通説とは異なるストーリーを打ち立てて金融の観点から日本企業を見つめる
- 商学研究科教授安田 行宏
2017年冬号vol.53 掲載
安田 行宏
1972年生まれ。博士(商学)。専門分野は金融論及び企業金融論。1996年一橋大学商学部卒業、2002年一橋大学大学院商学研究科博士後期課程修了。2002年東京経済大学経営学部専任講師に就任。同大学にて助教授・准教授・教授を経て、2015年一橋大学商学研究科教授に就任。2006年から2008年までカリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクールにて客員研究員。主要著書・論文に『経済価値ベースのERM』(共編著、中央経済社、2016年)、『金融論』(共著、有斐閣、2007年)、『高校生のための大学の授業』(共著、弘文堂、2008年)、「ストック・オプション導入の決定要因」(共著、『現代ファイナンス』2011年)、"Disclosures of Material Weaknesses by Japanese Firms after the Passage of the 2006 Financial Instruments and Exchange Law"(共著、"Journal of Banking and Finance"2013年)など。
規制業種の銀行を研究テーマに据えながら金融全般、そして企業サイドへと視点を多角化
私の専門分野は「コーポレートファイナンス」です。私の研究テーマをあえて一言で大胆に表現すると、「日本企業を《お金》の視点から考察する」ということになります。科目としての大本をたどれば、「銀行論」や「証券論」などの伝統的な科目に行きつきますが、今は「コーポレートファイナンス」という大きな傘の中に入り、その中でかなり幅広いテーマで研究が行われている学際分野です。
私自身の研究の出発点は前述のところでいうと「銀行論」です。「銀行論」といってもさまざまなテーマがありますが、特に銀行規制を中心に研究を進めていました。銀行をメーカーなどのいわゆる一般的な企業と比べた時、銀行業の大きな特色の一つは、行政の介入が大きい規制業種の一つであることです。特に修士論文を書いていた1990年代後半は、金融業界が護送船団方式から一転、金融ビッグバンの下で再編の時期を迎えていました。その中で、行政やBIS(国際決済銀行)による規制・介入にはどのような根拠があり、また、それがどのような影響を与えるのか──その経済的な効果・影響について研究することを主眼に置いていました。
その後、企業への資金融資は銀行だけではなく、たとえば保険会社でも行っていることから分かるように、金融業界全般に視点を広げるとともに、借りる側=企業側の視点にも興味を持つようになりました。その頃からちょうど実体経済自体においても実は「お金の流れ」が変わり始めたからです。
金融を学ぶうえでの基本は「お金の流れ」、つまり「どこからどこに流れるか」を見ることです。資金があるところ(黒字主体)から足りないところ(赤字主体)に流れるわけで、前者は貯蓄のある家計、後者は生産活動を行う企業というのが基本構造です。しかし、90年代後半から、マクロで見ると企業部門がずっと黒字という状況になっていました。これはなぜなのか、また何を意味するのか。グローバル化、資金還流の変化など、さまざまな背景が考えられますが、原因を簡単に一つに特定できるものではありません。その中で日本企業のビジネスモデル──自社内でのファイナンス部門の立ち上げ、ITの導入など──がどのように変遷してきているか。銀行の役割はどう変わり、どう対応していくべきか。これらの問いに対して通説が通説ではなくなった時代に、より多くの視点から金融と日本企業を見ていきたい。これが私の研究スタンスです。
世界金融危機後の日本企業の資金調達データから通説とは異なるストーリーを提示する
2007年から2008年にかけて、アメリカの住宅バブル崩壊とそれに伴うサブプライム・ローン問題が顕在化しました。これにより、震源地のアメリカにとどまらず世界各国の経済に甚大な影響をもたらしました。その象徴的事例がいわゆる「リーマン・ショック」です。日本でもマスコミなどで「危機だ!」と報じられていたので、ご記憶の方も多いでしょう。しかし、データを一つひとつ丁寧に分析していくと、「本当に日本においても危機だったのだろうか」という疑念が湧いてきました。
確かに日本の輸出産業をはじめ、実体経済への悪影響はありました。一方で、日本の銀行が証券化商品にほとんど手を出していなかったこともあり、日本の金融システムはきわめて健全だったのです。むしろ、お金の貸し出し先を探していたほどです。実際、企業も、先ほど触れたように90年代後半以降ずっと黒字、いわゆる資金剰余の状態でした。
この状況を踏まえ、社債市場に絞って資金調達の状況について分析をしてみました。すると、高格付けで信用リスクの低い企業にとっては、社債発行を増やす絶好のチャンスになっており、社債発行がむしろ増加していました。歴史的な世界金融危機下では、資金調達で発生する金利が著しく低かったからです。
ではこれらの企業に比べて、相対的に格付けが低く、信用リスクが高い企業ではどうでしょうか。社債市場からの資金調達(直接金融)こそ困難でしたが、銀行からの借り入れ(間接金融)にシフトすることで乗り切っていました。実際、当時の国内銀行の貸出金残高を見てみると、20兆円ほど急増していることが分かります。銀行をはじめ貸し出し先を探していた金融機関にとって、この間接金融のニーズは渡りに船でした。つまり、日本においては、間接金融優位のシステムの良い面が、世界金融危機時に一定の機能を果たしていたのです。あの世界金融危機でさえ、よくよく調べていくと、世界中の金融が一様に影響を受けていたわけではないことが分かります。
こういった、通説に必ずしも当てはまらない例は、ほかにもたくさんあります。お金は節約して効率的に回すだけではなく、公共事業のような──一部の方にはムダと言われてしまう──投資も時には必要だということ。「先送り」も、言葉自体にネガティブな印象がありますが、金融の世界ではオプションというれっきとした概念として存在し、「待つ」ことの経済価値や合理性は周知の事実です。日本の古くからある伝統的な経営手法の一部は、リスクマネジメントという視点から、現在アメリカなどで新しいものとして活用されていることもあります。
勇気を持って1回立ち止まること学術、そして大学の価値はそこにある
通説に対して「本当にそうなのか?」という視点を持つこと。「ではほかにどんなシナリオがあり得るのか?そして、それはなぜか?」を考えること。それこそが学術の役割ではないかと、私は考えています。そして学術の役割を果たすためには、勇気を持って1回立ち止まることであり、それができる場所が大学である、というのが私の意見です。その時に大切なのは、流布された通説を鵜呑みにしない、極端に言えば逆張りの発想だと思います。
「世界金融危機は日本にとって本当に危機だったのか?」──そこから研究が始まるのですから。
私は2006年から2年間、アメリカで研究をしていました。その時の共同研究者が言ったことを、今でも覚えています。
当時、ある研究テーマに対して仮説を立て、1年ほどかけてさまざまなデータを集めていました。そしてあともう少しで目途が立つ......という大詰めの段階で、私たちが立てた仮説とは矛盾する結果が得られることが分かったのです。1年かけて積み上げたことが全否定された気分で、さすがにつらかったですね。ところが彼はニヤリと笑いながらこう言いました。「つまり、今まで僕らが描いていたストーリーとは違うものがある、ということだね?じゃあこれを解明するのがこの研究の本筋だ。今までの準備作業はこれで一区切りだ」。アメリカのアカデミズムはすごいなと痛感しました。それから研究が一気に楽しくなったことを覚えています。
私は、学部生にとっても、大学院生にとっても、大学はこのような環境であるべきだと思います。ビジネスの現場からは少し距離を置き、出てくるデータを一つひとつ丁寧に分析して、通説に流されずに普遍的な理論を構築する。大学をそのような場として活用してほしいと思っています。私自身も、一橋大学に来てますます、学生の皆さんといろいろと議論を交わしたり、あるいは一緒に研究をできることに幸せを感じています。(談)
(2017年1月 掲載)