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組織の中の自由

  • 日本電気株式会社(NEC)クラウドプラットフォーム事業部
    シニアマネージャー
    小門前 匠子
  • 商学研究科教授山下 裕子

2018年冬号vol.57 掲載

一橋大学には、ユニークでエネルギッシュな女性が豊富と評判です。
彼女たちがいかにキャリアを構築し、どのような人生ビジョンを抱いているのか?
第55回は、1992年社会学部卒で、日本電気株式会社(NEC)でシニアマネージャーを務める小門前匠子さんです。
聞き手は、商学研究科教授の山下裕子です。

小門前氏プロフィール写真

小門前 匠子

旧姓は三上(みかみ)。立教女学院高等学校出身。1992年一橋大学社会学部卒。同年に日本電気株式会社(NEC)に入社し、ソフトウェア領域の経営管理を一貫して担当している。現在は、同社クラウドプラットフォーム事業部シニアマネージャーを務める。家族は夫と中学生の一女。

自分らしくのびのびと働き、生きるには

山下:小門前さんとは、一橋エルメス会の会合で知り合い、ご発言がいつも素晴らしくてすっかりファンになりました。人望があって、安心感がある。そして、日本企業の組織の中で着実にキャリアを積み、リーダーとして活躍されている実績があります。そういう女性たちが増えてくると、日本の会社も変わると期待してしまいます。笑顔とお声に接すると、本当にお人柄と仕事がシンクロしていて、素敵だなあと思います。

小門前:私は会社員として、いたって普通に仕事をしてきただけだと思っています。ただ、男性だったら難なくできることを、なぜ女性はできていないのか、やらないのか、と思うことはありますね。その一方で、女性だから許されることもあるんです。男性はしがらみがあるのに対して、女性は怖いものがありませんから。好きにやろうという思いで会社員生活を送ってきました。

山下:今日はそのあたりのお話をぜひ詳しく聞かせてください。

対談中の山下氏

「自分の足で歩ける力をつけなさい」と言ってくれた、働き者の父の影響

対談中の写真1

山下:まず定番の質問ですが、小門前さんは、どうして一橋大学を選んだのですか。

小門前:私は中学・高校と立教女学院に行きました。制服はなく、校則も厳しくない学校でとても楽しかったんです。でも周りは、働くことに重きをおかない人が多く、親も子どもを苦労させたくないから大学までの一貫校を選んだといった感じでした。
私の父は、八王子で小さな工場を経営しており、私は子どもの頃から「独り立ちしなさい、自分の足で歩ける力をつけなさい」と、言われていました。私自身も将来は分からないけれど、歩いていけるといいなと思っていました。父の薦めもあり、一貫校ではなく他大学にチャレンジしてみたいと思い、一橋大学を受験しました。立教大学は池袋ですから通学が大変というのもありました。

山下:素敵なお父様ですね。女子校出身の人には、女子校は苦手だったという人もいますね。

小門前:女子校には、女子だから一歩引きなさいというカルチャーはないんです。学園祭やクラブ活動も自分たちで全部やらなければいけませんから、その中でリーダーシップも身につきます。大学では同じクラスに女性があと2人いましたが、3人とも女子校でジェンダーに関係ない環境にいました。同じような環境だったせいか、何でも話せる良い仲間になりました。一橋大学でカルチャーショックを受けたのは、女子トイレが狭かったこと(笑)。どうして水泳が必修なのかも不思議でしたね。

山下:一橋大学で学んで良かったと思うことは?

対談中の写真2

小門前:いろいろなことを知ることができて楽しかったですね。たとえば、阿部謹也先生の中世ドイツ史の授業は、ピンポイントの出来事を深掘りして詳しく知ることができ、とても楽しかったです。しかし学者になるつもりはありませんでしたので、専門ゼミは社会に出て役立つことを学ぼうと思い、一條和生先生のゼミに進みました。

山下:就職活動はメーカーに絞ったのですか。

小門前:子どもの頃から親の仕事を見ていたせいか、モノづくりに携わりたいという気持ちがありました。メーカーでもいろいろな業種を回りましたが、女性を義務で採用していると感じられる企業や、総合職でも制服着用で秘書業務からやってもらうと言われたところもありました。電機業界が一番、女性に門戸を開いているように感じました。

山下:その中でNECを選ばれたわけですね。

小門前:ソフトウェアは、NECでは比較的新しい業態で、女性の技術者がすでにたくさんいました。ですから女性の活用にある程度慣れている感じがしましたね。SEで採用したいと言われたメーカーもありましたが、私に合うだろうかと違和感があったのです。ソフトウェアは世界を動かしていくと思っていましたから、ソフトウェア事業の企画総合職を志望しました。

20代は仕事とどう向き合うかが大事

小門前氏と山下氏1

小門前:配属は経営管理部門の企画職でした。メーカーの中では少数派ですから、ちょっと頑張れば目立つのです。ただ、1やれと言われたら3~5、できれば10やりたいという気持ちで取り組んでいましたね。なぜこれをやらなければいけないのか考えて、ならここまでやっておくといいのではないか、と。

山下:そうなると周りも頼りにしてくれたのではないですか。

小門前:6年上の女性の先輩がいて、その方も数少ない企画職でしたが、私にもう少し任せてもいいのではと、上司に進言してくれたんです。3年目にアシスタントを1人つけてもらい、一つの事業部を任されました。

山下:事業部のユニットが小さいことの良さもありますね。

小門前:そうですね。今は選択と集中を進め、より効率的に事業拡大するために一つの事業単位をあえて大きくしています。なので、経営管理もたとえば売上分析、棚卸管理といったようにそれぞれ担当者が決まっています。私が担当の頃は、小さくても、投資から回収まで一気通貫で見られたのでその経験は今に活きていると思います。

山下:面白いし、成長もできますね。因果関係が自分の頭の中で組み立てられるし。

小門前:任せてもらったのだから全部変えてやろうと、奔放にやっていました(笑)。上司の受けは良くなかったようですが。

山下:20代である程度仕事を覚え、自分の居場所、戻る場所をつくっておくのは大事なことですね。

小門前:私は入社した時、絶対に一般職の女性たちと仲良くなろうと思っていました。一般職の女性たちとうまくやれなければ、仕事をうまくやれるわけがない。部長秘書の女性たちは、重要な情報を持っていたりしますし。実際にいろいろ教えてもらいました。
女性を敵に回したら怖いということは、女子校時代に分かっていました(笑)。だから、一般職の先輩にかわいがってもらおうと思いましたし、新人ですからお茶くみやコピーは率先してやりました。3か月くらいしたら、お茶くみをしなくていいと、彼女たちのほうから言ってくれました。今だったら考えられない話ですね。

山下:逆に、主任になっても男性にだけお茶をいれて回っているような女性には、それをやめてくれるようにお願いしたこともあります。主任に見合う仕事ですか、と。

家庭と仕事の両立のカギは仕事が面白いかどうか

山下:初めて役職についたのは、いつですか。

小門前:主任(係長職に相当)になったのは、30歳頃です。同期の男性と同じくらいですね。主任になって嬉しかったのは、総合職と分かってもらえたこと。それまでは、「責任者は誰ですか」と聞かれたりしました。33歳で1年間育休を取りました。復帰して課長になりましたが、課長時代は仕事をしていてすごく楽しかったですね。

山下:おお、育休明けにいきなり昇進してかっ飛ばしたんですか(笑)。会社の方向性と小門前さんの求めているものがシンクロしていたのでしょうね。

小門前:そうだと思います。課長になって7~8人部下ができ、プロセスを含めて変革していくというのは、ワクワクする経験でしたね。経営行動をどう進めていけば効率的かとか、経営管理のあり方を考える、会計面ではどこにお金を割り当てるか。やるぞという気持ちで燃えていましたね。

山下:30歳くらいでユニットを回す経験をするのは強いですよね。

小門前:事業部長にはよく怒られましたが、とてもやりがいのある仕事を任せてもらえました。感謝しています。

山下:家庭と仕事の両立はどのようにしていましたか。

小門前:第一は職住近接です。保育園も19時半まで預かってもらえるところを探しました。IT関係ですので家で仕事ができる環境だったのも良かったと思います。あとは夫の助けです。私は火曜と金曜が残業デーでしたので、夫が協力してくれました。

対談中の小門前氏

山下:両立のカギは仕事が面白いかどうかだと思いませんか。

小門前:その通りです!子どもの病気などで大変な時もありましたが、仕事という別の世界に没頭できる時間を持てたことは良かったと思います。仕事は、自分の成果として表れますよね。一生懸命に仕事をする楽しさを知っていると、離れようとは思わないのではないでしょうか。確かに、仕事に割いている時間は多いです。いいタイミングで課長職にしてもらえたことは、とてもありがたいと思います。なかなか評価されない時代もありましたが、自分に満足感があればいいと割り切っていました。求めすぎないことも大事だと思います。

山下:試験はすぐ結果が出ますが、仕事はそうではありませんよね。できる人ほど、結果が出ない、評価されないことで落ち込んでしまうこともありますね。

小門前:ある意味で傲慢な考えだと思いますが、自分の方が正しいと思っている時はたとえ評価されなくても気にしません。私のプランの方がいいのにな、と思って(笑)。しかし最近は、男性社会の中でもいわゆる一般的な女性社会の中でも、自分がちょっと浮いている存在な気がしています。どちらにも属していないというか。その意味では、エルメス会には救われています。素のままでいられるのですから。

山下:浮いている気がするというのは、なぜでしょう。部長という現在のポジションに関係しているのでしょうか。

小門前:部長になったのは、42歳の時です。運というかめぐり合わせですね。前の部長が役職定年になられたタイミングで、私が候補の立場にいましたので。課長時代は、私が部長だったらこうするのになどと考えていたのですが、現実には課長の仕事を大きくしただけの、大きい課長になってしまいがちです。将来に向けてのビジョンを示さなければいけないのですが、まだまだですね。若い部下にどう経験を積ませるかも、大きな課題です。
確かに部長というポジションが今の気持ちに関係しているかもしれません。同じような立場の人が社内にいないことはないですが少ないですし。でももしかしたら男性も部長職くらいになると孤独感があるのかもしれないですね。

人生の主人公は、自分
一生働き続けたい

小門前氏と山下氏2

山下:会社と自分の関係をどうとらえていらっしゃいますか。

小門前:私は自分の会社だと思っています。自分事にしたほうが楽しいですから。開発部門の人に「何が良いって、自分の事業部だと思っていることだね」と言われた時は嬉しかったですね。

山下:目に見えかつ複雑なことを扱うわけですから、中小規模のマネジメントは女性に向いていると思います。以前から思っていますが、女性の課長や部長がもっと普通に出てくるといいですよね。現実には少なすぎます。小門前さんが今、ご自身のテーマとして考えているのは、どんなことですか。

小門前:私は今48歳で役職定年まであと8年です。それまでにひと花咲かせるにはどうしたらいいか考えています。

山下:仕事を継続しながら?それとも別の引き出しを探すという意味ですか。

小門前:一生働くためにはどうしたらいいか、ですね。自己中心的ですが、やりたいことをやりたいようにできればいいな、と(笑)。

山下:他者に依存すると長続きしないですね。女性は自由であるべきです。

小門前:私は結婚してより自由になりましたね。何をしたって何かしらできると思います。私はいたって普通で優秀な人間ではないし、メンツにこだわるタイプでもない。経営管理はお金がメインですから、次は人にフォーカスした仕事がいいかなと思っています。

山下:男女共同参画社会とか時短とか、働き方改革が進められていますが、小門前さんとお話ししていると、一番大事なのは結局その人の心だという気がしてきますね。20代は、先が見えないことで苦しんでいる人が多いんです。

小門前:努力すれば夢は必ず叶うとまでは思いませんが、今、目の前にあることを一生懸命やることで開けてくると思います。それで周りが変われば、自分が変わることになる。次は何が来るか楽しみですし、ワクワクします。

山下:自分が自分の人生のヒロインであることが大事。他律だと辛すぎますね。では、最後に若い世代へのメッセージをお願いします。

小門前:楽しんで思うままに生きてほしい。制約はあると思うけれど、信じるようにやれば道は開けます。

対談を終えて「素の自分を磨く」

小門前さんにお目にかかったのは、女性卒業生ネットワーク、一橋エルメス会の企画ミーティングの場だった。大企業で長くキャリアを築いた女性卒業生は貴重な存在であり、素敵な人がいると伝え聞き、参加していただいたのである。企業批判のトーンに傾きがちな中、「今時、そんなことを言っていたら、経営はできませんよ」と、前線の声を届けてくださるようになった。我らの希望の星である。
ちょっと打ち解けた間柄になった頃、「人生であと一仕事、何をすべきか」を考えています、とお話しくださり、その率直さに驚いた。小門前さん世代で企業経営を生き生きと話す方に滅多に会わない。高度成長期の日本では官僚にしろ、サラリーマンにしろ、大言壮語で未来を語る人が跋扈していたように思うけれど、今では、組織の方針に、粛々とないしはドライに従うことがあまりにも普通だ。
ご自分では至極普通と謙遜されるが、普通に仕事を楽しむことが普通ではない、普通じゃない事態が起こりがちなのですね。しかし、普通ではない普通の人は、育休明けに課長に抜擢され、若くして部長に。世の女性たちが一番汲々するキャリアのM字カーブ時期、子育てしながらのびのび仕事ができて、最高に楽しかったという。
小門前さんは、自分と組織との関係の結び方が飛び切り上手なのだと思う。組織の方針に粛々と従うばかりでは自己が矮小化してしまうが、組織と一体化して自己が肥大化する場合にも自己は見失われている。一方、私を通すばかりでは、組織は離れていってしまう。自分と組織の間に、心地のよい自由さがあって、その中で、のびのびとした自分の良さが引き出されていく、そんな関係が最高だろう。
お話をしていると、自分にたおやかな自信を持つ人の大らかな存在感が伝わってくる。結局は、地に足の着いた素の自分が大切なんだな。嬉しかったのは、エルメス会では素でいられるとの言葉だった。一人で育む素の力もあれば、ネットワークで姿を現す素の自分もある。
いいネットワークは、素の力を増幅させるのじゃないかしら。心のストレッチをしてもらったようなのびのびした気持ちで帰路についた。
小門前さん、ありがとう。

山下 裕子

(2018年1月 掲載)