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人生の編集力

  • 株式会社アテナ・ブレインズ 代表取締役福田恭子
  • 商学研究科准教授山下裕子

2013年秋号vol.40 掲載

一橋大学には、ユニークでエネルギッシュな女性が豊富と評判です。彼女たちがいかにキャリアを構築し、どのような人生ビジョンを抱いているのか?第38回は、書籍編集者を経て、「編集」をプロフェッショナル・サービスとして提供する会社を立ち上げた福田恭子さんです。聞き手は、商学研究科准教授の山下裕子です。

福田恭子氏プロフィール写真

福田 恭子

株式会社アテナ・ブレインズ代表取締役。1967年、鹿児島県生まれ。埼玉県立川越女子高校を経て、1990年、一橋大学法学部卒業。日本経済新聞社出版局(現・日本経済新聞出版社)および筑摩書房において書籍編集に従事したのち、2008年に株式会社アテナ・ブレインズを設立。現在は、企業のメッセージ発信の支援(編集、コンテンツ作成、コンサルティング)等、幅広いサービスを提供している。

自分のなかでの「ものさし」を一橋大学で身につけた

山下准教授1

山下:福田さんは編集者としてベストセラーを出され、ご自分で起業もされています。その間、出産や転職も経験されていますね。編集力って、企業や、さらには人生にも適応できる深い能力ではないかと思います。それをいかに身につけていらっしゃったのか、ぜひ伺いたいと思います。まずは出発点から。そもそも編集者になると決めてらしたんですか?

福田:高校生の頃、男女に待遇の差がない公務員になろうかと思った時期がありました。学部を決めたのも、公務員になるなら法学部かなと。ただ、もともと本が好きで、出版の仕事への憧れはありましたね。

山下:『サッチャー回顧録』を担当されたと聞きましたが、企画段階から関わられたのですか?

福田恭子氏1

福田:当時私は、日本経済新聞社の出版局にいました。サッチャーさんに「私の履歴書」欄を依頼しようと日経の上層部がアプローチしたところ、「ちょうど今、回顧録を書いている」と聞き、社としての判断で版権を取得したのです。サッチャーさんは20世紀後半の世界を動かしたキーパーソンの一人。その肉声に触れることができるまたとないチャンスなので、「ハイ、やります」と立候補しました。ところが、取りかかってみると大変でした。上下各500ページもある大著のうえに、イギリスでの出版時期に遅れないようにと、1年後輩の女性と2人で半年間、毎日深夜近くまで働きました。

山下:編集者の仕事のなかで企画はとても重要な部分ですね。

福田:毎月企画を出さないといけないので、つねに頭のどこかで考えている状態です。アイデアだけでなく、構成が見え、本のイメージができていないと企画は通りません。時代の進んでいく方向にメッセージを発信している人に本を書いてもらいたいと、いつも思っていました。

福田恭子氏2

山下:そういう人はどうやって見つけるのですか?

福田:基本は新聞や総合雑誌、専門誌ですね。実際に著者候補の方に会いに行くときや編集のプロセスのなかでは、一橋大学で学んだ広い意味での教養が力になりました。一橋大学で、本物の学問の空気を吸ったことが、自分のなかで一つの「ものさし」になった。それで、こと社会科学分野に関しては、あまり物怖じせずにどんな人にも会いに行けました(笑)。

ダイヤの原石を発見したい

山下:『サッチャー回顧録』をはじめ、世の中に出したいと思う本の編集にかかわれたわけでしょう。なのに、どうして転職したのですか?

福田:『サッチャー回顧録』を出した1年後に第一子を出産しました。職場で最初の育児休業取得者となり、ルールがなかった分、周りも融通を利かせてくれて、子育ての一番大変な時期を乗り切ることができた。ただ、経済系メディアだったので、それが会社としての強みである半面、経済書以外の企画のハードルがとても高い。もう少しいろいろなジャンルに取り組んで編集者として幅を広げたいという思いが強くなったのです。

山下准教授2

山下:意外と飽きっぽいのかも(笑)。

福田:ご明察です(笑)。転職したのは、新書の編集者を募集していた筑摩書房でした。転職した1998年頃は、新書が大きく変わった時期。大先生が一般の人向けにわかりやすく書くスタイルから、活きのいいテーマをどんどん取り入れていく方向に変わりつつあった。転職後に第二子が生まれ、ここでも子育てをしながらの編集稼業となりました。

山下:筑摩書房時代のヒットといえば梅田望夫さんの『ウェブ進化論』ですね。どういう経緯で本にされたのですか?

福田:私はテレビ番組の録画もできないくらい、機械音痴です。ITやインターネットも、できればかかわりたくないなと思って生きてきた。でも、グーグルが出てきて、それがツールとして使えるようになったことに衝撃を受け、ITやウェブが知の世界を大きく変えていくのではないか、と思うようになった。そうしたことを、文系の人間にもわかりやすく書いてくれる人がいないだろうか。そんな意識を持ち始めたところ、購読していた新潮社の雑誌「フォーサイト」(現在は電子版)に、「シリコンバレーからの手紙」を連載していた梅田さんが思い当たりました。改めてきちんと読み返してみたら、まさにこの人だ、と(笑)。忙しい方だろうと思ったので、「すでにお書きの雑誌記事やブログをこのように構成すれば、ゼロから書き下ろす部分はわずかです」と、目次案まで盛り込んだ企画書を送りました。それが、この本が誕生したきっかけです。

山下准教授3

山下:編集者は産婆役ですから、これが面白いという感覚や世界観が大事でしょうね。福田さんは、時代の少し先にあるものをどう見つけ出しているのかしら?
先日、高校生の一橋大学キャンパスツアーでレクチャーをしたとき、「どこに、今、大事なことがあるのかという感覚をどう磨いたらいいのか」と質問されたんですね。野性の勘で本を読み、いい人に会うこと、と答えたのですが。

福田:私は鈍臭く、立ち止まって考えるほうですね。考え出すと止まらないし、思考のなかから何かが立ち上がってくると、形ができるまではほかのことを考えたくない。そして、新しいモノ好きですし、まだ誰も見つけていない原石を探すのが好きなんです。鉱石のなかにチラチラっと光る部分を見つけ、それを磨き上げて、「ほら、やっぱりダイヤモンドだったでしょ」と。それが、編集者の醍醐味ではないでしょうか。

対談の様子写真

山下:外見はしとやかですが、中身はワイルドですね。

福田:かなり激しいですから、親しくなると驚かれますね。でも、ハードな仕事は、どちらかというと、見かけが元気そうな人に与えられるケースが多い。その意味では、損していると思います。

山下:ワイルドさがないと発信できないし、柔らかさがないと産婆役はできないのではないですか?

福田:私との仕事が終わってみると、すべて出し尽くして、へとへとになっている方が多いようです。こちらも、自分の羽を抜きながら反物を織り上げた『夕鶴』の「つう」と同じ状態になっています(笑)。でも、そこが楽しい。もう何も出ないまでに追い込んで、追い込んで、何かをつくり出すのが楽しいんです。

本物を見抜く力を学生時代に培ってほしい

山下准教授4

山下:ご自分で会社を始められたのは、どういうきっかけですか?

福田:筑摩書房では、やるだけのことをやって結果も出せたと思っています。9年間走り続けてきて、年齢も40歳になるし、じゃあそろそろ独立しようかな、と。ちょうど新しい会社法が施行され、小資本で株式会社を設立できるようになっていたことが後押しになりました。

山下:編集の対象が、著者から企業に変わったということですね。

福田:その通りです。編集者として培った技術は、著者の力を引き出し、整理・構造化して、わかりやすいメッセージとして発信することです。それを著者という個人に対してではなく、会社などの組織に応用できないかと考えた。世の中には、優れた技術や高度な専門性を持っていても、上手く発信できていない組織が少なくない。これはすごくもったいないと思うんです。トップのメッセージ発信の支援から、販促資料作成の支援まで、今は、「編集」をどこまで応用できるか、挑戦しているところです。
でも、営業は難しいですね。自分を売ることはとても難しい(笑)。

山下:持ち前のワイルドさを発揮して突破していってください(笑)。
最後に、一橋大学の後輩たちへメッセージをお願いします。

福田:一橋大学では、本物の学問に触れることができます。この環境を活かし、何が本物か、何が語られ、何が語られていないか、見抜く力を培ってください。そのうえで、英語力とITリテラシーを身につけて、ぜひ、世界に発信できる人になってほしいですね。

対談の様子2

対談の様子3

対談の様子4

対談を終えて「フルエタニティよりも何よりも」

福田さんを「発見」したのは、前回ご紹介したHitotsubashiWomen Leaders for Innovation の準備委員会である。Facebookのグループページで企画をまとめ、実行に移すプロセスをがっちりと押さえていたのが、福田さんだった。
色白で華奢なたたずまい、落ち着いた物腰からは想像のできない、スピーディで的確な仕事ぶり。うーん、すごいぞ、この人は誰?

フクダ・フー?

知らないのは私だけ、出版業界では知らない人のいない、有名な方だったのですね。
福田さんの魅力は、その才能と力が幾重にも層をなしているところにある。最初はソフトな物腰層の下にあるクールな仕事人層に圧倒されるが、その層の奥に、野獣のように獲物を狙う肉食層が隠れているのである。しかし、お話を伺うに、もう一つ奥の院があるらしい。それは、ダイヤの原石を探して、ぼーっと考え続けている層だということ。
幾層もの才に、編集者フクダの秘密の力が形成されているらしい。たくさんの原石を持つものの世界に向けて発信することが苦手な日本企業にとって、最も求められている力ではないだろうか。
ところで、ダイヤモンドと言えば、De Beers。A diamond is foreverは20世紀を代表する広告とされ、世界各国で男女のロマンスをテーマに展開されてきた。ところが、日本だけは事情が違うという。女性にダイヤを贈るのは彼女自身、男性は画面に登場しないのである。長年続いた結婚生活を祝うエタニティリングも、日本では長年頑張った自分へのご褒美。世界中で日本だけというのも若干寂しい気もするけれど、気を取り直してみれば、そこに描かれているのは、自分の人生を切り開く女性たちである。
ダイヤを自分で買う女性たちは、実はダイヤなんかでは満足したりしない。一番輝かせたいのは自分の人生。磨きたいのは自分という原石。ダイヤじゃない。原石を磨き、世界に輝く道を開いていく編集者フクダの能力こそ、女性たちが最も欲しいものじゃないかしら。
人生の編集力、そりゃ男性も欲しいでしょうけれど。その前に、日本の広告でもカッコよくロマンスを表現できるようになってからにして頂戴。

山下 裕子

(2013年10月 掲載)