市場機能を重視した消費者政策 ―被害救済とコンプライアンス促進の有機的結合
- (独)国民生活センター理事長/前法学研究科教授松本 恒雄
2013年秋号vol.40 掲載
継続審議となった消費者裁判手続特例法案
2013年4月、「消費者の財産的被害の集団的な回復のための民事の裁判手続の特例に関する法律案」(消費者裁判手続特例法案)が、政府から国会に提出されたものの、参院選前で十分な審議時間が確保できないまま、衆議院で継続審議となり、秋に召集が予定されている臨時国会まで先送りされた。
消費者が事業者との取引において被害を受けた場合、消費者は、民法や消費者契約法、特定商取引法その他の法律の規定に基づいて、本来の債務の履行を請求したり、支払済み代金の返還を求めたり、損害賠償や代金減額を請求することができる。しかし、法律の知識のない消費者が本人訴訟を行うことは困難であり、また、弁護士等の専門家に依頼するにはコストがかかる。弁護団方式で集団訴訟が行われるのは、人身被害や高額詐欺事件などの場合に限られる。最初からこんなものだとあきらめて、被害を受けたと意識していない消費者も多い。結果として、とりわけ少額多数被害の場合は、事業者の手元には大きな利益が残るが、その責任は追及されないままに終わることが多い。
消費者裁判手続特例法案は、このようなタイプの消費者被害の救済を進めるために、個々の消費者に代わって、特定の消費者団体(消費者契約法に基づく差止訴訟を提起することができる現在11ある適格消費者団体の中から、さらに要件を満たした特定適格消費者団体として認定された団体のみ)が裁判手続を遂行できるという仕組みを導入する。
この訴訟の対象となるのは、消費者契約に関して相当多数の消費者に生じた財産的被害について、これらの消費者に共通する事実上及び法律上の原因に基づいて事業者が消費者に対して負う金銭の支払義務であって、消費者契約に関する①契約上の債務の履行請求、②不当利得に係る請求、③債務不履行による損害賠償請求、④瑕疵担保責任に基づく損害賠償請求、⑤不法行為に基づく民法の規定による損害賠償請求である。ただし、損害賠償請求とはいっても、拡大損害や逸失利益、人身損害、慰謝料は対象外なので、全体として、代金返還請求・代金減額請求プラス本来の金銭債務の履行請求というイメージである。訴訟の手続は二段階になる。第一段階は共通義務確認訴訟であり、この結果を見て、個々の消費者が、債権届出をすることによって第二段階の手続である債権確定手続に加わる。第二段階は、通常は簡易確定手続で行われ、届け出られた債権に対して事業者が争わなければそのまま確定し、争う場合は裁判所による簡易確定決定がなされる。この決定に対していずれかから異議が出されれば、通常の訴訟手続に移行する。
このような仕組みによって、消費者は、第一段階での敗訴リスクや訴訟コストを負担することなしに、第二段階での金銭支払請求に加わることができる。仮に、第一段階で消費者団体が敗訴しても、個々の消費者は、自ら訴訟を提起することを妨げられない。ただし、消費者は、第二段階の手続については、第一段階の訴訟を行った消費者団体に授権しなければならず、消費者団体は消費者から適切な額の報酬を得ることができる。これによって、消費者団体は、第一段階での訴訟コストを賄うことが可能となる。
アメリカで盛んなクラスアクション制度と大きく異なるのは、手続が二段階に分かれ、第二段階の手続に参加するかどうかは個々の消費者の判断に委ねられている点と、損害賠償請求から拡大損害や逸失利益、人身損害、慰謝料が除外されている点である。いずれも全体の賠償額が大きくならないようにするためである。
消費者庁発足時の宿題
2009年5月に成立した消費者庁及び消費者委員会設置法は、その附則6項に、「政府は、消費者庁関連3法の施行後3年を目途として、加害者の財産の隠匿又は散逸の防止に関する制度を含め多数の消費者に被害を生じさせた者の不当な収益をはく奪し、被害者を救済するための制度について検討を加え、必要な措置を講ずるものとする」と定めている。
ここには、必要な制度として、①「加害者の財産の隠匿又は散逸の防止」、②「不当な収益のはく奪」、③「被害者の救済」という三点が記載されている。これらのうち、消費者裁判手続特例法案は、③の課題の解決をはかるものである。設置法の施行からほぼ4年経過後、宿題の締め切りの目途を1年近く徒過して、ようやく国会に提出されたことになる。
①及び②については、消費者庁内に設置された「消費者の財産被害に係る行政手法研究会」が、2011年12月に取りまとめ「財産に対する重大な被害の発生・拡大防止のための行政措置について」を公表した。これは、消費者の重大な財産被害の発生・拡大の防止のために、他省庁の所管する法律に基づいて実施しうる措置がない場合に、消費者庁に独自の勧告や命令の権限を与えるべきであるとの提案(いわゆる「すき間事案」対応)であり、これを盛り込んだ消費者安全法改正案が2012年8月に成立し、2013年4月から施行されている。
①及び②の本来の課題である「行政による経済的不利益賦課制度」及び「財産の隠匿・散逸防止策」に関する各論点については、2013年6月に同研究会が取りまとめ「行政による経済的不利益賦課制度及び財産の隠匿・散逸防止策について」を公表した。これは、整理された論点についてさらに消費者庁に検討を求めるものであり、具体的な立法措置にはまだ遠い段階にある。
事業者からの金銭支払の有する三つの機能
消費者取引において消費者に対する違法行為を行った事業者に金銭を支払わせるという場合、その金銭支払の機能には、支払を迫る主体はだれか、金銭の支払先はどこか、支払われる金銭の性質はどのようなものかの組み合わせによって、被害救済、利益の吐き出し、制裁という三つの機能が存在する。
このうち、支払われる金銭の性質は、損害賠償として被害者である消費者に支払われる金銭が結果として利益の吐き出しの機能も持ったり、また、無効や取消しの結果としての原状回復請求が契約当事者間における利益吐き出しの機能のほかに、「原状回復的損害賠償」という言葉に見られるように被害救済の機能も持ったりするなど、本来的・直接的な性質・機能のみならず、間接的に他の機能をも持つ。
また、制裁には、刑罰の目的に関する議論として、過去に行われた行為に対する応報・懲罰という機能と、今後の同種行為の抑止という機能、言い換えればコンプライアンス促進機能がある。そして、損害賠償や利益の吐き出しにも、違法な行為によって得た利益は手元に残しておくことはできないという経済メカニズムを通じての抑止の効果がある。ただし、支払われる金銭の額が違法行為によって得た利益と比べて少ないと、抑止効果どころか、むしろ、少々金銭を支払っても違法行為を行った方が得であるというモラルハザードを誘発することになりかねない。この点で、日本の損害賠償法理論は、被害者に実際に被った損害額以上の賠償を許さず、その場合でも、被害者にも加害者の言葉を安易に信じた点で落ち度があるとして過失相殺を頻用することによって、被害者の損害賠償をぎりぎりまで削るというポリシーを持っている。したがって、損害賠償の抑止効果はかなり小さい。
表1は、金銭の支払を迫る主体、言い換えれば、執行主体がだれであるかに着目して、それぞれの機能を実現する制度として、現在の日本にはどのような制度があるかを当てはめたものである。空白が多いうえに、事業者団体、行政、検察を執行主体とする制度は、ごく狭い特定のタイプの被害についてのみ適用可能であるにすぎない。
消費者・消費者団体によるイニシアティブ
消費者裁判手続特例法案は、表1のBの空白を埋める制度である。従来ならあえて個人で訴訟を起こさない消費者がいることによって、結果的に事業者に不当な利益が残されていたものが、新によってより多くの被害制度者が第二段手続に参加してくることにな階のるから、利益吐き出しをするもじ促進効果生て、の空白を埋めることにもつながる。
被害者が、現実に受けた損害の賠償とは別に、懲罰的な性質の損害賠償を請求できる制度、すなわち、Aを埋める制度は現状ではない。これは、大陸法の流れを汲むわが国における民事と刑事の峻別論という理論的理由と、現実の損害以上の賠償を許すと、被害者の焼け太りという不当な利益をもたらすことになり、好ましくないとの政策判断による。ただし、慰謝料については、単なる精神的損害の賠償を超えた制裁的機能が存在することが従来から指摘されている。
唯一の例外と言えるのが、労働基準法114条の付加金制度である。同、条は裁判所は、解雇予告がなかった場合の30日分以上の平均賃金、休業手当、時間外等の割増賃金、年次有給休暇中の賃金を「支払わなかつた使用者に対して、労働者の請求により、これらの規定により使用者が支払わなければならない金額についての未払金のほか、これと同一額の付加金の支払を命ずることができる」とするものである。制裁的機能に加えて、労働基準法違反行為の抑止的機能と労働者による未払賃金請求のインセンティブ機能があると言われている。この制度は、占領下の1947年の労働基準法の制定時から存在するもので、アメリカの労働法が直接継受されたものである。
アメリカでは金額が陪審や裁判官の裁量にまかされた懲罰的損害賠償のほかに、実損害の二倍ないし三倍の額の支払を認める二・三倍額賠償の制度があり、アジアにおいても、中国の消費者権益保護法や台湾の消費者保護法において導入されている。わが国においても、とりあえずは、高齢者などの弱者を狙い撃つ商法など一定のタイプについて、二・三倍額賠償制度を導入することを検討すべきである。
クッションとしての消費者基金
純粋な懲罰的損害賠償の場合のように被害者が実損害の賠償以上の利益を得ることが不当であり、許されないとの考え方を維持するとしても、実損害を超える部分については、被害者とはの主に別法体(仮「消費者基金」と呼ぶ)に支払わせるということが考えられる。ここで、独自の主体としての消費者基金なるものを考えることの意義は、事業者の違法行為によるやり得を許さないという理念と、支払を迫る法執行主体に本来帰属すべきでない金銭的利益が帰属することを防止するという理念を両立させることにある。これは、消費者団体による懲罰的損害賠償の請求、すなわち、表1のDの空白を埋めることにも使える。
さらに、被害者側の落ち度を理由に完全な賠償を認めるのが適切でないような場合であっても、事業者のやり得を許さず、かつ被害者の賠償額を減じる方策として、過失相殺による減額部分について消費者基金への支払を命じる制度を導入することが考えられる。消費者基金は、公益財団法人として完全な透明性を確保し、基金が受け入れた金銭は、違法行為の防止及び被害防止のための研究や活動への助成、消費者の利益一般を増進するための研究や活動への助成に充当することが想定される。
このような消費者基金は、訴訟における金銭の支払先としてのほかに、食品の不当表示の事例に見られるように、違法行為に後で気がついた事業者が、消費者に不当な利益について返金しようとしても、少額多数被害であり、かつ被害者の特定・分配が困難な場合において、個々の消費者に返金できなかった不当な利益部分の受け皿になることも期待される。すなわち、消費者基金に寄付することによって、事業者は利益を自発的に吐き出すことが可能になる。
行政によるイニシアティブ
行政による被害救済、すなわち、表1のEの空白を埋める制度として、不当景品類及び不当表示防止法(景品表示法)に基づく措置命令の内容としての被害救済を実現することが考えられる。この点で、公正取引委員会に設置された消費者取引問題研究会は、すでに2002年11月の報告書「消費者政策の積極的な推進へ向けて」において、「景表法違反に対する抑止力の強化」の方策として、違反行為に対する罰則強化と並んで、「現行では、不当表示を行った事業者には、違反行為の差止めや訂正広告などが命じられるが、当該違反行為者が不当表示により得た経済上の利得が違反行為者の元にとどまり、違反行為のやり得となりかねない。不当表示による被害者は、確定した排除命令があれば、独占禁止法の規定に基づき、無過失損害賠償訴訟を活発化させる方策の検討がなされるべきである。さらに、そのような方策を実施しても不当表示によるやり得に有効に対処できないのであれば、排除命令において消費者が購入した商品の回収・代金の返還を命じたり、独占禁止法の課徴金制度のように国が不当利得を徴収する仕組みを検討することも考えられる」と提言している。
景品表示法の排除命令は、消費者庁の設置により景品表示法が消費者庁の所管とされた際に、「措置命令」と改められている。消費者庁の所管になった法律であるから、このような方向への改正を実現することを検討すべきである。
表1の課徴金は、行政による利益の吐き出しを正面からうたった制度として、独占禁止法と金融商品取引法に存在しており、徐々に適用範囲が拡大され、またその率も引き上げられてきている。
2008年の通国に出さた品常会提れ景表示法の改正案には、不当表示に対する課徴金制度が入っていたが、2009年に消費者庁設置関連3法の一部として成立した景品表示法の改正では、課徴金制度が盛り込まれていない。この理由は、課徴金は公正取引委員会が事業者に課して国庫に納入させる制度であるが、景品表示法が消費者庁に移管されることから、消費者への損害賠償との関係を整理することがまある。公ず必要とされたことに正取引委員会がるのであれば、損害賠執行す償との関係を考慮する必要がないが、消費者庁が所管する場合は考慮する必要があるという論理は説得力を欠く。
さらに、事業者の得た利益の計算に縛られる課徴金制度を超えて、違法行為に対する制裁として、今後の違法行為の再発に十分な抑止力となるだけの金額を民事制裁金として行政官庁が課すことのできる制度の創設を検討すべきである。民事制裁金を導入する場合には、普段から法令遵守のための取り組みを積極的に行ってきた事業者とそうでない事業者とで金額に差をつけることによって、コンプライアンス経営の促進をはかることが必要である。
むすび
消費者被害の救済に関するアメリカの民事司法とわが国のそれを比べると、一般に、アメリカでは加害者の不当な利益を全部あるいはそれ以上に吐き出させようとする発想が強いのに対して、わが国では被害者の不当な利益を許さないという発想が目立つ。しかし、被害者の不当な利益を許さないために、加害者のやり得を許すというのは、消費者被害の抑止という観点からは不適切である。むしろ、適切な被害救済と不当な利益の吐き出しを両立させるような制度設計を考えるべきである。これは、前述の消費者基金など、利益の吐き出し先を工夫することによってかなりの程度は可能になるものと考えられる。
また、わが国では、被害救済や利益の吐き出しは当事者間の問題として民事訴訟の役割であり、制裁は刑事司法や行政処分の専権領域であるから、私人に口を挟ませないとの考え方が強い。行政が被害救済や利益の吐き出しの機能を代行するということも極めて限定的にしか存在していない。しかし、違法行為に対して金銭を支払わせるという場合は、被害救済か、利益の吐き出しか、制裁かを明確に峻別することはいささか困難であり、それらが重なり合っているところがある。この点を直視して、行政による被害救済、被害者や消費者団体による制裁も可能とするような柔軟な法制度設計を考えることが適切であろう。
そのような例の一つとして、2006年に行われた組織犯罪処罰法の改正と「犯罪被害財産等による被害回復給付金の支給に関する法律」の制定を挙げることができる。これは、犯罪収益を没収・追徴し、それを検察官が被害者に分配するという制度であって、わが国には従来なかった画期的な制度である。
救済と制裁をつなぐ別の方法として、違法行為を行った事業者が支払う課徴金や罰金を一般財源として国庫に入れるのではなく、被害者の救済や被害の防止のためにのみ使うという仕組みを作ることも考えられる。事業者団体が会員事業者に渡す過怠金についても同様である。
さらに、制裁と救済の有機的結合という意味では、刑事訴訟や行政処分の際の根拠となった資料を民事訴訟でも積極的に使えるようになると、被害救済が促進される。刑事裁判の場において損害賠償命令の申立てを可能とするために、「犯罪被害者等の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律」が2008年12月に改正され、「犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律」となった。これは、日本版附帯私訴制度と呼ばれることもあるが、故意の犯罪行為により人を死傷させた罪等に係る被告事件における不法行為に基づく損害賠償の請求に限定されており、消費者被害に活用することはできない。
「消費者相手に違法なことをしても利益にならないどころか、損をする」という法制度をつくっていくことが、消費者取引における財産的被害の予防効果が大きく、事業者の違法行為の抑止、言い換えればコンプライアンスの促進につながる。そして、そのことが、2013年6月14日に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針について」(骨太の方針)にいう「消費者の安全・安心確保は消費の拡大と成熟した社会の形成にとって大前提となる」という理念の実現につながるものと考える。
(2013年10月 掲載)