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『不動産市場・金融危機・経済成長:経済学からの統合アプローチ』研究報告

  • 一橋大学経済研究所 教授植杉 威一郎

2018年8月29日 掲載

平成25年度に科研費基盤研究Sとして採択された5か年プロジェクト『不動産市場・金融危機・経済成長:経済学からの統合アプローチ』が、今春(平成29年度)3月末に終了した。同プロジェクトは、日本のみならず諸外国を対象に、バブルや高齢化などの課題に直面する不動産市場に「理論」「実証」の両面から注目。その価格形成メカニズムや経済に及ぼす影響を分析した。土地取引や銀行貸出、生産性といった様々なデータを用い、日本ではバブル期の資本・資金配分は効率的だったものの崩壊後に非効率性が生じたことなどを明らかにした。また、研究活動を通して不動産価格や不動産利用の動向を把握・予想するために有用なデータベースを作成したことも、今後に向けた大きな成果である。今回HQでは、代表者である一橋大学経済研究所の植杉威一郎教授にヒアリング。プロジェクトが立ち上がった背景、研究成果の内容、今後派生する研究の方向性について語ってもらった。

近年の金融危機の背後には「不動産市場の変調」がある

植杉教授

今回のプロジェクトの目的について、植杉教授は以下のように語る。
「不動産市場は日本のみならず世界各国の金融危機の震源となってきています。2008年の米欧の金融危機、いわゆるリーマン・ショックでは個人の住宅ローンの焦げつきがきっかけとなり、市場では一瞬で資金調達が困難になり大混乱に陥りました。日本においても、1980年代後半~1990年代初頭にかけて商業用の不動産市場を中心にバブルが崩壊。その後20年以上にわたって長期低迷を経験しています。つまり、金融危機に伴う経済全体の後退の裏には不動産市場の変調があると言えます。こうした危機が生じたことへの反省を踏まえ、なぜ不動産市場の変調が起こるのか、今後くり返さないためには何が必要かを調べる必要があると考えました」
そこで植杉教授は、清水千弘教授(日本大学)、祝迫得夫教授(一橋大学)、中島賢太郎准教授(一橋大学)、宮川大介准教授(一橋大学)、内田浩史教授(神戸大学)、渡辺努教授(東京大学)、小野有人教授(中央大学)、平野智裕専任講師(東京大学)、吉田二郎准教授(ペンシルバニア州立大学)、細野薫教授(学習院大学)らとともにプロジェクトを立ち上げる。マクロ経済、不動産経済、空間経済などのスペシャリストとの共同研究は、「担保などの金融面から不動産に関心を持つようになった私には、研究プロジェクトの全体像を考えた上で個別の研究テーマを提示するのが難しく手探りの連続でした。しかし、5年間の産みの苦しみの末、今までの日本ではなかった新しい知見を得られたのではないかと感じています」と語る。

バブル・高齢化の下での不動産価格の形成メカニズムやバブルが経済成長に及ぼす影響を理論的・実証的に解明

植杉教授によれば、プロジェクトで得られた知見は四つの分野にわたる。

  1. バブルや高齢化の下での不動産価格の形成メカニズムの解明
  2. バブルが経済成長に及ぼす影響の理論的・実証的解明
  3. 不動産市場が企業・家計に及ぼす影響の解明
  4. 「価格弾力性」「登記指標」のデータベース作成

それでは一つずつ見ていこう。

(1)バブルや高齢化の下での不動産価格の形成メカニズムの解明

「取り組んだ課題の1つめは、不動産価格が決まるメカニズムをそれぞれの状況に即して明らかにするというものです。不動産価格は、家計の住宅売買や企業の投資にとって非常に重要であり、バブル期の前後で価格が大幅に変動したり、高齢化の影響で長期的な価格下落が予想されたりすると、経済全体にも大きな影響が及びます。そこでまず、経済学者だけではなく一般にも関心が高いいくつかの事象を取り上げ、これらが不動産価格に及ぼす影響を明らかにしました。高齢化や中国をはじめとする新興国から先進国への資金流入に注目し、高齢化の表れである相続に伴って売物件が増えて価格が下落するメカニズムや、外国投資家は国内投資家よりも高値で不動産を購入するがその行動は市場全体に波及するまでには至らないという知見を示しました」

「次に、日本の不動産バブルの経験に基づいて、他国における不動産価格動向を調べ、その特徴を明らかにする分析も行いました。近年の中国における不動産価格上昇はバブルではないかという指摘がありますが、我々の分析では、2000年代後半の北京は、不動産価格・家賃・価格対家賃比率のいずれにおいても、バブルが生じていたとされる1980年代後半の東京を上回っています」

「更に、賃料が建物の年齢とともにどのように変化していくかを調べるという、不動産価格の決定要因を明らかにするための基礎的な分析も行いました。興味深いことに、6千棟を超える東京の商業ビルについてのデータベースを作り、その賃料を調べてみると、その経年低下幅は0.2%程度と⾮常に⼩さく、これらの商業ビルの価格の低下幅をはるかに下回っていることが分かりました。この結果は、GDP統計上で資産価値をどのように計測するべきかという点を考える上でも、重要な意味を持ちます」

(2)バブルが経済成長に及ぼす影響の理論的・実証的解明

「取り組んだ課題の2つめは、不動産バブルが経済成長に及ぼす影響を理論的に明らかにするとともに、それに対応する実証的な知見を蓄積することです。理論面では、バブルの成長と崩壊に伴う経済成長の変化と金融市場との発達程度との連関を解明した論文が、世界的にも著名な経済学の学術誌に掲載される成果を挙げました」

「この研究からも分かるように、バブルというと、資源配分を非効率にする負の側面が強調されがちですが、その生成過程で資金を調達しやすくなり将来性のある投資を行うことができるという正の側面もあります。そこで実証面では、1970年代や80年代から現在に至る日本企業の借入、設備投資、土地売買、抵当権の情報を大規模に利用して、バブル期とその前後のいずれで企業が経済全体の効率性を高める行動をしているのかという点を調べました」

「この結果から言えるのは、バブルが経済に及ぼす影響は局面によって大きく異なっているということ、特に資源配分上負の影響をもたらすのはバブル崩壊以降のようだということです。日本では1990年代初頭にバブルが崩壊して以降、不良債権問題など銀行部門が困難に直面し、その処理に長い時間を要しました。今回の結果は、経済活動の効率性を考える際には、バブル崩壊後に資源配分の効率性を改善するような政策対応が重要であることを示唆しています」

(3)不動産市場が企業・家計に及ぼす影響の解明

「取り組んだ課題の3つめは、不動産市場が家計や企業の活動に影響する経路をできるだけ定量的に明らかにすることです。不動産価格が上昇すると、住宅を保有する家計では含み資産価値が上昇するので消費が増えるとされていますが、従来の知見ではこうした資産効果がどの程度の大きさになるかが明らかではありませんでした。この点を大規模なデータを用いて調べてみると、日本における資産効果の規模は非常に小さく、米国の1/10程度にとどまることが分かりました」

「それ自体がリスク資産でもある不動産の存在は、家計の消費だけではなく、貯蓄をどのように運用するかという資産選択にも影響します。そこで不動産と株式との代替関係を調べてみると、日本では保有不動産の価値が変化しても株式保有が変化しない場合があります。これは米国とは異なる結果で、日本ではリスク資産である不動産と株式が必ずしも同列に考えられていないことを示唆しています」

「不動産市場が企業に及ぼす影響についても、企業自身の担保価値が変化する経路と、不動産市場の変化が資金を提供する銀行の貸出余力に影響する経路とに分けて、検証してみました。すると、不動産価格の変化が担保価値や銀行の貸出余力を通じて企業の投資行動に正の影響をもたらすこと、その効果の大きさは諸外国での結果と遜色ないことが分かりました」

地域別住宅供給の価格弾力性データ及び市区町村別不動産登記指標を初めて作成

図1

図1:地域別住宅供給の価格弾力性(色が濃いほど弾力性が低いことを示している)

図2

図2:相続登記指標(都道府県ごとに相続承継登記件数を死亡者数で割ったもの。2006-2016年までの合計。色が濃いほど、死亡者数に比して相続等登記件数が多いことを示している。個人間の相続だけではなく自治体間などの承継も含むため、合併に関係した市町村は集計から除く)

「取り組んだ課題の4つめは、少し毛色が違っていて、不動産に関連する知見を深めたり、研究を進捗したりするための公共財を提供するという趣旨のものです」

「まず、地域別住宅供給の価格弾力性についてお話しします。これは、日本で不動産と経済との連関に関心のある研究者にとって重要な指標です。不動産市場が経済活動に及ぼす影響を検証する際には、不動産価格が地域における需要の増加など観測できないものの影響を受けていると、推計した結果が信頼できなくなります。このような状況を避けるためには、不動産価格には影響するが、地域における需要とは関係のない変数(操作変数)を作成する必要があります。米国ではこの変数は2010年に作成されおり、米国で不動産と経済との連関を分析する数百の論文で利用されていました。しかしながら日本ではこうした操作変数はこれまで作成されておらず、本課題におけるものも含めて研究を行う上での障害になっていました」

「そこで我々は、米国版と同様の手法を用いて日本の108のUEA(Urban Employment Area)における住宅供給の価格弾力性を算出しました(図1参照)。今後改訂を重ねつつ、公表予定です」

「次に、市区町村別登記件数指標について説明します。日本では、登記制度の不備も影響して、相続時に登記が行われず所有者不明になっている土地の合計面積が、九州全土に相当すると指摘されています。しかしながら、相続時に登記が行われないという問題がどの地域でいつから深刻なのか、不動産価格低迷以外の要因が存在しうるのかという点については、行政側からの詳しい開示情報がなく、また、個別の登記情報を取得する費用も高いために、把握が困難です」

「そこで我々は、独自の手法で全国の登記変更情報を集積している株式会社JON(本社東京都新宿区)と共同で、市区町村別に相続、贈与、所有権移転売買といった目的別の登記頻度に関する指標を作成しました(図2参照)。例えばこの図2では、色が濃いところほど、死亡者数に対して相続等登記件数が多いことを示しています。今後改訂を重ねつつ、公表予定です。これを用いて、経済的・地理的要因以外の何が相続などの登記を妨げているかを明らかにし、登記制度が有効に機能するための方策について議論する一助となればと考えています」

今後は、日本のバブル期をさらに詳しく調べて長期的な資源配分としてどうだったのかを検証したい

日本では包括的な研究が進んでいなかった不動産と経済との連関の解明と、公共財となるデータベース作成。この作業にいったん区切りをつけた植杉教授は、今後、どのような方向に研究を進めていくのか。最後に語ってもらった。

植杉教授

「これまでの延長になりますが、日本のバブル期に焦点を当てた分析、特にこの時期の前後を含めて経済の資源配分に何が起きたかを詳しく調べたいですね。バブルについては負の側面が強調されることが多いのですが、私が学部生だったバブル華やかなりし頃に交通経済学を講義されていた先生が、「地上げは、居住者を暴力的に追い出したりすることですこぶる評判は悪いけれども、細分化された土地を集約して大規模な開発に結び付けられるという点で、長期的に見れば効率的な土地利用につながるかもしれない」とおっしゃった言葉がいまだに耳に残っています。また、バブルを研究している経済学者の間では、ITバブルは将来につながる有効な投資がされるので長期的な成長を促進するが、不動産バブルは成長促進的ではないという見方があるようです」

「あれから30年近くが経ち、バブルと土地利用との関係を包括的に検証するためのデータもある程度そろいました。私は、バブルに伴う土地利用の変更により効率性は増したのか、不動産バブルは本当に非効率な資源配分をもたらすのかという点を、改めて調べてみたいと考えています」

「また、バブルだけではなく、高齢化や人口減少という日本が直面する問題が不動産市場にどう影響するかという点をより真剣に考える必要があります。この点では、一橋大学の齊藤誠教授や武蔵野大学の瀬古美喜教授などによる、高齢化や住宅の老朽化という観点から不動産市場に注目した大規模な研究プロジェクトが存在しており、様々な成果を挙げています。これらの知見から学び、私にできることを考えていきます。」