音楽史というツールを使って「ありのまま」を疑う
- 言語社会研究科教授小岩 信治
2016年夏号vol.51 掲載
小岩 信治
哲学博士(ベルリン芸術大学)。2000年東京藝術大学音楽研究科博士課程単位取得満期退学。2001年ベルリン芸術大学音楽研究科音楽学専攻博士課程修了。専門分野は音楽学、音楽史、ピアノ音楽。東京藝術大学音楽学部、和洋女子大学人文学部、桐朋学園大学音楽学部、慶應義塾大学商学部などの非常勤講師、静岡文化芸術大学文化政策学部准教授などを経て、2013年より一橋大学言語社会研究科准教授、2016年より同研究科教授。主な著書に『ピアノ協奏曲の誕生19世紀ヴィルトゥオーソ音楽史』(春秋社、2012年)、『ピアノを弾く身体』(共著、春秋社、2003年)がある。
「音楽史の研究者」×「社会科学の一橋大学」
私の研究分野は、音楽学/西洋音楽史、とりわけ19世紀のピアノ音楽に関する歴史です。これまでの主な研究業績はピアノ協奏曲(ピアノ・コンチェルト)に関わるものでした。しかし、前任地の静岡県浜松市(静岡文化芸術大学)で楽器産業と芸術創造のダイナミックな関係を目の当たりにして、さまざまなことに気づかされたのです。自分が歴史研究者として書きたいと思っていたことが「今、そこに」起きているらしいこと。自分が周囲の学生とともに「歴史の証人」になり得ること。そこに音楽文化研究の可能性があること──。
本学に来て4年目になりますが、「社会科学の一橋大学」の言語社会研究科に身を置くことによって、音楽を軸に社会科学と人文科学が交差する豊かな研究領域に、これまで以上に関わることになるだろうと想像しています。
ベートーヴェンが向き合ったマーケティング
私は東京藝術大学やベルリン芸術大学で音楽学を専攻してきましたが、おそらくずっと、音楽というよりも「人間と音楽の関係」に興味を持っていたのだと思います。
音楽、あるいは音楽研究の世界には、楽譜の構成や演奏内容にこそ美しさが存在し、人間や社会がどうであろうと関係ない、という考え方があります。私はそういう考え方に、学生の頃から違和感がありました。音楽には必ず人間が関与しています。しかも1人ではなく、コミュニティやソサエティの中に音楽は存在しているのです。偉大な作曲家や作品とされているものは、最初からすべてを超越する絶対的な存在としてあったわけではありません。200年、300年残すためにつくられたわけではなく、あくまでその時代の聴衆に聴かれるべきものとして、なるべくしてなった、已やむに已まれぬ判断を積み重ねた結果つくられた、「マーケティングされたもの」なのです。
それは当の作曲家たちの業績をひも解けば分かります。たとえばベートーヴェン。彼はピアノの改良とともに、楽器製造技術の進化を試すように、さまざまなピアノ協奏曲を書いていました。当然のことですが、彼は現在のピアノを前提に作曲したわけではありません。また、数十人のオーケストラと「対決」させる楽器としてピアノを位置づけていたとも限らないのです。彼が想定していたのは18世紀末〜19世紀初頭のピアノであり、「対決」相手のオーケストラも、その後のたとえばチャイコフスキーの重厚なものとは、実はかなり違います。彼は、オーケストラが大音量で鳴る時にはピアノを慎重に避けています。
ベートーヴェンというと、誰もが音楽の授業で見たあのいかつい顔を想起するでしょう。そして交響曲第五番「運命」のあのフレーズを思い出すでしょう。しかし彼は、孤高の天才というよりも、世紀当時のモダンな作曲家なのです。マーケットを意識した優秀な作り手だった、と言ってもいいかもしれません。そのような話をすると、プロのピアニストでも「そういう視点で楽譜を見ると、また違ったものに感じる」とおっしゃる方がいます。
現代から過去を振り返ると、すでに一つの歴史としてできあがっているストーリーはたくさんあります。しかしそれらの歴史は、話をシンプルで感動的なものにするために、都合良く組み替えられているかもしれない。曰く、「ベートーヴェンは偉大である」「彼の音楽は不変である」。私は、楽器、演奏家、聴衆、テクノロジー、産業、メディア、ソサエティというさまざまな変数を考えながら、歴史を絶えずとらえ直していくのは、多層的でダイナミックな作業だと考えています。「既成の」ストーリーからこぼれ落ちてしまうものをひも解いて話すと、本学の学生も「リアリティが見えてきて面白い」と感じるようです。
「音楽と産業」の関係を学生とともに研究する
「音楽と人間の関係」の中でも、私は音楽と産業、テクノロジーという視点に興味を持っています。その面白さは、冒頭でもお伝えしたように浜松で改めて発見しました。
浜松にはヤマハ、河合楽器のほかに、ローランドという大企業があります。ローランドはもともと大阪にありましたが、浜松にローランド浜松研究所を設立し、本社も移転しました。創業者の
音楽と産業が密接に結びついた浜松という地域で、私は学生とともに鍵盤楽器に関するイベントを企画・制作してきました。2012年に開催したのは「バンバン!ケンバン♪はままつ」で、そのタイトルからも伝わってくるように、2日間で80公演、さまざまな鍵盤楽器による演奏を楽しめるイベントでした。このような経験を通して、私は「産業から見た音楽文化」は重要なテーマだと確信しています。
そして浜松にある大学から本学に移る時には、「社会科学の一橋大学」という環境の中で、学生自身が社会科学の研究テーマと音楽を結びつけられる場所で、研究したいと考えたのです。
商学、社会学、法学の知見とのコラボレーション
私はいわば「音大人間」として育ちましたが、私が受けたような教育を一橋大学で展開することはできないし、その必要もありません。本学は音大ではないから、というのが一つの理由ですが、もっと重要な理由として、音楽文化の研究が音楽大学ではないところで広がることが面白い、ということがあります。社会科学の研究テーマの"コンテンツ"として音楽が組み込まれていくことに学生が興味を感じた時に、私を活用してほしいと考えています。実際、大学院レベルでは、学際的な論文が生まれています。
たとえば商学研究科のある院生は、「マーケティング×古楽」というキーワードで捉えるべき博士論文を執筆しました。18世紀のバッハの時代のヴァイオリンやチェンバロを使って、当時の歌唱法で古楽を復興するというムーヴメントが20世紀後半に起こりました。それが日本で知られていった時の「市場の広がり」について、その院生はマーケティングの観点から分析・考察しました。また、社会学研究科のある院生は、沖縄文化を考える切り口として三さんしん線について研究しています。このように、社会科学と音楽との接点に自身の研究テーマや問題意識を深めたいという学生のニーズは確実にあるのです。
今、私が関心を持っているテーマの一つは、法学の知見との組み合わせです。特に音楽著作権について、誰か研究してくれないかと思い(笑)、法学部の学生に情報や教材を提供しています。
音楽著作権はとても硬直化しています。楽譜を書いた人、演奏する人、放送する人、編集する人......と権利が付加される構造になっていて、知識を持たずに音楽を扱うと著作権に引っかかってしまうのです。しかし、現存の法制度に収まりきらない音楽実践があることも知られています。典型的な例が、既存の旋律をパラフレーズすることが生命であるジャズの世界です。過去にはあるジャズバンドが「大地讃さんしょう頌」を演奏したところ、作曲家が作品の同一性保持権を主張して裁判になりかけるということがありました。音楽と法というテーマは日本では判例も不十分で、研究の可能性もあると思います。本学の学生にはぜひ取り組んでほしいですね。
「ありのまま」がどういう前提でできているのか、その前提を疑い、「ありのまま」とは何かを問うこと。これは高校でも社会でもなく、大学こそが果たせる機能です。何がベートーヴェンを孤高の天才としてきたのか。自分が「自然に」身につけた知を、いったん突き放して見られる大学生や大学院生にこそ、ぜひ知のトレーニングをしてほしいですね。それは必ずさまざまな分野で活かされるはずですから。(談)
(2016年7月 掲載)