損保の保険料率、競艇の勝率、カフェの売上──客観的な数字を使って理論づけ、相手を納得させるツールとして有用な統計学・計量経済学の醍醐味を伝えるために
- 経済学研究科教授黒住 英司
2013年冬号vol.37 掲載
黒住 英司
1992年一橋大学経済学部卒業。1997年同大学大学院経済学研究科修士課程修了。2000年同大学院経済学研究科博士後期課程修了。1992年4月~1994年3月電力中央研究所経済社会研究所研究員、2000年4月日本学術振興会特別研究員、2000年10月一橋大学経済学研究科講師、2003年4月同大学経済学研究科助教授、2003年9月ボストン大学経済学部客員研究員、2006年4月京都大学経済研究所客員助教授などを経て、2009年10月一橋大学経済学研究科教授に就任。現在に至る。
経済事象と経済理論の整合性をチェックする分析ツールづくり
私は計量経済学のなかでも、定常・非定常時系列分析に関する理論というものを広く研究していて、主に分析ツールを研究しています。実際に起こった経済事象と既存の経済理論が一致しているか、整合性を持っているか。それを統計学の側面から検証するため、さまざまな分析ツールが用いられていますが、そのツールをどのように開発していくかが重要になります。ツールの出来が粗いと、整合性のチェックも粗くなります。ですから、より洗練されたツールづくりが欠かせません。
経済理論が時代とともに進化するように、統計的なツールも進化してきています。私の研究は、時代の変化に合わせて新しい精緻な計量経済理論、分析手法を生み出すことにあります。このような研究は経済分析の立場からは分析ツールの基礎理論ということになるので、私の研究そのものがすぐに何かの役に立つということは稀ですが、それでも、自分の開発した理論・ツールが、経済分析や政策分析などの実証分析をする人に役立ててもらえれば幸いだと思っています。
一方、将来、学部を卒業して実社会へ出ていく学部生には、統計学・計量経済学などの基礎理論の学習も必要ですが、統計ツールを用いた分析テクニックを身につけることも必要なのであって、誰にでもわかる形で分析をして、結果を客観的に納得させる「科学」として、統計ツールを理解し、使えるようにならなくてはなりません。ですから学生に教える部分については、より実態の経済・社会現象に即したものを扱っています。
学生の学びのニーズに応えるために、統計学・計量経済学のゼミを展開
ふだんの社会生活で統計学が用いられている例としては、視聴率や商品の在庫管理、そして損害保険などの保険料率の設定などが挙げられます。また天気予報の統計分析もスーパーなどを経営する企業には有用です。店舗のエリアに合わせてピンポイントの天気予報を購入して、経営管理に活かしている企業もあります。さらに、統計学は、自動車保険の保険料率を決めるのに重要な役割を果たしています。ドライバーの年齢、車を運転する目的や頻度、自動車の種類などのさまざまな要素によって、保険料の高低が決まってきます。もちろん、ドライバー一人ひとりを見ると、その人の個性によって事故を起こしやすい・起こしにくいという傾向はあるのでしょうが、保険に加入するときにそのような判断をすることは非常に難しいです。実際には、年齢や運転経歴などのさまざまな客観的要因を統計学的に分析して保険料を決め、結果として帳尻が合えば、保険会社は成り立つのです。余談ですが、保険業界に就職した卒業生に聞くと、保険と統計学の関係を学生時代に学んだことは仕事にかなり役立っているようです。
在学生のなかにも、「統計学や計量経済学を使って何かをしたい、ツールとして使いたい」と考える人は多いですね。もともと経済学部には数学に強い学生が入学していることも関係しているのでしょう。最近ではデリバティブ(金融派生商品)の開発など、統計学は、金融工学の領域では重要な学問になってきていますので、よけいにそのニーズは大きいのです。
そこで私も分析ツールの研究は研究として、ゼミではよりブレイクダウンした実践的な「科学」を指導しています。3年次の前半はすべての基礎となる数理統計学について、後半では計量経済学について徹底的に学んでもらいます。4年次では4月の第1回のゼミで各自卒論のテーマを発表し、夏休みのゼミ合宿では中間発表を行います。卒論のテーマについては、ある程度フリーにしていて、何か一つ興味のある経済・社会現象を選択し、それを統計学・計量経済学の手法で分析させています。そうすると学生たちは本当にさまざまなテーマを引っぱり出してくるので面白いですね。私自身も勉強になることがあります。
卒論のテーマ設定のユニークさに、自分自身の発見や気づきがある
卒論のテーマとしては、年金問題、日銀の金融政策、プロ野球選手の年俸が何で決まるか、ネットオークション「e Bay」におけるノートパソコンの価格決定......などなど。ゼミ生にはアゼルバイジャンからの留学生もいたのですが、彼はトルコの財政政策をテーマにしていました。
このように、さまざまなテーマの卒論を今まで指導してきましたが、なかでも私が気に入っているのは競艇をテーマにした研究です。
私は全く知らなかったのですが、競艇はインコースが圧倒的に有利な競技なのだそうです。そこでその学生はインコースとそれ以外のコースでデータをとって、「インコースであることが統計学的に有利であるといえるか?」を分析しました。するとやはり統計学的には断然インコースが有利である、という結果がはっきり出てきたのです。ではインコースを買えばいいかというと、学生いわく「オッズが低く買いません」(笑)。そのような意見が出ることは、主催者側もわかっていることでしょう。ちなみに主催者側は競艇をより盛り上げるために、重賞レースなどを設けています。しかし「お客さんが増えたか?」「売上が伸びたか?」を調べてみても、そこに統計学の側面からこうだとはっきり関連づけられる結果は出てきませんでした。
もう一つ面白かったのがカフェの売上の分析です。これは、チェーン展開をしているカフェでかなり長期間アルバイトをしていた学生がテーマとして選びました。実は「売上アップの陰にはカリスマ店員がいた」というオチですのであまり深い分析とはいえませんが、分析プロセスには目を見張るものがあります。
その学生がとったデータでは、ある期間と別のある期間を比べると売上が伸びていました。理由を調べると新商品などが原因ではなく、容姿の整った店員がいたからだ、ということがわかったのです。ただしそれだけではなく、その店員が「ご一緒にケーキもいかがですか?」など一言添えることで売上増加につながったようです。たしかに、その人が接客しているときと別の人が接客しているときでは明らかにデータが違うのです。もちろん、時期的な要素や、商品のラインナップ、特に新商品の有無も売上に関係してきますが、そのような要素をできる限りすべて考慮したうえでの結果です。
目を見張るものがあるというのは、誰もがカリスマ店員がいるからだろうと予想がつくなかで、直感だけではなくデータで根拠づけている点です。つまり客観的な数字が伴った統計分析の手法を使ったことで、第三者を納得させやすくしているわけです。容姿という属人的な要素も、根拠づけて理論化することも場合によっては可能なのです。企業経営上、検討する余地は大いにあるのではないでしょうか。
より早い段階で統計学を学ぶ機会を増やすこと。
それが日本の課題
このように統計学や計量経済学による検証の有用性を考えると、この視点を導入している企業とそうでない企業とでは、はっきりとした差が出てくるはずです。売上、お客さんの数などは完全な数字なので統計学を使った分析がしやすいですし、さらに、単位時間内の店員の「笑顔・言葉・仕草」をデータ化して、売上などと関連づけることも可能です。
これから日本でも初等・中等教育で「統計による分析」という概念を学ぶ機会が増えるので、大学でさらに高度な手法を身につけ、企業経営に貢献できる分析もできるようになるでしょう。前述のように私自身の研究とは少し異なりますが、学生の皆さんに対しては、ゼミなどを通して統計学・計量経済学の世界の面白さを学ぶ機会を提供していきたいと考えています。(談)
(2013年1月 掲載)