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ガラスの床にご用心

  • 商学研究科教授江川 雅子
  • 商学研究科教授山下 裕子

2017年冬号vol.53 掲載

「一橋の女性たち」シリーズが始まったのが、2003年。今から13年前のことです。
その後この企画は50回を重ね、さまざまなフィールドで活躍する一橋の女性たちを紹介してきました。
この企画のインスピレーションとなったのは、80年代に出版された『ハーバードの女たち』※1
第3回(『HQ』第4号、2004年)では、訳者の江川雅子さん(当時商学研究科博士課程在籍)にご登場いただきました。
第51回という節目に立ち、商学研究科で教鞭を取ることになられた江川さんに改めて、女性が活躍できる社会の実現に向けてご意見を伺いました。聞き手は、商学研究科准教授の山下裕子です。

※1『ハーバードの女たち』YukoYamashitaローマン・ガレーズ著、江川雅子訳。1987年、講談社刊。原題は、"WOMENLIKEUS"〈Gallese,LizRoman〉。ハーバード・ビジネス・スクールを1975年に卒業した女性の10年後を描いている。

江川氏プロフィール写真

江川 雅子

1980年東京大学教養学部卒。同年、シティバンクに就職。1986年ハーバード大学経営大学院(ハーバード・ビジネス・スクール)修士課程修了(MBA)。1986年から2001年までニューヨーク及び東京で外資系投資銀行に勤務。2001年から2009年までハーバード・ビジネス・スクール日本リサーチ・センター長。2006年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了、商学博士。2009年から2015年まで東京大学理事を務め、国際、社会連携、広報、産学連携、男女共同参画などを担当。2015年より一橋大学大学院商学研究科教授、現在に至る。旭硝子、東京海上ホールディングス、三井不動産の社外取締役も務める。

大学進学率は増えたのに

対談中の山下氏

山下:12年前、江川さんはハーバード・ビジネス・スクール日本リサーチ・センター長を務められていましたね。その後、東京大学の理事に就任され、大学の国際化と並んで、男女共同参画にも深く関わられるようになりました。『一橋の女性たち』も回を重ね、この企画の中から「エルメス会」が誕生し、来年は国際シンポジウムの開催を計画しています。一橋大学の卒業生の経験を通じて、女性たちの立ち位置を、未来に向けて振り返ることができたらと思います。

江川:一億総活躍社会にしようということで、女性の働き方が改めて注目されている時期でもありますね。

山下:1980年代に男女雇用機会均等法ができましたが、1990年代、女性の教育と就業を取り巻く環境は大きく変わりました。女性の大学進学率が大きく上昇し、ほぼ、男性と肩を並べるまでになっています。一般職の廃止と呼応するように、短大進学者を吸収する形で進行しました。ただ、近年では一般職が復活しています。男女の共同参画というアイディアは社会に広く浸透したものの、その実現という意味ではまだ多くの課題がありますね。

江川:世界経済フォーラムが公表している「ジェンダー・ギャップ指数」※2によると、日本は女性の教育・健康面のスコアは高いのに、政治・経済に参画している割合は低く男女格差が大きくなっています。大きな教育投資もなされているのに、優秀でポテンシャルの高い人材を活用していないと、OECDの報告書でも指摘されています。

図:日本の各分野の比較と順位

日本の各分野の比較と順位
出典:『ジェンダー・ギャップ指数 (2016)Global Gender Gap Index』

山下:政府の熱心な取り組みにもかかわらず、また、順位が下がってしまいましたね。144か国中111位だそうです。女性の教育水準の向上とともに、社会参画が向上するのが一般的な傾向だと思いますが、日本では、大学への壁が低くなったのに、職業への壁が高くなってしまったように見えます。もっとも、進学率が上がったのは女性だけではなく、男性もです。国際的に見れば、90年代以降、OECD加盟国では、大学進学率が大きく上昇していて、日本はむしろ低いほうです。先進国では、全体の大学進学率が大きく増えた中で女性比率が増え、それが、女性の社会進出に結びついていると言えそうです。日本の女性は、なぜ大学での教育を、職業に結びつけられていないのでしょうか。

主な国の順位

順位国/経済圏スコア
1 アイスランド 0.874
2 フィンランド 0.845
3 ノルウェー 0.842
4 スウェーデン 0.815
5 ルワンダ 0.800
6 アイルランド 0.797
7 フィリピン 0.786
8 スロヴェニア 0.786
9 ニュージーランド 0.781
10 ニカラグア 0.780
13 ドイツ 0.766
17 フランス 0.755
35 カナダ 0.731
45 米国 0.722
50 イタリア 0.719
75 ロシア 0.691
99 中国 0.676
111日本0.660
116 韓国 0.649

出典:ジェンダー・ギャップ指数 (2016)Global Gender Gap Index』

江川:日本ではいまだに男女の役割分担に対する意識が根強く、それが女性の活躍を妨げているように思います。英・エコノミスト誌の記事に、東京大学を卒業し、マッキンゼーで働く有能な女性が30歳で仕事を辞めて専業主婦になる希望を持っているという話が載っていました。人口の半分を占める女性を活かしていないのは、飛行機が片翼飛行をしているようなものです。

山下:大学進学率にしても、単純に全体的な数字だけでは、男女比は縮まりましたが、文系と理系では差がいまだに大きい。江川さんは、東京大学の理事をなさっていた時、東大にリケジョを増やすという仕事もなさっていましたね。

江川:ハーバード大学やオックスフォード大学等の名門校では、男女比率は半々、理系大学のマサチューセッツ工科大学でも女性が4割ほどいます。一方、東京大学は全体で2割未満、理・工学部では10%未満です。社会に出れば半数は女性ですから、教育環境としていびつで問題だと思います。一橋大学も女子学生はまだ三割未満です。

山下:東京大学では、80年代に女子学生比率が10%になり、2000年までに18.7%と着実に増加しましたが、その後、ずっと、横ばい状態が続いているようですね。アメリカの大学では入学試験も異なるため、単純比較はできませんが、それにしても、なぜ、2000年でストップしてしまったのか?

江川:受験する女子学生が増えないのが大きな原因です。卒業しても活躍するチャンスが少ないというイメージ、お嫁にいけなくなるという神話のようなものが今でもあるようです。浪人を避けて確実に合格できる大学を選ぶ傾向もあります。また、地方の女子学生は親から地元の大学に行くように言われることが多く、理系志望の女子学生は東大よりも地方の国立大学の医学部へ行ってしまうようです。一方、日本と同様に女性の社会参画が遅れている韓国のソウル大学校の学生の男女比は半々で、女子学生がトップの大学へ進学することを躊躇しなくなっています。
女性の比率が低いのは学生ばかりでなく、教職員も同じです。東京大学の理事をしている時に、環太平洋の40大学の会議で調査したところ、アジア圏のマレーシアや韓国などと比較しても、日本の大学の女性比率は教員・職員・役職者のすべてで最低でした。海外には女性の学部長や学長もいますが、日本ではまだ僅かです。

山下:そもそも女子学生が少ないから、将来の研究者や教員候補の母数が限られてしまいますね。

図:一橋大学 女子学生数(学部)の推移

一橋大学 女子学生数(学部)の推移
出典:一橋大学概要(1990年~2016年)、一橋大学要覧(1963年~1980年)

※2「ジェンダー・ギャップ指数」:各国の社会進出における男女格差を示す指標。世界経済フォーラム(WorldEconomicForum)が2005年から実施し毎年公表している。経済参画、教育、政治参画、健康の4つの分野のデータから作成される。日本は経済参画・政治参画で特に格差が大きく、2015年は145か国中101位、2014年は142か国中104位。

グラスシーリングの前に天井が

山下:文系の場合、職種との連関をつけにくいところに持ってきて、総合職制度のもとで、女性にとって将来どのように活躍できるのか、イメージしにくいという問題もあると思います。

江川:会社の仕事はチームですることが多いですから、会議に出席できないことはマイナスになりますし、個人がどのくらい貢献したかもはっきりしません。その点、理系は専門性が高いことに加え、個人の貢献度がはっきりしているので、女性が活躍しやすい面もあるかもしれません。

山下:雇用機会均等法世代の女性たちにお話を伺うと、そもそも働く女性の先輩がおらず、将来像がつかめず不透明だった。けれども、その分、「面白そう!」と突っ走ることができた。壁があったが故に頑張れたということもあるでしょう。今の世代は、情報がありすぎて、逆にこれもだめ、あれもだめと、可能性に蓋をしてしまう。ロールモデルが負の方向に働いてしまうということもあるのかと思います。海外の女性たちは、そういう問題をどう乗り切り、モティベーションやパッションを維持しているのですか?

江川:海外では女性の活躍の場が徐々に広がっています。外国では売上や時価総額が50位以内に入る大企業にも女性社長が多数います。現在、GM、IBM、英ロイヤル・メール(旧郵政公社)も女性が社長を務めています。日本では社外取締役は増えていますが経営幹部はまだ少ないですね。

山下:教え子たちを見ていると、こんな働き方では、結婚生活は無理、と、30歳手前で会社をやめてしまうケースが目立ちます。M字カーブというけれども、実際はもっと早くから、具体的な出産や育児の前に将来を予測して気持ち的には戦線離脱してしまう。せっかくそれまで、一生懸命勉強して、生き生きと仕事をしてきたのに本当に残念だなあと思います。

対談中の様子1

江川:東京大学でも優秀な女性職員が昇進試験を受けたがらないということが多々ありました。ロールモデルが少ないうえに、結婚していれば家庭の責任が多くのしかかっているんですね。これは女性本人の問題ばかりではなく、強い女性は批判される傾向があると言われています。ヒラリー・クリントン氏も国務長官時代は憧れられる存在だったのに、大統領候補になったらネガティブな評価になってしまいました。
日本でも管理職における女性比率は上昇していますが、そのスピードは世界と比較すると遅いですね。海外では中間管理職までは女性が進出して、トップに女性が少ないのが問題になっていますが、日本では中間管理職もなかなか進まない。いわゆる「グラスシーリング」の前に天井があるように思います。

山下:その原因は、どこにあるとお考えですか?

江川:やはり、ジェンダーの役割が固定化していることと長時間労働でしょうね。しかもこれらが組み合わさっています。女性の就業比率は確かに上昇していますが、働くならパートがいい、昇進したくないと考える人が多いのも事実です。

山下:一般的に女性の賃金は男性に比べて低いですし、昇進も遅いですね。

江川:パートで働く女性が増えていることもあって、統計的に見ると女性の給与は男性の6割未満で、海外と比べても男女差が大きいです。扶養控除の枠もありますし、女性は家庭の中での仕事もあるから、なかなかフルタイムを選択できない。フルタイムで働きたい人は全体の2割以下です。家庭の中での男女の役割が平等にならないと、女性がやる気や能力を発揮するのは難しいと思います。

自分の中に力を蓄えつつ、楽観的に考える

対談中の様子2

山下:環境の問題は大きいですが、女性の動機づけの問題も大切だと思います。江川さんのソース・オブ・アンビション(大志の源)はどこにあるのですか。

江川:アンビションという言葉が適切かどうかは分かりませんが、「自分が成長できて面白いと思えることをやりたい」という気持ちでチャレンジしてきました。ビジネスからアカデミックな世界へ行けたのは、幸運だったと思います。チャンスに恵まれましたね。

山下:大学を出て就職される時もそうだったのですか?

江川:東京大学では官庁に行く人が多いのですが、私はあまり関心が持てず、長時間労働にも抵抗感がありました。ビジネススクール卒業後、ぜひウォール街で働きたいと思って投資銀行に入りましたが、気づけば長時間労働もこなしていました(笑)。
その後、母校のハーバード大学の仕事をしましたが、その経験が東京大学の理事につながりました。国立大学の法人化により、民間の人材が求められるようになった時期と重なったこともあったと思います。

江川氏と山下氏

山下:江川さんには、「ジェントル・ウーマン」という言葉がぴったりだと思います。抑制が利いていらっしゃるのに、行動力がある。社交的なのに、群れない。憧れです。

江川:あまり褒めないでください。商学研究科では新任の教員です。博士課程の同期は30~40歳代ですし、いろいろな年代の人と話すようにしています。

山下:私が今とても残念に思っているのは、先にも申し上げたように、一橋大学で教育を受けた女性卒業生が仕事を辞めてしまうことです。学生にアドバイスをお願いします。

江川:私は外資系企業にいたからかもしれませんが、きちんと仕事をしていると、それを見ていて引っ張ってくれる上司はいましたし、納得できないような人事があっても、数年単位で見れば是正されました。ですから、自分の中に力を蓄えることが重要だと思います。日本では会社の中でキャリアを重ねていくのが一般的ですが、いつでも転職できる力を身につけておくことも大切です。力を蓄えつつ、楽観的に前向きに考えること。女性の人生はライフイベントなどサプライズも多い。すべてが上手くいくことはまずないですから、そういうこともあるさ、と肩の力を抜くと、違う風が吹いてくると思います。

対談を終えて「江川さん、余裕の源泉は何ですか?」

江川さんに登場いただいた2004年。ここまで女性が苦戦するとは思わなかった。女子学生数が年々増え、働く女性の厚い層が生まれていたからだ。
しかし、今振り返ってみると、大変皮肉なことだが、『一橋の女性たち』が始まったころをピークに、女子学生数は頭打ちになっていた。時代の転換期だったのだろう。第3次ベビーブームが期待された2000年以降も出生率は下がり続けた。一方、M字カーブ(年齢を横軸とした女性の労働力人口の形状)の存在が知られているように、出産のため職場を去る女性も多かったのである。女性が仕事をするのは当たり前、でも、子どもと仕事と両方は無理。じゃあ、何のために勉強するの?
若い女性たちが後に続くためには、先に続く世代が風穴を開けていかないと。なのに、私たちはガラスの床を作り出していないかしら?
2004年の江川さんとの対談で印象に残っているのは、金融界からHBSへと転身されたきっかけの一つが卒業15周年の同窓会の時に出席した同級生の追悼式だったというお話だ。人生を振り返って、社会貢献をしたいと思われたそうだ。その後、当時のミッションを鮮やかに実現された。
誤解を恐れずに言えば、江川さんは、男の中の男、いやもとい、ジェントルマンの中のジェントルマンだと密かに思っている。ジェントルマンの定義はさまざまだろうが、私なりに言えば、「余裕のある人」。余裕の中身は、井の中の蛙にならず大きな視野を持つ、他人に思いやりをもって接する、文化を味わい醸成する、ユーモアがある、柔軟である、身のこなしが軽やか......。女性の江川さんに、ジェントルマンのエッセンスが凝縮されているのは、江川さんが、ジェンダーの差を超え、国境の壁を越え、ビジネスと大学の橋渡しをし、と、フェアな視野をもって生きてこられたからだろう。
とりわけ、素敵だと思うのが、さまざまな場面での人への接し方。若い人にも敬意をもって丁寧に対応されるので、爽やかでほんわりあたたかな風が吹く。心の余裕がなくなりかけているときに、そんな姿をみて、すーっと心が落ち着く。能力があり成功した人だから余裕があるのよ、と、言い訳したいが、因果は逆で、余裕があるから成功されるのだろう。
余裕の源泉は、人によっては、感謝の心だったり、丁寧な暮らしだったりとさまざまだと思う。江川さんの場合は、瑞々しい好奇心なのかな。他者に対しても新しい好奇心をもって接することこそ、敬意を表するということではないかしら。若い女性たちが後に続けないとすれば、それは、上の世代に余裕がなさすぎているからかもしれない。足元に気を付けよう、この足が、ガラスの床を作り出しているかもしれないから。
日本に江川さんがいて下さってよかった!

山下 裕子

(2017年1月 掲載)