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『イノベーションの理由』

  • イノベーション研究センター教授青島 矢一
  • 准教授軽部 大

2013年夏号vol.39 掲載

イノベーションが孕む矛盾

イノベーションは私たちの社会に「経済価値」をもたらす「革新」です。革新的アイデアの創出にとどまらず、そのアイデアが、具体的な製品やサービスとして結実し、社会に新たな価値をもたらしたときに初めて、イノベーションは実現します。
革新的なアイデアを経済成果につなげるためには、社会に存在するさまざまな資源を継続的に動員する必要があります。イノベーションの実現プロセスへの資源供給が止まれば、どんなにすばらしいアイデアもイノベーションとして結実することは叶いません。
一方、イノベーションの源となる革新的なアイデアは、その実用化可能性と経済価値に関して常に不確実性に満ちています。アイデアは本当に製品やサービスとして実用化されるのか。実用化されたとして、市場はそれを受け入れてくれるのか。事前に、万人を説得できるような明確な回答を提供できることは稀です。つまり、イノベーションは、多くの場合、客観的な経済合理性を示すことができないまま、継続的に資源が動員される過程を通じて初めて実現されるという特徴を持っています。
このように考えると、イノベーションの実現を目指すプロセスが、一つの重要な矛盾を孕んでいることがわかります。それは、不確実性と資源動員という二つの特質の間に存在する矛盾、つまり、事前には技術的にも経済的にも成否が不確実な中でさまざまな他者の資源を動員しなくてはならない、という矛盾です。
大きな「経済成果」を実現するには、他者からの資源提供が必要になります。しかし、「革新」ゆえに不確実性に満ち、経済合理性を欠くために、他者の資源を動員する上で困難に直面せざるを得ません。イノベーションを実現するにはこの矛盾を克服しなければなりません。言い換えれば、イノベーションの実現を説明するためには、この矛盾を克服するプロセスを明らかにする必要があることになります。それが本書で試みたことです。

創造的正当化

不確実性と資源動員の間の矛盾を克服することによって実現するイノベーションの過程を、本書では、「創造的正当化」という鍵概念を中心に解明しようとしました。人、モノ、カネ、情報といった資源が継続的に投入されなければイノベーションは実現しません。資本主義社会は、経済合理性(利益期待)に基づいて広く社会から資源を結集する仕組みですが、時としてイノベーションの実現には、それがうまく機能しません。高い不確実性のために、誰もが理解できるような形での経済合理性を示すことができないからです。となると、イノベーションの実現には、客観的な経済合理性に代わる何か別の仕組みがあるはずです。本書ではその仕組みを「創造的正当化」プロセスとして描きました。
革新的なアイデアをイノベーションとして結実させるには、適度な社会的関係を持つ多様な利害関係者に囲まれる中で、不誠実なイノベーション活動の正当性を獲得する創造的プロセスが必要となります。革新的なアイデアを生み出すために創造性が必要であるように、資源の動員を果たすためにも創造性が求められるのです。本書が導き出した重要な結論は、革新的な技術やアイデアが事業化され、イノベーションが実現するには、創造的正当化プロセスを通じた継続的な資源動員が鍵になるという事です。それは、イノベーション推進者の固有の理由と支持者の固有の理由が出会うことでイノベーション・プロセスを先に進めていくための創意工夫と努力の総体としてとらえられます。

事例研究の概要

上記のような結論は、大河内賞を受賞した23の事例の研究から帰納的に導き出したものです。大河内賞は、優れた技術革新に与えられる伝統と栄誉ある賞として、日本の技術者、産業界に広く知られているもので、1954年に創設されて以来、50年以上にわたって、財団法人大河内記念会が贈賞しています。産業発展への貢献、産業上の顕著な業績の実現が選定条件となっており、「経済成果をもたらす革新」としてのイノベーション実現のプロセスを解明するには格好の研究対象です。
大河内賞の受賞ケースを対象にした研究は「大河内賞ケース研究プロジェクト」として一橋大学イノベーション研究センターにおいて進めてきました。プロジェクトの第一期は2003年度から2007年度に、第二期は2008年から2012年にかけて行われ、合計で50にも及ぶ事例を研究してきました。本書では、これらの内、主に大一気の成果である23の事例の横断分析をもとに、イノベーション実現のプロセスを解明しようと試みたものです。
事例研究では、受賞対象となった技術革新がどのように開発され、事業化されていったのかを、表層段階から事業化段階まで、一つひとつを丹念にまとめていく作業を行いました(その成果の多くはイノベーション研究センターのHPで公開しています)。原則として、一橋大学のイノベーション研究センターもしくは大学院商学研究科の教員が大学院生とペアを組んで各事例研究を担当し、受賞者による講演や受賞者・関係者へのインタビュー、そして関連する公開もしくは社内の資料などに基づいて詳細な記述を心がけてきました。

イノベーションを阻む資源動員の壁

図1:資源動員の壁

創造的正当化とは、不確実性を伴うイノベーションの実現過程で、その推進者が直面する「資源動員の壁」を克服する手段として位置づけられます。この資源動員の壁を図を使って説明してみましょう。
図1はイノベーションの実現過程における資源動員とその正当化を模式的に示したものです。縦軸に示される「イノベーションの理由の固有(汎用)性」とは、イノベーションに付与された理由が、社会的な同意をどの程度得られるものなのかを示しています。固有性の高い理由はごく一部の特定の人にしか通用しないのに対して、汎用性の高い(固有性の低い)理由はより多くの人々に通用することになります。
一方、横軸の「動員される資源量」は、イノベーション・プロセスの各段階において、活動を次に進める上で必要とされる資源量を示しています。研究開発から製品化、さらに事業化へと進むにしたがって、必要とされる資源量は増大します。右上がりの直線は、イノベーションの理由の汎用性が高くなる(固有性が低くなる)につれて、平均的に期待される資源動員量が増大することを示しています。
イノベーションを推進する理由が、イノベーション・プロセスの各段階で、図1の右上がりの直線の左上側の領域に位置されるだけの汎用性を持つ限り、イノベーション・プロセスは経済成果の実現に向かって円滑に進行します。しかし多くの場合このような理想的な道程は成り立ちません。初期のアイデア段階からイノベーションの意義や実用化の可能性を多くの人が認めることは稀ですし、たとえ実用化できたとしても、それが顧客に受容されることを多くの人が確信することは依然として難しいでしょう。
図1の直線の右下の領域に位置する推進者はみなこのような状況に直面しています。そこでは、イノベーション推進者は、イノベーションの理由の固有性という制約を抱えながら、イノベーション・プロセスの全身に必要とされる資源を動員しなくてはならないという困難に直面しています。イノベーションの多くが事前の客観的経済合理性を持たないために資源動員の壁に遭遇するというのは、こうした状況を指しています。
イノベーションの実現を目指す多くの企ては、こうした状況に置かれ、壁に直面して、先に進めなくなり、終わりを迎えてしまいます。客観的経済合理性という「錦の御旗」を持たない企ては、先に進めず、前進を断念せざるとえなくなります。しかし、一部の企ては「錦の御旗」なしにこの壁を乗り越えて、全身を続け、事業化に到達します。それを可能にしているのが「創造的正当化」プロセスなのです。

創造的正当化の三つのルート

図2:資源動員量の決定要因

資源動員の壁を克服するには、資源動員量に影響を与える四つの要因に働きかける必要があります。
図2の方程式が示すように、イノベーション・プロセスへの資源動員量(F)は、単純化すれば、イノベーションに対する支持者の数(E)と、支持者1人当たりの資源動員力(D)のかけ算で決まると考えられます。そして、前者の支持者の数(E)は、支持を訴えかける潜在的支持者数(B)とそこから支持者の出現する確率(C)によって規定されます。
このように考えますと、資源動員の壁を克服するには、「潜在的支持者数」と「支持者の出現する確率」(その結果としての「支持者数」)、「理由の固有(汎用)性」、「支持者一人あたりの資源動員力」に働きかけることが必要だということになります。その働きかけの方法は以下の三つのルートとして整理することができます。
第1のルートは、イノベーションの理由を所与として、支持者をより多く獲得するものです。図1によれば、理由の固有性から平均的に期待される支持者の数は定まってしまいますが、平均以上の努力や何らかの創意工夫があれば、通常で得られるはず以上の支持者を獲得できるかもしれません。通常であれば行かないようなところまで支持者を探しに行ったり、少しでもみつかりそうな特別な場所に狙いをつけて探しに行ったりすることがそれにあたります。例外的な支持者がいそうな方角に狙いをつけて、未開の道に足を踏み入れて、壁を突破するルートです。
例えば、海外販社の社長からの支持で開発が再開されたセイコーエプソンの自動巻クォーツ時計、海外の学会で出会ったフィリップスの副社長からの支持が事業化を後押しした富士写真フイルム(現・富士フイルム)のデジタルX線装置の事例など、通常のつき合いの範囲を超えたやりとりが、社内意思決定を促し、資源動員を可能にした例がこれにあたります。
第2のルートは、理由そのものに働きかけて、支持者の数を増やすものです。その一つは、当初に想定した理由とは異なる、さまざまな理由が合体することによって、イノベーションへの資源動員が多角的に正当性を獲得するパターンです。膵臓がんの早期発見という目的に、胃壁の五層構造の抽出という理由が合体したことによって事業化が進んだオリンパスの超音波内視鏡や、ガスエネルギーを代替する次世代調理技術という大義に炊飯器の付加機能(IH電子ジャー)という理由が加わり正当化された松下電器産業(現・パナソニック)のIH技術などにみられるように、イノベーションは、その理由においてしばしば多面性を持っており、この多面性の利用が、イノベーションに必要な資源動員を可能にすることがあります。
もう一つは、「新たな理由の創造」を通じた資源動員です。イノベーション推進者でさえ、そのイノベーションの持つ広い意味や価値、社会的影響力の全てを当初から理解しているわけではありません。イノベーション実現のプロセスが進み、さまざまな人々と接する過程で、自らが始動させたイノベーションの大きな意味が発見されるということがしばしば観察されます。イノベーション推進者によるこのような学習を通じて、イノベーションの理由は進化していきます。その進化の過程で、当初は支持を得られなかった人々からも同意を取りつけ、資源動員が実現するというパターンです。
大型ディスプレイ用の技術開発で始まり、次に子会社の事業の柱として位置づけられ、最終的には車載用AV事業の差別化技術として事業化されたパイオニア/東北パイオニアの有機ELディスプレイや、揚水発電を代替する電力貯蔵用手段として開発されたものの、最後には、非常用電源機能や無停電電源機能など、低コストで安定的な分散型発電を実現する設備として再定義された東京電力/日本ガイシのNAS電池など、事業化にいたる過程でイノベーションの理由が変化した事例は少なくありません。
第3のルートは、支持者の数を所与としつつ、資源をより多く動員するというものです。より多くの資源を動員できる者や、自身が動員できなくとも、動員できる他者に対して大きな影響力を持つ者から支持を得ることができれば、通常期待される以上の資源を動員できる可能性が出てきます。
前者の典型例が経営トップです。たとて他に支持者がいなくても、経営トップさえ指示すれば、必要な資源の動員が可能になる場合があります。花王のアタックの丸田社長や東芝のエンジン制御用マイコンの土光社長のように、通常の手順や周りの評価では先に進めなかったものを、経営トップ自らが支持することによって、事業化にたどり着いたものがあります。また、経営トップまでいかなくとも、やはり権限の大きい上級管理者に働きかけて資源動員が可能になるというケースもあります。
いずれの方法も、平均を超え、所与の条件をはねのけることで、資源動員の壁を乗り越えていく。それはつまり、「平均」や「普通」ではないものを求めていく行為です。イノベーションの推進者は、固有の理由を持っています。多くの場合、それ自体が当初は「変わったもの」であり、平均的な人々に普通に働きかけるだけでは必要な資源の動員はかないません。だからこそ、平均的ではない「変わった」働きかけをしていく必要があります。そのための創意工夫、努力が創造的正当化とわれわれが呼ぶものなのです。
社会が一様で、同質であれば、社会を構成するのは平均的で普通の人々だけであり、創造的正当化の余地はありません。しかし、社会は一様でも、同質でもありません。価値観、立場、事情を異とするさまざまな人々がいます。富、権限、影響力は偏在しています。世の中にはいろいろな変わった人がいて、普通の人が認めないような理由を認めたり、普通の人が思いつかないような理由を考えついたりする人がいます。世の中には普通の人よりもはるかに大きな資源を動かせる力を持った人がいる。だからこそこれらのルートは拓かれるのです。

イノベーションを促進するための手段

資源動員の壁の克服という視点からイノベーション実現のプロセスを捉えますと、イノベーションを促進するための、従来とは異なった示唆が導き出されます。イノベーションを担う人々は、技術開発に邁進するだけでなく、必要な資源動員を果たすことにも努力と創意工夫を注ぎ、成果を上げなくてはなりません。そのためには、多様なルートを切り拓き、組み合わせ、さまざまな支持者とさまざまな理由を総動員すべく、通常は接点がないような、組織内の上層部や周辺部門、あるいは外部の組織まで働きかけて、潜在的な支持者を広い範囲で顕在化させることが大切となります。経営トップや上級管理者層など資源配分の権限を持つ人々への働きかけは特に有効です。また、資源配分の意思決定に影響を持つような人々、例えば、顧客、競合企業、学会における権威者などへの働きかけは、限られた努力で資源配分決定へ大きな影響を与えるという点で効率的な方法だと考えられます。
また、イノベーション推進者には、イノベーションの持つ意味、価値、社会的影響力を自らが発見、学習して、それを周囲に発信するという主体的な活動も要求されます。自らが推し進めている革新的アイデアや技術には、推進者の想定よりもはるかに大きい価値が備わっているのかもしれません。また、当初の想定とは異なった価値があるかもしれません。イノベーションを管理する側にも、推進者のそうした活動を促すことが求められます。
加えて、イノベーションの管理者は客観的な経済合理性だけに頼っていては事後的に正しい判断はできないということを認識する必要があります。さもなければ、イノベーションで先行し、大きな成果を目指す者としては、継続的な過小投資に陥りかねません。ただし、少々逆説的ですが、イノベーション推進者に経済合理性を求め続けることは重要です。もし管理者が経済合理性を求めることなく、イノベーション活動を安易に支援し続ければ、イノベーション推進者は、支持者を獲得するためにイノベーションの理由を自ら発見したり、創造したり、あるいは例外的な支持者を探し出すことに苦労する必要はありません。そうなると、イノベーションはいつまでたっても固有の理由に縛られたままで、事業化に向けて前進することはなくなってしまうでしょう。投資配分決定者としての管理者は、経済合理性によって創造的正当化プロセスを促進するよう努める一方で、経済合理性でイノベーション・プロセスを殺してはいけないという、微妙なバランスが求められているといえます。
管理者としてはまた、固有の理由による過大投資という問題にも気をつけなければなりません。それは、経済合理性に欠けるにもかかわらず、固有の理由による正当化によって一旦進んだイノベーションに対する事業化投資、そして事業化後の継続投資が止まらないことによって起きる問題です。事業化の断念は、それまでの努力と投入された資源が少なからず埋没することを意味します。それゆえに、当事者の強い反対があるでしょうし当事者たちの自走や暴走にも注意しなければいけません。

日本企業によるイノベーションへの含意

本書で事例研究の対象となった企業は全て日本の大手企業です。大河内賞を受賞した企業のほとんどが大企業であるという事実が間接的に示しているように、これまで日本経済を牽引してきたのは大企業のイノベーションであったといっても過言ではありません。しかし、その大企業のイノベーションを生み出す力が強く疑問視されています。かつて一世風靡したエレクトロニクス企業が凋落する姿をみて、もはや大企業には産業を牽引するようなイノベーションを生み出すことはできないという悲観論も目立つようになっています。
そうした悲観論に対して、本書は、客観的な経済合理性が欠ける状況であっても、将来性のある革新的努力に継続的に資源を動員できる一つの社会的な仕組みとして、多角化した大企業の力に光をあてました。多角化した大企業は、単に大量の経営資源をコントロールできるからではなく、固有の理由による良い意味での集権的な意思決定が可能であり、伝統的に培われた独自の歴史や組織文化を持ち、多様な事業に内包する多様化した固有の理由を有し、人々の異動や組織の改編を通じてそれらの固有の理由が直接的に出会う機会を提供するがゆえに、資源動員の壁に直面しがちなイノベーション・プロセスを後押しするエネルギーと機会を供給できると考えられます。
しかし、厳しい国際競争に晒される中、企業はますます同質化しているように見えます。グローバリゼーションの進展によって、ヒト、モノ、カネ、情報が、国境を越えて、かつてよりはるかに自由に行きかうようになり、技術の平準化が進み、差別化が難しくなった産業では、新興国を巻き込んだ、世界規模での激しい競争が繰り広げられています。規制の撤廃、経営の透明性や説明責任の追及、標準化の促進といったことも、公平な競争環境をもたらすと同時に、企業の差異化を抑制するように働きます。国際的な資本市場からの影響を受ける企業は、創業以来歴史的に培ってきた固有の理念や価値を、一部にせよ放棄しなければならないかもしれません。グローバリゼーションは、そもそも、イノベーションと馴染まない側面を持つのかもしれません。同質化に起因する激しい競争は、不確実性の高いイノベーションに動員できる余剰資源を企業から奪い取っているようにみえます。また、たとえ余剰が存在しても、それは「当たり前のように」、「これまでの理由から」、「これまでの活動に」、投入されてしまいます。
ではどうすれば良いのか。「だからこそ創造的正当化が以前にもまして重要になっている」というのが本書から導き出される一つの答えです。企業の余剰が減少し、その使い道に対する透明性が求められ、長期投資に向けられる資源が希少になるからこそ、イノベーション推進者は、より高度な創造的正当化が求められることになります。

『イノベーションの理由 資源動員の創造的正当化』書影

『イノベーションの理由 資源動員の創造的正当化』

武石彰(京都大学大学院経済学研究科教授)、青島矢一、軽部大/著
有斐閣刊 定価:3,999円(税込)
2012年3月発行

(2013年7月 掲載)