「プライマリ・ケア」を中心に日本の医療制度改革にアプローチ
- 国際・公共政策大学院(アジア公共政策プログラム)教授井伊 雅子
2012年夏号vol.35 掲載
井伊 雅子
1986年、国際基督教大学教養学部卒業。ウィスコンシン州立大学マディソン校経済学部博士課程修了、博士号取得(Ph.D., Economics)。ワシントンDC世界銀行調査局研究員、横浜国立大学経済学部助教授を経て2004年、現職。東京大学公共政策大学院医療政策教育・研究ユニット特任教授を併任。東京医科歯科大学医学部倫理委員会の委員や財務省の財政制度等審議会委員などを務める。編著に『アジアの医療保障制度』(東京大学出版会)など。
医療保険制度および医療費の問題を主領域に
医療経済学とは、医療に関する問題を扱う経済学の一分野。医療サービスの効率性の測定、薬の費用対効果、看護師の給与や組織論としての医療機関の問題など、さまざまなテーマが研究されています。そのなかで私は医療保険制度および医療費の問題を主領域とし、国や地方の財政、地方分権との関係性のなかで研究を進めています。その点においては、一橋大学に赴任したことで、税財政制度の研究環境に優れているうえ、財務省や日銀出身の同僚たちとは政策決定過程をはじめいろいろと議論できて、大いに役立っていますね。連携プログラムを持つ東京医科歯科大学では、医学部生向けの講義や医学部の倫理委員会などを通して学ぶことも多いです。
私の研究領域における現在ホットなテーマの一つは、日本におけるプライマリ・ケアの問題です。プライマリ・ケアとは、「日常よく遭遇する病気や健康問題の大部分を患者中心に解決するだけでなく、医療・介護の適正利用や予防、健康維持・増進においても、利用者との継続的なパートナーシップを築きながら、地域内外の各種サービスと連携するハブ機能を持ち、家族と地域の実情と効率性を考慮して提供されるサービス」のこと。つまり、「国民のあらゆる健康上の問題や疾病に対し、総合的・継続的・全人的に対応する地域の保健医療福祉機能」と考えることができます。プライマリ・ケアを専門に担う医師は、この制度が進んでいる国々ではGeneralPractitioner/Family Physician(家庭医)と呼ばれており、臓器別の専門医と明確に区別されています。家庭医は、医学部を卒業後3〜5年の専門研修を受け、家庭医の専門医試験に合格して認定されるというスペシャリティが確立しています。
健康上の問題の80〜90%を解決できる
プライマリ・ケアのメリットとしては、次のことが挙げられます。まず、健康上の問題の80〜90%は、プライマリ・ケアの段階で解決できるということです。家庭医では対処できない重篤な病気の場合にのみ、最適な専門医や病院での診療に引き継がれます。この機能はgate keepingと呼ばれ、最初から大病院に人が集中してしまわないようコントロールする役割を果たしています。けれどもgate keepingはごく一部の役割です。
カナダ、オーストラリア、英国、オランダなどプライマリ・ケアを重視した費用対効果の高い医療制度を国を挙げて指向している国々では、診療所は1か所につき数人の家庭医によって構成されており、交代で24時間365日対応しています。つまり「いつでも、どんな症状でも対応してもらえる」という安心感を住民に提供しているわけです。
また、担当する家庭に起こる健康問題すべてを地域で継続してケアしているので、家庭医は家族の体質や既往症からライフスタイル、価値観まで理解し、健康維持や介護のアドバイスからターミナルケアまでスムーズに行いやすいという特徴もあります。ですから家庭医はdoctors of fi rst and last resort(最初に出会い、最後まで関わる医師)といえるのです。
さらに、医療費を抑制するという点で大変大きなメリットが発揮されています。プライマリ・ケア先進国では、住民は必ず1か所のプライマリ・ケアの診療所に登録されることになり、1人の家庭医は2000人ほどを受け持つことになります。もちろん、2000人のうち診療所に行くのは一部の人に限られるのですが、診療所が手にする医療報酬は人頭払いと成果払いがバランスよく取り入れられていて、患者が来ても来なくても運営が成り立つように設計されているのです。したがって、余計な検査や投薬をして医療報酬を得る必要性がなく、医療費の抑制につながっているわけです。こうした国々では、プライマリ・ケアには全医療費の多くて一割程度しか使われていません。もちろん過少医療にならないように診療のガイドラインの整備や医療の質の監視は厳しく行われています。
日本に存在しないことによる医療システム全体の非効率化
一方の日本では、こうしたプライマリ・ケアという概念は確立されておらず、専門研修を受けた家庭医もほとんど存在していません。病院で内科を研修したり、ただ地域にいて数年医療に従事すれば身につく程度のものだと思われており、一般の開業医や病院の外来における内科医、小児科医などが「かかりつけ医」として家庭医の機能の一部を担っているに過ぎないという状態が長らく続いているのです。
世界標準の家庭医と日本の開業医との大きな違いは、家庭医は患者の診療だけでなく、地域全体の健康に関する問題を診断し、その解決のために健康資源を有機的に調整し地域包括ケアを計画・実践していく能力を訓練によって身につけている点にあります。家庭医のもとには地域住民の健康に関するデータが蓄積されており、診療に当たるとともに地域医療に関する研究活動も行っています。これにより、プライマリ・ケアに特化した診療ガイドラインが作成され、患者にとって身体的にも経済的にも負担の少ない、かつ高質な医療が受けられる環境が整備されているのです。
日本においてはプライマリ・ケアが未整備状態にあることから、医療をめぐるさまざまな問題が未解決のまま置き去りにされているといえます。その最たる問題は、病院医療に不必要な負荷がかかり、医療資源の非効率的な消費をもたらし、ひいては医療システム全体の非効率化につながっているということです。
たとえば、日本ではちょっと頭痛がするだけで、大学病院の外来に行くという人がとても多くいると思います。そして、循環器内科や消化器外科、整形外科、泌尿器科、産婦人科、さらには脳外科や心療内科など、かなり専門分化されたレベルの外来まで一般人が選択して受診しなければなりません。このため、1人の患者がいくつかの科を回り、それぞれの科で検査を受けるといった重複も生じています。この弊害は慢性疾患を複数持つ高齢者に特に深刻な問題です。
さらに、日本の保険医療制度は出来高払いとなっているために、医療機関側にどうしても多めの検査や投薬をして報酬を得ようというインセンティブが働く構図があります。海外の医療関係者が一様に驚くことに、日本では子どもの頭部でも放射線被ばくの恐れがあるCT検査が気軽に行われている現状があります。有益性を示すエビデンスがないのにCT、MRIやPET検診などの人間ドックを頻繁に行うのも日本の医療制度の特徴です。日本のCT普及率は世界一高く、アメリカの3倍近く、イギリスやオランダの10倍以上です。医療技術の発達という面では喜ばしいことかもしれませんが、身体的・経済的副作用も大きいといえるのです。ちなみに、イギリスやオランダなどのプライマリ・ケアにおいては、できるだけ身体的・経済的負荷のかかるCT検査は控えるべきというコンセンサスが形成されています。
既得権益を失う人々などの反対で潰されてきた経緯
では、なぜ日本にプライマリ・ケアの導入が進まないのか。その大本には、日本の医療政策を担う人々の多くが専門性の高い(したがって医療費も飛び抜けて高い)医療を指向するアメリカでの留学・滞在経験を持ち、地域医療や家庭医療制度の整備を国を挙げて取り組んできたイギリスやオランダ、オーストラリアなどの医療制度を学ぶ機会に乏しかったことが挙げられるでしょう。したがって、患者とのコミュニケーションを重視し問診と身体診察を中心とした診療で、不必要な検査や投薬を控えるイギリスなどの医療を「遅れている」と評価する傾向にあります。しかし、人体に対して必要以上に検査や投薬を行うことが、本当に先進的といえるのか疑問があります。さらに日本では、大学の専門科で最先端の医療科学研究に従事する医師が一流であり、地域でプライマリ・ケアに当たるのは二流の医師がすること、といった思潮があるようです。しかし、これなども、実際に日々の医療現場で起きている医療ニーズは、大腿骨頸部を骨折した80歳女性に手術は行うべきか否か、認知症を発症した人にどのような生活指導をすべきか、といった今を生きる人にとっての切実な問題であり、そうした問題に対処することがラットで遺伝子の変化を研究することより劣ることかどうかも甚だ疑問だと思います。一方、乳がんの遺伝子レベルの最先端治療に従事している医師が、がん治療が落ち着いたあとも患者から持ち込まれるさまざまな健康相談に応じている、という状況もあります。その医師らは、「我々は乳がん治療に関しては最新の知識を持っているが、頭痛の相談をされても専門外だ。かといって、プライマリ・ケアの高質な専門医は日本にはほとんどいない。仕方なく自分たちがこうした患者の対応をしている」と言います。
日本でも、これまでプライマリ・ケア体制を整備し、それにふさわしい支払い制度を導入すべきという議論が何度か行われてはいたのですが、その都度、そのことにより既得権益を失う人々などの反対で潰されてきたという経緯があります。しかし、最近『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(中村仁一著、幻冬舎刊)という本がベストセラーになっていることをみても、過剰な医療に対する人々の問題意識は高まっているのではないかと思います。積年の問題である「社会保障と税の一体改革」がまさに議論されていますが、生活者にとって切実な、プライマリ・ケアのような医療現場の改革には議論が及んでいません。もっぱら財政のつじつま合わせの議論が主で、これでは国民の納得と支持を得ることは難しいと思います。政治家やマスコミはプライマリ・ケアをめぐる問題をもっと勉強し、日本の医療制度改革をより本質的なものにすべく議論を起こしてほしいと思います。医療経済学は、こうした改革に役立つ材料を提供できるはずです。(談)
(2012年7月 掲載)