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自由の翼、再び

  • ヴィッテン・ヘルデッケ大学 国際課 課長シグルン・カスパリ
  • 商学研究科教授山下 裕子

2017年秋号vol.56 掲載

一橋大学には、ユニークでエネルギッシュな女性が豊富と評判です。
彼女たちがいかにキャリアを構築し、どのような人生ビジョンを抱いているのか?
第54回は、1990年代に4年間一橋大学に客員研究員として滞在し、現在はドイツ、ヴィッテン・ヘルデッケ大学の国際課 課長を務めるシグルン・カスパリさんです。
聞き手は、商学研究科教授の山下裕子です。

カスパリ氏プロフィール写真

シグルン・カスパリ

ドイツ、ボン出身。1992年、ライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学ボン(ボン大学)博士課程修了。専門分野は、哲学/日本学/政治学/経済学。1992-1993年トリーア大学研究員。1993-1995年一橋大学大学院経済研究所客員研究員として文部省(当時)の奨学金で2年間滞在し、尾高煌之助教授(現・名誉教授)に師事。1995-1997年一橋大学大学院産業経営研究所客員研究員として2年間滞在し、西口敏宏教授(現・名誉教授)に師事。その後、山一證券経済研究所ストラテジスト(ドイツ)、ヴィッテン・ヘルデッケ大学助教授などを経て、2007年よりヴィッテン・ヘルデッケ大学国際課 課長、エラスムス・コーディネーター。言語は、ドイツ語のほか、英語、日本語、イタリア語、フランス語も話せる。剣道6段で、ドイツで剣道の指導を行っている。

政策産業研究の一環で近代日本研究へ

対談の様子1

山下:今日はカスパリさんに20年ぶりにお会いできて、本当に嬉しく思っています。私は1989年にドイツの研究を始め、1990年にボン大学で研究発表の機会を得ました。ベルリンの壁が崩壊し、当たり前だと思っていた世界が崩れたことに衝撃を受け、ドイツ語にも苦戦していた時でした。そんな中、カスパリさんと出会い、その温かい人柄にすごく助けられました。飛行機の操縦をなさったり、剣道をされたりと、カスパリさんのスケールの大きさに感銘を受けたことも忘れられません。

カスパリ:私も今日、裕子さんにお会いできてとても嬉しいです。初めてお会いしたのは、松島茂先生の紹介でしたね。私も裕子さんのことはよく覚えています。一緒にマーケットへ行ったり、家に遊びに来てくれたりしましたね。昨年、ポスト資本主義についてインターネットで調べている時、偶然『HQ』の対談を見て、すごく懐かしく思いました。

山下:それでメールをいただき、今回来日されることを知り、ぜひ対談をとお願いしたわけです。カスパリさんは、1993年から1997年まで、客員研究員として一橋大学大学院に在籍されていました。1980年代の日本は世界から注目を浴び、交換プログラムも多かったですが、1990年代以降はだいぶ事情も変化してきましたね。

カスパリ:私の専門分野は日本研究で、中でも戦前のドイツから日本への技術移転に関心がありました。日本はゼロ戦をつくり、戦後はYSを開発したのに、ボーイングに舵を切りましたね。博士課程でテーマとした政策産業について研究したいという気持ちはありました。でも、ドイツの大学で教えるためには日本の近代も知る必要がありますから、一橋大学大学院の経済研究所や産業経営研究所(現・イノベーション研究センター)で経済や経営について研究したわけです。ドイツでは大学教授のポストが少なく、留学後に大学に戻るのも難しかったですね。それで半年ぐらい山一證券のフランクフルト支店に勤めることになりました。幸いなことにヴィッテン・ヘルデッケ大学のポストが空いたため、1997年の秋から同大学に助教授として赴任しました。

山下:日本研究への取り組み方も変わってきているようですね。

カスパリ:ドイツでは、ボローニャ・プロセス※1(BolognaProcess)により約10年前から大学の再編で日本研究部門がなくなるなどして、東アジア研究などの地域研究へとシフトしています。それに伴いポストも削減されています。アジアの中でも、今は中国ばかりが注目されるようになりました。しかし、私はもったいないと思います。特にドイツのようなOECD諸国は、日本に学ぶことが山ほどあると思うからです。たとえば先進国の課題でもある、高齢社会、デフレ対策、エネルギー問題、地域開発など、日本の取り組みなどをもっと研究すべきだと思います。

山下:日本では大学院の教育環境が変化しましたが、ドイツではいかがですか。

対談の様子2

カスパリ:ドイツでもそうですね。若い研究者は、有力誌に掲載されるような研究にテーマを絞る傾向があります。そうでないと、なかなかキャリアアップしていけませんから。ドイツは連邦制で、政策は主に各州に委ねられています。教育政策もそうです。エリートを育てようという国策で、5~6年前から国の補助金が交付されるようになりましたが、小規模の大学ではなかなか得ることができません。全体的には学問分野でもメインストリームが強くなっている傾向があります。

山下:学部の学生はどうでしょうか。男女比は? アメリカでは、男女の人数を調整する試みがありますね。

カスパリ:女子学生が多いのは、マーケティングやコンサルティング関係です。経営や文学も多いですが、理科系は少ないですね。大学入学資格はフラットですが、1~6段階の成績のうち、トップの1段階でないと医学部に進学できないということもあります。男女同数への論議はありますが、ダイバーシティの実現は難しいのが現実です。

※1 ボローニャ・プロセス:ヨーロッパの大学国際競争力を高めるため、1999年イタリアのボローニャに29のヨーロッパ諸国の教育相が集まり、2010年までに統一された大学圏をつくることで合意した。
参加諸国の大学は、学修課程と学位の構造を共通にし学修プロセスを分かりやすく互換性のあるものにすることを目指している。現在では47か国が参加、49か国が調印。これに伴い、ドイツの大学でも約10年前から大学再編の動きがある。アジア研究においては、日本・中国・韓国など各国の研究が一つのプログラム・研究所に統合されるなどして、教員の数も減らされた。

ドイツの女性たちのワークライフバランス

対談の様子3

山下:ご存じのようにOECD諸国の中で、日本は女性の社会進出状況が最低レベルだといわれています。現段階では、トップマネジメント層の女性は、未婚や子どものいない方が多いようです。ドイツの女性は働き者ですし、メルケル氏のように働くお母さんがリーダーになって引っ張っている印象があります。

カスパリ:ドイツでは1970年代に法律が変わるまでは、「Familienrecht」という法律があり、家族に対する権限は男性が持っていました。妻が働く場合は、夫の許可が必要だったのです。現在では、夫が家事を分担するのは普通になっていますが、約6割の女性が出産後はパート勤務に変わっています。保育園や学童保育は時間制限があり、祖父母や面倒をみてくれる家族、あるいは預かってくれる施設が近くにないと、フルタイムでは働けないのです。もちろん育休制度はあり、2006年以降はそれまでの1年から2年に延長され、その間の給料の一部が国から支給されます。

山下:私はその昔、ドイツでお世話になった先生から、「研究者を続けたいなら子どもは1人まで」と真剣にアドバイスされたことがあります。日本の恩師には、「研究マインドが薄らぐのでは?」と言われました。日本では昨年、保育園が見つからない女性のブログが話題になりましたが、子育ての壁は大きいですね。

カスパリ:ドイツでも子育てと研究の両立は難しいです。1人以上の子どものいる女性教授は少ないと思います。研究者はフルタイムでないと難しいですが、子どもが1人以上いればフルタイムで働くのは厳しく、研究職を離れパート勤務を選ぶ女性が多いと思います。私には4人の子どもがいますが、2人目が生まれた時に、研究職から大学のアドミニストレーションに異動しました。夫は家事にも積極的ですし、週末は家族との時間を優先してくれます。子どもたちも大きくなれば手伝ってくれます。でも、夫も研究者で中国がテーマの一つですから、2人とも研究旅行に出かけると子どもの面倒をみてくれる人がいなくなってしまうのです。

山下:よく分かります。大学のアドミニストレーションでも、パート的な勤務は難しいのではないですか。

カスパリ:そうですね。ですから私は、10年間保育園の運営にも関わりました。従来は保育園は3歳以上の子どもしか受け入れていませんでした。そのため、仕事を3年間休む女性がほとんどでした。仕事を続けたい女性は親戚に頼むか、メードを雇うか。第三の道が、2歳以下の子どもの保育施設をプライベート、つまり私立で設立することでした。法律上、親もその保育園の管理に関わる必要があるのです。そのため、私たちも保育園の職員の雇用や子どもの受け入れにも関わることになりました。ハードでしたけれど、そうしないと仕事ができませんでした。
約10年前、子供教育法(Kinderbildungsgesetz)が大きく変わりました。多くの女性に仕事ができる環境を整えるために2歳以下の子どもを預けられる保育園を増加する政策でした。目標は、2歳以下の子どもの3割、3歳以上の子どものほとんどを対象とした保育施設の設置ですが、現状は、まだまだです。
ドイツでは、保育園の費用は、自治体の財政レベルに左右されます。裕福な自治体の中には無料のところもありますが、裕福でない自治体は有料です。私も収入のほぼすべてを保育費に費やしていた時期がありました。

山下:日本の企業社会では、フルタイムで長時間の労働をこなしていかないと、ステップアップは難しいところがあります。一方、高学歴の女性では、世帯所得も多い傾向にあるため、「そこまで人生を犠牲にしたくない」と考える人も多いように思います。ワークライフバランスについて、ドイツの女性たちはどのように考えているのでしょうか。

カスパリ:人によるし、家族にもよりますが、ワークライフバランスを志向する人が増えてきたように思います。企業のほうも、たとえば子育て中の女性が参加しやすい時間に会議を行うといったところが増えてきました。

着物教室に行った時の様子

1989年、東京にて。ボン大学から日本に来た留学生で、着物教室に行った時の様子

武道始めの写真

今年1月、ヴィッテンでの武道始め。剣道は6段の腕前。指導や審判にも携わっている

ご家族の写真

ご自宅の庭でご家族と一緒に。ご夫婦で4人の子どもたちを育てている

世界の変化に対して何ができるのか考えておくことが大事

カスパリ:私は大学のアドミニストレーションで、エラスムス計画※2のコーディネーターや、学生の海外留学・海外インターンシップ支援などを行ってきました。大変意義のある仕事ですが、日本研究をさらにきわめたいという気持ちが強くなっています。子育ての期間には研究が手薄となり、研究者への復帰が困難でした。今はすぐにでも日本研究に戻りたい気持ちですが、今やるべき仕事がありますので、先の楽しみと考えて今を前向きに生きています。趣味として続けてきた剣道でも、剣道を通してドイツと日本の人間交流に貢献できていることを嬉しく思っています。

カスパリ氏と山下氏

山下:ドイツと日本はすごく違うのに、とても近い面もありますね。最後に、日本の若者へメッセージをいただけますか。

カスパリ:ドイツでは中学3年の時に高校卒業後にどうするのか、将来の進路を問われるので自分の意見やビジョンを持たないと流されてしまいます。その制度の是非は別としても、自分がどうなりたいのか、早いうちに考え、行動したほうがいいと思います。また、世界は変化の速度を上げていますから、その変化に対して自分に何ができるのかという視点も持ってほしいと思います。自分の足でこの世界を知ることが大切だと思いますので、自分の国の歴史だけでなく国際交流に興味を持ってください。

※2 エラスムス計画:EUにおける学生の流動化の促進を目指すプログラム。現在はエラスムス・プラス(2014-2020年)が展開されており、EU主導による教育運営の枠組みとなっている。ヨーロッパ全域で学生と教員の交流における質の改善及び人数の拡大、ヨーロッパの高等教育機関における多国間協力の質の向上と件数の拡大、高等教育機関と企業の間の協力関係の改善と増大などを目的とする。

対談を終えて「女性は失敗するしかないのです」

カスパリさんは、私に自由の翼を授けてくれた人である。
経営学を専攻する女性の大学院生が日本にはほとんどいなかったから、真っすぐ伸び伸びと研究をする姿がとても爽やかで大いに励まされた。趣味は何とグライダーの操縦! ああ、こんな風に、自由に知的探求をしてもいいんだとインスピレーションを与えてくれた。
そんな人生の恩人とかくも長い音信不通状態になってしまうとは!
子どもが生まれてドイツ時代の研究を纏める時間が取れないでいるうち、かつてお世話になった日本研究所が次々と閉鎖された。一方、私の専門であるマーケティングの領域では、ドイツの大学の活躍が目覚ましく、潤沢なリソースをふんだんに投入した目をみはるような研究が続々と発表され、研究のハードルをぐいぐい上げていく。
ドイツの変貌ぶりに驚くばかりで、カスパリさんの戦いに、想像力が及ばなかった自分を恥じた。ドイツの大学の躍進の影には、統廃合の結果消滅した学部や研究所があり、専門の転換を余儀なくされた研究者たちの戦いがある。日本学研究は、残念ながら、消滅した側だった。
「女性は、失敗するしかないのです」
ドイツ流のシニカルな表現にどきりとした。
子どもがいない女性は自分を半人前だと考え、専業女性は社会への貢献の少なさを後ろめたく感じ、働きながら子どもを育てる女性は中途半端さを嘆く。そんな話は、「後進国」日本だけかと思っていた......。先進国ドイツの、自由の翼の授け主からそんな言葉を聞くなんて!
5時には人っ子一人いなくなるドイツの職場は、働き方改革ブームの日本にとっては、理想郷のように見える。しかし、5時に誰もいないということは、5時以降は、誰にも助けてもらえないということ。家庭が仕事に侵食される日本と違って、仕事が家庭によって拒絶されるのだ。さらに、時代錯誤的な家族法や、乳児向けの保育園の不備等、隠れた社会の根深い骨格に唸るしかない。
「そろそろ、研究を再開したいと思っています」
普通であれば、そろそろリタイアを考える時かもしれないけれど、新しく始めてもいい。今のためこその、自由の翼だったのかも。私も、心の中から取り出して、丁寧に繕ってみよう。

山下 裕子

(2017年10月 掲載)