Kim Hays,Practicing Virtues-Moral Traditions at Quaker and Military Bording Schools. University of California Press. 1994