hq49_img00.jpg

「自分らしく」の奥義

  • 池田 範子
  • 小林 麻美
  • 只友 真理
  • 商学研究科教授山下 裕子

2016年冬号vol.49 掲載

第4回「エルメス会議(拡大女子会)」誌上座談会
〜自分らしさを発揮しながらうまくいく方法〜

2015年11月8日、第4回「エルメス会議(拡大女子会)」が開催されました。
今回のテーマは、「新しいキャリアを創る〜自分らしさを発揮しながらうまくいく方法〜」。
転機を迎えた時、あるいはワーク・ライフバランスを考えた時、自分らしさを発揮しながら、どうキャリアを形成していくかを考えていきました。
HQではそれに先立ち、3人のパネラーに集まっていただき、各人の軌跡、選択と決断を語っていただきました。
聞き手は、商学研究科准教授の山下裕子です。

池田範子氏プロフィール写真

池田 範子

1997年一橋大学社会学部卒業。田崎ゼミ。1998年中規模ITベンダーでシステム開発プログラマーを経験。2000年アビームコンサルティングに製造業向けのシステム導入コンサルタントとして入社。複数の海外プロジェクトを経験した後、海外アウトソーシングチームのマネージャーを務める。2010年退職し、その後、東京工科専門学校でウェブサイト制作技術を習得、2社でアルバイトをしつつ実務経験を積む。2011年女性の起業を支援する、またたび企画株式会社を設立。2013年第1子を出産し、3か月で職場復帰。新サービスを開始するなど自社の成長に努め、現在に至る。

小林麻美氏プロフィール写真

小林 麻美

2000年一橋大学商学部卒業。中谷ゼミ。同年日本コカ・コーラ株式会社に入社。機器開発、エリアマーケティング、チャネルマーケティングなどを担当。2004年結婚し、夫の転勤に伴い日本コカ・コーラ株式会社を退職。2005年北海道で情報サービス会社に就職し、教育機関広報の営業を担当。2007年日本コカ・コーラ株式会社に再入社し、マーケティング部門ウォーターカテゴリー配属。2014年ハイドレーションカテゴリーに、2015年にはティーカテゴリーに異動し、「爽健美茶」、および「日本の烏龍茶つむぎ」を担当。

只友真理氏プロフィール写真

只友 真理

2002年一橋大学商学部卒業。鈴木ゼミ。同年外資系生命保険会社に入社、リテールマーケットでの代理店営業を3年弱経験。2005年アメリカンホーム保険会社に転職。2008年第1子を出産し、産休・育休を取得後、2009年同部門同業種(営業職)に復帰。2011年経営企画部に異動し、広報とCSRを担当。2012年12月同部に広報・CSR課が設立され課長に昇格。同時期に第2子を妊娠。2014年4月第2子の産休・育休を取得後、同部門に復帰。2015年7月親会社のAIGジャパン・ホールディングス株式会社広報部にCSRマネージャーとして異動(アメリカンホーム保険会社と兼務)し、現在に至る。

自分らしさを発揮できる働き方を求めて

山下:今回のテーマは「転職」です。長い人生には、いくつもの転機があります。キャリアをあきらめず、むしろ転機を通してさらに成長していくにはどうしたらいいでしょう?M字カーブが女性管理職の少なさの原因として指摘されます。確かに、かつて選択肢はゼロイチで、組織に合わせることが働き方の基準でした。今でも、再就職市場での条件の悪さに仕事復帰をあきらめてしまう人も多いと思います。転機をバネにステップアップされた3人にお話を伺いたいと思います。
只友さんは、外資系の損害保険会社への転職が大きな決断だったと言われましたね。

対談中の様子1

只友:私は新卒で生命保険会社へ入社したのですが、インターネットを利用した保険の通販に関わりたいという希望を持っていました。入社後の3年弱、希望とは逆の対面型販売の代理店営業を担当しました。自分の目指す仕事ではないという気持ちもあり、毎年勤務地が変わる可能性のある仕事では、結婚・出産は不可能だと思いました。上司や男性の先輩に相談したところ、「営業は10年はやるもの」という感覚であることが分かり、やりたい仕事をするためには、自分で道を切り開いていくしかない、と。正直に言って不安もありましたし、私にとってはとても大きな決断でした。

山下:人生や仕事の理想に忠実であれ、と、今の現場を極めろ。どちらの声を聞くかは難しいですよね。具体的にはどのように転職を実現したのですか?

只友:転職エージェントも訪ねましたが、当時のキャリアでは不十分で自分で探すしかないと思いました。現在の会社は、インターネットで検索して見つけました。営業対象が個人から法人になりましたが、同じ保険業界で代理店営業という同じ職種への転職であったため、社会人経験が少ないにもかかわらずキャリアアップにつながりました。しかしながら最初の勤務先で泥臭い現場を経験したことが、私のキャリアの基盤になっていますね。

一生働き続けたいからこそ、起業を選択

対談中の様子2

山下:池田さんは3年目に異業種へ転職されたのですね。

池田:今思うとキャリア形成のイメージがつかめないままに就職したと思います。就職先はIT企業で、パソコンなど触ったこともなかったのにSE(システムエンジニア)への道を歩み始めました。プログラマーを3年やり、もっと違う仕事がしたくなったことと、海外で働きたいという気持ちが強くなったことが転職の動機です。コンサルティング会社へ転職し、ロサンゼルス、フィリピン、マレーシア、タイ、上海などで3〜6か月滞在しながら仕事をしました。

対談中の様子3

山下:希望通りの海外勤務を経験し、結婚もされましたし、32歳でマネージャーにも昇進された。そのキャリアを降りようと思われたのはなぜですか?

池田:私は、仕事や働き方で男性と同じことができると思ってやってきました。ハードワークを求められる会社で、仕事のことしか考えずに過ごしていたと思います。でも、30歳を過ぎた頃から、このペースでやっていったら70歳まで働き続けるのは難しい、いつか失速するなと思うようになりました。失速するより、緩い働き方にシフトチェンジし、70歳まで働けるようにしたいと思ったことが一つです。
また、さらに昇進するためには、ハードワークに加えて、社内の人脈づくりや組織内でうまくやっていくことが必要になります。ですが私は突っ走ってしまうタイプで、実はどちらも苦手なのです。ちょうどその頃、夫が起業したことに刺激を受け、私も起業にチャレンジしようと思いました。

気張らずに「働く」を楽しむ

対談中の様子4

山下:小林さんは、ご家族の転勤で一時は専業主婦を選択されたのですね。入社して何年目ですか?

小林:入社5年目です。私は入社後の3年間はあまり会社に貢献できていなかったと思います。最初の2年間は全く畑違いの機器開発部門に所属していました。何も分からないけれど、見るもの、聞くものが新鮮で楽しいというだけでした。3年目に福岡に転勤しエリアマーケティングのチームに異動しましたが、ここでもあまり貢献できなかったのではないかと思います。4年目に東京へ戻り、チャネルマーケティングに携わることになりました。5年目を半年ほど過ぎた時、夫の転勤先である札幌に行くため退職することに決めました。

対談中の小林氏

山下:仕事に脂が乗り始めた時期だと思いますが、辞めることに迷いはなかったのですか?

小林:働き続けることだけを目標に考えたことはありませんでした。生活している以上、仕事とプライベートを区切って別々に考えることはできないと思っています。生きていくうえでその時に何を優先するかを考え選択しました。札幌には友人も知人もおらず、ちょうど秋冬の寒い時期だったこともあり半年ほどほとんど家の中だけで過ごしました。雪が解けて地面が見えてきた頃、そろそろ外へ行こうかなと(笑)。情報サービス会社に就職し、教育機関広報の営業を担当しました。仕事の種類にこだわっていたら仕事を探すことは難しかったと思いますが、こだわらなかったことで、新しい楽しさを見つけられました。

ライフステージの変化に合わせて働き方を調整する

山下:転機は一度ではありませんし、キャリアを創るためには、どんな準備をしていくかも重要になると思います。池田さんは、起業のために何をなさったのですか?

対談中の池田氏

池田:女性向けの起業塾に入りましたが、そこで自分のアイデアなど大したことがないと気づかされました。起業には学歴も経験も関係ありませんから、ウェブサイト制作技術を習得しようと専門学校へ入学しました。卒業後は2社でアルバイトをしながら経験を積み、2011年に「またたび企画」を設立。最初は知人のホームページの制作から始めました。仕事を広げていく過程で、人間関係で困難に直面したりもしました。自営業と会社員ではやはり世界が違います。相手を理屈で追い詰めない、柔軟にしなやかに対応していくことが必要なのだと学びましたね。
ウェブ関連技術はつねに進化していますし、自宅など身近な場所で起業を志す女性も増えています。起業2年目に方向転換し、そうした女性に技術を教えるセミナーなども手掛けるようになりました。2013年に出産しましたが、産休や育休は当然ありません。出産直前まで仕事をし、3か月後に週2回働くというペースで復帰しました。

山下:只友さんはお子さんが2人いらっしゃいますね。仕事を続けるうえで出産は転機になったのですか?

対談中の山下氏

只友:法人代理店営業で仕事が乗ってきたと思った頃、最初の子どもを出産し、育休後に復帰しました。ちょうどその頃、生命保険会社に勤める夫が内勤の仕事から営業職に異動になり、私は営業サポートでの復帰を希望したのですが、社内事情により営業職での復帰になりました。夫婦どちらも営業職で、もう怒濤の日々でした(笑)。
私にとってのもう一つの転機は、2011年に経営企画部に異動し、広報とCSR(企業の社会的責任)を担当したことです。ニュースリリースに力を入れ、件数を8倍に増やし、管理職に昇進したところで2人目の子を妊娠。産休・育休後に復帰したタイミングで上の子が小学校に入学したのです。共働きですから、子どもの放課後の環境に危機感を覚えました。夫も同じ思いだったのですね。夫は生命保険会社を辞めて民間学童の事業を始め、私が大黒柱の役割を担うことになったのです。これも大きな転機といえますね(笑)。

山下:小林さんは、その後元の会社に再就職され、「い・ろ・は・す」の開発に携わることになったのですね。

小林:はい。北海道を満喫していた時に、夫の東京転勤が決まりました。当時勤務していた情報サービス会社の上司に相談したら、「前の会社にコンタクトを取ってみたら?」とアドバイスしてくれました。そして元の上司に連絡を取ったところ、人事に話してくれて再入社が決まりました。マーケティング部門を希望し、以来6年半ウォーターカテゴリーチームで働きました。新ブランド「い・ろ・は・す」の開発・導入から確立まで携わり、大変でしたがとてもいい経験になりました。

働き続けるからこそ、しなやかさを大事にする

対談中の只友氏

山下:皆さん自分らしさ満開でやってこられましたね(笑)。キャリアの創り方は決して一つではないということを実践され、もちろん今話された以上の困難や苦労もあったでしょうが、すごくしなやかに歩まれていると思います。最後に、そうした過程を経た現在のご自分についてと、学生へのメッセージを語っていただけますか。

只友:私は今年の7月に親会社の広報部にCSRマネージャーとして異動しました。グループのCSR活動を再構築するという大役を任され、しかも前職との兼務ですから非常にチャレンジングな経験をさせていただいています。
私にとって仕事を続けられることと、子どもを持つことは大前提でした。そして子どもを持ったことで、私自身も周囲の評価も変わりましたね。「只友さん、丸くなったね」って言われます(笑)。子どもを育てる時、決して見捨てたりしませんよね。部下に対しても自然にいいところを探すようになり、案件をうまく調整できるようにもなりました。子育ての経験がマネジメントに活きていると思います。
今の学生は、しっかりしているし、真面目な人が多いように思います。しかし真面目になりすぎないことも大事です。自分を見つめながら、自由にしなやかに歩んでいけば、働き続けられる道はできてくると思います。

池田:会社を大きくすることは育てるということなのだと実感していますね。そのために役立つことは全部やろうと考えていますし、趣味ができてよかったとも思っています(笑)。私自身、キャリアをつなぐことの重要性を実感しましたので、育休や介護でキャリアを中断した女性が実務経験を積める「Be-Working」という新しいサービスを立ち上げました。学生さんには、人生は長いのだから、失速しない働き方を考えて、と言いたいですね。

小林:お2人の話を聞いていてすごく共感しました。「何々すべき」ではつまらないし、辛くなります。
実際の社会では、思い通りのキャリアを描けることなど、なかなかあることではないと思います。社会に出るにあたっては、「もしかしたら思い通り・計画通りにはならないかもしれない」くらいの気持ちでスタートすると、しなやかに、楽に歩んでいけると思います。

対談中の様子5

対談を終えての集合写真

第4回「エルメス会議(拡大女子会)」誌上座談会を終えて「ホモフィリーを超えて」

ホモフィリー:何らかの共通の要因でつながっている同類関係のこと

エルメス会議では、次から次へ事務局のバトンが渡されている。今回は、一段と若い世代の、新井七枝さん、佐藤怜菜さん、西野史子さんが企画運営を務めてくださった。新顔で、小さいお子さんを抱えて仕事をしながらなのに、さらりと企画運営が進んでいく。毎回のことだが、新鮮な驚きを感じる。
打ち合わせの会は大変楽しいのだが、テーマ決めの議論の中で、「先輩たちは、バリキャリ(バリバリのキャリアウーマン)か主婦の二択になっていて、バリキャリを選んだ人は男性と同化していた。先輩方が道を切り開いてくださったことに感謝する一方、ああはなりたくないって、正直思いました」なんて本音発言もあったりして、どきっ。そしてでてきたのが〈自分らしく〉というキーワードだった。〈自分らしく〉か~。髪を振り乱してた世代にとっては、ちょっと甘ちゃんに聞こえるかも......。
しかし、甘ちゃんなのは私であった。〈自分らしく〉とは、企業に頼らず、男性に媚を売らず、他人の真似をせず、自分で道を切り開く、タフな生き方だったのだ。考えてみれば、超氷河期に就活をやってのけた人たちなのですね。
「付加価値を高めるためにどうしている?」という質問に対して、池田さんは、お客さんと数字と真摯に向き合う、小林さんは、一つひとつの仕事に力を尽くす、只友さんは、それで辞めてもいいと思えるほど、会社のために身を挺して正しいことを考えている、と。カッコイー。
ソーシャル・ネットワーク研究では、企業組織での成功と男性のホモフィリー人脈の利用との関係が解明されてきた。しかし、考えてみれば、ホモフィリー人脈から外れているからこそ、自分の足で立つタフな女性たちが育ってきたともいえる。そんな女性たちなら同性のホモフィリー人脈をもう一つつくる必要などないのでは?
しかし、一橋の女性たちは、同性でつるむことに留まってなどいなかったのである。今後のミッションとして、(1)女性の労働の付加価値を高める、(2)そのことで社会貢献する、という目標が浮かび上がってきたのである。今回、活動に対して、野村財団「女性が輝く社会の実現」助成金により支援をいただけることが決定したこともご報告させていただきたい。
ベタベタつるんでいる閑があったら、何か社会に還元しよう。くすぶっているよりは、前に進もう。まさに上善如水。さらさらとした流れが大きな潮流となるのを実感した素敵な一日だった。

山下 裕子

(2016年1月 掲載)