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スーツの似合うひと

  • 日本政策投資銀行栗原 美津枝
  • 商学研究科准教授山下 裕子

2014年夏号vol.43 掲載

一橋大学には、ユニークでエネルギッシュな女性が豊富と評判です。彼女たちがいかにキャリアを構築し、どのような人生ビジョンを抱いているのか?第41回は、日本政策投資銀行企業金融第6部長で、女性起業サポートセンター長も務める栗原美津枝さんです。聞き手は、商学研究科准教授の山下裕子です。

栗原美津枝氏プロフィール写真

栗原美津枝

日本政策投資銀行企業金融第6部長兼女性起業サポートセンター長。本名は土居。1987年法学部卒。日本開発銀行入行。文部科学省出向、財務、M&Aなどさまざまな業務に従事した後、2008~2010年、米国スタンフォード大学国際政策研究所客員研究員としてクロスボーダーM&Aやベンチャーファイナンスを研究。2011年5月、医療・生活室の初代室長に就任。同年11月に「女性起業サポートセンター」を立ち上げセンター長を兼務。2013年4月、ヘルスケアやサービス産業を担当する企業金融第6部の新設に伴い部長就任。現在に至る。

パイオニアとして

栗原美津枝氏

山下:一橋大学OGのコミュニティ「エルメス」の立ち上げの準備をしていてわかったのですが、30代後半以降の女性で日本企業組織のなかに残っている人はとても少ないのです。外資や専門職、フリーランスで活躍している人は多いのに、企業のなかでキャリアアップを重ねている人は、本当に少なくなってしまう。その意味でも、現在、日本政策投資銀行(DBJ)で部長として活躍されている栗原さんのお話はぜひ伺いたいと思っていました。まずは定番の質問から。なぜ一橋大学を選んだのですか?

栗原:法学部への進学という以外は、一橋大学を選んだ特別な理由はありませんでした。ユニークな校風や仕組み、一橋大学で学ぶ重みのようなものは、入学してから知ったのが正直なところでしたが、選んでよかったです。

山下:仕事についてはどのように考えていましたか?

対談の様子-栗原氏

栗原:大学に残って上に進むことも考えましたが、公的な仕事に就きたいという思いは強くありましたね。具体的な企業や職種というより、ダイナミックで社会性のある仕事がいいと考えていたと思います。DBJの前身である日本開発銀行が女性の総合職の採用も考えていると聞いたので、であれば挑戦してみようと思いました。

山下:栗原さんは、男女雇用機会均等法施行後の1期生ですね。当時の日本開発銀行では女性の総合職はどのくらいいたのですか?

栗原:同期の総合職は19人で、うち女性は私一人でした。1期生が同じ企業に残っているのは珍しいとよく言われます。私自身、同じ企業に固執したわけではなく、やりたいことをやってきたら結果としてこうなったのですが、それが奇跡かなと思うときもあります(笑)。でも、1期生ですから自分が道を切り開いていかないことには、後に続く人が出てきません。予想以上に時間はかかりましたが、それも果たすべきミッションの一つであり、やりがいにつながりましたね。

ムダな「経験」は一つもない

対談の様子-山下准教授

山下:DBJでずっと仕事をつづけてこられたなかで、転機もあったのではないでしょうか?

栗原:自分でも今後の方向性に大きな影響があったと思うのは、入行10年目に自社の統合業務、つまり日本開発銀行と北海道東北開発公庫との統合にかかわったことです。財務部に異動し、資金繰りや調達、勘定を統合させるとともに、統合後の新しい仕組みをつくっていきました。二つの組織の最後の決算を締め、新組織の最初のバランスシートを作成しました。資本勘定の振替もしました。これまで見てきた財務諸表がガラリと変わったのです。そして、統合した姿が外部にどう映るのか、どう評価されるのかを強く意識しました。DBJは、2008年に株式会社になりましたが、組織のあり方が変わること、より市場で評価されるようになるだろうことは、この頃から意識していました。統合して数字が変わっただけでなく、評価の物差しも変化してゆくことを感じ、そこを意識して仕事をするようになったのは、統合の仕事にかかわったおかげだと思います。

山下:栗原さんはM&Aの仕事を担当され、現在は部長の立場で女性起業家の支援事業に関与しておられますね。統合といいM&Aや女性起業家支援といい、とても面白い仕事に携わられていると思います。その道筋もご自分で開いてこられたのですか?

栗原美津枝氏2

栗原:銀行業務の典型的なキャリアアップでないとも言えますが(笑)、M&Aも当時のDBJでは新規分野でしたし、現在取り組んでいる医療などのヘルスケア産業や女性起業家支援等も新しい活動で、将来を見据えた開拓をつづけることができたと思っています。自分の所属する組織のなかでやりたい仕事や実現できる価値があるというのは、幸せなことですし、長くつづけてこられた最大の理由だと思います。
でも、もちろんすべてが思うようになったわけではありません。たとえば銀行の主業務である企業融資を経験したのが遅く、入行後に異動した関西支店では地域プロジェクトメイクや経済調査が主で、その後も科学技術庁(現文部科学省)へ出向しましたので、8年目にようやく融資の現場にきたときには経験や専門知識の不足を痛感し、このまま銀行でキャリアアップしていけるのだろうかと悩みました。

山下:だから自分から学ぼうと思われたのですね?

栗原:そうですね。融資業務は悩みながらやっていましたが、それを経験するなかで裏側にある資金調達に関心を持ち、資金管理や資金調達というもう一つの銀行の根幹にかかわる仕事を希望しました。私にとってもう一つ予想外だったのが、約4年間財務的な立場で統合の仕事をした後、今度はシステムの統合に携わったことです。そろそろ違う仕事をしたいと思っていましたし、統合した組織のシステム統合の大変さをわかっていましたので、本音は「何でまた私が」と最初は思いました(笑)。しかしながら、統合の仕上げとしての新システムをつくる重要なプロジェクトですから、大変苦労しましたがやり遂げたときは達成感がありました。その過程で外部の専門家など多くの人とかかわり、さまざまなことを教えてもらい、助けてもらいました。新しいことをやる際には、実はこうしたさまざまな経験が活きてきますし、経験の積み重ねが私の血肉として力となり、物事のとらえ方や考え方の基礎になっていると思います。そしてこれからも伸びつづけてゆくために、ムダな経験は一つもないと実感しています。

対談の様子-山下准教授と栗原氏

山下:「ムダな経験は一つもない」というのは、すごくいい言葉ですし、社会のなかでキャリアを築いていきたいという人には心のどこかに留めておいてほしいと思いますね。M&A部門への異動は、ご自分で希望されたのですか?

栗原:そうです。7年間統合業務に携わったことで、複数の企業の統合によるメリットをどう発揮するか、それが外部からどう評価されるのかをもっと深く考えたいと思いました。また、財務とシステムでの統合経験を取引先やDBJの事業に還元したいという思いもありました。

山下:栗原さんが管理職になられたのは、M&A部門に異動されたときですか?

山下准教授2

栗原:そうです。部門が立ち上がった初期の頃でした。数人でチームアップするのですが、メンバーには戦略の提案が得意な人もいれば、交渉がうまい人、エグゼキューションの力のある人もいます。そのバランスを取るといいチームになるんですね。課長になるまでは思い切り自分のやりたいことができますし、私自身、どちらかといえば自分でやりたいほうなのですが、課長になり組織をマネジメントするには一歩引いて全体を見ること、部下に任せることの大切さ、難しさを、このとき学びました。

山下:エースプレイヤーとディレクターは、役割が違いますからね。マネジメントの醍醐味を経験するのは管理職になってからですが、その入り口で辞めてしまう女性が多いのは残念に思います。

ジャンプするには一度身を縮める。スタンフォード大学へ

栗原氏3

栗原:M&Aの依頼元の企業のアドバイザーとしてパートナーの選定や交渉にあたるのは全く未経験の仕事でした。銀行はアセットを利用したビジネスが主ですから、新しい会社に転職したような気持ちでした(笑)。課長にもかかわらず、これまでのスキルをリセットする必要がありました。でもDBJのアドバイザーにしかできないことはあると思いましたし、企業経営者やその資本政策に直接かかわれることですから、覚悟のようなものはありましたね。

山下:M&A部門では何件くらい案件を担当されたのですか?

栗原:50件くらいです。本当にいい経験をしたと思いますが、5年ほど頑張りつづけて、インプットしてはアウトプットするのを繰り返しているうちに、伸びきったゴムのようになっているなと感じたのです。一度縮まないと次にジャンプできないなと。自分に足りないのは国際経験だともわかっていましたので、ビジティング・フェローとして2年間スタンフォード大学で学びました。スーツは日本に置いていきました。夫や両親、家族はいつも私の選択を尊重してくれますが、ここでも応援してもらいました。帰国後は、財務部で民営化に向けた資金調達の多様化を進め、2011年に「医療・生活室」の初代室長(部長職)になりました。

山下:女性起業家支援事業は、ご自身の発案だそうですね。

栗原:経営層から投げかけられた問題意識は、「増えている女性経営者とDBJの連携を考える」というものだけでした。スタンフォード大学にいたとき、アメリカでは、ベンチャーキャピタルの出口戦略、あるいは企業の成長戦略としてなぜM&Aが活用されているかを学び、シリコンバレーでそれを肌で感じました。特に、起業と企業の関係、スタートアップ企業の取り巻く環境が日本とアメリカ、特にシリコンバレーで違うことを実感し、日本でも何らかの形で、新しい成長企業が生まれる環境づくりを応援できればと考えていました。今手がけている1000万円の事業奨励金の提供と事後サポートを組み合わせた女性起業家の事業コンペティションはその一環。新しい視点での事業プランや情熱あるパワフルな女性たちに出会うことができ、とても嬉しく思っています。

山下:もっとお話を伺いたいのですが、誌面の関係もあり残念です(笑)。最後に後輩へのメッセージをお願いします。

栗原:私の時代は、一つずつ自らつくらないと道はありませんでした。私の諸先輩方はさらに苦労して道を開いていかれたことと思います。今は多くの道、選択肢があります。でも、できた道を後からたどっていくだけで満足してほしくはありません。先人がつくった道を踏みしめながらも、その先の道を切り開いていかれることを願っています。

対談を終えて「異なる要素を調和させる力」

スーツの似合うひとである。
生まれついての華やかで美しいお顔立ちに落ち着き、思いやり、そして、軸のしっかり定まった意志の強さ。部屋に入ってこられたとき、空気の質感がしっとりと変わるのを感じてしまったぐらい。
日本では働く大人の女性のスーツ姿ってなかなかイメージしにくい。黒のリクルートスーツで一斉に仕事を始めた後、どうなっていくのでしょうか?女性政治家の勝負服や、女性起業家のブランド服、等、女を意識しすぎているようで、スーツの良い意味での中庸さとはかけ離れているような......。
女とスーツの関係は、M字カーブとも言われる女性の企業内でのキャリア形成の難しさを象徴しているのかもしれない。大企業の集積する大手町は、いまだに女性がなかなか食い込めない男性社会の縮図のような所だ。その中でも金融界は、世界的に仕事服のカジュアル化が進む中、スーツの最後の砦。栗原さんのスーツ姿、なんと貴重な存在か!
金融業界の構造変化に寄り添ってきたようなお仕事の軌跡である。中でも、統合の仕事が転機になったとのことだ。顧客の事業支援ではなく、自行の経営体制の骨格に関わる仕事だが、縁の下の力持ち的で途方もない忍耐が必要である。経営の隅々まで自分の眼で見届けてきた経験が後にM&Aの仕事に生かされる。与えられた仕事をしっかりと成し遂げることと、自分のやりたい方向を自律的に創っていくこと。二つは矛盾するようだが、唯一無二のキャリアを生み出す秘訣なのではないだろうか。
Suitの語源は、followを意味するsequi。異なる要素が互いにあい従っていること。揃いの服がスーツ、揃いの部屋がスイートルーム、揃いの音楽が組曲。案件の異なる多様なリスクを調和させ、投資機会に変えていくバンカーの力にも通じるものがあるのかも。最も素晴らしいのは、ただの無難に終わらず調和の中に伸び伸びとした個性が息づいていることでしょう。
東京に金融特区を創る案があるとか。素敵なスーツ姿の女性が増えるといいな。もちろん男性も。

山下 裕子

(2014年7月 掲載)