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行動経済学に基づいた新しい制度設計:住宅市場を中心として

  • 大学院経済学研究科教授齊藤 誠

2014年冬号vol.41 掲載

ナッジをすれば、人々は地震リスクに真正面から向き合うようになる

この小文では、行動経済学の実証的知見に基づいて住宅市場の質の向上を促す制度設計の新たな可能性をさぐっていきます。これから紹介する実証研究の3つの事例は、私が研究代表者となった文部科学省委託研究・近未来課題解決事業「高貴の住宅ストックを生み出し支える社会システムの設計」で2008年度から2012年度にかけて取り組んできた研究プロジェクトの一部です。
「一般市民は、地震リスクに無頓着である」としばしばいわれています。地震の到来に備えた危険回避行動などは、市民の日常行動に全く認められないというのが、広くいきわたった理解かもしれません。
政府も、企業も、そうした理解を前提とした地震リスクマネジメントを展開しているようにみえます。政府や地方自治体は、地震リスクに無関心な人々の行動を前提として、「市場に対して思い切った介入をしなければならない」という認識に立っていないでしょうか。たとえば、「法律によって最低限の建築基準として定められている耐震基準を引き上げなければ建物の耐震性は改善しない」、「建築確認の審査プロセスを厳格にしなければ建築基準は遵守されない」と考えているように思います。
地震リスクに関連するビジネスに従事する企業も、人々が地震リスクに無関心であるという前提を暗黙のうちに置いてしまっていないでしょうか。たとえば、ほとんどのマンション・ディベロッパーは、建築基準法が求める最低水準を上回る耐震性に市場ニーズはないと想定して、建築基準ぎりぎりの耐震性しかない物件を供給しています。損害保険会社は、高額の地震保険など消費者は見向きもしないと考えて、魅力のある地震保険商品を家計向けマーケットに投入しようとせず、公的地震保険を消費者相手にそっと売っているだけです。また、政府や地方自治体は、住宅の耐震化や地震保険の購入について、補助金や税の減免を行うなど、経済学的には「金銭的誘因づけ」をはかってきました。しかし、そうした政策的インセンティブが人々の間で十分に活用されていません。では、人々は本当に地震リスクに無関心なのでしょうか。私たちの研究プロジェクトでは、一般に流布しているこのような見方に対してチャレンジをしてきました。私たちの研究成果によれば、一見すると地震リスクに無頓着にみえる消費者行動も、あることをきっかけとして、あるいは、行政や企業がほんのわずか人々にnudgeする(ナッジする、緩やかに働きかける)と、人々は、またたくまに真正面から地震リスクに向き合うようになります。これらの研究成果を踏まえると、人々は生来的に地震リスクに無関心どころか、本能的に地震リスクに備えているといった方が正しいといえます。地震リスクに対する感覚が本能的であるがゆえに、自覚されていないのかもしれません。ちょっとしたきっかけや、ほんのわずかなnudgeで、人々の中で眠っている地震リスクに対する本能が呼び起こされ、人々にしっかりと自覚されるようになるのです。
この小文では、こうした人間行動の機微を踏まえれば、政府や地方自治体は新しい防災政策を展開でき、企業も新しいビジネスチャンスを活用できることを示していきます。それにもまして、地震リスクに備える本能が自分たちにしっかりと備わっていることを、私たちが正しく認識していくことこそ、地震リスクマネジメントの小さな、しかし、重要な一歩であることを伝えていきたいと思っています。

阪神淡路大震災で活断層リスクに対する認識は一変した!

私が、中川雅之さん(現在、日本大学)、山鹿久木さん(現在、関西学院大学)とともに、10年以上前に地震リスクと地価の関係に関する研究に着手したころ、「地震リスクなど、地価に反映するはずがない」という批判をあらゆるところで受けてきました。しかし、めげずに研究を続けた結果、いくつかの条件が整うと、地震リスクは地価に着実に反映されることが明らかになりました。以下では、中川さん、山鹿さん、顧濤さん(現在、経済学研究科研究員)とともに取り組んだ実証研究に基づいて、ある地域で活断層型地震(阪神淡路大震災)が発生すると、他の地域(大阪府上町断層帯)でも地震リスクが地価に反映する契機となったことをみてみましょう。
大阪府東部を南北に走る上町断層帯が起因となって直下型地震が生じる危険性については、地震研究の専門家や都市計画の関係者の間では1970年代ごろから認識されていましたが、一般の人々の間ではまったくといっていいほど知られていませんでした。しかし、1995年1月17日に隣県の兵庫県で活断層に起因して大地震が発生したことから、事態は一変しました。上町断層帯周辺の地価が地震リスクをきっちりと反映するようになったのです。
そもそも、阪神淡路大震災の勃発は、直下型地震の原因の1つである活断層帯に対する社会的な認識を根本的に改める契機となりました。全国で活断層地図の販売が飛躍的に高まり、「活断層」をタイトルに含む書籍の売上が著しく増大しました。活断層全般に対する社会的な関心が高まったことは、上町断層帯周辺の地震リスクを認識する契機ともなったのです。

図1:上町断層帯からの距離の係数:2キロ圏内の地価公示地点(点線は95%信頼区域)

図1:上町断層帯からの距離の係数:2キロ圏内の地価公示地点(点線は95%信頼区域)

図1の実線は、地価公示データに基づいて上町断層帯に近づくほど地価が低下する度合いを、年ごとにプロットしたものです。なお、図1の点線は、95%の信頼区域を示しているので、信頼区域の下限がゼロ水準の周辺、あるいは、その上方にあれば、活断層帯周辺の地価は統計的に有意に割り引かれていると判断することができます。図1によると、1995年までは、上町断層帯周辺の地価が低下する傾向など、ほとんど認められませんでした。しかし、1996年以降、上町断層帯近辺ほど、地価が大きく割り引かれるようになりました。なお、1995年の地価公示は1月1日を評価時点に設定しているので、それ以降に発生した阪神淡路大震災の影響が地価公示に反映されるのは、早くても1996年となることに注意してください。

耐震性の高いマンションへの需要は意外に強い!

建築基準法が定める水準が最低基準にすぎないことは、意外に知られていません。むしろ「建築基準法が定める水準が"望ましい"ものだ」と受け取られる傾向さえあります。新築マンションの耐震性についても、こうした傾向が顕著に認められます。新築マンションの実に9割以上が、建築基準法ぎりぎりの耐震等級1なのです。建築基準法の25%増の耐震性(耐震等級2)のマンションは4%弱、50%増の耐震性(耐震等級3)は1%弱です。耐震性が著しく優れている免震構造のマンションも全体の2%弱にすぎません。
耐震性能が建築基準の最低基準しか満たされていないマンションが供給の主体となっている事実は、はたしてマンション購入者が耐震性に関心を示していない証拠と受け止めてよいのでしょうか。そこで、中川さんと私は、首都圏在住の4000世帯を対象としたインターネット・アンケートで標準的なマンションの間取りについて耐震性別の分譲価格を提示しました。そこで提示された分譲価格は、東京都内で実際に分譲されたマンションの設計図に基づいて建築士に実際の建築コストをはじいてもらった数字です。
すると、興味深い結果として、6割を超える世帯が、耐震等級1(建築基準ぎりぎりの耐震性)に比べて250万円も分譲価格が割高になるにもかかわらず、耐震性の非常に高い免震構造のマンションに対してもっとも高い選好を示しました。さらに興味深いことには、たとえ白地の状態で耐震等級1を選好した世帯であっても、デフォールト(標準仕様)の設定いかんでは耐震性の高い物件に選好を誘導することができる点です。
私たちのアンケートでは、4000世帯に対して、デフォールトの設定を異にする建て替え計画をランダムに割り当てて、どのような建て替え計画を選択するのかを聞いています。たとえば、耐震等級2をデフォールトとする建て替え計画では、ダウングレード・オプションとして耐震等級1への変更、アップグレード・オプションとして耐震等級3や免震構造への変更が含まれています。
すると、たとえ白地の状態で耐震等級1を選好した世帯であっても、それよりも高い耐震性能をデフォールトとする建て替え計画を示すと、相対的に高い耐震性の建て替え計画に対して選好を示すようになります。たとえば、耐震等級3をデフォールトとして提示すると、4割強の世帯が依然として白地の選好と同じ耐震等級1を選好するものの、4割弱の世帯は耐震等級3を選好します。すなわち、高い耐震性をデフォールトとすることで、耐震性の高い物件へ選好を誘導する余地があることになります。ただし、白地の状態で高い耐震等級を選好した世帯に対して、相対的に低い耐震等級をデフォールトとした建て替え計画を示しても、耐震性に対する選好を変更する傾向は認められません。依然として、耐震性に対する意識がそもそも高い世帯は、低い耐震性へ誘導することができないのです。われわれの研究によれば、高い耐震性(特に免震構造)への人々のニーズはそもそも強く、低い耐震性で満足しているようにみえる世帯に対しても、工夫をしてnudgeをすれば、高い耐震性へ導くことが可能となります。

室内の梁の突出感が気になる人、気にならない人

図2:アイトラッカーが記録した視線の移動

図2:アイトラッカーが記録した視線の移動

しかし、上述のような分析結果に対しては、「マンション購入者はまさかの時の安全よりも日々の快適さを求めているので、耐震性の高いマンションが消費者ニーズを満たすわけではない」という反論もあるかもしれません。
そこで、竹内幹さん(経済学研究科)と私は、アイトラッカーと呼ばれる実験器具を用いて、安全性と快適性の間にどのようなトレードオフがあるのかを分析してみました。アイトラッカーとは、ディスプレイの四隅にあるセンサーによって視線の移動や滞在時間、あるいは集中度を計測する実験器具です。
私たちは、先の建築士に依頼して、都内の標準的なマンションについて耐震性能の向上によって、どのような空間上の制約が生じるのかを見積もってもらい、そのデータに基づいてマンションの間取りを3D画面に作図しました

図面は、和室もあれば、洋室もあり、立った位置で部屋を眺めているものもあれば、座った位置で部屋を眺めているものもあります。一般的には、耐震性が向上すると、柱が太くなり、梁が下に出てくるという空間上の制約が生じます。実際に一橋大学の教員や職員に協力してもらって、耐震等級1と耐震等級3の図面についてさまざまな3D画面を示しました。
被験者に対しては、一連の図面を提示した後に「耐震等級1の物件に比べて耐震等級3の物件についていくら高く評価するか」についても聞いてみました。

図3は、被験者が室内の梁に注目した度合いを横軸に、被験者の評価額を縦軸にとったものです。図3が示すように、梁の突出具合が気になる人ほど、耐震性への評価額が低くなっています。逆にいうと、梁の突出感を気にしない人は、耐震性を高く評価する傾向が強くなります。
実験結果は、人々が無条件に安全性よりも快適さを優先しているのではなく、安全性と快適さを天秤にかけて耐震性を慎重に評価していることを示唆しています。こうした実験結果をうまく活用していけば、耐震性と快適さが両立できていると購入者に認識されるようなマンションを開発することもできるようになるのではないでしょうか。

図3:梁に対する関心と耐震性への評価

図3:梁に対する関心と耐震性への評価

もし、この小文に関心をもっていただいた方は、私たちの研究プロジェクトの成果をとめた齊藤誠・中川雅之編著『人間行動から考える地震リスクのマネジメント:新しい社会制度を設計する』(勁草書房、2012)を手に取ってみてください!

『人間行動から考える地震リスクのマネジメント:新しい社会制度を設計する』書影

参考文献
『人間行動から考える地震リスクのマネジメント:新しい社会制度を設計する』

齊藤誠・中川雅之/編著
勁草書房刊
定価:3,675 円(税込)
2012 年3 月発行

(2014年1月 掲載)