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21世紀のキャプテン・オブ・インダストリー

  • 株式会社エコトワザ 代表取締役大塚 玲奈
  • 商学研究科准教授山下 裕子

2013年冬号vol.37 掲載

一橋大学には、ユニークでエネルギッシュな女性が豊富と評判です。彼女たちがいかにキャリアを構築し、どのような人生ビジョンを抱いているのか?第35回は、株式会社エコトワザの代表取締役を務める起業家、大塚玲奈さんです。聞き手は、商学研究科准教授の山下裕子です。

大塚玲奈氏プロフィール写真

大塚 玲奈

1980年生まれ。2~10歳の間、父親の転勤先である米国ニューヨークで育つ。2004年一橋大学法学部卒業。同年株式会社リクルート入社、営業や事業計画などを担当。2007年同社退社。2006年株式会社エコトワザを設立し代表取締役に就任、現在に至る。1児の母。

1人目になる決意

山下准教授

山下:大塚さんの活動を拝見すると、環境問題・ビジネス・世界とテーマがとてもはっきりとしていますね。いつ頃からこうしたテーマを持つようになったのですか?

大塚:環境問題に関心を持つようになったきっかけは、小児喘息でした。父の仕事の関係で、私は2歳から10歳までニューヨークで過ごしました。向こうでは何ともなかったのですが、帰国したら小児喘息になってしまったのです。小児喘息の原因の一つである大気汚染、そこから公害や地球温暖化へと関心が広がっていきました。また、湾岸戦争などで人間の行為というものを考えさせられたことも、かかわっていますね。
環境問題への取り組みというと、ボランティアで行えばいいという考え方もありますが、私は違うと思います。環境と経済、環境とビジネスを両立させたいという思いは、10代の頃から抱いていました。

山下:環境ビジネスについては、高校時代から考えていたのですか?一橋大学を選んだのも、そのような思いからでしょうか?

大塚玲奈氏

大塚:漠然とですが、そうだったかもしれません。高校はかなり自由な校風でしたので、課外活動ばかりやっていました(笑)。法学部に入学したのは、国際関係コースが含まれていたからです。環境問題は人間がつくり出した問題ですから、人間の意識や行為を変えていかないと解決しません。そのためにも国際関係論を学びたいと思ったのです。
でも、一橋大学を選んだのは、父の母校であったということもあり、きっかけは割と気軽なものでした。私は理数系が得意でしたので、最初は理系への進学を考えていました。でも、理系の仕事というと、当時の私には、自分にはとても向いているとは思えない医師しか思い浮かばなかったのです(笑)。祖父母の家が国立にありましたし、町並みや環境はもともと好きでした。結果として一橋大学を選んでよかったと思っています。

対談の様子

山下:それはどのような理由からですか?

大塚:学生が伸び伸びとやりたいことができるのもそうですね。私は学生時代、環境と経済の両立をテーマとしたLINXというサークルをつくり、環境会計の研究をしたり、中国市場を環境と経済を両立させながら開拓するというビジネスゲームをつくったりしました。また、その頃、祖父母の家は空き家だったのです。維持費もかかるし、もったいないですよね。ですから、シェアハウスにして一橋大学の学生に安い家賃で貸すことにしました。当時その家を借りて住んでいた学生の1人が、夫です(笑)。
でも、自分でビジネスを始めようと決心したのは、如水会の奨学金でアメリカ留学をしたときです。2001年、あの同時多発テロのとき、私はカリフォルニア大学バークレー校の国際学生寮にいました。アラブ系の学生を含め、さまざまな国の学生が複雑な感情をぶつけ合うなか、寮長が「誰かが、争いをやめようと呼びかける1人目にならなければいけない。それが私たちだ」と皆を諭してくれたのです。その言葉に深く感銘を受けました。私も1人目になろう、30歳までには環境問題を解決する会社をつくろうと、心が決まりました。

信じたものを創造する

山下准教授2

山下:学生時代からスモールビジネスをつくり出し、将来の方向をはっきりと決められたわけですね。でも、社会に通用するビジネスを創出することは、そう簡単ではありません。まして環境問題を解決するというテーマに挑むとなると、自分で道を切り開いていかないといけないしリスクもあります。恐れや不安はなかったのですか?

大塚:自分はこうなりたい、だからこういう道を選ぶということは、私にとってごく自然なことでした。その原点にあるのは子どものときの経験だと思います。アメリカには「Gifted and Talented」という全米でIQトップ5%の子どもを対象にしたプログラムがあるのです。私は算数が得意だったからIQが稼げたのでしょうね、小学校3年生のときにその一つ、「自分たちで文明をつくる」というプログラムに参加しました。
すごくユニークなプログラムで、子どもたちが2チームに分かれ、それぞれ文明を創造するのです。歴史やどんな社会かを考え、文字をつくり出し、ロゼッタストーンみたいなモニュメントに刻みます。それをグラウンドに埋め、お互いに相手チームのものを発掘し、どんな文明だったか解きあかすというものでした。「文明ってつくっていいんだ!自分たちが信じたものをつくり出していいんだ!」と、子ども心に強烈に感じました。

対談の様子2

山下:羨ましい!お話を戻しますが、起業のために、どのような準備をされたのですか?

大塚:実際のビジネスや会社経営では経験不足ですから、短い間に責任のある仕事を経験したいと思い、30歳までに起業したいとハッキリ伝えながら就活しました。当然、ほとんどの企業に断られたのですが、リクルートだけは熱心に誘ってくれました。そして、2004年に入社し、住宅情報事業部門に配属となりました。

山下:リクルートではどのような仕事をされたのですか?

お店の庭で2人

大塚:基本は営業ですから、1年間営業をやらせてもらいました。2年目は新しい営業組織の立ち上げで契約社員の採用やマネジメントを担当し、3年目は事業計画にかかわらせてもらいました。上司や周囲が応援してくれて、役員(当時。現・社長)との懇談会を含めさまざまな機会をつくってくれたことには感謝しています。

山下:実際に「エコトワザ」を立ち上げたのは、25歳のときでしたね。資金面はどうなさったのですか?

大塚:自分の貯金のほかは、株主の多くがいわゆるエンジェル(個人投資家)でした。リクルート時代のお客様や、アメリカのベンチャー企業経営者などです。元銀行員の株主さんからは、「自分は今から始めるのはできないから、あなたに託す」と言われました。ちなみに「どぶに捨てたつもりだから」とも言われました(笑)。

エコとワザでビジネス

赤ちゃんを抱く大塚氏

大塚:「エコトワザ」の仕事は、日本の培ってきた、自然と調和した文化やライフスタイルを伝えるサイトを運営し、エコロジカルなモノづくりをしている中小企業の海外展開をサポートすることです。

山下:「エコトワザ」のワザは、"技術"ではなく"技"ということですね。

大塚:はい。日本には古くから独特の「自然と人の関係性」と「自然に負担をかけずゆたかに暮らす」ための知恵がたくさんあります。今でも生活や文化、ビジネスやモノづくりのなかに脈々と受け継がれてはいるのですが、意味が忘れられたり、形骸化したりして普段は気づかれないことが多いような気がします。そうした「エコ」と「ワザ」を再発見し、海外に伝えるためのハブ(つなぎ役)になりたいと考えています。

庭で赤ちゃんを抱く大塚氏と見守る山下准教授

山下:確かに、日本にはそういうものがたくさんありますね。たとえば、日本企業が海外進出をするとき、環境基準や環境技術を持っていきました。技術移転され、その国の基準として残っているものもあります。でも、日本企業を支えてきた企業人たちは、そのことをマインドセット(価値観)として持ちませんでした。優れたことをきちんとやってきたのに、世界に正しく伝えられていないのです。これは、とてももったいないことだと思います。

大塚:私もそう思います。マインドを育てていくことはとても重要なことです。そうしないと、きちんと伝わらないし、国内での評価を上げるために海外で売り込むといった本末転倒なことも起きてしまいます。

山下:逆に、海外のエコワザを持ってくることも意味がありますね。私のゼミではインドネシアで、その国の暮らしのなかで培われてきたいいものを発見するというプロジェクトを続けているのです。

大塚:素晴らしいことだと思います。経済発展も重要でしょうけれど、自国にいかに素敵な暮らしがあるかを再発見するのは、とても大事なことだと思います。私も、アジアの国々がお互いに学び合えるプラットフォームをつくっていきたいと考えています。

つくる側の人になる

対談の様子-山下准教授

山下:「エコトワザ」は、オフィスの形も働き方もユニークですね。

大塚:一度、都心に出ましたが、今年国立に戻ってきました。学生時代に創業した、あの一軒家です。普通の民家ですが、1階はテナントとしてカフェにお貸ししています。ですから、2階がオフィスで、カフェと同居する形です(笑)。働き方で言えば、私はときどき子連れで勤務しますし、ウェブのデザイナーは岡山在住。ライター兼マーケッターはオーストラリアに住んでいます。今度、経理担当の人にきてもらうのですが、彼女と知り合ったのは娘を出産した産院です。それぞれが働きやすい形で、それぞれのワザをうまく結集させたいと思っています。

山下:先日ある食品メーカーのお客様相談のコールセンターに見学に行きました。落ち着きがあって、電話の向こうの相手に対して細やかな気配りのできる素敵な主婦の方々が対応していらっしゃり、家庭を切り盛りしてきた大人の女性ならでは、と感銘を受けました。子育て中の人はもちろん、40〜50代で自分の生活と調和した形で能力を活かしたい、仕事をしたいという女性はとても多いと思います。大塚さんの会社でモデルケースをつくってほしいですね。

大塚:起業は大変だといわれますが、自分の望む形で組織をつくることができるという意味ではかえってラクです。私も、世代間がうまくつながるような組織形態を目指しています。

山下:ぜひ頑張ってください。最後に後輩へのメッセージをお願いします。

大塚:ありがとうございます。メッセージは......、「優秀になりすぎるな!」ということです(笑)。就職をゴールにせず、雇用やビジネス、文化を一から生み出すことにも挑戦してほしいと思います。また、学生時代は特に、社会に迎合せず、自由であってほしい。偉そうなことを言える立場ではないのですが、ぜひ一橋大学の学生には、つくる側の人としてチャレンジしてもらいたいですね。今の閉塞感が漂う日本の状況を打破していただきたいのです。私も、その1人になれるように、努力していきたいと思います。

対談を終えて「低い光は、長い影を創る」

われらが本拠地国立でのお約束が殊の外楽しみだった。高校時代からバリバリやり手だったとの誉れが高い大塚さん、のどかな住宅街でどんな仕事を立ち上げようとしているのだろう? 午後のゆっくりとした時間、一軒家カフェとしても使われているそのお宅では子育て真っ盛りのお母さんたちの時が流れる。お嬢さんを抱っこさせてもらって、身も心もとろけてしまった。
かつて、起業家には野心が満ち満ち、寸暇を惜しんで少しでも早く成果を出したい、というイメージがつきものだった。ITバブルの時代には、男性であってすら妻子の存在は起業にとってハンディなんてことも言われていたように思う。なぜそんなに頑張れたのか?持てる=モテルエリート男子に対する、持たざる=非モテ男子のハングリーさが、シュンペーター的起業家精神の源泉だったのかもしれない。いかにオジサンオバサンが活を入れようと、豊かさの定着した日本の21世紀、ハングリー精神という資源は枯渇してしまったかのようである。
ハングリーを前提とする必要もそもそもないよね、と、大塚さんとお話していてふと思った。文明は新しく創ってしまっても構わない、という英才教育を受けた大塚さんである。才能に恵まれ、また、それをさらに伸ばす非常に恵まれた環境でのびのびと生きてきた人だ。アクセクとした様子は全くなく、肝っ玉が据わっている。そして、この美しい笑顔!豪邸や車を所有して異性にもてたい、という個人的欲望をドライブにしていた20世紀の起業家というのとは根本のところが違う。
成長期にある新興国では、若者のハングリーモデルがフィットするが、その勃興の周辺にあるあらゆる外部~成熟国、地方、環境、女性、高齢者~はきっと全く違うモデルが必要である。それはおそらく、豊かさをつなぐワザ。
新興国の勃興が一巡すると考えられている2050年。今年生まれたお嬢さんは38歳。豊かな地球になっているよう、お母さんたちは頑張るよ。
非常に満ち足りた気持ちの秋の夕暮れ。
低い光は、長い影を創る
そんなフレーズが頭に浮かんだ。

山下 裕子

(2013年1月 掲載)