bana--.jpg

自国通貨を使わない通貨代替という現象から 「貨幣とは何か」を解き明かす

  • 経営管理研究科 経営管理専攻 教授熊本方雄

2020年6月29日 掲載

熊本 方雄氏

熊本 方雄(くまもと まさお)

1995年一橋大学商学部卒業、2000年3月に一橋大学大学院商学研究科博士後期課程を単位修得退学し、2005年に博士(商学)を取得。2000年4月より東京経済大学経営学部専任講師、助教授、准教授、教授を経て、2018年9月より現職。その間、2008年から2009年にかけて、ボン大学にて客員研究員として在外研究を行う。最近の研究上の関心は、通貨代替下の金融政策、通貨統合下の金融政策、国際金融市場統合などが挙げられる。

自国通貨への信認の低さが招く、通貨代替という現象

私の専門は国際金融論で、マクロ経済学と時系列分析を用いた研究をしています。最近は「通貨代替」と呼ばれる現象を理論的・実証的に分析。通貨代替下の金融政策、通貨統合下の金融政策、国際金融市場統合をはじめ、最近ではビットコインなどの暗号資産と通貨代替の関係についても研究を始めました。

通貨代替とは、ある国の居住者が、支払手段の貨幣として外国通貨を用いることです。自国通貨(その国の法定通貨)に対する信認が低いラテンアメリカ諸国、中・東欧諸国などの開発途上国、新興市場国で広く見受けられる現象です。

過去に高いインフレを経験したラテンアメリカ諸国や、社会主義から資本主義へと移行している中・東欧諸国。こういったマクロ経済が不安定な国々で生活し、経済活動を行っている人々は、「自分の持っている通貨の価値がいつなくなるか分からない」「銀行預金が安全ではない」という不安を抱えています。つまり、自国通貨への信認が極めて低い状態なのです。そこで死活問題に対処するために、ドルなどの安定した通貨で支払いなどの決済を行う傾向にあります。

日本に暮らし、円で決済をしている私たちには、ピンと来ない現象かもしれません。日本円は「セイフ・ヘイブン」(=資産の安全な逃避先)とも呼ばれるように、万が一の時に買われる安定した通貨だからです。実際、リーマンショックやブレグジット(イギリスの欧州連合離脱)問題の時には円が買われました。今回のコロナショックでも、円のレートは上がっています。

では円を使う日本人にとって通貨代替が無縁のテーマかといえば、そんなことはありません。ビットコインなどの台頭によって、円も暗号資産に代替される余地が生まれているからです。後ほど改めてふれましょう。

物事の「原理」というものに強く惹かれた学生時代

私が国際金融論に出合ったのは、学部の教養課程です。教養課程ですから、本格的な国際金融論ではなく、その"概論"に位置する授業でした。

もともと私は、物事の「原理」というものに強く惹かれる学生でした。言い換えれば、「さまざまな解釈が成り立ちますね」という結論に居心地の悪さを感じるタイプだったのです。

たとえば、複数の企業戦略を観察し、その中から共通しそうな要素を抽出し、社会学や心理学といったツールを使って個別の解釈を行う...というアプローチがあります。オリジナリティ溢れる研究はできますが、私はそこに魅力を感じなかったのでしょう。むしろ、一つの基礎理論に基づいてあらゆる現象を説明する、普遍的で汎用性の高い分析手法に惹かれていたのです。そのことに気づかせてくれたのが、前述の授業でした。

為替相場の動きは、世の中でもっとも説明しにくい現象の一つです。為替相場の背後には人間行動があります。経済学においては、人間という経済主体は合理的に動くものとされている。そんな経済主体の合理性を前提としながら、説明が困難な為替相場の動きをどこまで説明できるか?ということに興味を持ったのです。

少し話を広げると、近代経済学は物理学、特にニュートン力学を手本に発展してきた学問です。ニュートン力学は、「全知全能の神が創造した自然や世界は徹頭徹尾、合理的であるはず」という前提に立ち、その中に法則を見出すことを目的としていました。

そのニュートン力学を手本にした近代経済学も、人間を創造物の一つとみなし、人間が行う社会行動を貫徹する合理的な運動法則を見つけようとしたものです。物事の根元にある原理や普遍的な真理にふれてみたい、と考えていた私にとって、近代経済学の学問体系に身を置くことは、今思えばとても自然なことだったと言えます。

経済学では「貨幣とは何か」がきちんと説明されていない

そして通貨代替という現象に興味を持ったのは、国際金融論の中でも主に「貨幣マクロ経済学」について研究を進めたことがきっかけです。

国際金融論は、「フィナンシャル・エコノミクス(Financial Economics)」及び「マネタリー・エコノミクス(Monetary Economics)」という二つの分野を包括した学問領域です。

前者はいわゆる金融の分野を扱い、コーポレート・ファイナンスや証券市場論などの学問に発展しています。後者は貨幣の存在を前提に、貨幣が経済にどのような影響を与えているかを研究する学問です。そして、私が軸足を置いているのは後者で、貨幣について学びを深めていくことが主題となります。

実は経済学においては、「貨幣とは何か?」がきちんと説明されていません。なぜ貨幣が貨幣であるのか。なぜ自国通貨ではない通貨を用いることが常態化するのか。そこにどのような合理性があるのか。こういった問いにアプローチするために、通貨代替の研究を始めたのです。

暗号資産の存在が、日本に通貨代替をもたらす可能性

貨幣について、教科書には「決済手段として用いるもの」と書かれています。しかし、紙幣は"紙"に過ぎません。本質的には価値を持たない"紙"が、なぜ決済手段として用いられるのでしょうか。なぜラテンアメリカ諸国、中・東欧諸国では、人々は自国通貨があってもドルを使うという現象が観察されるのでしょうか。

それは、端的に言えば「皆が使っているから」です。自分だけではなく周りの人がドルを使えば使うほど、ドルという貨幣の決済手段としての利便性は向上します。皆が使っているから、自分も使ったほうが得だ。誰もがそう考えれば、ドルを使うことに慣性が働き、個人の決定が外部性を持ち、社会全体の利便性と一致することによって、通貨代替という現象が発生する、というメカニズムです。

日本にいる私たちにはピンと来ない現象ですが、ドルをビットコインなどの暗号資産に置き換えると、とたんに無縁の話ではなくなります。

紙幣が"紙"に過ぎないのと同じように、暗号資産も"データ"に過ぎません。しかし、アメリカの金融政策下にあるドルと違い、たとえばビットコインは特定の国に属さず、中央銀行も存在しません。特定の国・企業の思惑に左右されることがないわけです。また、スマホのアプリでも決済が可能で、取引記録はすべてブロックチェーン(分散型台帳技術)に残され、改ざんも偽造もできません。

そのため、円で行っていた決済をビットコインに切り替える日本人が増えていっても不思議ではありません。円という自国通貨がありながら暗号資産を使う、これはまさに通貨代替の現象そのものと言えます。

なおビットコインについては、通貨代替だけではなく「バブル現象」という観点からのアプローチも考えています。合理的な経済主体であるはずの人間によってバブルが引き起こされるのは、後から市場に参加する「グレーター・フール」(=より愚かな"カモ")に売り逃げするため、根元的な価値よりも高い価格で取得しておこう、という判断が働くからです。

ビットコインは、発行枚数に上限があることは周知の事実です。ビットコインの取引を承認するマイナーが、報酬としてビットコインを受け取り続けていたら、希少性が加速し、バブル化するでしょう。そうと分かっていればビットコインから逃避しても良さそうですが、「グレーター・フール」の参加を期待して、誰もビットコインから離れない...というわけです。

腰を据え、じっくり古典と向き合う大切さを痛感する日々

このような研究を進めるには、つねに最新の論文に目を配りながら、私自身も一定のペースで成果を発信していく必要があります。それはもちろんやりがいのあることですが、ふとした瞬間に「腰を据え、じっくり古典を読み直したい」と感じます。逆に言えば、それができる学生時代が貴重な時間だったということを痛感します。

学生の皆さんには、ぜひ古典と向き合う時間をつくってほしいと思います。古典といっても、今所属する学部にこだわる必要はありません。すぐに役立つとは思えない本でもかまいません。商学部の学生がシェイクスピアを読みふけっても、いいじゃないですか。それこそが、根元にある原理や普遍的な真理にふれるための第一歩になるはずですから。(談)