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失敗が教える、自らの足りなさと、自分が本当にやりたいこと

  • 株式会社ジーユー 代表取締役社長柚木 治
  • 一橋大学副学長(国際交流・広報・社会連携)中野 聡

2018年10月22日 掲載

ユニクロでお馴染みのファーストリテイリンググループにあって、"日本発のファストファッションブランド"の確立を目指す、株式会社ジーユー。その代表取締役社長を務める柚木治氏は一橋大学経済学部の出身で、学生時代は「一橋祭」の実行委員長を務めるなど活躍。ファーストリテイリングでは、新規事業で失敗するものの、その経験を糧に不調だったジーユーの立て直しを成功させた。そんな柚木氏の経歴や、若者論、教育論について語り合った。

柚木氏プロフィール写真

柚木 治

1988年一橋大学経済学部卒業後、伊藤忠商事入社。伊藤忠商事では人事と石油化学プラントビジネスを手がけたのち、帰国し経営企画を担当。退社後、GEキャピタル社M&Aマネージャーを経て、1999年ファーストリテイリング入社。2000年ファーストリテイリングダイレクト販売事業部 担当執行役員。2002年、ファーストリテイリングの新規事業として食品生産販売事業のエフアール・フーズを立ち上げ代表取締役社長を務める。2008年からGOVリテイリング取締役副社長。2010年同代表取締役社長に就任。2011年ジーユー代表取締役社長、2012年にファーストリテイリンググループ上席執行役員を兼任し、現在に至る。

中野副学長プロフィール写真

中野 聡

1983年一橋大学法学部第三課程(国際関係)卒業後、同大学院社会学研究科修士課程地域社会研究専攻入学。1985年同大学院社会学研究科博士後期課程地域社会研究専攻入学。博士(社会学、一橋大学)。1990年神戸大学教養部専任講師、同大学国際文化学部助教授、文部省在外研究員(フィリピン大学歴史学科客員研究員)などを経て1999年一橋大学社会学部助教授に就任。2003年一橋大学大学院社会学研究科教授、2005年安倍フェローシップ(コロンビア大学東アジア研究所客員研究員)、2013年フルブライト研究員プログラム(ジョージ・ワシントン大学シグーア・アジア研究所客員研究員)。2014年12月一橋大学大学院社会学研究科長・社会学部長を経て、2016年12月一橋大学副学長(国際交流・広報・社会連携)に就任、現在に至る。

「一橋祭」を本業にして
過ごした学生時代

対談の様子1

中野:本日は、よろしくお願いします。
柚木さんは1988年、昭和63年ですから昭和の最後のご卒業になりますね。

柚木:はい。経済学部です。

中野:私は法学部の1983年卒ですから、ほぼ同時期のキャンパスを知っている者同士ですね。ゼミはどこに所属しておられたのですか?

柚木:亡くなられた関恒義先生のマルクス経済学です。カジュアルな雰囲気のゼミでした。

中野:どんな学生時代を過ごされていたのですか?

柚木:あまり学業派ではありませんでした(笑)。そんな後悔もあって、卒業後に一橋のビジネススクールで学び、竹内弘高先生などにお世話になったのです。

中野:そうでしたか。

柚木:私の学生時代といえば、一橋寮に住んで、テニスサークルを楽しみつつ「一橋祭」の運営委員としての活動に力を入れる日々。「一橋祭」が本業でしたね。

中野:本業になりますね、分かります(笑)。運営委員会ではどんな仕事をされたのですか?

柚木:1、2年はいろいろな仕事をやり、3年で委員長をやらせてもらいました。印象に残っているのは、企業からの協賛金はパンフレットの広告だけにして、それ以外のスポンサー集めは頑なに禁止したことです。大学祭の趣旨が損なわれると。

中野:今でもそうしていると思います。それによって、「一橋祭」は学園祭として高い人気がありますね。

柚木:そうですね。

中野:では、柚木さんはゼミ以外、授業にはあまり......。当時の典型的な一橋大生という感じですね(笑)。でも、今はものすごく勉強させられるようになっています。

柚木:はい、驚きました。当時とは全く違いますね。

「一橋祭」で多くの人とつながった
快感、感動が、仕事の原動力に

対談の様子2

中野:今の学生についての話は追ってさせていただくとして、柚木さんはご卒業後、総合商社に就職されたのですね。

柚木:はい、伊藤忠商事です。石油化学プラントの仕事でした。通常は中近東に長期出張することが多いですが、私はアメリカのヒューストンに2年半ほど駐在しました。

中野:学生時代の経験や関心事は、仕事にどんなふうに役立ちましたか?

柚木:「一橋祭」の活動で感じたことが、今でも仕事の原動力になっているのです。自分のアイデンティティといいますか、モチベーションそのものです。「一橋祭」が、多くの人とつながった瞬間だったからです。

中野:なるほど。

柚木:多くの人を「わお!」と言わせたいといった思いがあって。一橋祭の本番を迎え、特にフィナーレでみんなが一つにつながって、それが快感、感動になり、体に染みついた、という感じです。

中野:一橋大学は、どんなことでも、学生が自分たちでイニシアティヴをとっていろいろオーガナイズして進めていくことがとても多いですね。部活やサークルの運営はもちろんですが、ゼミの運営、国際交流活動や新歓行事もそうです。大学の規模が小さいということもあるでしょうが、一橋大学の伝統のように思います。

柚木:一橋大学が私にとって最適だったのは、"メジャー感"と"程よいローカル感"の両方があったことです。有名だけど、国立というロケーションとマンモス大学ではないというところが最適でした。

中野:同感です。そこが本学の大きな特徴でもありますね。ところで、柚木さんは商社には何年おられたのですか?

柚木:11年です。次にGEキャピタルジャパンという外資系の金融企業に転じて、約1年働きました。その後、99年12月にファーストリテイリングに入社しました。

中野:この世代は、まだ転職する人はそれほど多くなかったのではないですか?

柚木:極めてマイノリティでした。実は、伊藤忠商事に入社した時、最初の配属は人事でした。そこで「営業に移してほしい」と言い続け、4年ぐらいしてから石油化学プラントに異動しました。4年間は採用をやっていたので、後輩は全員「柚木は人事」と思っているわけです。事もあろうにその人事担当者が会社を辞めるというのは、当時は大事件でした。

中野:この頃までは定年まで勤めあげることが普通だと思っていた世代でしたよね。バブル崩壊があって、都市銀行再編でいろいろ動いたりはしましたが。その後、労働環境は流動化の方向に変わっていきましたが、柚木さんはその最先端にいたわけですね。

柚木:そう思います。

野菜事業で26億円の
赤字を出す大失敗

対談の様子4

中野:ところで、ファーストリテイリングへの入社は、柚木さんのどんな経験が必要とされてのことだったのですか?

柚木:あらためてそう聞かれると、あまりできることはなかったのですが(笑)、商社出身のゼネラリストとして、プロジェクト・マネジメントや事業の管理、ファイナンスなどの経験は買われたと思います。入社した時は、まずEコマースの立ち上げをやりました。

中野:ユニクロブームが起きていた時ですよね。

柚木:第1次ブームでした。

中野:ファーストリテイリングのユニクロが国内で大成功し、海外に打って出てグローバル企業となりましたが、その第1号は2001年のロンドンへの出店でしたね。柚木さんが入社されたのはその準備段階の時期だったと思います。今では世界に冠たるグローバル企業となったユニクロは、近年の日本企業のなかでも希な成功例だと思いますが、その要因はどういったところにあるとお考えですか?

柚木:これまで、日本企業としてグローバル化に成功したところは、トヨタ自動車さんやキヤノンさんのように、技術力をコアにしたところがほとんどだったと思います。そうした中にあって、ファーストリテイリングは、洋服というソフトなもの、嗜好品に近い日用品でグローバル化できたわけです。その要因としては、丁寧さや高品質といった日本らしさにこだわったことと、日本人だけでなく世界中の人のアイデアとか知恵、技術を組み合わせたこと、そして柳井正という創業オーナーのビジョンの強さが挙げられると思います。

中野:ニューヨークに出店されたのは?

柚木:2006年です。アメリカの第1号は2005年に出したニュージャージーの店でしたが、目立たなくてうまくいきませんでした。そこで、売れ残りの商品を次の年にニューヨークのマンハッタンに出した店に並べたらヒットしたのです。

中野:ちょうどその頃、私は1年間、コロンビア大学で在外研究していました。ユニクロのニューヨーク進出は地元でもNYタイムズがとりあげたり、大きな話題になっていましたね。

柚木:そうでしたか。

中野:その後、ユニクロは野菜を販売する新規事業を立ち上げましたが、わずか一年半で26億円の赤字を出して撤退しました。事業責任者だった柚木さんは、柳井さんに辞表を提出したら「お金を返してください」という言葉で慰留されたそうですね。

柚木:「辞めさせてください」と言いに行ったら、ぶっきらぼうに「26億円損して、勉強して、それで辞めますですか?まずはお金を返してください」と言われたのです。後になって思えば、柳井流の引き留め方だったと分かりました。もし温情を掛けられていたら、僕は絶対に辞めていたと思いますから。意表を突かれましたね。

失敗で学んだ"無知の知"で
周囲の話を聞く姿勢へと一変

対談の様子5

中野:その失敗を、次にどのように活かされたのでしょうか。

柚木:この野菜事業の失敗は、「一橋祭」の活動における感動と同様に、自分にとっての最大の財産だと思っています。失敗した当初の落ち込み方は、尋常なものではありませんでした。失敗したことが広く世の中に知られて、とても恥ずかしい思いをしましたから。その経験からお話しすると、失敗を活かすには、まずは心底落ち込んだほうがいいということです。人に会いたくない、何をやるにも自信がない、自分の存在自体が嫌になるという状態を味わい尽くす。次に、何が原因で失敗したのか、何十人という取引先や周囲の人に聞いて、徹底的に反省することです。そして、生きていることが嫌になるほど自信を失くしている状態から、自分にできる目の前のことに何も考えずに取り組むことです。人より早く会社に来るとか、掃除する、大きな声で挨拶する、といったことです。そうしているうちに、徐々に変わっていけたように思います。

中野:まずは失敗した事実をちゃんと受け止めて、落ち込んだほうがいいと。落ち込まないというのは誤魔化しているわけで、正面から受け止めていないわけですね。逃げてはいけない。そして、とにかく体を動かして、体から回復していくということですね。

柚木:そうです。頭を動かそうとするよりも、できることから行動するということが大切なように思います。

中野:なるほど!

柚木:では何を学んだのかといえば、具体的にどうこうということではなく、"無知の知"だったのです。自分は何も知らない。何もできないということを学んだ。これが原動力となったと思います。

中野:それまでは自信があったわけですね。

柚木:自分の顔には"優秀"と書いてある、と(笑)。何でもできると思い上がっていました。ところが、そうじゃないと徹底的に叩きのめされた。それからは、勉強しよう、お客さまに聞こう、みんなの意見を集めよう、というような姿勢にがらっと変わりました。

中野:仕事のやり方、人との接し方が根本的に変わった。

柚木:それまでは"宇宙人"と言われていたわけです。何を考えているのかさっぱり分かからないと。人が話しているのを遮るように、自分の考えばかり話していたのです。

中野:新人類と呼ばれた世代ですね。

柚木:そうそう、新人類(笑)。笑顔でいても目は笑っていなくて、部下のことは心の中でダメ出ししているような上司でした。俺は忙しいのだから、くだらないことで話しかけるなと。不遜でしたね。

中野:そんな落ち込みと回復の4年強を経て、当時のジーユーの社長から、副社長に指名されたわけですね。その時はまだ躊躇されていたと。

柚木:ファーストリテイリング代表の柳井と当時のジーユー社長の中嶋に呼ばれたわけですが、固辞しました。2つの理由がありました。一つは、全く自信がなかったことです。野菜事業を始めた時、「この指とまれ」とメンバーを集めたのですが、ことごとく期待を裏切り、彼らの人生に影響を与えてしまったわけです。会社のリーダーや経営者になるには、余程の必然性や覚悟が必要で、それがなければ二度とやってはならないと自戒していました。もう一つは、ジーユーの社員にしてみれば、事業を失敗させた人間が上に来るのも嫌だろうと思ったことです。それで3か月間、断り続けました。柳井の命令を3か月間も断り続けたのは、いまだに世界記録です(笑)。

瀕死のジーユーを生き返らせた
"990円ジーンズ"の大勝負

対談の様子7

中野:それで、結果的に引き受けたというのは?

柚木:中嶋から「柚木さんと一緒にやりたいんだよ」と言われたからです。最初からうまくなんかいかない。1回失敗したぐらいで何を言っているんだ、と。初めてゴルフコースに出て、うまくいかないからってもうゴルフをやめてしまうのか、といったことを言ってもらいました。

中野:当時、ジーユーは何年目でしたか?

柚木:2006年の創業なので、3年目です。

中野:当時のジーユーの経営状態は?

柚木:かなり良くない状況でしたね。

中野:そういった状況に対して、どういった課題を解決していくことをミッションとされたのですか?

柚木:商品や店舗に特徴がなくて、売れていなかったのです。安いは安いけど、その安さは中途半端。品質も良くなく、ファッション性もない。ユニクロより安いだけで、"安かろう悪かろう"だったのです。そこで、ユニクロの7掛けぐらいの価格を半値以下にしようと安さを徹底し、"990円ジーンズ"を出しました。これがヒットしました。

中野:それは、どのようにして可能にさせたのですか?

柚木:ユニクロのジーンズが2990円で、ジーユーは1990円でした。それではダメだ、半値にしようと、1490円に下げました。これなら行けるのでは、と思ったのですが、今一つインパクトがない。ならば、990円ならびっくりさせられるのではないか、とまずは価格を決めました。じゃあ、それをどうやって実現させるか。素材の選定や縫製のやり方から、物流や店のオペレーションまで全部見直してコストを下げました。しかし、最大のポイントとなったのは、それまでのジーユーの実力では売れないほどの量をリスクをとって生産し、売れば、ボリュームディスカウントが効かせられるということだったのです。その賭けに出るかどうか。売れなければ、自爆です。それでも勝負に出ようと、2ケタぐらい多い量を発注しました。

中野:それが当たって、次が見えてきたわけですね。

柚木:話題になって集客につながり、バンバン売れて一命を取り留めたわけですが、1年もすると売れなくなりました。私は「のようなもの」ではやはり売れないと思いました。「ユニクロの安い版」というイメージでは売れない。本当はユニクロの服が欲しいけれども、安いジーユーで我慢するというポジショニングだからです。990円ジーンズも、たまたまリーマン・ショックがあって不景気になったという背景があり、プチブームになったに過ぎないということです。いざ、景気の落ち込みから回復すると、誰も欲しいジーンズではなくなったというわけです。

中野:なるほど。

瞬間瞬間の"究極の普通"を
当て続ける、脱・ベーシック戦略

対談の様子3

柚木:それで、どうすべきかとスタッフに意見を聞いて回ったのです。ジーユーの商品をどう思うかと聞くと、みんな「好きじゃない」と言うわけです。ルールだから着ているけど、本心では着たくないと。ショックでした。ならばどういう服なら着たいのかと聞くと、"ファッション"というキーワードが出てきたんです。当時、H&MやZARA、FOREVER21といった海外のファストファッションがブームになり始めていましたが、低下価格のファッションブランドは、なぜか海外のブランドばかりというわけです。そこで、「ジーユーを日本発のファストファッションブランドにしていこうよ」という話になりました。

中野:着たくなる服をつくるということですね。

柚木:実は、ファッションには懲りていたのです。当たり外れが大きい水物なので。でも、みんながみんなそう言うなら、その方向でやるしかないと。

中野:その路線は、どのようにしてモノにされていったのですか?

柚木:ユニクロもそうですが、元々の考えはファッションではなく、当たり外れの少ない"ベーシック"な服を売るということに大きなコンセプトを置いていました。そこで、実験をしてみたのです。その瞬間にみんなが着たいと思うようなマストレンドのデザインの服を置いてみると、ベーシックなデザインのものよりはるかに売れることが分かりました。なぜなら、その瞬間においては、着たいと思うことが究極の普通だからです。ならば、その瞬間瞬間のマストレンドのど真ん中、すなわち究極の普通を当て続ければいいのではないかと考えたのです。

中野:なるほど。

柚木:ファッションの常識としては、アイテムを増やしてバラエティを増やすほど選択肢が広がっていいというものですが、それではコストがかかり過ぎるので、我々は的を絞ったファッションをやろうということにしたわけです。

中野:その"究極の普通"とは、どうやって見つけ出すのですか?

柚木:世界中の情報を集めて最先端のトレンドを探るのと、モデルが着てかっこいいだけでは意味がないので、つくる段階では幅広いお客さまに買っていただくためにいろいろな体型でシミュレーションし、試着してバランスを調整するといったことをします。"トレンド×あらゆる人"のミックスを追求していくことがジーユーのやり方ですが、正直、簡単なことではなく当たり外れがあって、ベーシックよりも業績の波が大きいのが実情です。

若者のしっかりしているところと
物足りないところ

対談の様子6

中野:なるほど、そういうやり方をされているわけですね。ところで、ジーユーの顧客層は若い人たちでしょうし、店長や販売スタッフ、本社の社員も若い人が多いと思います。先ほど柚木さんは社員の意見を聞くことを大事にしていると言われましたが、若い人と接する機会が非常に多い仕事をされているわけですね。そのことは、柚木さんにとってどういった意味があるのかということと、今の若者像についてどうとらえておられるのかを伺いたいと思います。

柚木:若いお客さまを相手に若いスタッフと仕事をするうえで、「自分のようなおじさんには若者の気持ちは分からない」と思うことを心がけています。分かるような気はするのですが、分からないと言い聞かせて若いスタッフに考えさせる。けれども、「最後におじさんを説得してね」と言っています。

中野:若者のことは若者に任せるが、最後は経営者としてチェックするということですね。

柚木:それと、最近の若者については、すごくしっかりしているという面と、物足りないなという面の両方を感じます。前者では、地球市民というか、僕らの頃よりよほど世界中のことを知っています。インターネットやSNSの進展という背景があるからでしょうが、変な欧米コンプレックスもなく、対等に接しているという感じがしています。それに、人に迷惑をかけるのはかっこ悪いと思っている。勉強もしていますね。先日、ある人が「日本は30年ごとに繁栄と停滞を繰り返していて、2020年から次の繁栄が始まる。バブル世代が一掃されるからだ」と言うわけです。過去の成功パターンが染みついた人の多くが、第一線を去ると。つまり、若者の価値観によってつくられる時代が来るわけで、若者のことが分からない僕らが若者を評することはおこがましいのではないか、とも思います。

中野:物足りない面とは。

柚木:踏み外さないというか、スマートにやろうとするところ。欲を感じない人も多いですね。昔は、先輩などの不条理な人間関係に振り回されることがありましたが、そういう付き合いもありません。スクリーニングされた合理的な世界の中で、無駄や失敗、ケガをしないようなマッチングが進んでいるような気がします。特に日本は長きにわたり豊かな時代を過ごしていただけに、今、世界の中で厳しい状況になりつつあることに対する危機感をあまり持っていないような物足りなさを感じます。

中野:私の率直な印象は、学生たちが見るからに優秀であるということです。自分たちの頃は全くそんなことはなかった。

柚木:そのとおりです。グダグダでした(笑)。

中野:ですよね(笑)。中には昔の我々の頃のような学生もいますが、授業で目立つのは優秀な感じの学生です。非常に優等生的になっていて、どこに異端がいるのかが分からない感じがしています。かつての国立はのどかな環境に囲まれていることもあり、異端も伸び伸びと育つような雰囲気があったと思うんです。作家になった人もいました。そう考えると、今はどう異端が育つのかが見えてこないですね。

柚木:昔みたいになれとか、そういうことを言うつもりはありませんが、異端という存在も大事だと思います。

実践なくして上達なし
早くから経営を経験させる

対談の様子8

中野:先ほどの地球市民ということですが、この地球はあと50年もすれば大変なことになるということが常識的に浸透しているので、若者は"右肩上がりの社会像"といったものは全く持っていないと感じます。そのことが、いい意味でも悪い意味でも、彼らの行動基盤としてあるのではないか。豊かな社会にいても、右肩上がりにはなっていかないから、守りの姿勢が強いのではないかなと感じます。

柚木:社会の大きな変化は、若者の既存の価値観や常識に対する抵抗によってもたらされることが多いと思います。そこからいろいろな文化も生まれてくる。それがないのは、諦めているからなのでしょうか。

中野:選挙権は18歳まで下がりましたが。

柚木:「アラブの春」が良かったかどうかは分かりませんが、圧政に対して蜂起したわけですよね。ああいった萌芽もありませんね。

中野:余談ですが、経済研究所にいらした西條辰義先生は「フューチャー・デザイン」という実験的な研究プロジェクトで、自分が7世代先の人間だと想像して、将来世代の視点から政策を考える視点を提唱しています。そのフューチャー・デザインを取り入れている自治体も登場しているそうです。住民に自分の世代として判断を下すのと、7世代後として判断を下すことを体験してもらう。すると、お金の使い方が変わってくるのです。

柚木:面白いですね。

中野:次に、人材育成について伺います。我々の世代の日本的な人材育成は、「大学を出るまでは遊んでいろ」というような面があったと思います。地頭が良ければ、会社に入っていくらでも覚えていけると。それが変わってきていると思うんです。企業としては終身雇用ではなくなってきているので、人の育て方も変わっているだろうと。そこで、ファーストリテイリングやジーユーでは、どういったポリシーで人材を育成しているのかお聞かせください。

柚木:人材育成はとても難しくなっていると思っています。過去と比べると考えられないぐらい物事が速く変化する時代になっているので、組織としても上意下達では対応できなくなっています。アメーバ型なのかネットワーク型なのか、変化に柔軟に対応できる形で現場現場で判断できる経営者集団にならなければ勝てない時代だと。それに対して、どう人材を育成していくか。必ずしもうまくいっているわけではありませんが、できるだけ若いうちから経営を経験させるに越したことはないと考えて、実践しているところです。スポーツでもなんでも、実践なくして上達はありませんから。そこで我々は「店長は経営者の縮図」と言うのですが、実態としてどれだけの権限や裁量を持ってやっているかといえば、まだまだ限界を設けているわけです。そこで、仕入れやマーケティング、人材採用などもっと権限を持たせていくという方向で進めています。それと、場所を変えると人は伸びるということがあるので、国をまたぐ異動というのも増やしていきます。ITリテラシーの向上もテーマですね。

中野:店長の平均年齢はいくつぐらいですか?

柚木:30歳手前ですね。

セーフティーゾーンにいては
真にやりたいことは見えにくい

対談の様子9

中野:20代から経営経験を積めるのはいいことですね。ところで、柚木さんは一橋のビジネススクールでエグゼクティブプログラムを受講されましたが、どういった価値を感じましたか?

柚木:ためになっているのは、世の中のことや世界のことをあまり知らなかったと思えたことです。先生も交ざってディスカッションしている時、テーマとなっている問題の本質について、引き出しから世界中のいろいろな例を出してきてくれる。その理論と実践について解説してくれたりすることが、すごく刺激になっていますね。その場ですべてが賄われるわけではありませんが、そこでインスパイアされたことで関連する本を読むとか、人に会うといったことで、社外の世界につながるのです。そこで、自分の本業のことしか見ていなかったと悟ることができ、視野を広げることができています。あと、自分たちがやっているビジネスについて、誰よりもよく知っていると思っていても、そのモデルの本質についてどこが強くてどこが弱いとかいったことを再整理できることで、ハッとさせられることもあります。

中野:では、今の若者にとっての大学の4年間はどうあってほしいと思われますか?

柚木:勉強でも部活でも、恋愛でもアルバイトでも、失敗するくらい思い切ってやってほしいと思います。踏み外さない人が多い中、失敗経験を積んでおくのは大事なことだと思いますね。就活をしている学生と話す機会があるのですが、今も昔も変わらないことの一つが、自分が何をやりたいのか分からないということです。分からないのは当たり前のことで、失敗してみないと本当にやりたいことって見えてこないのではないかと思うのです、逆説的に。失敗したら、「これは絶対にやりたくない」ということもあれば、「これは絶対になんとかモノにしたい」と思うこともあると。あるいは、辛い思いを経験したことで、人のためになるようなことをしたいと思ったり......失敗から学ぶのではないかと。セーフティーゾーン、コンフォートゾーンの中にいるまま、「何がしたいか分からない」というのは、もったいないことだと思うのです。

中野:確かに。社会に出てから失敗するより、学生のうちに失敗しておいたほうがいいということですね。

柚木:慣れておいたほうがいいということもあります。専門的なことを勉強するのは、武器を持つうえではいいと思いますが、人として本質的にやりたいことを探すには、失敗しておくことが大事ではないかと思います。

中野:一番失敗を学べる確率が高いのは、恋愛ですね。

柚木:いいですね。僕はふられたことのない人っていうのは信用しないことにしているんです。妬みも含めて(笑)。

中野:そうですね(笑)。本日はありがとうございました。