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大学は単に知識や教養を伝授するところではなく 学生が学び方を学ぶところ

  • 首都大学東京 学長上野 淳
  • 一橋大学長蓼沼 宏一

2019年10月1日 掲載

上野 淳氏プロフィール写真

上野 淳

1971年東京都立大学工学部建築工学科卒業。1977年同大学院工学研究科修了、工学博士。同年同大学工学部助手、1984年同大学工学部助教授、1993年同大学工学部教授、2005年首都大学東京都市環境学部教授・基礎教育センター長、2009年同大学副学長・大学教育センター長。2015年より同大学学長を務める。専門分野は建築計画学。主な著書『未来の学校建築』/岩波書店刊、『高齢社会に生きる』、『学校建築ルネサンス』、『多摩ニュータウン物語』/すべて鹿島出版会刊 ほか多数。

蓼沼学長プロフィール写真

蓼沼 宏一

1982年一橋大学経済学部卒業。1989年ロチェスター大学大学院経済学研究科修了、Ph.D(.博士)を取得。1990年一橋大学経済学部講師に就任。1992年同経済学部助教授、2000年同経済学研究科教授、2011年経済学研究科長(2013年まで)を経て、2014年12月一橋大学長に就任。専門分野は社会的選択理論、厚生経済学、ゲーム理論。近著に『幸せのための経済学──効率と衡平の考え方』(2011年岩波書店刊)がある。

東京都が設置する唯一の総合大学である、首都大学東京。7つの学部・大学院に9000人強の学生と1000人強の教職員(2019年5月1日現在)を擁する公立総合大学の雄として、研究界・教育界に地歩を築いている。その学長である上野淳氏は、一橋大学の蓼沼宏一学長の高校の先輩にあたる。そこで、高校時代の思い出から、大学運営や学生教育の在り方など、同じ立場同士忌憚のない対話が進んだ。

生涯の友人を
得られた高校時代

蓼沼:上野学長は、都立立川高校の先輩でもあります。そのため、同じ学長という立場で、尊敬とともに親しみも感じております。まずは、その高校時代の思い出からお話しください。

上野:私は1967年の卒業で、悩み多き青春時代だったと思いますが、目立たない平凡な生徒だったと思います。それでも高校には、優秀で個性に溢れた生徒が大勢いました。今でも当時の7~8人の友人たちが定期的に集まって酒を酌み交わしながら近況報告をしていますが、そういう友人に巡り会えたことは、自分の人生にとって幸せなことだと思っています。私はサッカー部に所属していて、右のインナー、今でいう攻撃的ミッドフィルダーのポジションだったのですが、左のインナーを務めていた男が私と同じ建築分野に進んだのです。彼とは今でもよく連絡を取り合っていますが、生涯の友を得ることができました。

蓼沼:自由な校風で、先生方は生徒を尊重してくれていたと思います。おっしゃるとおり、ユニークな生徒がたくさんいました。評論家顔負けの文芸評論をする者とか、数学が飛び抜けてできる者とか。東京23区以外の多摩地区全域から集まってきていたので、そのような多士済々の学校になったのだと思います。

上野:そう思います。先生は生徒を信頼してくれましたね。

蓼沼:先生もユニークな方が多かったですね。高校1年生にいきなりベクトル空間の公理系の話を始めて、生徒は何のことかさっぱり分からない。でも知的好奇心がくすぐられて、「分からない、分からない」と言い合いながらみんなで教科書以外の本を漁っていました。大学で教えるような内容だったことが、大学に入ってから分かりました(笑)。

上野:そういう先生がたくさんおられました(笑)。

優秀な学生を身近で
育てられたことが財産

蓼沼:卒業後、当時の東京都立大学、現在の首都大学東京に進学し、建築を専門にされたわけですね。

上野: 博士課程まで進みましたが、その頃は研究者になろうとは思っていなかったのです。博士課程修了時に研究室の先生が「助手として残れ」と言ってくださって、結果的に助教授、教授、そして学長と、気がついたら今年で52年、ずっと同じ大学に居続けています。稀有かどうかは分かりませんが、幸せな人生を過ごしてこられたと思っています。
私の専門は、建築の中でも建築計画という分野です。人の生活や行動・心理が都市空間からどう影響を受けるのかといったことを研究するのですが、この分野は、自分にとてもフィットすると感じてきました。50年以上好きな分野に没頭できたのは、本当に幸せなことだと思います。そして、研究室では200名以上の学生に教えてきましたが、非常に真面目で真剣に取り組む者ばかりでした。今でも毎年、研究室の同窓会を開いてくれます。自分が多くの論文を書いたということより、世の中を背負っていく数多くの優秀な学生を身近で育ててこられたことのほうが大きな財産になっていると感じています。

蓼沼:教員冥利に尽きますね。建築計画とは、具体的にどういったことを研究するのでしょうか?

上野:分かりやすい例では、病室のベッドの間隔はどれぐらい空いていれば心理的にベストかという最適解を求めるといった学問です。私が研究を始めた当初、日本の病室ではその間隔が60~70cmと狭く、先進国からは遅れていました。そこで、実験して求めた最適解についての論文を書いたのですが、その寸法は150年ぐらい前にナイチンゲールが言っていたのとほぼ同じだったのです。ナイチンゲールの慧眼を知りました。また、研究だけでなく、実際に病院や学校の設計にもアドバイザーとして関わるということもしました。

人間中心の学問研究と
大学運営への貢献

対談中の上野 淳氏

蓼沼:建築学や医学、社会学、心理学などを横断する学際的な研究で、しかも、物ではなく人に目が向いていると感じます。

上野:おっしゃるとおり、人間中心の学問といえます。病院では患者、学校においては児童・生徒、高齢者施設ではハンディキャップを負った高齢者。それぞれの立場の人の心理や生活行動特性を、どのように都市や建築空間に反映させるかということが一大テーマですから。

蓼沼:まさにこれからの社会で重要な分野ですね。今、国は「Society 5.0」を提唱していますが、どんな人にもあまねく科学技術の恩恵を行き渡らせることが重要です。上野先生の研究は、そのために感覚的な判断ではなく、きちんと実証的にデータを取り最適化するという手法を取られているという点でまさにサイエンスですね。人々が幸せになるために社会や法律、経済システムをどう設計するかという社会科学にも必要なアプローチとして、大変参考になります。

上野:私がやってきたことは、一種のソーシャルサイエンスかもしれませんね。

蓼沼:学長になられたのは、どういった経緯でしたか?

上野:2005年に都立の3つの大学と都立短期大学を統合して首都大学東京としてスタートした際、私に基礎教育課程を束ねる基礎教育センター長の辞令が下りました。青天の霹靂でしたが、新大学立ち上げの厳しい時期、良い大学にしていく一助となるならとお受けしたのです。センター長として、学生が主体的に学ぶ力をどうつけさせるか、走りつつ学びつつ取り組んでいきました。その後、2009年4月に大学教育センター長、同5月に理事・副学長に推挙され、気がついたら2015年に学長に、という話が来たわけです。気が重かったのですがお受けすることにしました。何とか4年の任期をやり終えてホッとできると思った矢先、もう2年やれと1回きりの再任をされたところです。

蓼沼:お互い、もう少し頑張りましょう(笑)。

質の高い教育のためには
質の高い研究が必要

蓼沼:時代が激しく変化していく中、これからの大学の役割とはどういったことにあるとお考えでしょうか?

上野:学長に就任後、つねに大学のスタッフ、特に執行部に言っていることですが、大学の車の両輪とは言うまでもなく研究と教育で、これを高水準で相互に循環させることが一番の目標であると。学生は、教員が高度な研究力を持って世界で闘っている姿に憧れ、ゼミや卒論指導における教員との議論の中で自らの資質を磨くのです。この、研究力と教育力を高度なレベルで循環させることができる大学であろうという方針が、うまく機能しているという自信を持ち始めているところです。理工系学部の一部の先生が引用率の高い論文を書いていますが、そういった高度な研究力をもっと高めようと言っている一方で、文系、理系の基礎分野が揃う総合大学として、互いに尊重しつつ調和の取れた存在にしていくことも大事だとも言っています。ある程度、そういう状態になりつつあると自負しています。

蓼沼:質の高い教育のためには、質の高い研究が必要という点は全く同感です。最先端領域をアクティブに研究している研究者だからこそ、学生の知的好奇心をかき立てることができるのです。最近は、AIやIoTといった先端領域が盛んになっています。一橋大学は社会科学系の大学ですが、理系大学との連携が非常に重要であると考え、交流を深めています。こうした専門分野の研究と教育について、どういった課題があるとお考えですか?

上野:学生に言っているのは、大学とは学生に知識や教養を伝授するところではなく、その学び方を教員とともに学ぶ場だということです。現在の学問や科学技術は、あっという間に陳腐化してしまいます。10年前の論文に書かれていることなど、とっくに常識となっていて、誰もそのような論文など振り返らないでしょう。つまり、つねに時代の変化に対応できるような学びを生涯続けられる学生を育てることが肝要なのです。
大学教育は、知識の伝授から、よりアクティブに、より主体的に学ぶ形に変化しています。それが変化する時代への対応力を醸成するからです。本学として、AIやIoTのように進化しているイノベーティブな分野に関しては、2018年4月の学科再編で、システムデザイン学部の中に情報科学科を設けて対応しています。また、都市環境学部の中に都市政策科学科という文理融合的な学科を設け、最先端の都市政策研究に取り組む体制をつくりました。こうした対応は部分的に行っていますが、不断に見直していく必要があると思っています。

蓼沼:知識は陳腐化するので、つねに学び直しが必要であり、だからこそ学び方を学ぶことが重要であるとのお考えに全く同感です。私も今年の入学式の式辞で同じことを新入生に語りました。大学の4年間は真剣に勉強し、知識を身につけるとはどういうことかを一度経験しておくことが大事ではないかと思います。その中で、専門分野を究めるとともに、文理を跨いで幅広い分野に関心をもってほしいものです。

学際的研究を活性化する
環境づくりに注力

蓼沼:社会科学における先端技術の活用という点では、一橋大学でもビッグデータを用いて新たな物価指数を作成したり、大規模な企業データから中小企業の倒産確率や成長予想を導き出すAIを開発したりといった研究が始まっています。今後、こうした研究はますます発展していくと思います。

上野:首都大学東京でも、都市環境学部の観光科学科において、ビッグデータを用いて外国人旅行者が東京の観光スポットをどのように巡るかという行動パターン分析を行っていますよ。

蓼沼: 一橋大学でも、観光領域の経営や会計、マーケティングなどを研究するホスピタリティ・マネジメント・プログラムを設けていますので、協力できると面白いですね。
もう一つ、医療分野の主に経済・経営・財政面に注目する医療経済プログラムを設けて重点的に取り組んでいます。

上野:東京医科歯科大学とも連携されていますね。

蓼沼:はい、他大学や研究機関との連携は重要です。時代の変化に対応して人材育成にも新しい要素を入れていかなければならないと思います。学生には、基盤となる思考力や判断力に加えて、今後どういった力を身につけさせていく必要があるとお考えですか?

上野:私の時代は、一つの専門分野を究めていけば、他の分野も自ずとある程度は理解できる力が身につくと教わりました。しかし、専門性がますます高まっていくこれからは、難しくなるでしょう。そこで、本学では大学院に諸分野を横断するプログラムを設けて学際的に研究できる環境づくりに力を入れ始めています。たとえば、生命科学やヘルスサイエンスを学びながら生体機械を研究するといった横断プログラムです。学生は、複数の研究室で武者修行をしつつ研究を続ける形になります。このようなプログラムは現在2つあるのですが、いい成果を挙げているので、もっと増やしていきたいと思っているところです。たとえば、建築や都市計画と社会学、社会福祉、医療などの研究者が交流する中で立体的に学べるプログラムをつくりたい。その点、本学は中規模の総合大学として、教員同士お互いに顔が分かる距離にいられるところは利点ですね。

蓼沼:いいですね。一橋大学は理系の学部がないので、東京工業大学や東京医科歯科大学と連合を組んでいるほか、産業技術総合研究所(産総研)とも積極的に連携して補完しています。産総研の研究員の方は、学生に積極的に教えようという意欲が高いので、ありがたいですね。

上野:同じです。東京都にも東京都立産業技術研究センターや東京都医学総合研究所、東京都健康長寿医療センターがあって、コラボレーションしています。ハイレベルの研究者が客員教授になって熱心に指導してくれています。

社会人教育への
多彩な取り組み

蓼沼:学び続けるという意味では、社会人教育も今後ますます重要になっていきますね。

上野: 自慢話ばかりで恐縮ですが、首都大学東京では大きく2つの取り組みをしています。1つは、「オープンユニバーシティ」という、社会人に向けた大学レベルの講義の提供です。年間297講座設けていますが、「最先端の学術成果を、できるだけ分かりやすく」という方針で臨んでいます。のべ約6000人の方が受講していますが、50代から60代が多く、会社員や公務員が40%を占めています。国公立大学の公開講座の中では大規模なほうではないかと思います。
もう一つは、2019年4月からスタートした「TMUプレミアム・カレッジ」で、50歳以上の方を対象に年間150時間以上、「首都・東京をフィールドに学ぶ」をテーマとした特徴的なカリキュラムを受講してもらうというものです。定員50人のところ、329人もの応募がありました。
今後さらに、都庁の職員が夜間通えるマスタープログラムができないか、検討したいと思っています。ありがたいのは、こうしたプログラムも全て東京都が財政面で助成してくれることです。大学の資金のみでは厳しいでしょう。ですから、公立大学に課せられたタスクとして、一生懸命取り組んでいきたいと思っています。
一橋大学には法科大学院やビジネススクールがあって高度専門職職業人の育成に貢献されていることに敬意を表します。

蓼沼:ありがとうございます。ビジネススクールのMBAコースでは、働きながら学べる平日夜間と土曜日のプログラムが特に高い志願倍率となっています。その背景には、今まで企業は新卒一括採用をして企業内で育ててきたもののその余裕がなくなっていること、人材の流動性が高まり終身雇用が希薄化してきていること、その結果、社会人も自律的に力を身につけなくてはならないと考える人が増え、大学院教育が注目されるようになったことがあると思います。

上野:そうですね。いろいろ仕掛けていきたいと思っています。

大学運営の要諦は
執行部のチームワークと部局長との対話

対談中の蓼沼学長

蓼沼:先ほど、東京都が財政的な措置を講じてくれるというお話がありました。国立大学の財政は非常に厳しく四苦八苦していますのでうらやましい限りです。東京都立の大学としての強みや特色とは、どういったところにあるとお考えでしょうか?

上野: 確かに財政的にフルサポートしてもらえるのは大きいでしょう。だからこそ、「オープンユニバーシティ」のような試みが安心して実践できます。また、都が設置した唯一の総合大学であり、中規模の大学として教員やスタッフ、学生が比較的親近感のある距離で研究や教育に携われるところも特色だと思います。さらに、たとえば若者の貧困問題といった都市の先端的な課題に対し、東京都の福祉保健局と研究プロジェクトを組めるといった実際的・実践的研究ができるメリットもあります。これに関しては、都と研究者の間を取り持つユニバーシティ・リサーチ・アドミニストレーター(URA)が活躍しています。さらに、学長が必要に応じて研究センターをつくり、特任教員を雇用できる制度もあります。
それ以外の、宇宙物理や哲学、経済学といった分野に関しても、お互いに尊重し合う雰囲気づくりには力を入れていますが、それこそ学長の役割だと自覚しています
もう一つ、学長の役割には、研究教育活動への支援として1人あたり年50万円の基本研究費を確保することがあります。ここは首都大学東京の生命線ととらえ、しっかり守ると決意しています。

蓼沼:本当にうらやましい限りです。国立大学の場合、各教員への研究費は削らざるを得ない状況で、科研費を取ることが研究を進める上で不可欠になっています。ところで、大学改革をここまで進めてこられて、どんなところにどんなご苦労がありましたか?

上野:苦労というか、よく「学長のリーダーシップで大学は変えていけるはずだ」という声が上がりますが、そんなことはありませんね。学長1人が叫んでみたところで、大学は動きません。そこでつねに心掛けてきたのは、執行部のリーダーシップとチームワークを大切にすることです。4人の副学長と問題意識を共有し、議論を通じて改革への認識を深めてもらいます。そのうえで、部局長にじっくり話して理解してもらうというステップを大事にしています。2018年4月に学部学科の再編成を行いましたが、「大学の将来のためにこの分野を育て、この分野は統合し、全体的に定数は増やさない」といったプランを粘り強く説明しました。大学におけるリーダーシップとはそういうことではないかと思っています。

蓼沼:同感です。部局は大学における研究と教育のベースです。私も部局長会議でよく「この場は執行役員会議という認識でいてください」と言っています。部局長は執行役員、事業本部長と考えています。組織の再編にも粘り強い取組が必要です。一橋大学では2018年4月に大学院の3つの研究科を再編統合し、ビジネスと法務の高度専門職業人養成という人材育成の目的に合わせて、「一橋ビジネススクール」と「一橋ロースクール」が発足しました。この組織改革は、実際の教育・研究面で融合するというフェーズに入っています。そのプロセスでは大学執行部も丁寧に目を配る必要を感じて、実践しているところです。

日本の学術振興政策に対する
問題意識

蓼沼:研究・教育を充実させるために、海外の大学との連携もますます重要になっていると感じています。貴学ではどのような状況でしょうか?

上野:研究者や学生が国際的に交流する協定校が100以上ありますが、つねに行き来するような、もっと濃厚に関わる重点校との関係を強化したいと考えています。現在、イギリスのレスター大学、ロシアのトムスク国立大学、韓国のソウル市立大学校、マレーシアのマラヤ大学の4大学を国際交流重点校とし、恒常的な研究者や学生の行き来のほか、シンポジウムを相互に開催したり、グローバルディスカッションキャンプといった深い交流の場を設けています。これにアメリカ大陸の1大学を増やしたいと考えているところです。

蓼沼: 大変参考になりますね。一橋大学は世界の社会科学系大学と連合をつくっていますが、そのメンバーの中の7大学で新たにアクティブラーニングプログラムをスタートさせます。ITを活用して、母国の大学に居ながら世界各国の大学の学生とチームを作り、各大学から参加する教員のリードの下、SDGs(持続可能な開発目標)といった社会課題解決をテーマに研究調査し、スカイプを通じてディスカッションして共同で研究成果をまとめるという斬新な教育プログラムです。
社会科学系の大学である一橋大学に対しては、どのようなことを期待されますか。

上野: まず、申し上げておきたいことがあります。日本の学術振興政策は理工系や医学系に偏り過ぎていて、総合大学の一リーダーとして危機感を覚えているということです。大学ランキングにおいても生命科学系がトップだといった風潮がありますが、人間のWell-being※のためには社会学や経済学などの社会科学系の学問はもちろん、人文科学系の学問も大変重要です。こうした分野の研究者にもリスペクトが払われなければなりませんが、予算措置などでは自然科学系に大きく偏っていますね。だからこそ、一橋大学には、日本の社会科学系大学のリーダーとしてぜひ頑張っていただきたいとの思いがあります。
近年、日本の研究力が落ちているという議論が横行していますが、その一番の問題は博士課程の学生数が2003年から減少の一途にあることです。首都大学東京も定員を埋めるのに必死ですが、人口100万人あたりのPh.D.の数は、日本はOECDの中でも低水準です。研究力が下がるわけです。産も官ももっとPh.D.をリスペクトしないと、どんどん衰退するでしょう。社会科学や人文科学は輪をかけてその傾向が強いと思いますが、本当にそのように軽んじていていいのか、と問いたいですね。

一橋大学がリードする
社会科学のプレゼンス向上に期待

上野 淳氏と蓼沼学長

蓼沼:私が言いたいことをすべて言ってくださいました(笑)。戦後、経済成長重視の国策の中で、研究・教育政策では産業との結び付きの強い理系が重視されるという流れが続いてきたのは事実です。一方、社会科学の側にも反省すべき点があります。リスペクトされるには、自らの研究が社会にどう貢献しているか、社会課題の解決にどう役立っているかを示す責任があると思いますが、それが不十分という一面があったのではないでしょうか。また、社会科学はそれぞれの国や社会に固有の問題を扱うことが多く、言葉の問題もあって国内に閉じる傾向があります。国際的な研究成果の発信が当たり前になっているのは、日本では経済学ぐらいです。その点、自然や生命に関わる世界共通の問題を扱う理系は早くから国際化していました。こうした事情も、日本の社会科学が自然科学に比べて国際的なプレゼンスの面で遅れた要因だと思います。

上野:社会科学のプレゼンス向上を一橋大学がリードすることを心から期待しています。

蓼沼:ありがとうございます。そう努めたいと思います。今、経団連と国公私の3つの大学協会が共同で設けた「採用と大学教育の未来に関する産学協議会」の「Soceity5.0人材育成分科会」で分科会長を務めています。産業界のトップの方たちと議論していて感じるのは、大学教育に対する認識や意識が自らの学生時代のままでいて、現在とのギャップが大きい方が多いということ。たとえばリベラルアーツ教育や大学院教育に対する認識も、大学側とは異なる方が少なくありません。各大学は今、学部・大学院ともにグローバルに活躍できる人材の育成のために、様々な新しい取組を進めています。産業界と大学との認識のズレをまずは埋めていく努力が必要だと感じています。

上野:Ph.D.に対しても、「視野が狭い」「協調性がない」といった偏見が根強くありますね。産業界に対しては、こうした古い認識を取り払って、日本の将来のために学生にチャレンジャブルな機会を提供していただきたいと願っています。

蓼沼:同感です。本日はどうもありがとうございました。

※ Well-being 心身の幸福。身体的、精神的、社会的に良好な状態にあること。