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金融機関のリスクテイクに「ほどほどの規制」は可能か

  • 商学研究科准教授中村 恒

2012年夏号vol.35 掲載

中村 恒

中村 恒

1994年東京大学経済学部卒業。同年日本銀行入行、調査統計局、金融研究所、企画室などに勤務。1999年シカゴ大学大学院経済学部入学。2005年シカゴ大学大学院経済学部修士・博士課程修了、同年シカゴ大学大学院経済学部博士号(経済学)取得。シカゴ大学在学中および卒業後、米国連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board of Governors)、ミネアポリス連邦準備銀行(Federal ReserveBank of Minneapolis)にて短期滞在研究員として従事。東京大学大学院経済学研究科専任講師を経て、2011年一橋大学商学研究科准教授に就任。現在に至る。

金融の大前提にあるリスクテイク行動

私は現在「金融論」を研究しています。テーマは二つに枝分かれし、一つはリスク管理や保険に関してアカデミックな専門家をターゲットとしたもの。もう一つは金融機関や金融プルーデンス政策(金融システム安定化政策)を研究対象としています。こちらは金融実務家など一般の方々もターゲットとした政策論が中心です。アカデミックな研究と、一橋大学が提唱している「現実に役立つ実学」。この両極を手がけながら、学問と現実経済双方へ貢献することを目指しています。今回は、後者の金融機関・政策の研究についてご紹介しましょう。
現在、金融プルーデンス政策や金融規制の面で焦点になっているものの一つに、欧米の金融機関の利益追求行動があります。2000年前後から、ITバブル後の景気失速を受けたアメリカは、さらに景気を腰折れさせないために、当時のFRB(連邦準備制度理事会)議長・グリーンスパン氏のもとで「グリーンスパン・プット」と呼ばれる低金利政策を継続しました。以降数年間にわたり結果的に見れば住宅価格バブルが続きます。その過程で投資銀行による非常にアグレッシブな、利益至上主義ともいえる経営が横行しました。リーマン・ブラザーズの破綻を引き金に世界的な金融恐慌が起こり、市場は大荒れに。景気悪化を恐れた金融監督行政は大きなペナルティーを科さず、金融機関をつぶさないという政策をとりました。しかし将来を見すえると、アグレッシブに利益を追求する金融機関の暴走は抑えたい。公共的な役割を持つ銀行が「いざとなれば政府や国民が税金で助けてくれるだろう」と期待する、モラルハザードの再燃も避けたい。そこで今後はどのような金融ルールがありうるか、という問題が出てきます。
しかし気をつけなければいけないのは、金融とはリスクテイクをもとに運営されているという前提を無視することです。リスクがあるから、効率的な資産分配が行われます。今は収入がないが、将来の収入をあてにしてローンを組み、家や車を買う。これもリスクという概念があればこそ。リスクがあることによって国民生活は豊かになりうる。その事実を無視してリスク・ゼロのルールをつくるわけにはいきません。
問題は過度のリスクテイクにありますが、ではどの程度のリスクテイクならば最適なのかということになると、これが難しいのです。
現在アメリカでは国民感情を考えて、金融機関の行動範囲をせばめるような規制がなされています。しかし厳しくしすぎるのは問題です。悪化した景気が回復に向かうとき、資産が豊富ないわゆる「持てる側」と、そうでない国民の懐具合のあいだには、多かれ少なかれギャップが生じるものです。回復期には金利が下がり、「持てる側」はより資金調達をしやすくなります。東京駅周辺の再開発にみられるような状況は、一般の人が持つ景気のイメージとは必ずしも直結しません。でもこれは景気回復のドライビングパワーになりうるので、融資など金融機関の行動を制限しすぎてはいけないのです。ただし、緩めすぎるのも危険です。景気が過熱してくると今度はお金が余ってしまい、融資先に困った金融機関がリスクを考えずに投資するようになる。すると先ほどのモラルハザードが再燃するかもしれません。このように厳しすぎても、緩めすぎてもいけないのです。本当に最適な金融ルールとは何か。専門家全員が模索を続けている大きなテーマです。

歴史との比較を困難にする証券化型金融

経済・金融など社会科学の難しさは、自然科学と違って実験が困難であることにあります。となると、どうしても歴史を振り返って教訓を得ることになります。ところが、過去に起きたことと現在の問題とでは、必ずしも状況が一致しているわけではありません。ここにさらなる困難があります。たとえば2000年代後半の金融恐慌後のアメリカについて、1930年代の世界恐慌後のアメリカと比べるとしましょう。1930年代半ば以降、アメリカは10年でマネーサプライを3倍に増やすほど金融拡張政策をとりました。「本当にそんなことをやっていいの⁉」とも思いますが、一方、リーマン・ショック後にもFRBは積極的に金融拡張策をとっています。しかし1930〜40年代当時は物価統制をしていたため実態を反映する詳しい物価データがなく、その後第二次世界大戦で戦勝国になったこともあり、なかなか比較はできません。
もう一つ、過去との比較を難しくしている問題に「証券化型金融の進行」があります。証券化のもとで、規制がかかった従来型の銀行業の枠外、つまり投資銀行やヘッジファンドによるシャドーバンキングが生まれました。デリバティブ取引など従来にはない金融取引が増え、金融システム自体が進化してしまったわけです。
もともと資本主義の世界では、規制回避行動(または規制裁定行動)といって、既存の規制を逃れよう、規制の網をくぐって利益に走ろうとする行動が起こります。規制を厳しくすると、新しい利益のイノベーションにインセンティブを与えてしまうわけです。しかし証券化を通じて金融危機が悪化したことは事実ですから、規制回避行動を起こさせない規制をもうけ、シャドーバンキングの生成を防ぐ必要があります。とはいえ過度な利益追求は規制しなければなりませんが、リスクがあるから人々の国民生活を豊かにできるという、金融そのものの役割を損なわないようにする。先ほども触れたように、その「程度」が重要になってくるわけです。
ある有名な経済学者は、リスク・ゼロの銀行業を「速度制限をしているカーレース」にたとえました。たしかに、スピードを競うカーレースで速度制限をしたら、カーレースの存在意義は損なわれます。現代の私たちがリスクのある取引をやめるのは、自給自足の生活に戻ることと同じかもしれません。過度なリスクテイク行動を抑えることが重要になるなかで、なかなか歴史からも学びきれない新しい取引が増えています。私たち専門家の悩みはつきません。

経済・金融に脈打つ人文学的行動

最後に、経済・金融の人文学的・人間行動学的な側面にも触れておきたいと思います。景気の回復期は低金利によって資金を集めやすくなるという話をしました。このとき銀行は、景気を拡大基調に戻していくうえで土地開発・建築などの確実でわかりやすい事業に融資する傾向があります。そして、その様子を見て不満をくすぶらせ、金融機関が破綻した暁には「ペナルティーを!」と訴える国民感情。規制が厳しくなればなるほど、規制をかいくぐろうとするシャドーバンキング。すべてがきわめて人文学的な行動であり、人間行動学的な分析が求められるーーそういえるのではないでしょうか。
私はかつて東京大学大学院で専任講師を務めるかたわら、2006〜10年の5年間、毎年1〜3か月程度アメリカに滞在してFRBの研究部署で研究活動を行っていました。偶然にも2008年のリーマン・ショック前後のアメリカを、肌で感じていたことになります。そのときに得た知識や議論をもとに、最近では「バーゼルIII」などの金融監督・規制について、日本も含めた各国の取り組み・国際協調のあり方に対して意見を求められる機会も増えてきました。一橋大学ではさらに金融機関・政策の研究を深め、学生の皆さんに知見を提供していきたいと考えています。(談)

(2012年7月 掲載)