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サステナブルは家庭から

  • 日経BP社久川 桃子
  • 商学研究科准教授山下 裕子

2014年秋号vol.44 掲載

一橋大学には、ユニークでエネルギッシュな女性が豊富と評判です。彼女たちがいかにキャリアを構築し、どのような人生ビジョンを抱いているのか?第42回は、日経BP社発行の雑誌『ecomom(エコマム)』の編集長を務める久川桃子さんです。聞き手は、商学研究科准教授の山下裕子です。

久川桃子氏プロフィール写真

久川桃子

2000年商学部卒。外資系金融機関を経て2002年日経BP社に入社。『日経ビジネス』編集部に配属され、旅行・ホテル業界などを取材。2008年4月より、「家族と自然にやさしい暮らし」を提案する雑誌『ecomom(エコマム)』のプロデューサーを務める。2013年より編集長。双子を含め3人の小学生の母。

国際金融を学ぶために、一橋大学へ

久川桃子氏

山下:久川さんは20代で金融からマスコミに転職、そして結婚、出産。現在3人のお子さんを育てながら雑誌の編集長をされています。いわば激動の20代のなかでどのようにキャリアディベロップメントをされてきたのか、ワークライフバランスはどうなのか、大いに気になるところですね。後輩の皆さんもいい示唆が得られると思います。

久川:20代は、実質半分しか働いていない社会人でした(笑)。私は1年5か月で新卒で入った外資系金融の会社を辞め、転職2年目で1年以上の産休、復帰すると今度は双子の出産で1年3か月間休んでいます。こんな私がどうやって社会で生き残っているのか、参考になるとすればそこかもしれません。

山下:金融業界への就職は高校時代から考えていたそうですね。まず、そのあたりから聞かせてください。

久川:私が受験勉強をしていた1995年は、史上初めて1ドル70円台に突入し、超円高でした。ニュースでも盛んに取り上げられていましたし、日米が協調介入までしても、円高は続いていたのです。その現象の裏には何があるのだろうと、為替や国際金融に興味を持ちました。一橋大学を選んだのも、商学部で国際金融を学べるというのが魅力だったからです。
一橋大学に入学する前、一浪し、初めて挫折を味わいました。今はかえって良かったと思いますが、当時は周囲の友人は皆輝いているのに自分は、と居場所のない思いでした。

山下:一橋大学で居場所は見つかりましたか?

久川桃子氏2

久川:正直に言うと2年生になってからですね。金融論や競争戦略論の授業で、志の高い友人に出会えたこと、そして自分たちで学内誌を創刊し、その雑誌で創業間もない楽天の三木谷浩史さんなどいろいろな方に取材できたことも刺激になりました。雑誌づくりの面白さを感じつつも、結局、就職先には外資系の銀行を選びました。国際金融の舞台で活躍することへの憧れがあったためです。為替のディーラーとしてバリバリ活躍する自分、なんて思い描いていましたね。

山下:そして、第一志望の企業と部署に入られたわけですね。

山下准教授

久川:はい。自分なりにキャリアプランは考えていたつもりでしたが、現実とのギャップは大きかったですね。自分に根性がなかったのが原因なのですが、数か月で自分には向いていないと感じ始めました。早く転職してしまいたいという思いと、3年は辛抱しなければという思いが、頭のなかで繰り返し交錯していました。そんな折、某外資系証券会社の債券部から転職の打診があったのです。気持ちが動きかけたとき、後に結婚することになる彼が「また失敗するのか」といさめてくれました。居場所をつくれなかったのは自分のせいなのに、1年で挫折したと思いたくなかったから、同じ業界ならプライドが保てると思ったのかもしれません。

山下:他人から見る適性と自分が思うそれとは異なるということは、確かにありますね。まして学生にイメージできる範囲には限度があるのかもしれません。

久川:そうだと思います。自分に合わないと思ったら次の行動を起こすことも、ときには必要です。選択の失敗は一度や二度は許されるのではないでしょうか。でも、多くても二度までかな。それ以上はジョブホッパーととらえられても仕方がないと思います。

すべての条件が思い通りに整うことなどない

対談の様子-2人で

久川:日経BP社は求人広告を見て応募したのですが、記者という仕事は私に向いていたようで最初からスムーズに馴染めました。前職での失敗から、教えてもらうのを待つのではダメだという気持ちが強烈にあり、自分なりに貪欲に取り組んだのも良かったと思います。前の失敗があったからこそ今の自分があるのだと思います。

山下:結婚されて出産が27歳。記者としてこれからというときですよね。

久川:キャリア志向の強い女性は、20代で出産なんてと思っている人も多いと思います。現に私自身がそうでした。特に子ども好きなわけでもなく、いつかは産むだろうと思う程度でした。でも今は、20代で産んで良かったと思っています。幾つになってもすべての条件が整うなんて、まずないですし。

久川桃子氏3

山下:とはいえ、現実面では働き方が変わってきますよね。そのあたりの葛藤もあったのではないですか?

久川:復帰した後は、できるだけ早めに帰宅し、夜中に原稿を書くなどして、何とか仕事をこなしてきました。でも、ほかの人と同じように働けるわけではありませんし、機動的にニュースを追うこともできません。できるだけ計画的に進められる仕事、ほかの人がやりたがらない仕事を積極的にやることで自分の居場所をつくる努力はしていました。
二度目の妊娠は、育児と仕事の両立のための、アクセルとブレーキの加減がわかり始め、そろそろ2人目が欲しいと思っていたときでした。でも、まさか双子とは(笑)。

山下:双子のお子さんが生まれたときは、まだ『日経ビジネス』の記者だったわけですよね。今のお仕事に替わられたのは、どういうきっかけだったのですか?

久川:二度目の産休から復帰後半年ほどは、記者でした。保育園のお迎えがあり時短勤務にしてもらっていたのです。しかし思うように取材にも行けないし、現場の空気にも触れられず次の企画のアイデアも浮かばなくなるなど、肩身の狭い思いをしていました。そんなとき、『ecomom(エコマム)』の前任者が、「引き継ぐ気はないか」と声をかけてくれたのです。半分は乳幼児3人を抱えての記者生活は大変だろうという親心だったと思いますが、私自身は記者への未練がいっぱいでした。自分はまだジャーナリストとして形になるものを残していないのではないか、と。

家族一人ひとりが自立し、何でも言える人間関係をつくること

久川桃子氏3

山下:記事に専念できる立場とプロデュースする仕事では、立ち位置もまるで違うと思います。そのあたりとはご自分のなかでどう向き合ってきたのですか?

久川:2008年の春に異動したのですが、自分がつくっていると胸を張って言えるようになったのはこの2〜3年ですね。『ecomom』は環境や社会の問題解決への意識の高い、小さな子どもがいるお母さんが主な対象で、ウェブで登録した人に無料でお送りするリクエストマガジンです。生活者には「家族と自然にやさしい暮らし」を提案しながら、企業の環境・CSRメッセージを生活者に伝える場になっています。たとえば、身に着ける洋服の生産背景に、児童労働があったら?
環境破壊があったら?
そんな事実があるなら買わなかったのに!と気づく生活者もきっと多いと思うのです。そして気づいていただくことを使命に雑誌づくりを行っています。一方で広告の営業担当者と一緒にクライアントの元に伺ったり、色やロゴの入れ方を決めたりと、経験したことのない仕事の連続でした。小さな組織だからできることですし、外部の編集者と前任者のスタッフィングが良かったと思います。記者時代は雑誌のビジネスモデルなど考えたこともなかったのですが、その意味でも学んだことは多いですし、これからも学んでいきたいですね。

山下:取材で回るときと広告営業で伺うときとでは、企業の見え方も違うでしょうね(笑)。でも、雑誌の中身は制作のプロがいるから、編集長やプロデューサーとしての判断が仕事になりますね。たとえばメディアをどう活かすかという発想など、ビジネス誌での経験が活きているのではないですか?

久川:登録して読んでみたいと思う雑誌、誌面をどうつくり出すか、ですね。『ecomom』にかかわってもう一つ良かったと思うのは、子どもがいることをプラスにできること。雑誌の顔として公の場に出るときも、3児の母であることがセールスポイントになります(笑)。双子が小学2年生になり、子育ての面では随分楽になりましたが。

山下:育児と仕事を両立させるためには、家庭のマネジメントが必要ですね。久川さんはマネジメントの面でもワークライフバランスの面でもすごく充実されていると思うのですが、秘訣はどこにあるのですか?

久川:よくも悪くも一点突破型ではないこと(笑)。たとえば、ゴミ出し当番を決めるのが大事な家庭もあるでしょうが、どの家庭にとっても大事なわけではないでしょう。親の状況も、子どもの状況も、経済的な状況も、家庭によってさまざま。わが家なりのソリューションを見つけることが何よりも大事だと思います。わが家は義母を含めて6人暮らしで、義母の協力には本当に感謝しています。でも、義母なしで回らないような依存の仕方は、お互いに重荷。それぞれが自立し、協力できることはするし、できないことはできないと言い合える家族でいたいと思います。

山下:失敗や挫折で諦めなかったこと、ネットワーク型のファミリーを築いてきたことが、今の久川さんを生み出したのでしょうね。理想のワークライフバランスで、羨ましくもあります(笑)。

久川:ありがとうございます。後輩の方々にも、転職も出産も、チャンスがあるなら選択肢を否定せず、前向きに考えてほしいと思います。

久川桃子氏4

雑誌

対談を終えて「Cool Head, but Warm Heart」

久川さんに初めてお目にかかったとき、仕事のできるクールな印象を受けた。驚いたことに双子を含む3人のお子さんがいらっしゃるという。さらに驚くのが、お子さんとの時間の豊かさ。積極的にアウトドアを楽しんだり、カイコを飼ったり、四季折々の歳時をお祝いしたりとなんと温かな充実ぶり。こんなスーパーウーマンのスーパーの秘訣は何なのかしら?
印象深いのが、抜群の判断力だ。何に力を入れるのか、何をやらないのか、人に任せるのか、メリハリが利いて実に小気味良い。雑誌の運営に活かされているこの能力が、家庭でも生彩を放っているのが本当に素敵である。家事の省力化というと、毎日の作業にかかわる労働の次元だが、家族単位で考え、人にも家事を依頼......となるとマネジメントの次元の話になる。何を大切にしたいか、軸が定まると判断がぶれない。そのなかで家族がそれぞれ生き生きと輝く。
聞けば、久川さんには参謀がいるらしい。パートナーの夫君の采配ぶりが大変に素晴らしいのである。職業選択に関するアドバイスや親御さんとの絶妙な距離感等、実に見事。そして、このカップルを育てた両家の親御さんたち。両方のお母様が仕事をされていたそうで、ワーキングカップル二世代目にして醸成された知恵があるようだ。一見クールにも見えるオープンな家族関係の背後に、個を尊重するとても温かい心が伝わってくる。
家庭への参加は、皿洗い分担だなんてとんでもない。むしろ、複雑で出口が見えない現実を整理してビジョンを示し具体的に問題を解決していくマネジメントが必要なのだ。本当にマネジメント能力のある人であれば、家庭をこそ経営できるはず......。
Cool Head, but Warm Heartは、アルフレッド・マーシャルが19世紀のロンドンの貧民街にケンブリッジの学生を導いたときの言葉だ。人口オーナス期の日本では、家庭に多大な負荷がかかり、老若男女、力を合わせてマネージしていかなければならない。家庭こそ、Cool HeadとWarm Heartが必要な領域なのかもしれませんね。

山下 裕子

(2014年10月 掲載)