hq51_1_main_img.jpg

マーケティングとITを活用して、日本企業の新しい「仕組み」をつくり出す

  • 商学研究科教授神岡 太郎

2016年夏号vol.51 掲載

神岡 太郎

神岡 太郎

北海道大学文学研究科行動科学専攻博士課程単位取得退学。2005年北海道大学にて工学博士号を取得。1990年より一橋大学商学部専任講師、助教授を経て、2004年より現職。2007-2010年役員補佐(学生担当、社会連携他担当)を兼務。また政府情報システム改革検討会委員(総務省)、国土交通省トレーサビリティ・サービス推進協議会座長等を務める。研究領域は、企業全体規模で情報システムやマーケティングの機能をいかに実現するのか、またその仕組み。近著に『マーケティング立国ニッポンへ』(共著)/日経BP社(2013年)、『CIO学』(共著)/東京大学出版会(2007年)、『CMOマーケティング最高責任者』(共著)/ダイヤモンド社(2006年)などがある。

マーケティングとITが企業にもたらす競争力の研究

私はマーケティングとIT(情報技術)の関係、そしてそれらが企業の中でどう機能し、企業の競争力に結びついていくかを研究しています。
中でも関心を持っているのは、それらをリードするCMO(最高マーケティング責任者)とCIO(最高情報責任者)の役割です。さらに、今の企業はデジタル化に向かう社会や顧客に対応できなくなっており、企業トップは構造転換の必要性を感じています。いわゆるデジタルトランスフォーメーションということが、グローバルでキーワードになっています。CMOとCIOの両方の要素を持ち、デジタルトランスフォーメーションを担うCDO(最高デジタル責任者)にも関心を持っています。残念ながら日本においては、他国に比べてこれらのプロフェッショナルとしての位置付けが明確ではありません。これらが、日本がグローバル競争力を発揮するうえで重要な役割を果たす。そう考えています。
そこで国内外のCMO、CIO、CDOの方々との交流を通してマーケティングとITというホットな境界領域について研究を重ねています。

心理学からコンピュータ領域を経由して渡米。
世界の劇的な変化を目撃する

私はもともと心理学を専攻していました。認知科学、認知心理学、生理心理学など、人間の思考・判断・記憶に関することに興味があったのです。その領域は、テクノロジーの進歩とともに、コンピュータによるシミュレートを試み始めるようになりました。1980年代初頭の頃です。今で言う人工知能ですね。そこで私はコンピュータによって、人間がどういうふうに思考するのかを再現しようとしました。しかし、まだまだ演算処理能力が低かったのです。今はディープラーニング(人工知能が学習を通して事象の認識や分類を行うこと)等の研究開発が進み、コンピュータと人間が囲碁やチェスで勝負することも珍しくありません。当時、同じようなプログラムを動かそうとすれば一手を指すのに一晩かかっていましたから。これで人間の思考の本質に迫るのは無理だとあきらめました。
そこでコンピュータに人の思考を代替させるのではなく、人とコンピュータが補い合うヒューマンコンピュータインタラクションの分野に興味を持ち始めたのです。私は渡米し、イリノイ大学で研究していたのですが、それはちょうどインターネットが民間に開放された直後の時期です。イリノイ大学と言えば、Webブラウザのインターフェースに革命をもたらした「Mosaic」発祥の地です。世界中の情報がリアルタイムかつ無料で把握できる基盤がつくられていたわけです。その頃、まだ人口の0.01%もインターネットに接続できていなかったのに、現地ではもうネット広告のビジネスが始まっていました。一般には通話料金を支払って電話線をインターネットに接続していた時に、私のアパートではT1常時接続も始まっていました。さまざまな新しい試みが短期間でどんどん時代を先に進めていく。今日もそういう時代ですが、今振り返ってみると、それが始まったのはこの頃かもしれません。シリコンバレーは訪問するたびに新しいビジネスモデルを掲げる企業が生まれ、消えていました。インターネットがマーケティングに使われるようになり、まだ利益を全く出していないヤフーやグーグルに投資が集まっていました。「これは世の中が変わる」と直感しました。エンドユーザーが企業と情報をシェアしながら生活を送る、そんな時代になると感じたのです。
意気揚々と日本に帰ってきたら、マーケティングの情報がうまく活用できていない現実を知りました。大企業が何十億円もの投資をして情報を集めているにもかかわらず、その情報を競争力向上に結びつけることができていない状態だったのです。高度なマーケティングやIT以前に、それらを組織として活用する「仕組み」が日本の企業にないからだと思いました。エンドユーザーが何を欲しがっているか、知りたがっているか。ニーズを理解して商品開発につなげたり、エンドユーザーに発信したりすることを、各部門でバラバラに行おうとしていました。そこで私は、冒頭でお伝えしたようなCMO、CIOといった、企業の各部門に対して横串で機能するリーダーシップが必要だと思い、その研究に興味を持ち、その活動は現在進行形で続いています。

走りながら「次」を考える能力とスタイルが求められる

かつて日本が高度経済成長期にあった頃は、エンドユーザーを見据えた「仕組み」がなくても、タテ割りの組織でうまくいっていました。商品や技術の何を改善すれば顧客が買ってくれるのかが分かりやすい時代でした。各組織で役割を分担してその方向に進めば、何とかなっていたのです。しかし時代は変わります。家電や自動車など、日本のお家芸と呼ばれていた産業は、海外の企業に次々とシェアを奪われてしまいました。顧客もテクノロジーも目まぐるしく変化する中で、組織もビジネスモデルも、今までのような形ではうまく機能しなくなりました。欧米企業では、組織全体を俯瞰し、デジタルをうまく活用して全体をトランスフォームしようとしています。
今日、企業の枠というものが簡単に超えられる時代になろうとしています。これまで長年積み上げてきたビジネスが、一夜にして新興企業に取って代わられようとしています。たとえば、タクシーやホテル業も、新興のUberやAirbnbといったシェアリングエコノミー企業に、多くのシェアを取って代わられるかもしれません。広告ビジネスや金融ビジネスが、デジタル系の企業や新興企業に、仕事を奪われつつあります。グーグルが自動車を開発する時代でもあり、逆に自動車メーカーが、IoT(さまざまな機器をインターネットに接続する技術)によって、新しい保険業を試みる時代でもあるのです。
企業も戦略を一度決めたらそれで終わりではありません。今ある経営資源や能力をもとにどうするかを考えても、刻々と変化するビジネス環境に戦略がマッチしなくなったらアウトだからです。特にITが企業経営に不可欠の技術になってから、その変化は加速化されています。未来予測やリスクテイクをしながら、つまり走りながら「次」を考えなければいけないでしょう。

エンドユーザーに価値提供を行うビジネスにシフトした、アップルやGEなどの成功事例

本当に価値のある伝統は大切にすべきでしょう。一方で、やってみないと分からないようなことにチャレンジするスタイルが、より求められる時代になったように思います。新興企業と異なり、歴史ある企業には難しいところです。ただ既存企業がそれにチャレンジした例は、いくつもあります。たとえばアップルはiPodが業績の半分を占めていた時点で、早くもiPhoneを市場に投入しました。一昔前ならiPodのように次々と利益を生み出す「金のなる木」は、できるだけ延命することが企業として当然の判断でした。その商品がピークに達するずっと前に、将来の顧客にとっての価値を提供するために、自ら破壊したわけです。新興他社がそれを始めた時にはもう手遅れだという危機感があったのかもしれません。GEもどんどん事業転換を続けています。エンターテインメントビジネスから撤退し、金融業を捨て、製造業とデジタル領域を組み合わせた事業を育てています。しかも、従来なかったCMO、CDOを擁して、顧客価値創造、マーケティングを重視する企業に構造改革しようとしています。

やってみないと答えがない時代だからこそ、失敗を許容し、学び、変えていく姿勢が重要

私は学生に、つねに変化する世界の中で「現実を見る能力を養ってほしい」とよく言っています。今、現実に起こっていることは何なのかという表面上のことだけではありません。何が重要な問題で、どれを優先すればいいかを見極め、その優先順位に合わせて自分を変えていく能力を養ってほしいと考えています。
もう一つ、テクノロジーを価値に変えるには社会科学が必須だということも言っています。たとえば15年前でも、ここ数年で日本に普及したスマートフォンや顔の認識技術、今ビジネス化されようとしているVR(仮想現実)機器は、シリコンバレーに行けば、試作がごろごろしていました。ただ、一方で、そういった革新的な技術をビジネスの価値とするには相当なギャップがあることを実感し続けています。人間や社会を見ている社会科学がこの問題に大きな貢献ができると考えています。
もちろん、注文するのは簡単です。企業にとっては、いかにしてそういう人材を育てていくかが大きな課題となっています。講演会などでも経営者の方々から「じゃあどうすればいいのか」という質問を受けますが、私はある程度の失敗は許容して、そこから学ぶ以外にないと答えています。私たちはもう、「やってみないと答えが出ない」という世界にいるのですから。失敗して、学習をして、変えていくという文化やプロセスを、どうやって今の企業の仕組みの中に組み込むかということではないでしょうか。シリコンバレーでも、失敗したことがない企業や人は存在しないはずですから。(談)

(2016年7月 掲載)