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企業で働く人たちが「腑に落ちる」経営理論を提供する

  • 大学院経営管理研究科准教授西野和美

2019年6月5日 掲載

西野和美

西野和美(にしの・かずみ)

一橋大学商学部卒業。化学メーカー勤務を経て、2001年一橋大学大学院商学研究科博士後期課程単位修得退学。2002年一橋大学博士(商学)。東京理科大学経営学部経営学科専任講師、イノベーション研究科技術経営専攻准教授を経て、2017年より現職。近著に『自走するビジネスモデル 勝ち続ける企業の仕組みと工夫』2015年/日本経済新聞出版社刊がある。

技術を軸とした経営のあり方に関心を持ち
聞き取りを重ねながら事例研究を進める

私は経営戦略論、技術経営論を主な研究領域としています。これは後述しますが、もともと私は民間企業の出身で、技術を軸とした経営のあり方に関心を持っていました。そこで研究者となった現在も現場に足を運び、関係者から聞き取りを重ねて作成する事例研究を中心に、定性的な調査研究を行っています。テーマは、「製造業における研究開発マネジメント」「新規事業創出の論理」「ビジネスモデルの動態モデルと持続的競争優位性」などです。
国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研)と一橋大学が連携協定を結んでいることから、自社の技術や事業を育てたいという課題を持つ企業を訪問。産総研とそのネットワークが持つ技術と、企業との課題を接続するためのコンサルテーションも行っています。
私が研究対象として興味を持つ企業には、大きく二つの特徴があります。一つ目は、圧倒的な技術力を持っていること。規模の大小にかかわらず、ほかの企業が持っていない技術を持っている企業です。二つ目は、コンセプトがしっかりしていて「言葉」と経営が結びついていること。良品計画(無印良品)が好例かもしれません。なぜその二つなのか?と聞かれるといつも答えに窮してしまうのですが(笑)、アカデミックな論文に載せるようなロジカルなものではなく、消費財・消費社会への興味、モノがまとっている魅力への興味、という部分が大きいです。

不確実性への対応力の不足が
オープンイノベーションの障壁に

研究のために企業に聞き取りを行っていると、最近よく聞くのが「オープンイノベーションがうまくいかない」というコメントです。オープンイノベーションとは、「企業内部と外部のアイデアを有機的に結合させ、価値を創造すること」と定義された概念を指します。商品化を迅速に行うために、自社の研究開発を最小限におさえ、他社の知識・ノウハウを最大限に活用しよう、というものです。しかし「オープンイノベーションがうまくいかない」と悩んでいる企業群を分析してみると、同じパターンで失敗していることが分かってきました。それは「不確実性への対応力が不足している」というものです。
1990年代にバブルがはじけるまで、日本企業は右肩上がりで成長を続けてきました。当時は環境に影響を及ぼすいわゆる"環境変数"が少なく、「作ればこれだけ売れるだろう」「売れれば株価が上がるだろう」というように、シンプルな予測でも問題はありませんでした。うまくいかない......と悩んでいる方々には、この頃の経験が記憶に残っているのだろうと思います。
しかし時代は変わりました。中国が台頭し、EUが域内の政治・経済問題で大きく揺れ......というように国際状況が変化。環境変数が大きく変わり、不確実性が増したのです。しかも現在ではICT(Information Communication Technology)の発達により、計算速度も情報を取得する速度も格段に上がりました。変化はさらに加速します。環境に対応するには、自らを変化させていく必要があるのです。
そのような時代において、自社だけではうまくいかないから、という理由で他社とのオープンイノベーションを模索しても、成果は出ません。理念、規模、報酬......すべての点でバックグラウンドが異なる外部の企業と組み、成果を出すためには、まず自社が変化し、不確実性への対応力を上げなければならないからです。

企業としての余力を持ち
トップが現場の自由を確保できるかどうか

では、不確実性への対応力が高い企業とはどのような企業でしょうか。
これまでの研究から、二つの傾向が挙げられます。一つは、企業として余力があること。トヨタ自動車のようなトップ企業が、かつて業界に先駆けてプリウスの開発に取り組み、現在は水素自動車の開発を推し進めていることは、その典型的な例です。
もう一つ重要なこと-そして余力以上に大切と思われること-は、企業や現場のトップがつねに危機感を持っていることです。ただし、その危機感を「現場への圧力」ではなく、「現場を自由にさせること」に振り向けられるかどうかがポイントになります。私はそのことを、民間企業での勤務経験を通して学びました。

好き勝手やっていた技術者たちが
富士写真フイルムの変革を成功させた

私は1992~1996年まで、富士写真フイルム(現・富士フィルム)の管理部門に在籍していました。同社は1995年にデジタルカメラ事業に参入しましたから、ちょうどその前後の期間、私は内部から「銀塩からデジタルへ」という変革の様子を目撃したことになります。
はじめはプロユースでスタートしたデジタルカメラ事業ですが、あっという間に需要が変化し、一般ユーザー層に広がっていきました。劇的な変化に追いついていけたのは、幅広い技術の蓄積があったからですが、それ以上に社内の技術者の力が大きかったと考えられます。その人たちは、悪く言えば「好き勝手やっていた人たち」でした。現場で「好き勝手」をしながら、これからは確実に液晶の時代が来ると察知し、特殊な液晶がコーティングされた視野角拡大フィルム「WVフィルム」の開発を自主的に進めたのです。
そしてその取り組みに対して、当時の研究部門のトップと役員が理解を示し、許可し、守ったことが、「銀塩からデジタルへ」という変革を成功させたのです。

社会は常に変化していくものであり
技術は必ず新しいものに飲みこまれる

現場の自由を確保するとは、経営学用語では「スラック」(ゆるみ)と表現されますが、平たく言えば「あそび」の余地をもうけることです。たとえば、グーグルやスリーエムでは20%ルール、15%ルールがあります。自分の業務時間の一部(=15~20%)を好きなことに充てるというものです。その「あそび」の部分が、現場の人たちに気持ちの余裕をもたらし、将来について考え、試行錯誤する時間をもたらすと考えられます。
反対に、研究テーマを限定され雑務もいっぱいでほかのことができない状態、透明性(=見える化)・効率性の向上を求められ、確実な成果のために日々の業務を遂行するような状態――これが現場の余力を奪い、変化を生み育てる土壌を奪うのです。そして社内の技術はいつの間にか陳腐化し、変化し続ける世界や社会に対応できなくなる。そこで外部の知識・ノウハウを取り入れようとしても成果を出せず、「オープンイノベーションがうまくいかない」と頭を抱えることになります。
社会は常に変化していくものであり、技術は必ず新しいものに飲みこまれる宿命にあります。トップの裁量で現場の自由を確保することが、技術の陳腐化を防ぎ、不確実性への対応力を上げると言えるでしょう。

経営学は、変わり続けることの
重要性と向き合う学問

経営学が難しいのは、定理がないところです。これまで話してきたことも、多くの企業の経験則から帰納的に理論化したもの。ライバルとの相互関係や、企業自身による学習など、制御する変数がたくさん存在するため、自然科学のように「こうすれば(必ず)こうなる」というわけにはいきません。
定理がないと言うよりは、「変わり続けることの重要性」と向き合いながら研究することが、経営学と言えるでしょう。私の研究の底辺に「変わり続けることの重要性」があるのは、おそらく民間企業に勤めていた経験があるからです。その経験をもとに、コアとなる変数を定めて、変数間の関係性を分析することによって、自分なりのフレームワークがつくれたらと考えています。
ただし、同じく民間企業に勤めていた経験上、私は企業で働く人たちが腑に落ち、日々の業務に還元しやすい理論を提供したいと考えています。専門用語や学術用語に逃げない、理解しやすい理論、要するに「人の役に立つ経営理論」です。ここでもそのスタンスで説明してきたつもりですが、伝わったでしょうか?(談)