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人間の多様な嗜好に応える"観光と観光客"を研究する意義

  • 経営管理研究科准教授鎌田裕美

2019年10月1日 掲載

鎌田裕美氏

鎌田裕美(かまた・ひろみ)

2007年一橋大学大学院商学研究科博士後期課程修了。一橋大学大学院商学研究科特任講師、国土交通省国土交通政策研究所研究官、西武文理大学サービス経営学部専任講師、淑徳大学経営学部専任講師を経て、2017年より現職。主な研究テーマは、観光客のベネフィット・セグメンテーション、満足度と再訪意向の分析である。温泉客を研究対象にしてきたこともあり、ウェルネス・ツーリズムにも関心がある。現在は、インバウンド・ツーリストを対象に研究を進めている。

2020年には4,000万人を突破する勢い

私が手がけている研究テーマは、観光振興や観光客行動といったものです。2018年からは、主にインバウンド(訪日外国人旅行)の行動について調査研究を行っています。そもそも観光旅行はしなければならないものではないにも関わらず、なぜ人はお金と時間を使って観光をするのか、という疑問からスタートしています。
国は"観光立国"の方針を掲げてインバウンドの誘致拡大に乗り出し、「ビジット・ジャパン・キャンペーン」を開始した2003年には521万人だった訪日外国人旅行者数は、2013年には1,000万人を超え、2018年は約3,119万人とハイペースで増加しています。この主な要因としては、国策としてのビザの緩和やLCC(Low Cost Carrier)の就航が大きいといわれています。東京オリンピック・パラリンピック競技大会が行われる2020年には4,000万人という目標が掲げられていますが、突破する勢いにあるといえるでしょう。
ではなぜこのようにインバウンドは増えているのでしょうか。台湾の人たちへのアンケート調査を500サンプルほど行ったうえで、バイアスがかかった回答が多い点を考慮し、台湾と韓国、タイのそれぞれの知人に尽力してもらって現地の人たちを集めてもらい、インタビュー調査を試みました。その結果、見えてきたことがいろいろとあります。

リピート訪日の理由

日本に何度も来る人たちが増えた理由としては、以前、会社などのツアーで訪日した際に時間がなく、行きたくても行けなかった場所があることが心残りであったところ、ビザの緩和やLCCの登場を機に個人旅行で再訪し気に入った、といったことが挙げられます。さらに、日本はアジアの最先進国で、安全・安心に過ごせるうえ、地方に行っても一定水準の宿泊施設が揃っていることが大きいという意見が少なからずありました。また、同じアジア人にとっては、欧米と違って街中にいても目立たないため安心できるといった意見もありました。
興味深いのは、日本政府が盛んに推しているような"四季の自然の豊かさ""食べ物のおいしさ""おもてなし精神"といった要素が挙がってこなかったことです。「もし、お金と時間がたっぷりあったらどこに行きたいか?」と尋ねたところ、「南米やアフリカ」という回答が大部分を占めました。つまり、地理的に近い日本は「隣の街にちょっと買い物に行く」という感覚の延長で訪れる場所であり、政府の思い描くような観光客行動を取るわけではないということです。

自治体や観光地とインバウンドとのギャップ

「なぜリピート訪問するのか?」という問いに対して、次のような興味深い回答がありました。
「リピートといわれても、別に同じことをしに来ているわけではない。一緒に行く人が違えば全く違う旅行になる」というものです。観光地側にしてみれば、「何度も来てもらうために飽きさせないように趣向を凝らさなければならない」と考えて、目新しい催しを企画しがちです。しかし、訪れるほうには「前回行って良かったあの場所に、今度はこの人と行きたい」というニーズがあるのです。それなのに、前回と異なる場所になっていては逆効果となるかもしれません。
このように、自治体や観光地が考える"魅力"と、外国人旅行者が感じている"魅力"にはギャップがある場合が非常に多いように感じます。今回調査した外国人観光客は一様に「自分たちが行きたい場所に行き、過ごしたいように過ごす」と言います。このような外国人観光客の思いや本音を、受け入れる側がどれほど理解しているかが今まさに問われているのではないでしょうか。
今回はアジアの3か国への調査でしたが、欧米からの旅行者には全く異なる動機やニーズがあるのではないかと思います。引き続き、調査・研究を進めていきたいと考えています。

温泉を選ぶポイント

インバウンド研究の前は、博士論文のテーマでもあった日本の温泉地観光客の研究を続けていました。日本の各地にはさまざまな温泉があり、日本人はこぞって出かけています。行かなくても困るようなことはないと考えられるのに、なぜ人は温泉に行くのでしょうか。さらに、どうやって行く先を選ぶのでしょうか。そんな単純な疑問が出発点にありました。その真の答えは一生かかっても得られるかどうか分からない奥深いものとも感じますが、調べていくといくつかのことが分かりました。
たとえば、泉質が重視されると思うかもしれませんが、すべての泉質が揃っていると言われる別府温泉や登別温泉よりも、単純温泉の由布院温泉のほうが人気は高いという事実があります。このような点から、温泉客は泉質や効能は気にしておらず、ロケーションなどの情緒的なことを重視していることが分かります。調査結果からも、多くの人が「のんびりしたい」「リラックスしたい」といった理由で行くことが分かったわけですが、つぶさに回答を見てみると個人差があることが分かります。自ら積極的に温泉地や宿にこだわって探す人もいれば、誰かに連れられる形で行く人、「考えるのが面倒だし、毎年行くと決めているから」と同じ温泉地にばかり行くという人もいます。一方、温泉地側としては、足湯場をつくったり、名物料理をつくって顧客を引きつけようと躍起になっています。ここにもギャップがあることが分かります。

日本人と外国人の温泉観の違い

さらに、世界に目を向けてみると、日本人と外国人の温泉のとらえ方には大きな違いがあることが分かります。日本人の場合は、一般的に「仲間や家族と温泉に浸かって、飲んで騒いで」といった慰安旅行や家族旅行の行き先として温泉地を選ぶ傾向があります。これに対して欧米などでは、「温泉療法」を行う場所という機能重視のとらえ方をしているのではないかと思います。日本のように他人同士が裸で同じ温泉に浸かるということはほとんどありません。また、あるタイ人の友人の話によると「タイの女性の多くは、『家族など親しければ親しい人ほど、一緒にお風呂に入るのは嫌』という考え方が一般的なのではないか」ということでした。こうしたことを知っているか否かで、旅行者への対応は全く異なるものになると思います。

一橋大学で学ぶメリット

観光や観光行動を研究する意義としては、このように旅行者のニーズを丁寧に観察し、そのニーズに応えることが、観光産業としての発展に寄与するところにあるのだろうと考えます。一橋大学で学ぶメリットは大きいと自負しています。本学ではマーケティングや経営、法律といった学問の厚い蓄積があり、こうした知見を観光産業に適用することが可能だからです。さらに、経営管理プログラム(MBA)のサブプログラムとして「ホスピタリティ・マネジメント・プログラム」が用意され、ホスピタリティ産業における高度経営人材の育成にも取り組んでいます。観光客のニーズは多種多様で、一方の旅館やホテルなどの宿泊業は小規模のファミリービジネスが大半を占めるという構造になっています。"観光立国"を目指すものの、産業としてまだ立ち上がったばかりの日本のホスピタリティ産業を強化していくための研究活動には、大きな意義があるのではないかと感じています。(談)