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移行経済下ロシアの貧困・不平等:効率から公正へ

  • 経済研究所講師武田 友加

2013年冬号vol.37 掲載

1 はじめに

ロシアが計画経済から市場経済への移行を開始してから20年の年月が経過した。ロシアにとって、この20年間の前半は移行不況、後半は経済成長の時期であった。石油価格の上昇という外的条件に助けられ、1999年から10年間ほどロシアは経済成長を享受した。しかし、市場経済への移行開始当初にロシアを襲った移行不況は、1930年代のアメリカやドイツにおける大恐慌と比較されるほどの厳しいものであり、また、他の移行諸国と比べて長きにわたるものであった。図1は、1989年から2004年までのロシアとポーランドの実質GDPの推移を比較したものである。ご覧の通り、1998年のロシアの実質GDPは1989年の約56%にまで大幅に落ち込んだ。その上、ポーランドの実質GDPが1995〜1996年には1989年の水準にまで回復しているのに対し、ロシアの実質GDPは2004年の時点でも1989年の水準を下回っていた。このような移行不況の結果、他の移行諸国同様、ロシアでも貧困が急激に拡大し、それと同時に不平等も拡大していった。たとえば、世界銀行のエコノミストであるMilanovicの試算によれば、1日1人当たり4ドル(1993年購買力平価ベース)という貧困線を下回る生活水準にあった者の数は、ロシアに関しては、移行開始前の1987〜1988年には220万人であったが、移行開始後の1993〜1995年には6600万人へと大幅に増加している。

図1

図1:ロシアとポーランドの実質GDPの推移(1989~2004年)

注:1989年を基準年(1989年=100)。出所:ロシアに関してはロシア連邦統計局のデータ、ポーランドに関しては世界銀行及びEBRDのデータより筆者作成。

また、図2は1989〜2009年のロシアの貧困者比率、ジニ係数、一人当たり実質GDPを示したものであるが、ご覧のように、1989年に貧困者比率は11%であったが、移行を開始した1992年には33.5%にまで急上昇している。不平等度を表すジニ係数に関しては、移行開始前の1989年には26.5%であったが、1994年には40.9%となり、その後も高水準が維持され、さらに、経済成長の中でわずかに上昇を見せている。また、表1に示されているように、中所得国の中で、ロシアの不平等度は国際的にも高く、その上、この20年間でこれほど大きく不平等度が悪化した国はほとんどみられない。
以上のように、移行経済下のロシアにおいて貧困・不平等が急激に拡大した。アネクドート的な形でこれらの問題について語られることはあっても、その実態が実証的に示されることは稀であった。そこで、以下、移行経済下ロシアの貧困・不平等の特徴について、実証研究に基づく知見も示しながら見ていくことにしたい。

図2

図2:ロシアの貧困者比率、ジニ係数、一人当たり実質GDPの推移(1989~2009年)

注:貧困者比率は、公式貧困線を下回る者の全人口に占める比率。ジニ係数は、ここでは、百分率で示してある。なお、ジニ係数のとり得る範囲は0%(完全平等)から100%(完全不平等)である。
出所:ロシア連邦統計局のデータより筆者作成。

表1:ジニ係数の増減の国際比較

期間ジニ係数の変化分最終年のジニ係数
ロシア 1988─2007 0.20 0.44
ルーマニア 1989─2007 0.09 0.32
カザフスタン 1988─2007 0.05 0.31
ペルー 1986─2007 0.05 0.51
メキシコ 1992─2008 0.01 0.52
ポーランド 1987─2005 -0.09 0.53
タイ 1988─2007 -0.12 0.32

注:ジニ係数は、0(完全平等)から1(完全不平等)の値をとる。
出所:世界銀行のデータより筆者算出。

2 浅い貧困と貧困に対する脆弱性

1990年代の移行不況期に貧困者比率が急激に上昇したが、大規模家計調査であるロシア長期モニタリング調査(RLMS‐HSE)の個票データに基づく筆者の推計によれば、1994〜2000年のいずれの調査時にも貧困であった人々(恒常的貧困)は、人口全体のわずか7.7%であった。ただし、調査時に少なくとも一度は貧困に陥ったことのある人々は人口全体の約70%にも達した。これは、多くのロシア国民の生活水準が貧困線近傍の水準であること、つまり、貧困線よりもわずかに低い生活水準(浅い貧困)である人が多いのと同時に、貧困線よりもわずかに高い生活水準(貧困に対して脆弱)にある人も多いことを示唆している。そのため、たとえていえば、貧困というバスの乗客が頻繁に入れ替わることになる。
上述のような、現時点では貧困線を上回っているが、不況等が生じた際に生活水準が貧困線を下回る可能性がある状態は、一般に、貧困に対する脆弱性と呼ばれる。このような状態を数値化する際、世界銀行では、貧困線の2倍、及び、貧困線の1.5倍をそれぞれ脆弱性最高基準線、脆弱性最低基準線とし、これらの基準線を下回る場合、貧困に対して脆弱であるとしている。

図3

図3:ロシアにおける浅い貧困と貧困に対する脆弱性(1994~2006年)

注:脆弱性1は脆弱性最低基準、脆弱性2は脆弱性最高基準に基づく推計値。
出所:ロシア長期モニタリング調査(RLMS)の個票データに基づき筆者作成。

図3は、1994〜2006年に生活水準が貧困線、脆弱性最低基準線、脆弱性最高基準線を下回った家計の全家計における比率を示したものである。図に示されているように、脆弱性基準線以下の生活水準にある家計は非常に多い。これが示唆するところは、ロシアでは経済成長によって貧困者比率が順調に減少してはいるが、貧困線よりもわずかに上回る程度の生活水準にある人々が依然として多いということ、また、ロシアでは中間層がなかなか形成されず、その層も薄いということである。

3 貧困者は誰か?

市場経済への移行開始当初、一般に、ロシアの貧困者の代表的な社会経済グループは年金生活者であると考えられていた。しかし、これは誤りであり、実際には、雇用労働者がロシアの貧困者の代表的社会経済グループであった。ロシア連邦統計局によれば、雇用労働者と働いていない年金生活者の貧困リスク(該当グループ内での貧困者比率)は、それぞれ、1997年には27.8%と21.5%、2000年には36.2%と30.1%であった。また、貧困者全体のうち雇用労働者が占める比率は約40%であったのに対し、働いていない年金生活者が占める比率は約10%であった。経済成長期の2000年代でも、基本的に、この傾向に変わりはないといえる。たとえば、2009年の貧困者全体のうち、就業者が占める比率は56.4%、働いていない年金生活者の占める比率は11.4%であった。
このように、雇用労働者が貧困者の代表的な社会経済グループとなったのは、移行不況期に、年金生活者の年金はインデクセーション(物価スライド)された一方で、名目賃金は超過賃金税などインフレ抑制を目的とする所得政策のためにインデクセーションされず、それにより、実質賃金が大幅に低下したためであった。また、ロシアでは失業率が比較的低い水準で推移し雇用水準が維持されてはいたが、その一方で、雇用労働者は、時短労働、無給の強制休暇、賃金支払い遅延に直面することがあり得た。RLMS‐HSEの個票データに基づく筆者の推計結果によれば、上述のようなロシアにおける働く貧困者とは、主たる職場が国有部門であり、また、企業側の経済的理由により無給の強制休暇の下におかれたり、賃金支払い遅延に見舞われたりしている人々であった。そして、特定の職種ではなく、あらゆる職種で働く貧困者がみられるようになった。
社会人口グループからみるとき、貧困リスクが高かったのは子どものいる家計であった。1997〜2000年における、子どもが1〜2人いる家計の貧困リスクは、ひとり親の場合は37.4〜56.9%、両親の揃っている場合でも35.2〜53.0%であった。この間、夫婦2人だけの家計の貧困リスクが11.0〜25.4%であったことと対比すると、子どものいる家計の貧困リスクが極めて高いことがうかがえる。なお、経済成長期でもこの傾向に変わりはない。たとえば、ロシア国内の家計のうち子どものいる家計の比率は約35%であるのに対し、貧困家計全体に占める子どものいる家計の比率は、2009年には54.6%にまで達した。
貧困者グループのもう一つの切り口として、都市と農村が挙げられる。ソ連時代の末期に当たる1985年に、都市・農村の貧困リスクは、それぞれ16.3%と27.6%であり、農村の貧困リスクが都市のそれを上回っていた。それが、移行初期の1990年代には都市の貧困リスクが農村と同程度になるという現象が生じた。たとえば、RLMS‐HSEに基づく筆者の推計によれば、1995年の都市と農村の貧困リスクは、それぞれ、30.5%と29.8%であり、貧困家計全体に占める都市家計の比率は76.3%、農村家計の比率は23.7%であった。このように、1990年代のロシアの貧困は貧困の都市化によって特徴付けられるが、1997年頃から徐々に農村の貧困リスクが都市のそれを上回るようになり、2000年代には貧困の農村化が顕著になっていった。ロシア連邦統計局のデータによれば、2009年の全人口における農村人口比率は26.7%であったが、全貧困者に占める農村人口比率は41.9%に達した。移行不況によって、結果として縮まっていた都市・農村間格差が、経済成長の中、再び拡大したことが看取できる。

4 結びにかえて:効率偏重から公正配慮へ

冒頭で述べたように、移行不況期に悪化した不平等は、経済成長期にもその傾向が温存され、その上、緩やかに拡大する傾向にある。また、前節で示したように、移行不況期に都市貧困が急増したことによって、都市・農村間格差が縮小したようにみえたが、1990年代の後半には再び拡大している。このような事実から、ロシアには、貧困層により有利となるプロ・プア成長のメカニズムが埋め込まれていないと考えられる。そして、筆者による以下の実証研究も、この仮説を支持する結果となっている。ロシア連邦統計局のデータを基に1995〜2006年の連邦構成主体のバネル・データを作成し、一人当たり実質GRP(域内総生産)に対する貧困弾力性を推計したところ、移行不況期(1995〜2000年)よりも経済成長期(2001〜2006年)の貧困弾力性の方が大きかった。つまり、経済成長は貧困削減のための必要条件である。しかし、いずれの時期においても、貧困地域よりも非貧困地域の貧困弾力性の方が大きく、ロシアには経済成長がプロ・プアとなるメカニズムが欠如していることも明らかにされた。非貧困地域と比べて貧困地域の貧困削減のテンポは遅く、経済成長は貧困削減の十分条件とはなっていない。効率と公正のバランスを考慮し、経済成長がプロ・プア成長となるようなメカニズムを政府は構築する必要があるであろう。2000年代半ばまでのロシアは効率偏重といえ、格差是正が軽視されていた。しかし、2008年のプーチン大統領(当時)の演説「2020年までのロシア連邦発展戦略」以降、格差是正にも注意が向けられており、公正配慮への姿勢もみられる。近年は、豊かな天然資源を持つが厳しい自然により開発が阻まれてきたロシア極東の開発が、国家プロジェクトとして積極的に展開されている。極東開発は格差是正を目的とした政策ではないが、こういった政策がロシアの地域間格差を緩和するメカニズムを生み出すことに期待したい。

参考文献

  1. 武田友加(2011)『現代ロシアの貧困研究』東京大学出版会.(第28回大平正芳記念賞受賞)
  2. 武田友加(2012)「ロシア農村における個人副業経営のセーフティネット機能:ロシア家計調査の個票データに基づく実証分析」『経済研究』第63巻第4号,pp. 305‒317.
  3. Takeda, Y., 2012 "Poverty lines in Russia," in ILO (Ed.), Methods for Estimating the Poverty Lines: Four Country Cases, ILO.

(2013年1月 掲載)