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映画の制作と妥協~映画制作は駅馬車の旅に似ている 期待が消え結局は目的地に着くことだけになる~ 『アメリカの夜』監督:フランソワ・トリュフォー

  • 情報化統括本部情報基盤センター助教長谷 海平

2014年冬号vol.41 掲載

映画を鑑賞することは楽しいものです。しかしながら、映画を制作※iすることは楽ではありません。気分的にも体力的にも、それはもう大変なものです。『アメリカの夜』は映画づくりの悲喜こもごもを描いた映画作品で、冒頭で引用した台詞は監督役の登場人物が語ったものです。『アメリカの夜』はフィクションですが、冒頭の言葉は映画作品を制作する本質のある側面を的確に表現しています。

映画の制作が大変である理由はいくらでもありますが、精神的な面で大変になる理由の1つとして、作品を完成させるまでに妥協をたくさんしなければならないことが挙げられます。
映画において、制作中の失敗はあとで気がついても取り返しがつかない場合※iiが少なくありません。また、制作上の制約が多く、最終的な完成作品は妥協のかたまりにならざるを得ません。妥協をしなければならない状況は、いい作品を制作しようという意気込みを痛めつけてくれるので気分的にマイナス方向へ響きます。もちろん、映画の制作者達は好きこのんで妥協をしているのではありません。時間的な問題や予算の限界などがありますので、こだわりもほどほどのところで手を打たなければ作品は完成できないのです。また、何か取り返しのつかない失敗をしてしまった場合には、必然的に妥協せざるを得ません。せいぜい完成に向け、失敗したことを全力でごまかすのみです。良い作品を制作することは映画制作者の使命であり希望ですが、至上命題は作品を完成させることです。未完成は失敗ですらありません。作品を完成させるためには、妥協しなければならないのです。
しかし、妥協のかたまりであっても鑑賞してくれた人々が喜ぶ作品として成立してしまうところが映画の不思議なところです。映画ではありませんが、かつて月光仮面が真っ白な姿をして人気を博したのは、「この格好なら人気が出るぞ!」と制作者が効果を見込んだ成果ではなく、制作面の問題からあのコスチュームになったというのは有名な話です。表現では妥協が必ずしもマイナスに響く訳ではないのです。
映画を制作する際、妥協に妥協を重ねなければならないのはほぼ仕方ないことです。しか、制作者は手を抜いているのではありません。表現に取り組む中でいかんともしがたい事情で妥協しなけばならないとき、映画制作者達はそれでも作品を成立させ、少しでもも良い作品になるように最大限の心血を注ぎ込むのです。妥協することはあっても、映画の制作者達は映画制作に対する誠実な姿勢を決して失わないからこそ、すばらしい作品を生み出すことができのです。しかし、彼らが妥協してもすばらしい作品を生み出すことができるのは、精神論で問題を乗り越えるからではありません。彼らが自ら育んできた知的能力が作品を支えているのです。
映画制作に必要な知的能力は、制作時に必要とされる具体的な知識だけではありません。表現に対して新しいアイデアを生み出す知的能力や、生み出されたアイデアを具合化する知的能力が必要です。
心理学者のスタンバーグは人が持つ知能は多次元に構成されていると解釈し、3つの側面があるとしました。それぞれ、分析的知能、創造的知能、実用的知能です。これら※iiiを簡単に説明すると次のように言うことができます。分析的知能とはおおむねIQに置き換えることができるもので、標準化されたテストを解く能力に重点を置いた知能。創造的知能とは考え方を組み合わせたり、過去の経験から問題解決に向けた思考を形成する能力に重点を置いた知能。実用的知能とは学問などによる知識を現在の状況に応用する能力に重点を置いた知能。
映画はこれら3つの知能を最大限に発揮しながら、分業して1つの作品を完成させます。映画に必要な分析的知能とは、例えば機材の操作で必要な知能です。映画を制作するにはカメラなどの機材が必要となりますので、それらに対する知的能力は必ず必要になります。映画の制作に必要な機材は工業製品ですので、これらに関する事実は制作に関する状況などによって変化することはありません。例えばレンズの光学的な知識などはカーアクション映画の撮影でもホラー映画の撮影でも同じように用いることができます。つまり、映画を制作する際の機材に関して機能を理解するような知能は分析的知能と言うことができます。創造的知能は経験、考え方の組み合わせ方がものを言います。例えば、時間をテーマに作品を制作することになったとします。その企画内容を検討する際、
「時間を扱うならタイムトラベルものが良いのではないか。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は凄くヒットしたぞ」
「タイムトラベルよりもパラレルワールドに行く方が時間という概念そのものにより深い意味を持たせられるのではないだろうか。『素晴らしき哉、人生!』の対ように人生にする肯定感が描けるはずだ。古典的な作品の中にある普遍性を見出せば一周まわってむしろ新しく、現代人が感動する作品になる」
「いやいや、現代人の感覚を刺激するならループものだろう。『恋はデジャ・ブ』を観てみろ。同じ時間を繰り返す日常感覚は、変わらぬ日常を暮らす閉塞感を感じている人々から共感を呼びやすいはずだ」
など、アイデアを出す上で経験や、考え方をかけ合わせたり新たに関連づけたりする知的能力が必要です。つまり、創造的知能が必要と言うことができます。そして、出されたアイデアも実現できなければ意味がありません。アイデアを表現として具体化するために用いる知的能力として、実用的知能が必要です。例えば、主人公の時間がループする映画を制作することになった場合、主人公を軸に時間がループしていることを映画的に示すにはどのように表現すれば良いのか、という問題が生じます。そのとき、映画の技術的な知識と映画が制作されている状況をふまえて具体的に提示できる知的能力が必要です。どれだけアイデアが良くても実現できなければ意味がありませんので、実用的知能は映画の制作に必要な知的能力です。このように、スタンバーグの尺度をもとにすると、映画を制作するには人に与えられた知能を全て発揮しなければならないことが分かります。
これらの映画の制作に必要な知能は誰か一人が発揮しているのではありません。映画の制作は専門によって分業化が行われています。例えば、撮影の専門家、演技の専門家、美術の専門家など。これらさまざまな映作画制に必要家な専門があらゆる知能を提供することによってはじめて映画は作品として完成するのです。

映画が分業化による集団作業にて制作されるようになったのは、合理的に作品を制作するために発展してきた経緯があります。しかし、分業化する方向で制作方法が発展した結果、合理化しただけではなく多様な知識や経験、アイデアなどを適切に集積させることが可能になり、より良い形で作品を結実させる仕組みも内包することとなりました。複雑系学者のスコット・ペイジは、優秀な個人がいくら挑戦しても最適な解を見出せないほど困難な問題であっても、多様な人々の持つ観点、解釈、解決策を持ち寄ることによって解を見出せることを明らかにしました。ペイジ※ivは困難な問題について多様性を用いて解決を行うための条件を4つ挙げています。

  1. 問題が難しい
  2. 微積分条件
  3. 多様性条件
  4. 大勢のソルバー候補からかなりの大きさの集団を選ぶ

これらの4条件を簡単に解説すると次のようになります。A.問題が直面した時点で解が明らかではないほど困難であること。B.解決に集まったメンバー(以下、ソルバー)が問題を解決する上で役立つ一定以上の知識を持っていること。C.問題を解決するソルバーの観点、解釈、アイデアの出し方、知識、解決のための立ち位置が多様であること。D.ソルバーはできるだけ多くの候補からできるだけ多くの人員を選ぶこと。前述の4つは十分条件であり必要条件ではないものの、4条件が満たされることで多様性が問題解決に向けて有効に機能するとペイジは述べています。映画が、分業化による集団作業にて制作することで、より良い作品を結実させる仕組みも備えていると言えるのは、映画制作はその行程にペイジの提示した4条件を以下のように含んでいるためと言えます。

  1. 映画をつくる
  2. メンバーは映画の制作に役立つ技術や知識を持っている
  3. メンバーは映画を制作する上で互いの役割が異なる
  4. 作品の規模に応じた適正な人員数で制作する

a.映画作品を制作することは容易に解決できる問題とは言えません。映画の制作における最終的な解である作品は、完成させるまでこの世に存在しません。映画の制作は解の無い問いを解くような行為なのです。b.分業化された作業を担当できるだけの技能や知識を持っていること。c.参加スタッフのお互いが異なる役割を持っていること。d.制作規模に応じた人員数がいること。もともと映画制作にはたくさんの人員が必要です。このように映画の制作は多様性をもとに問題を解決するための4条件を備えており、集団の知的努力によって作品をより良く結実できるような仕組みを構造的に含んでいると言えます。また、ここから、すばらしい映画作品を制作しにくい状況も想定することができます。条件がかなえられない状況を考えてみましょう。例えばcの場合、同じ役割の人材を100人集めても映画は制作できません。映画照明の専門家が100人集まった場合、クリエイティビティを発揮した作品や現象を生み出すことは可能かもしれません。しかし※v、それは映画とは言いがたいものになるでしょう。

図1:取り組み内容(概念図)

映画の制作は言い換えればさまざまな専門家が発揮する知能から知識を生み出して結集させ、作品という一つの形にまとめ上げてゆく過程です。このような映画の持つ作品形成の過程は、知識のあり方から捉えると現代の状況に適した仕組みを持っています。
ドラッカーは現代において「知識は中的な(生産するべき資源※viであり「国や企業において、知識から得られる収益こそが競争力の決定的な要因である」※viiと現代の経済と知識の関係性について指摘しています。また、「知識に対して知識を体系的に応用すること」※viiiによって知識の生産性を上げることができると述べています。
映画は、多様性を前提に「知識に対して知識を体系的に応用すること」で作品として完成します。このような映画製作の持つ知識の応用体系は、制作フローの中に見ることができます。(図1参照)

まず、最初に「この企画で映画をつくろう」「この原作を映画化しよう」などと企画が挙がり、企画意図をふまえて脚本化を行い、完成した脚本をもとに撮影の準備がなされる過程で役者が決まります(プリプロダクション)。役者が与えられた役に従って演技し、演技されたものを撮影し(プロダクション)、撮影された映像を編集し、編集された映像をもとにサウンドデザインがなされ(ポストプロダクション)、完成します。※ix
このように映画は、スタート地点を除いて直前に行われていた知的作業の結果をもとに次の異なる知的作業が行われ、作品の完成を終点とするようにして制作方法が体系化されています。つまり、知的作業の結果生み出された知識が、異なる知的作業によって次元の高い新しい知識の生産に応用されることを繰り返し、映画作品は完成するのです。

イメージ図-映画のフィルム

映画が「知識に対して知識を体系的に応用すること」によって生産されるのであれば、映画の制作は知識という現代的な資源を生産できるシステムの一種といえます。このことから映画の制作は、優秀な個人のみに頼らず、互いに協力し合い知識という資源を生産するための協力関係を体系的に構築した、1つのシステムモデルとなりえます。また、知識の生産を行う人材を育成するトレーニングモデルとして用いることも可能でしょう。モデルとして用いる際の留意点として、映画の制作で行われている知識の生産過程には合理的ではないものが往々にして含まれていることが挙げられます。映画製作者たちの話を聞いていると、好意的なものやそうでないものなど様々な人間的感情が現場には満ちており、合理化できない関係性の元映画製作は行われ提案す。もしかすると、現代的な資源は合理化できない人間関係の上で生産されるものなのかもしれません。

余談になりますが、映画の制作が「後で失敗に気が付いても取り返しがつかない場合が多く、結果は妥協のかたまり」と、一見、映画の制作が持つ負の部分のように感じるこの事実について友人に聞かせたとき、彼は、「最近俺、そんな感じやわ」とため息交じりに感想のようなものを述べてくれました。その時私たちは20台半ば。大学を卒業して数年間、彼の上にはままならないことばかりの日々が過ぎ、毎日の仕事や暮らしは失敗のごまかしと妥協の塊で構成されているようでした。失敗や妥協ばかりしていたら何物にもなれないのではないかという恐れと焦り、そしてあきらめの始まりがあったのかもしれません。そんな彼の心情を察すると私はなんと声をかければよいのか分かりませんでした。しかし、本文のように映画の制作をとらえてゆくと、それでいいのかもしれないよ、といえばよかったのかもしれません。
確かに映画の制作は妥協のかたまりです。しかし、映画の制作は作品の完成に至る過程であって結果ではありません。そして、ここまで述べてきたように映画の制作は妥協や失敗をしても誠実に知性をもって取り組めば問題を解決する仕組みが含まれているので、すばらしい結果を生み出す力を持っているのです。また、制作過程で行った妥協が結果としてプラスに働くことだってあるのです。途中経過は結果ではありません。ならば、映画の制作に似た彼の暮らしが失敗や妥協の塊であろうと全く構わないと今の私は思うのです。

  • i:日本語字幕では「映画せい作」の語について「製」の文字が使われていますが、映画の内容と本文の内容をふまえ「制」の文字を使用しました。
  • ii:爆破シーンなどやり直しが困難な撮影で、カメラがまわっていなかったら目も当てられないのです。
  • iii:Beyond IQ Robert J. Sternberg, CambridgeUniversity Press, 1985 年
  • iv:スコット・ペイジ著, 水谷淳訳,『「多様な意見」はなぜ正しいのか』, 日経BP社, 2009 年
  • v:表現としてはどのようなものになるのか興味深くはあります。
  • vi:P.F. ドラッカー著, 上田惇生, 佐々木美智雄, 田代正美訳,『ポスト資本主義社会』, ダイヤモンド社,1993 年, p348
  • vii:同上, p307
  • viii:同上, p314
  • ix:図1 や文中の映画の制作フローに関する説明は解りやすくするために単純化しています。実際には例示したよりも数多くの要素があり、複雑です。

(2014年1月 掲載)