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シカゴより愛をこめて

  • 米国イリノイ州弁護士/如水会シカゴ支部長小田切 康子
  • 商学研究科教授山下 裕子

2017年夏号vol.55 掲載

一橋大学には、ユニークでエネルギッシュな女性が豊富と評判です。
彼女たちがいかにキャリアを構築し、どのような人生ビジョンを抱いているのか?
第53回は、米国シカゴ在住の弁護士であり如水会シカゴ支部長である小田切康子さん(1978年法学部卒、1980年社会学部卒)です。
聞き手は、商学研究科教授の山下裕子です。

小田切氏プロフィール写真

小田切 康子

1978年一橋大学法学部卒、1980年社会学部卒。一橋大学卒業後渡米、ハーバード大学大学院(社会心理学)、ハーバード・ロースクール卒。国際連合(ニューヨーク本部)インターン、ハーバード・ロースクール客員研究員などを経験。その後はシカゴの大手法律事務所所属弁護士、結婚・出産・離婚を経て、現在は個人経営の弁護士。米国イリノイ州シカゴ弁護士歴27年。専門分野はビジネスロー。

2学部を卒業後ハーバードへ

山下:小田切さんはシカゴで弁護士として活躍されている傍ら、如水会シカゴ支部長として大いに如水会を盛り上げてくださっています。その根底にあるのは「一橋LOVE」、一橋大学への深い愛だとうかがっています。そのあたりをじっくりお聞きしたいのですが、まずは現在までの歩みとお仕事について。小田切さんは法学部を卒業後、社会学部に学士入学されていますし、ハーバード大学大学院で社会心理学の修士を取られた後、ロースクールに進まれていますね。どのような経緯でこのような学びをされたのですか?

小田切:社会学的アプローチが大事だと法学部時代に気づいたので、どちらも私にとっては自然であり必要なことでした。そのせいで履歴書の学歴の欄が長くなっていて、ちょっと恥ずかしいですが(笑)。

山下:私は社会学部の学生でしたが、他学部の授業も履修していました。専門課程でマーケティングの学問の面白さにハマり大学院へ進みました。転学部※1も可能ですしね。

※1 一橋大学の転学部:一橋大学学則に、転学部の方法が定められている。転学部を志望する者は必要書類を所定の日までに提出し、選考試験、教授会における審査を経て、転学部の可否が決定される。

小田切:一橋大学の柔軟性のあるシステムはとてもいいと思いますね。

山下:社会学に関心を持ちながらロースクールへ進まれたわけですね。

小田切:存在自体が学際的なのかもしれません(笑)。もともと法社会学をやりたいことを強調したうえでPh.D.候補として入った大学院。弁護士としてさまざまな経験をしてから大学院へ戻りPh.D.を取りたいと思っていました。そのままずっと弁護士を続けていますが、法社会学に関連した研究をしたいという気持ちは今も持ち続けています。

対談中の山下氏

弁護士に必要な力とは

山下:映画の影響でしょうか、弁護士は法廷で闘う人というイメージがあります。2時間で最適解を見つけることのできるメンタリティとプロフェッショナルとして膨大な判例を含む専門知識、タフさが必須。ルーティンワークではドキュメントライターとしての能力も求められる、と。

小田切:映画の影響ですね(笑)。今おっしゃった能力はすべて必要でしょう。でも、弁護士には法廷で闘うだけでなく、法廷で闘うことにならないよう物事の枠組みを構築すること等いろいろな仕事があります。自分の能力不足を棚に上げてコメントしますと、高い交渉力やプレゼンテーション能力も必要。文章力ももちろん必要です。アメリカ歴代の大統領の半分近くは弁護士経験があります。若い頃に弁護士として鍛えられたことが役立っているのかもしれません。ただし、同じように弁護士と呼ばれていても能力の個人差は大きいです。

日本もシカゴも一続きの世界

山下:ハーバード・ロースクールで学ばれた後、ニューヨークではなくシカゴで活躍されているのはなぜですか。

小田切:卒業当時婚約者だった元夫がアメリカ中西部出身なのですが、ニューヨークの弁護士にはなりたくないと。それで中西部最大の都市であるシカゴを選びました。私は幸運にもSidley & Austin(当時)という国内で最大級の法律事務所に入所できて、非常に恵まれたスタートを切りました。彼とは結婚し、その後結局離婚しましたが、シカゴは人情の厚い良い街なので大好きです。

対談中の小田切氏

山下:弁護士はローカルな仕事ですから、外国人であるというのはハンディになるようにも思えます。外国人である、女性であるということを意識せざるを得ない場面はありませんでしたか。

小田切:たとえば複数の国の企業等が関わる案件の場合、弁護士の仕事はローカルであると同時に国際的でもありますね。私はもともと、どこへ行っても「以前からいる人のような雰囲気」と言われます(笑)。順応しやすいタイプなのかもしれません。海外で生活し仕事をしているという意識は特にないのです。小学校の社会科の授業で「わたしのまち」について勉強しましたが、あの「わたしのまち」の中にシカゴも入っているという感覚です。また、女性であるために仕事上どんな苦労をしたかと時々聞かれますが、自分ではそういうふうに感じたことはありません。せっかく苦労したのに気づいていないだけかもしれませんが(笑)。

参考写真1

参考写真2

弁護士になって3年目。最初に所属していた法律事務所Sidley & Austin(現、Sidley Austin LLP)で、日本から来たお母様と(撮影者はお父様)。この事務所には、バラク・オバマ氏が見習い弁護士(サマーアソーシエイト)の同期として、夫人のミシェル・オバマ氏も3年ほど先輩で在籍していた。

公私ともに怒濤の30代、40代

山下:英検1級を高校生の時に取られたそうですが、優れた語学力も効いているのでしょうか。

小田切:語学力があると発言内容にすべての注意を注ぐことができますね。それに、ハーバードから出た奨学金は学費だけでしたので、留学中にプロとして翻訳の仕事ができたのは助かりました。特に法務文書の翻訳をした経験は後で役立ったと思います。
ところで、先ほどご質問があった、外国人であることについてですが、私はグリーンカードを持っており永住資格がありますが、アメリカ国籍は取得していません。離婚の際にはそれが非常に不利に働きました。アメリカの法社会の理不尽な面を生々しく体験しました。

山下:怒濤の30代ですね。

小田切:怒濤の30代、40代です(笑)。

山下:法律事務所での仕事には厳しい面があると思いますが。

小田切:弁護士としての実力が認められるようになるにつれて、それまでやさしかった上司に意地悪ともいえるような扱いを受けることが多くなりました。ライバル視されるようになった結果と考え誇らしく思いました。事務所のパートナー※2である上司がクライアントを持ち、そのクライアントの案件をアソーシエイトである私が担当する、というシステムなのですが、好評だったのに、担当者が頻繁に交代するのがクライアントのためという不可解な理由で大きなプロジェクトから外されかけたこともあります。クライアントの強い希望により担当を続けることになった時は素直に嬉しかったです。

※2 パートナー:大手の法律事務所は、パートナーと呼ばれるマネジメント層の弁護士と、その下のアソーシエイトと呼ばれる弁護士で、組織が構成されている。

山下:大先輩の石原一子さんも「必ず仕事は自分の手でつかむ」とおっしゃっていました。

対談中の様子

人生の転機

山下:家庭を持ちながらパートナーになるのは、相当なタフさが必要ということですか。

小田切:スター級の弁護士が大勢いる法律事務所でしたし、10年かけて経験を積んでもパートナーになれるかどうかは分かりません。でもアソーシエイトはパートナーになることを目指して頑張る。私も母親になるまでは仕事のことばかり考えていました。毎日誰よりも早くオフィスへ行って誰よりも遅くまで仕事をし、週末にもゆっくりせず仕事、そういう生活。人の役に立つことが嬉しくてたまりませんでした。でも子どもを授かって、「一番大事なのは子ども」と優先順位が大きく変わりました。出産後それまでと同じペースで仕事をしたら子どもの顔をほとんど見ることのない生活になる。でもあの法律事務所で私の立場の者がパートタイムでしか仕事をしなかったら周りに迷惑がかかる。それで、悩みましたがいったん事務所を辞めました。

山下:その時に独立されたのですか?

小田切:結果的にはそうですね。人様の役に立つのは嬉しいけれど、それに対してお金を頂戴することには抵抗があり経営者に向いていませんし、子どものためにいったん辞めたわけで特に独立するつもりはなくて。でもありがたいことに、巨大法律事務所を辞めても私を頼ってくださるクライアントたちがいて、小規模で仕事を続けることになりました。子育てする時間がつくりやすいという意味では理想的な展開です。アメリカで生まれ育つ我が子に私から日本文化を感じ取ってほしい、日本語を話せる人に育つチャンスをあげたい、と願いました。子どもの頃は辛い思いもさせたと思いますが、自分より弱い者を守ろうとする気持ちを持つ大人に成長してくれて誇らしく思います。今では英語も日本語も母国語として話す大学生です。
ひと安心して、これからは自分自身の優先順位を少し高くし、やりたかったことにチャレンジしたいです。将来は法社会学研究所をつくりたい。元気に年齢を重ねて、100歳を過ぎても「今が青春だ!」などと言いながら仕事にも如水会活動にも励みたいものです。

救ってくれた一橋大学との出会い

山下:ここで、「一橋LOVE」のお話をぜひうかがいたいです。そもそも馴れ初めはいつなのですか?

小田切:中学生の頃から一橋大学に憧れていたのです。当時は勉強することが大好きで、たとえば数学は『大学への数学』という月刊誌を愛読し、英語は大学受験用の予備校へ行って諸々の大学の先生方の授業を取りました。が、試験問題やその解説から先生方の英語の実力不足を感じ、生徒への態度にも驚きました。過去の入試問題についても、こんな問題を良しとする大学へ行ったら自分は潰されてしまうと感じるものが多かった。そんな中、大学受験用の模擬テストで1位を取ってしまったりして。まだ子どもでしたので、大学へ進む意味も高校へ進む意味も分からなくなり、自分がどこか異常なのかもしれないと悩みました。これは自慢ではないんですよ。真剣に悩んでいました。鬱になっていたかもしれない。
そんな時に一橋大学の過去の入試問題を見て、救われました。記述式が中心で、ただ暗記するだけでは点数を取れない、難易度は高いけれどひねくれていない、非常に良質の問題が並んでいて感動しました。調べると、少数精鋭の大学でゼミ必修と。ますます素敵!この大学で学びたい!と熱く思いました。他の大学へ行く気は全くなかったので、一橋大学だけを受験しました。合格した時は嬉しくて、しばらくご飯が喉を通りませんでした。

山下:大学生活はどうでしたか。

小田切:初恋の人と再会したらもっと好きになってしまった、という感じ。良い先生、良い友だちに恵まれて本当に楽しかったです。いくつものゼミに参加し、たくさん勉強しました。先生方は学生がどんなふうにぶつかっていっても潰すことなく相手をしてくださいました。

山下:フラットなカルチャーで、教員と学生が気兼ねなく会話できるのも一橋大学の個性ですね。キャリアができる前の質が高い人との出会いは、一生の宝物だと思います。

シカゴから如水会を盛り上げたい

山下:小田切さんは、『如水会々報』の「しぶつうしん」に2010年夏からレポートを掲載され続けていらっしゃいますね。7年も続けられるのは、愛がないとできないことだと思います。

小田切:シカゴ支部は如水会を盛り上げようという熱い思いの幹事軍団のような支部なのです(笑)。「しぶつうしん」は支部のほかのメンバーたちも執筆してくれています。みんな母校愛も文才もユーモアのセンスもゆたかなので、毎号面白いレポートが読めますよ。
シカゴ支部にはアメリカ他州在住者も入れると20名強のメンバーがいます。シカゴ在住者と、車で片道4~6時間の比較的近距離にあるインディアナ州やミシガン州在住者を合わせた十数名が実際にシカゴで活動するメンバーで、その一人ひとりが支部の要。家族のように信頼しています。現在は大半が平成卒ですね。海外支部の宿命で、日本へ帰ったりほかの地へ異動になったりしてメンバーは頻繁に入れ替わっていますが、絆はそのまま。だからシカゴから離れても「支部OB・OG」ではなく「シカゴ支部どこそこ駐在員」になる。世界各地にシカゴ支部の駐在員がいます(笑)。東京駐在組は、毎年1回は懇親会をしています。

如水会シカゴ支部長になったばかりの頃の写真

如水会シカゴ支部長になったばかりの頃(2009年10月)。支部の皆さん、当時中学生のご子息と。新支部長にと声がかかり、一時は力不足と断ろうとしたが、ご子息に背中を押され、如水会初の女性支部長に。

一橋大学の留学生たちと

ペンシルバニア州、ミネソタ州などから長時間の旅をしてシカゴ支部を訪問してくれた、一橋大学の留学生たちと(2016年3月)。

山下:シカゴではどのくらいの頻度でミーティングをなさっているのですか。

小田切:年に12回以上集まっています。毎回ものすごく楽しく盛り上がります。昨年はそのうち4回が北米に留学中の一橋大生たちを囲む会でした。長距離バスや電車に何時間も揺られて訪問してくれるため移動中は心配しますが、みんな優秀で清潔感があり、行動力のある後輩。嬉しく誇らしいです。

シカゴ支部東京駐在の皆さんと

東京・如水会館にて、シカゴ支部東京駐在の皆さんと(2016年8月)。

第1回如水会北米支部会議の写真

シカゴで開催された第1回如水会北米支部会議(2016年10月)。アメリカ、カナダの計7州から集まり、母校のために何ができるか話し合った。

120%、一橋LOVE

山下:ご自分の仕事や生活もあるのに、どうしてそんなに頑張れるのですか。自分を認めてくれた一橋大学への恩返しという思いがあるから?

小田切氏と山下氏

小田切:それもありますが、それ以前に、ただただ一橋大学が好きだから一橋大学と如水会を守りたい。一橋LOVEの私が如水会シカゴ支部の支部長に就任したのは2009年の春でした。その後如水会事務局や他支部との交流が始まり、高い志と情熱を持って如水会活動をしておられる皆様にお目にかかる機会が多くなりました。そんな出会いを通して、如水会への思いもどんどん強くなり、今や120%、一橋LOVEであり如水会LOVEです。
ところで、最近はどこの大学も優秀な人材確保のため国際的に激しい競争をしなくてはいけないと聞いています。一橋大学も高水準の研究と教育を進めつつ国際的に積極的なアピールをしていく必要があるわけですね。そういう場面で如水会の海外支部が貢献できることがあるはず。昔からたくさんの卒業生が海外で活躍していて、130ほどある同窓会支部のうち50以上が海外支部という高い国際性は、私たちの母校の大きな強みの一つだと思います。
留学中の一橋大生たちへの対応を含め、海外支部が連携・協力することにより母校と如水会のためにどんな貢献ができるか考えようという趣旨で、昨年10月には第1回如水会北米支部会議がシカゴで開催されました。一橋LOVE、如水会LOVEの如水会員たちが広大な北米の各地からはるばる集まり、非常に有意義な会議(と懇親会)になりました。今年はその第2回の会合が、この対談が『HQ』に掲載される少し前にカナダのカルガリーで開催されることになっています。どんどん面白くなりそうですよ。乞うご期待です!

山下:期待しています(笑)。最後に学生へのメッセージをお願いできますか。

小田切:シカゴでお待ちしています(笑顔)。みんなで一橋大学と如水会を盛り上げていきましょう!!

対談を終えて「聖域アジールの守り人」

小田切康子先輩にお目にかかるのは、対談の日で3回目。うんと親しくさせていただいている気がして、俄かには信じられない。SNSを通して毎日のように消息が伝わり、多くの同窓生が康子さんを尊敬してつながり、そこらここらに康子さんが満ちている感じがしているからだ。
しかし、謎に包まれた方である。オバマ夫妻と同僚でキャリアを始めた頃の若い2人の馴れ初めまでをご存じという別世界ぶり。そして、その別世界から、一橋LOVEを叫び続けておられる。部活動を大声援で応援し、キャンパスの四季の写真に声を弾ませ、大学とキティちゃんのコラボフォルダーに大いにおはしゃぎになる。本当に不思議、不思議のヤスコ姫!ヤスコ姫がきゅんきゅんいうほど、一橋大学って魅力のある学校なんですかね?
お話を伺って、ヤスコ姫の早成の秀才ぶりに改めて舌をまいた。優秀なティーンエージャーは、教師たちの力量を見通しているんですね。その分、居場所を見つけるのが実は難しい。そういえば、私も話がすいすい分かる学友を見つけて嬉しく、また、フラットにモノ申すリベラルなカルチャーの中で長年の鎧を脱ぐことができた気がした。
大学とはアジールなのである。忌憚なく意見を言うことが許され、互いを尊重するというルールの下で、皆平等。頭が良いからといって引け目に思う必要はない。たとえ、浮世で真実が歪曲されていても、アジールがあるというだけで救いがある。康子さんは、大変に才能に恵まれたために、その価値を全身で受け止められたのだろう。そして、その守り人として戦ってこられたのだ。
守り人を古い別荘の暖炉の部屋でお迎えする、という設えをお願いしてみた。殺風景な部屋に誂えたように、女性卒業生の一橋エルメス会の皆さんからいただいた素敵な花束が。なんと、色合いが、康子さんの御召し物とぴったりではないか。愛の力ここに結集す。
建物があってもアジールはできない。どんなことがあっても受け入れるよ、と、心を開いて待つ、最後の人がいてはじめてアジールが生まれるのだ。全身ピンク色の儚げな姿に、最後の人になるという、絶対譲らない強い強い芯が透けて見えた。

山下 裕子

(2017年7月 掲載)