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軍事組織とジェンダーの研究から、社会の「物差し」を問い直す

  • 社会学研究科教授佐藤文香

2020年10月2日 掲載

佐藤 文香氏

佐藤文香(さとう・ふみか)

慶應義塾大学環境情報学部卒、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了、同博士課程単位取得退学。博士(学術)(慶應義塾大学)。中部大学人文学部専任講師を経て2005年一橋大学社会学研究科助教授、2007年同研究科准教授、2015年同研究科教授に就任、現在に至る。専門分野はジェンダー研究、軍事・戦争とジェンダーの社会学。著書に『軍事組織とジェンダー ―自衛隊の女性たち』(慶應義塾大学出版会、2004年)、『ジェンダー研究を継承する』(共編、人文書院、2017年)、『ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた―あなたがあなたらしくいられるための29問』(監修、明石書店、2019年)などがある。

軍事組織の研究を通して女性の参画を検証する

私の専門は社会学・ジェンダー研究で、特に軍事組織をフィールドに研究を行ってきました。

軍事組織を研究対象としたのは、軍事組織が、男性社会の論理やスケール(物差し)を典型的な形で反映している点に強い関心を持ったからです。企業や官公庁においても、男性社会の論理やスケールが適用されている例は多数あります。軍事組織は、その実態が凝縮された世界と位置づけられるでしょう。

現在の女性活躍推進のための施策には功罪両面があるといえます。先に"罪"についていえば、目立つポジションに女性が就くことにより、本質的な問題が見えにくくなりました。
取締役や閣僚、自治体の長などの重要なポジションに就く女性は、競争社会を勝ち抜いてきたエリートです。男性社会の論理やスケールに自らを適合させ、一方で男性に脅威を感じさせないスキルも兼ね備えた、スーパーウーマンと言えるでしょう。そうではない女性には相変わらず「活躍」のチャンスが巡ってこないのですが、その問題は覆い隠されてしまった感がある。それが"罪"の側面です。

一方で、"功"の側面も見逃せません。マイノリティが3割を占めると、組織全体の意思決定に影響力を持つという「黄金の3割」理論を当てはめるなら、女性が3割を占めれば、企業や官公庁など組織、ひいては社会全体を動かす発信力をもつことになります。その可能性を感じさせてくれるという意味では"功"と言えますから、現在の施策はぜひ継続してほしいところです。

このように一筋縄ではいかない女性の参画による功罪は、自衛隊への女性の参入においてはとてもわかりやすい形であらわれます。つまり、女性自衛官の存在を見つめることは、企業や官公庁など日本の社会全体が「女性をどのように参画させてきたか」、そのことが社会の何を変え、何を隠蔽してきたのか、といったことを検証する際のヒントにもなるのです。私はそこに、研究の面白さがあると感じてきました。

学生時代に味わった、二度にわたる疎外感

私がジェンダー研究に取り組むことになったのは、学生時代に学んだ学問に、二度、疎外感を味わったことがきっかけでした。

私は慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(以下、SFC)の2期生です。スタートしたばかりのキャンパスで行われる授業は熱気に溢れていました。が、どうもしっくりこなかったのです。多くの授業において先生方は、国民や市民、労働者として、さまざまな「人間についての学知」を語ってくださいました。しかしその中に、女性である自分がどのような形で関わっているのかが見えてきませんでした。これが最初に味わった疎外感です。

それでも社会学の授業に面白さを見出した私は、社会学のゼミを選択しました。そのゼミでは、統計学の手法を学ぶために、「社会階層と社会移動(SSM)調査研究会」が10年ごとに集計・発表しているデータを使っていました。ところが、この調査では1985年まで「女性」が対象外とされていたのです。未婚女性の場合は「父」の階層を、既婚女性の場合は「夫」の階層を、それぞれ代入すれば事足りる......とされていたからです。

ここでも自分との関わりを見つけられず、再び疎外感を味わった私は、思いきってSFCの外に学びの場を求めました。今度は"女性学"をキーワードにあらゆる授業をリサーチ。三田キャンパスのジェンダーやフェミニズムに関する授業に遠征し、聴講しました。

また、東京大学名誉教授の上野千鶴子先生(当時は教授)のゼミにも、"押しかけゼミ生"として参加しました。この時の出会いがきっかけとなり、上野先生とは仕事を通じて今もお付き合いが続いています。

映画『G.I.ジェーン』は、果たしてサクセス・ストーリーか?

そのまま大学院に進んだのは、就職氷河期の真っ只中で、当時のSFCの「学部+修士課程の6年で学びを修める」という風土に背中を押されたからです。

その後、さらに博士課程に進むことを決意し、腰を据えて取り組むテーマを探していた時に『G.I.ジェーン』という映画を観て、自分の進む道が決まりました。

映画の内容は、デミ・ムーア扮する女性兵士が、男性兵士と同じ条件で海軍の訓練プログラムに挑み、合格するというサクセス・ストーリーです。でも私には、男性社会の論理やスケールに女性が頑張って適合しただけのように映りました。これは果たして"サクセス"なのだろうか。そもそも、その論理やスケールは適正なのだろうか。そう吟味する繊細さが一切捨象され、既存の論理やスケールを自明のものとしている点に違和感を持ったのです。

もちろん、背景は理解できます。アメリカ軍の女性兵士は前線に出られないことが昇格の制約となってきました。湾岸戦争時に女性兵士の活躍が注目され、全米女性機構NOW(National Organization for Women)という組織が女性の戦闘参加を申し立てたのもそのためです。

そういう声が挙がるたびに、「命を産み、育む女性が戦場で人を殺してもいいのか?」というバックラッシュがおこる。アメリカはそのような議論を続けてきた国であり、『G.I.ジェーン』も歴史的なコンテキストの中から生まれてきたと言えるでしょう。

それにしても......というモヤモヤを抱えながら、日本の自衛隊研究に目を転じてみると、社会学的な調査や文献がほとんど存在しないことがわかりました。

無いならば、自分がやるしかない。日本の軍事組織、つまり自衛隊とジェンダーについて研究を進め、この違和感を言語化しよう、自明視されている論理やスケールを問い直そう。ほとんど"思い込み"のレベルですが、その時に持った使命感のようなものが、今もなお私の研究の推進力となっています。

自分がしてもらったように後進の背中を押していきたい

軍事組織とジェンダーについての研究は、つねに向かい風の中にありました。まず自衛隊にフォーカスすること自体、陰に陽に批判されることは避けられません。ある学会では、私に報告の順番が回ってくると波が引くように人がいなくなりました。雑誌に論文を載せる時には、担当の編集の方にかなりネガティブな反応をされたこともあります。

そうした中で自衛官へのヒアリングを続け、『軍事組織とジェンダー ―自衛隊の女性たち』(慶應義塾大学出版会、2004年)という成果にまとめられたのは、今から考えると奇跡のようにも感じられます。向かい風の中でも、あなたの研究には意義がある、と繰り返し支え、背中を押してくださった何人かの先達のおかげだと思っています。今、自分の指導学生と一緒に国際政治学者のシンシア・エンロー教授の著書を翻訳しているのですが(『<家父長制>は無敵じゃない』岩波書店より今秋刊行)、彼女は、まさにそうして私の背中を押してくださった研究者の一人でした。

私も一橋大学に着任して16年目になり、ちょうどキャリアの折り返し地点にやってきました。今後は後進の育成に力を注いでいきたいと思っています。軍事組織へのマイノリティの参画の問題は、まだまだ混沌としています。よその大学の先生から、トランスジェンダーや同性愛の兵士について研究する学生たちが出てきているという話もきくようになってきました。「軍事組織でLGBT兵士をどう受け入れるべきか」「どのような改革が必要か」など、難しいテーマだと思いますが、期待したいですね。

学生には、社会学的想像力を身につけてほしい

私は一橋大学社会学研究科にあるジェンダー社会科学研究センター(CGraSS)のメンバーの一人です。CGraSSは2007年の設立以来、ずっと研究の推進と共にジェンダー教育に力を注いできました。私自身も、ジェンダー教育プログラムの基幹科目担当者として、学生の皆さんにインパクトを与えられるような授業をすることを心がけてきたつもりです。

一橋大学には、比較的恵まれた家に生まれ、育ち、サポートを得ながら受験を乗り越えてきた学生も多くいます。彼・彼女らと話していると、「自分の家での当たり前」が「日本中の当たり前」となっているように感じることも少なくありません。ジェンダーの授業では、歴史を遡ったり、異文化に目を転じたりすることで、ジェンダー規範が時代と文化に大きく規定されていることを学習していくのですが、こうした思考法には高校まであまり触れてきていないせいか、だいぶ心を揺さぶられるようです。

たとえば、学生たちが今でも「あたりまえ」と思いがちな「父親が外で働き、母親が家事・育児で家庭を支える」というモデルは高度経済成長期に標準化していった家族モデルです。歴史を遡り、諸外国の取り組みを見れば、そのモデルは非常に限定的なものだということがわかります。授業ではそんなタテ・ヨコの軸から彼・彼女らの視野を広げていくことに、心を砕いています。同じように、自分たちのもっている「見えない特権」についても是非考えてほしいと願っています。社会学的想像力を身につけ、自らの生きている社会を批判的に解剖し、よりよい社会にしていくことに貢献しうる人材を世に輩出していくことこそ、大学で教育に携わる自分のミッションだと思っています。(談)