hq55_2_main_img.jpg

経済成長理論と景気循環理論という2分法を超えて

  • 経済研究所准教授陣内 了

2017年夏号vol.55 掲載

陣内 了

陣内 了

博士(経済学)。2003年東京大学経済学部卒、2009年米国プリンストン大学経済学研究科にて博士号を取得。2009年8月〜2015年6月テキサスA&M大学経済学部講師を経て、2015年7月一橋大学経済研究所経済・統計理論研究部門 准教授に就任、現在に至る。専門分野は、マクロ経済学、金融政策、計量時系列分析。現在、2007〜2009年の大不況に関する研究プロジェクトに取り組んでいる。

新しいフレームワークで大不況を分析すると、何が見えてくるか

経済学には国単位──国と国とのつながりなど──の大きな数字を扱う「マクロ」と、企業や人の経済行動を分析する「ミクロ」、この二つの分野があります。私はマクロ経済学を専門分野とし、マクロ及び企業の生産性が決まるメカニズム、内生的成長理論、ビジネスサイクルの理論、金融市場の不完全性、金融政策などのトピックに興味を持って研究をしてきました。そして現在は、2007~2009年の大不況に関する研究に取り組んでいます。
マクロ経済学には現在、経済成長理論と景気循環理論という二つの理論があります。詳しくは次節に譲りますが、誤解を恐れず単純化すれば、この二つの理論は関わる研究者も分析手法も異なり、あたかも独立した分野の如く研究が進むという状況が長く続いていました。しかし私は2007~2009年の大不況について研究を進めながら、理論を二つに分けることを不都合に感じています。特に大不況からの回復プロセスには過去になかった現象が見受けられ、それはどちらか一方の理論のみでは説明できないからです。実際、私が情報交換を行っている研究者たちからも同様の意見が聞かれます。
そこで私は、二つの理論をモデルの上で「接合」し、新しいフレームワークを生み出すことに注力しています。新しいフレームワークで大不況を分析すると、何が見えてくるのか。それが今の私にとって最大の関心事です。

過去の理論では説明できない事象が2007~2009年の大不況で起こっている

経済成長理論と景気循環理論の違いについて、少しふれておきましょう。
まず経済成長理論とは、数十年単位(あるいはそれ以上)という比較的長いスパンで経済現象をとらえ、その背景などについて分析していく領域です。日本の経済は、なぜ戦後に高い成長を示し、その後落ち込んでいったのか。中国はなぜ伸びているのか。貧しい国は、なぜ貧しいままなのか──。こういった大きなテーマに関する理論です。
一方で景気循環理論とは、もう少し短いスパンで経済現象をとらえる領域と言えるでしょう。好景気から不景気へ、また不景気から好景気へ、名前の通り景気が循環することはよく知られていますが、その理由を分析する時に用いられます。線グラフにたとえると、前者の分析対象が右肩上がりのGDP直線とすれば、後者のそれは、植物のツルのように直線の上に行ったり下に行ったりする波線です。
この二つの理論が併存するに至った歴史的な経緯については諸説ありますので、ここでは立ち入りません。ただ、私の研究を理解していただくために強調しておきたいのは、直線と波線の交わり方です。景気の循環とは、波線がある瞬間に直線の上を行き(=好景気)、その後、下に回り込む(=不景気)現象です。そして不景気から再び好景気に行く時、それまで以上の強い成長によって直線を上回ってきました。ところが、2007~2009年の大不況は違います。いったん下がった波線は一応底を打ったものの、以前のような強い成長を示さず、GDP直線の下をゆるやかに上向きながら伸びていく。そんな奇妙なグラフになるのです。
2007~2009年に、これまでのマクロ経済学の理論をそのまま当てはめることができない事象が起こった。データを分析すればするほど、そう考える以外にありませんでした。

研究開発への投資を止めたことが人類の「知識の積み重ね」を停滞させた

今でこそ日本やアメリカの景気は回復・拡大をしていますが、その実態は過去の経験則から期待されるトレンドを下回るものでした。それほど2007~2009年の大不況は、大きな「傷」を残したのです。現時点での個人的な見解としては、その傷とは、金融機関の機能不全が企業や政府の研究開発への投資を萎縮させたことによるもの、ととらえています。
当時の大不況によって、アメリカの金融機関、そして金融市場は大きな痛手を被りました。そしてITや医薬など、GDPの伸びをけん引するセクターに融資ができなくなったのです。手元の資金が目減りすることを恐れた企業は、真っ先に研究開発費を削減。最近読んだある記事によれば、カルロス・ゴーン氏がCEOを務めていた日産自動車ですら、当時は相当、資金の融通を心配したとのことです。公的資金による研究支援も減らされました。
研究開発費への投資をストップしたことが、企業はもちろん、日米、ひいては世界経済にも大きな影響を与えました。人類全体の研究活動が大きく停滞した時期だとも言えます。経済成長は、「知識の積み重ねによって起こる」というのが定説です。今までの研究をもとに新しい成果を生み出し、それがさらに新しい研究を......という積み重ねが寸断されてしまったら、その後に手厚い支援がなされない限り、失われた研究成果はもう取り戻せません。そのため、経済が成長軌道に戻ったあとも、傷はそのまま残った。それが現在の経済状況であるというのが、私の考えです。

トップダウンで一気に回復基調に乗った1930年代の大恐慌とは様相が異なる

もちろん反論はあります。よく指摘されるのが、1929年に始まったアメリカの大恐慌との比較です。当時も金融市場が傷んだことによって大恐慌が引き起こされたはずだが、その状況とどう違うか、という指摘です。厳密な分析はこれからですが、現時点で私なりの回答は二つあります。一つはニューディール政策と戦時体制です。政府は市場に空前絶後の介入を行いました。
もう一つは国策で行ったさまざまなイノベーションです。短期間で原子爆弾を開発したマンハッタン計画は言を待たず、トップダウンで一気にイノベーションを推し進めたわけです。「オペレーションズ・リサーチ」も有名です。戦時の補給を重視していたアメリカは、戦地に物資を供給し続けるための効率的な手法を模索していました。そこで数多くの数学者や経済学者が駆り出され、多方面にわたる検討が行われたのです。そこで得られた知見は一つの学問分野として確立され、金融工学という花形派生分野も生んでいます。
このような特殊なけん引力による大恐慌からの景気回復は、私が研究対象としている大不況とは大きく様相が異なる、と考えています。

金融政策が長期的なトレンドに影響を与える可能性も、今後の研究課題

今までとは違う形の景気循環の出現は、右肩上がりのGDP直線そのものを検証する余地があることを示しています。一方、経済は長期停滞に陥り、今後、高い成長は見込めないという予想を立てる研究者もいますが、私自身はそこまで悲観的には思っていません。歴史的に、この手の悲観論はいつも良い意味で裏切られています。どの技術が有望かを事前に予想することの難しさも歴史は教えてくれますが、新技術はこれからも我々を驚かせ、長い目で見て経済成長は続くだろうと私は考えます。
経済学に関して言えば、経済成長理論と景気循環理論の接合に向けた研究は今後も発展すると考えています。今年の秋、日本銀行と東京大学が合同でコンファレンスを行う予定です。「短期と長期の接合」がテーマで、私もそこで研究発表を行うことになっています。金融政策は伝統的に、短期の景気循環にしか影響を与えないと考えられてきました。もし短期にとどまらず長期的なトレンド──経済回復または停滞──に影響を与える可能性があるとすると、これは金融政策の見方に関するちょっとしたパラダイムシフトなのですが、日銀もひょっとすると、そういう可能性を意識しているのかもしれません。
経済成長理論と景気循環理論を接合した研究から新しい景色が見えてくる。このような展望が、研究を推し進めるうえでのモチベーションになっています。(談)

(2017年7月 掲載)