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愛は未来を拓く

  • 国際交流基金 ジャカルタ日本文化センター アシスタント・ディレクター後藤 愛

2014年冬号vol.41 掲載

一橋大学には、ユニークでエネルギッシュな女性が豊富と評判です。彼女たちがいかにキャリアを構築し、どのような人生ビジョンを抱いているのか?第39回は、国際交流基金ジャカルタ日本文化センターでアシスタント・ディレクターを務める後藤愛さんです。聞き手は、商学研究科准教授の山下裕子です。

後藤 愛氏プロフィール写真

後藤 愛

1999年一橋大学法学部入学。2001年9月~2002年5月アメリカ・ペンシルバニア大学交換留学。2003年一橋大学法学部卒業(大芝ゼミ)。同年4月独立行政法人国際交流基金入職、日米センター事業第一課(後に知的交流課に名称変更)配属。2007年7月~2008年6月アメリカ・ハーバード大学教育大学院留学教育学修士(Ed.M)。2008年6月帰国、国際交流基金日本研究・知的交流部欧州・中東・アフリカチーム配属。2012年よりインドネシア・ジャカルタに赴任。現在に至る。

後藤氏による講義の様子

2013年10月18日、本館401教室で行われた山下裕子商学研究科准教授の「流通システム論」の授業に、スペシャルゲストが招かれた。国際交流基金ジャカルタ日本文化センターでアシスタント・ディレクターを務める後藤愛さん(2003年法学部卒)である。3歳の長男とジャカルタに単身赴任、総務・経理班長、日本研究・知的交流班長、図書館長等の通常業務のほか、国立インドネシア大学大学院で「現代日本社会論」を教える後藤さんに「仕事と生活」を語っていただき、学生たちに海外で働くこと・生き方を選択することの意味と示唆を感じとってもらうための試みである。山下准教授は、地球環境と都市をテーマとした国際プロジェクトの一員として毎年ジャカルタを訪問。フェイスブックをきっかけに現地での出会いがあったという。以下、授業の内容を交えながら、2人の対談を再構成した。
授業の冒頭は、山下准教授による「アジアのマーケティング・インテリジェンス」に関する講義、次いで後藤さんがスライドを交えながら現在の仕事を紹介した。ジャカルタ日本文化センターのミッションは、「日本のファン」を増やすこと。日本研究・日本語教育・文化芸術交流の三つを核に、日本文化の発信を行うための各種プログラムを企画・運営している。世界最大のイスラム国インドネシアでは約90万人が日本語を学んでいるが、その95%は高校生。後藤さんは最近、イスラム系寄宿学校で1500人の中高生に講演を行ったという。30人のインドネシア人スタッフを含む事務所全体の管理・運営や人事システムの構築、予算の執行管理等に責任者としてかかわっている後藤さん。対談は、そのエネルギッシュな活動の原点をひもとくことから始まった。

海外留学制度を求め、一橋の門をたたく

後藤氏1

後藤:海外で働きたいという思いは、高校生のときからありました。もちろん当時は、何をしたいというところまで考えていたわけではありません。まずアメリカに行こうと、大学の留学制度を調べ、プログラムが一番充実している一橋大学を選択。1年生の夏学期に、大芝亮先生(現副学長)の「国際関係論」の授業ガイダンスに参加して、「自分が勉強したいのはこれだ!」と衝撃を受けました。本来、主に3年生以上を対象とする授業でしたが、先生に相談して受講させてもらい、そのまま大芝ゼミに入りました。1年生のときから、自己資金の負担がほとんどない如水会の留学制度を意識して勉強しました。

山下:そしてペンシルバニア大学に留学されたわけですね。ゼミは国際関係論ですが、私法コースだったのは、なぜですか?

山下准教授1

後藤:留学しても4年間で卒業しようと考えていました。私法コースを選んだのは、頑張れば3年間で必要単位を取れるのではないかと思ったからです。

山下:就職活動も海外を視野に入れていたのですか?

後藤:はい。20社ほど受けたのですが、外国人の上司がいる外資系など、チャンスがありそうなところを選びました。最終的に政府系の法人に就職し、奨学金や研究助成金の審査・採用業務に携わり、全世界から寄せられる応募書類に目を通していました。27歳のときにフルブライト奨学金に合格して渡米し、ハーバード大学教育大学院で国際教育学を学びました。2度目の留学後、また元の職場に復帰。その後、2010年に長男を出産しました。

海外のほうが、子育てはラク?子連れでジャカルタへ

対談の様子

後藤:ワーキング・マザーは大変だよと聞いていましたが、やってみたら本当に大変でした。職場では勤務時間を1時間短縮してくれたのですが、保育園の送り迎え、子どもの世話などつねに走り続けている状態。自分の休み時間はほとんどありません。仕事の面でも、気づかって配慮していただけたのですが、裏を返せば大変な仕事や重要な仕事は巡ってこないと思ったのです。出産前に比べて半人前の仕事しかしていないと感じていました。

山下:そうした状況のなかで海外赴任されたわけですよね。どういうきっかけだったのですか?

後藤:ジャカルタへ転勤していた元上司に「子育てしながらでも、海外へ行きたいと言っていた気持ちに変わりはないか?」と尋ねられたので「行きます、行きます」と。インドネシアの子育て事情も治安状況もほとんど何も知らないまま、即答しました。海外でやりがいのある仕事をしたいという気持ちに加えて、ひょっとしてワーキング・マザーにとっては海外のほうがラクかもしれないと閃いたのです(笑)。職場でも子連れの新興国赴任は初めてのケースで、最初は驚いたようです。

後藤氏2

山下:海外のほうがラクという発想は、ただ者ではない(笑)。働いている間、息子さんは誰が見ているのですか?

後藤:午前は幼稚園、午後から夕刻にかけてはベビーシッターです。実は、ジャカルタには保育園がないのです。これも赴任が内定してから気づいたことだったのですが......(笑)。ベビーシッターについては、日本のように安心して派遣してくれるベビーシッター派遣会社があるわけではなく、すべて人づての紹介というアナログな方法で、自分で給料を決め、面接し、適任かどうか見定めなければなりません。子どもと留守を任せるわけですから、誰でもいいというわけにはいきません。4、5人に会って1人を選び契約するのですが、離職も多く、半年くらいでやめてしまうので、現在早くも3人目です。月曜から金曜まで住み込みで、家事も多少お願いできますので、生活面では安定しましたね。ベビーシッターがまだ見つかっていない赴任直後の時期は、夫が3週間、次は実家の母が2週間というように、家族がサポートしてくれました。当初は子連れ単身赴任だったのですが、現在は夫がジャカルタにいてくれています。

山下准教授2

山下:ご主人はインターネットを使ったビジネスをされているのでしたね。

後藤:そうです。一橋大学を中退してシカゴ大学を卒業した人で、基本は自由人(笑)。夫も、仕事や夢を続ける妻がいい、というスタンスで応援してくれているのが、ありがたいです。私は、海外で子育てと仕事を両立させるためには、両立させるためのセットアップ時間を長めに取ることと、両立させるための環境づくりを自分でマネジメントすることが大事だと思います。私の場合、初期の準備に約1か月、安定稼働まで約半年かかりました。

対談の様子2

山下:もう一つ、パートナー選びも重要なポイントですね。男性でも女性でも付き合う相手が変わると生き方が変わる。人生のマップが変わるわけですから、このことをアタマの隅に置いておいて仕事や配偶者を選ぶと、人生のハッピー指数が少し高まると思いますね。

後藤:自分がどんなライフスタイルをつくっていきたいのかを考えることは、とても重要だと思います。同時に、これはいいなとか、こういうのは嫌だなと、素朴な感覚も大事だと思うのです。100%完璧な相手なんているわけはありませんから、お互いが成長していかなくてはなりません。お互いが理想とする生活の形を一緒につくっていくことだと思います。子育てと並んで大事だと思っているのが、「夫育て、妻育て」です(笑)。
現在の私が担っている仕事上の責任は、感覚的に言えば、日本で働いていたときより10倍重いと思います。でも、キャリアアップできたし、海外で働くという目標も達成できました。何より仕事も子育ても楽しんでいます。仕事も生活も能動的にマネジメントできる環境にいますから、あのとき、海外赴任を選んで本当によかったと思っています。

新興国の学生たちは、自分のキャリアにアグレッシブ

後藤氏3

山下:最後に、国際交流から見た一橋大学について伺いたいと思います。インドネシアでは日本のポップカルチャーが大人気ですし、研究者同士の交流はありますが、学部レベルではとても少ないのが実情ですね。

後藤:インドネシアの学生はシンガポールやオーストラリアへ留学する人が多いですね。英語圏で学び、将来は家族を呼び寄せてインドネシアとのビジネスがしたいと考えているようです。私の部下の1人は高校時代に日本に留学し、日本語の日常会話ができます。英語はビジネスレベルです。そういう能力のある人でも新卒の手取りは日本円にして月収3万円ぐらいです。彼らは非常にハングリーで、目の前にあるチャンスにとにかく飛びついて全力で働き、次を目指します。社会保障に全く頼れない新興国ですから、自らの力で稼ごう!という意欲の強烈な人たちなのです。日本の学生もアグレッシブさに一度でも触れたら、負けていられない!と危機感を持つと思いますよ。

対談の様子-後藤氏4

山下:大学でも自然科学系や土木など技術分野では交流が盛んですし、現地にオフィスを設けている大学も少なくありません。でも、一橋大学は19世紀から海外で活躍する人材を育てている大学です。海外で活躍している人が大勢いるという資産と価値は、非常に大きいのです。学生たちも、ぜひこの資産を有効活用してほしいと思いますね。

後藤:ジャカルタにも如水会の支部があり、約70人のOB・OGが活躍しています。そのうち約40人は平成になってからの卒業生です。一橋大学にはさまざまな留学制度がありますが、夏休みなどを利用して自分からどんどん海外へ出て行くのもいいと思います。現地に行くと、必ず何かが見えてくるからです。

対談を終えて「CAGEからL.O.V.E.へ」

愛さんとは、今年の夏、ジャカルタで初めてお目にかかった。息子さんを連れて約束の場に現れた愛さんは、なんと生き生きとチャーミングなひとだったろう!
グローバル化と女性のパラドクスをかねてから感じていた。女性は異文化への好奇心が強いし、コミュニケーション能力も高い。海外でのキャリア向きだ。しかし、家庭を持つと一挙に事情が反転する。海外に開ける能力と、国内に縛り付ける家庭の磁力。仕事と家庭の両立だけでも大変な日本だ。グローバルが絡むと、ほとんど不可能ではないか。かくして、グローバル人材を外に送り出せない日本。
グローバル化という言葉が普及してから30年、今では、国境の壁は思いのほか高いとする考え方が主流である。その主要な論者ゲマワットは、CAGE(Cultural、Administrative/political、Geographical、Economic)モデルを使い、国の壁の存在を実証している。家庭こそケージの最たるものかもしれない。
しかし、「子育てしながら働くなら、海外に行くしかないと思った」と愛さんはさらりと言うではないか。若年人口が激減する日本。子育ての手と消費の担い手の双方がいる国に家庭と仕事の場を据えるのは直球な未来像かもしれない。それにしてもそのために、小さな赤ちゃんを抱えてインドネシア語までマスターしちゃったとは!
愛さんから学んだ、L.O.V.E.の原則。
L Leverage 人の手を借りる
O Open-minded 思い込みは捨てる
V Velocity スピードが大事
E Earthy 地に足を着けること

L.O.V.E.の原則、学んでほしいのは男子学生たち。女性が物理的なケージに苦労するのに対して、男性たちは精神的なケージに取り込まれがちだから。未来の愛さんの背中を押してあげられる男性がもっと増えることを祈りつつ。

山下 裕子

(2014年1月 掲載)