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歴史という事実の積み重ねをとらえ直し自らの人生を生きるための糧とす

  • 社会学研究科教授菊谷 和宏

2017年春号vol.54 掲載

菊谷 和宏

菊谷 和宏

1969年生まれ。1991年一橋大学社会学部卒、1993年修士(社会学、一橋大学)、2004年博士(社会学、一橋大学)。フランス社会科学高等研究院留学等を経て、1998年国立和歌山大学経済学部専任講師、2008年同教授。2016年一橋大学大学院社会学研究科教授に就任。おもな著書に『「社会」の誕生──トクヴィル、デュルケーム、ベルクソンの社会思想史』(講談社、2011)、『「社会」(コンヴィヴィアリテ)のない国、日本──ドレフュス事件・大逆事件と荷風の悲嘆』(講談社、2015)がある。

高校生の時に「社会有機体説」に出会いフランス社会学史・思想史の研究へ

私が専門としているのは、主にフランスを対象とした社会学史・社会思想史です。高校生の頃、社会の教科書で「社会有機体説」に関するコラムを読んだことがきっかけでした。
社会有機体説とは、社会を一つの「生きもの」としてとらえる考え方です。まず全体があって、構成員である個人は全体の機能を分担するものという認識に立っています。主として19世紀前半にフランスのオーギュスト・コントらによって主張されました。経済学ではお金の流れを血液の流れにたとえることがありますが、社会有機体説も、頭脳はこの人たち、指先はこの人たち、と個人を一つの器官や細胞のようにとらえています。「全体社会」につながる発想ですね。
他方ドイツでは、19世紀後半から20世紀にかけて、正反対の思想が発展してゆきました。「社会」というものはなく「社交」だけがある。人間関係以外の実体は存在せず、我々は個々人として相互に行為しているのだ。「社会」を語りうるのはただこの個々人の相互行為の(非実体的な)帰結によってのみである、というものです。そこでは個人の行為の動機を理解することが重視され、理解社会学として発展しました。
話をフランスに戻すと、コントの社会有機体説を継承・発展させたエミール・デュルケームは、「個人が社会をつくっているのではなく、むしろ個人は社会によって生みだされる」という説を唱えました。誰もがある既存の社会の中に生まれ落ちる。そして、生まれる前から決まっていた社会のさまざまなルール──法体系、貨幣、言語など──を受け取りこれに対応しつつ生きてゆく。それがデュルケームの主張でした。

国によって「社会」を分けることはそれほどリアルなことではない

では、「社会」とは何でしょうか。コントやデュルケームが「社会」という言葉を使い、私自身も一橋大学の社会学部で学生時代を過ごし、今は学生に教えているわけですが、そもそも「社会」とは何か──。研究するほどに見えてくるのは、「社会」とは人類史上ずっとそこにあるものではない、ということです。ある特定の時期に、誰かが特定の定義をしたに過ぎず、いつ?誰が?という点については正確には分かりません。
私は一旦フランスというカテゴリーでの研究を選びましたが、フランス、ドイツ、あるいは日本などの区分けも、それほどリアルなものではないと考えています。フランスやドイツ、イギリスなどが「社会」という概念を言語化し、議論を深めたのは間違いありません。同時期の日本では、同じような議論がなかったことも事実です。だから日本が遅れていた、とは思いません。社会で生きるうえで日常に即した課題は、地域・時代に関係なくつねにそこにあったはずです。
議論のスタートが〈早いか・遅いか〉は問題ではなく、自分が生まれ落ちた社会をどうとらえ直し、いかに生きるかが問題なのです。ですから私は学生の皆さんに、フランスの社会学・社会思想を学んだうえで、「自分の人生を生きてほしい」と思っています。

歴史の中で、人間が自分の人生をつくってきた事実を提供してゆきたい

社会に出てみると分かりますが、現実は相当に「いい加減なもの」です。「○○○を勉強すれば○○○ができるようになる」というような規範に則ったものではありません。言い換えると、今ある社会や組織、企業などのシステムに「自分を合わせなければ排除されてしまう」と思いこむ必要はないのです。就職して企業という社会に身を置き、さまざまな制約の中で役割を与えられた場合でも、その意味や文脈を自分なりにとらえ直せば、自分の人生を生きることはできます。
たとえば、利益を確保するために、「未開の地」に行って支店をつくりなさい、というミッションを受けたとしましょう。企業には利益の確保という文脈がありますが、ミッションを受けた人は、その地に根を下ろし人と出会うことで豊かな人生を送ることもできます。ミッションを与えた側とは別の意図で同じことをやっていいわけです。もっと言えば、企業も元をたどれば人の集まりであり、機械ではないのですから、案外融通が利きます。実際の運用は想像以上に柔軟ですから、「自分を合わせなければ」と思いこむ必要はありません。他人の人生ではなく、自分の人生を生きることは──楽ではありませんが──できるのです。そして、それが社会をつくることであるとも言えるでしょう。
社会学史・社会思想史という歴史を学んでいると、そのような事実がたくさん出てきます。私たち研究者に求められているのは、そうした歴史の中での無数の事実を発信し、学生が自分の人生を生きるきっかけを提供することなのかもしれません。

国民国家、近代主権国家の終焉は人間社会の終焉となってしまうのか

これまで続いた「グローバリゼーション」もこれからしばらく続くであろう「ポピュリズム」も、いずれも、国民国家という社会のあり方、さらには近代主権国家というあり方が終焉を迎える過程の一部なのだと考えています。
国家「制度」自体の解体にはまだ時間がかかるでしょうが、人々の「実際の暮らし」に対する国家の意味・重要性は順調に減じてゆくでしょう。すでに私たちの身の回りでも、たとえば災害対策や年金など生活に直結するところでさえ、政府が次第に手を引いてゆき、人々もそれを「仕方がない」と受け入れているように感じられます。
この、近代国家が終わりを迎えるということ自体は、特にどうということはない、ある意味自然な歴史的過程なのですが、問題は、その時一緒に「人間社会」まで終わってしまいかねないことです。
国家の終わりは、戦争・内戦といった激しい形かもしれませんし、人々が次第に国家の諸制度に頼らなく(頼れなく)なり静かに「自然消滅」するのかもしれません。しかし、いずれにせよ近代国家は、人間社会の「ありようの一つ」であって、国家でない社会のあり方を──日本国やフランス共和国ではない、日本社会(日本人)やフランス社会(フランス人)のあり方を──模索せねばなりません。さもなければ、人間社会が続かないということですから。近代国家とは別種の「社会の形」を探さねばなりません。

100年後の「国なき後の社会の形」に向けて自ら考え続け、呼びかけてゆきたい

そこで、今後の研究の方向性としては、この、「国なき後の社会の形」をできる限り具体化したいと考えている次第です。差し当たり今年6月の日本社会学史学会シンポジウム報告で第一歩を描きたいと思っています。
無論、この課題はあまりにも巨大で、すぐに一人でできるようなことではありません。ですが、今まさにしておかなければ間に合わない作業だと思いますし、他方、国家の終わりまでまだ100年程度の猶予はあるでしょう。ですから、「一人の業績・実績」としてではなく、「皆でこの問題を考えるという運動」として、ある種の「呼びかけ」たりうるような具体的な研究を今後進めてゆきたいと考えています。そして、その一環として、次代を生きる学生に対する教育をしてゆきたいと思います。私が学んだ諸先生方が伝えてくださったのも、研究対象や背景は異なりますが、結局この問題なのでしょうから。
私には、何かを得たい、何かを勝ち取りたいという類の願望はありません。考え続け、歴史の事実をもとにコツコツと呼びかけてゆきたいと考えています。(談)

(2017年4月 掲載)